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自由博愛、正義人道の名が特に盛んに叫ばれて居た時代であったが、
それは一部の者の口頭語に過ぎず、残忍兇暴は彼等の本性であった。
されば、彼等は、この掠奪と殺戮に甘んぜず、老幼男女が遁げ匿れた洞穴の口に薪を積み、
火を放って之を鏖殺(おうさつ:皆殺し)して祝盃を挙げた。

そうしたことは後年まで続いた。
1860年タンナ島に寄港した3隻の英船は、船内の麻疹患者4名を島内に担ぎあげて放置した。
当時島内に居た宣教師がこれに抗議したのに対し、船長は
「吾々は白人のために此等の動物を一掃せんとするものだ」
と言い、更に欺いて酋長を船内に誘致し、麻疹患者と同室内に監禁した後に放還した。
この「白人のため」の思想は、今日の白人濠洲主義において継承されて居る。