>>278

江戸時代が終わりを迎え、長い鎖国時代から抜け出した日本は欧米列強に一刻も早く追いつくために様々な改革を行う必要がありました。
明治初期に日本が抱えていた最も深刻な問題の一つは、地域によって言葉がばらばらである事でした。
これは江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜の回想録である

「昔、筑前人にあった時に困ったことがある。
話をしても言うことがちっとも分らぬ。
向こうでは一生懸命喋るけれども、少しも分からぬ。
やろやんやろやんやろやんやろやんやろやんやろやんやろやんやろやんやろやん
(中略)
ただふんふんと聞いたけれども、善いとも言われず、悪いとも言われず、甚だ困った。」

この回想録からも分かるように当時の日本語では方言よりもはるかに大きな違いがありました。
これから日本と言う一つの国として富国強兵を進めて行かないにもかかわらず、国民同士が意思疎通できなければ
国の発展は望めず最悪の場合、欧米の植民地になる恐れもありました。
そこで東京の上流階級で使われていた山手言葉を標準語とし全国へ普及することになりました。