>>438
フィリピンで バターンの死の行進の指揮官責任を問われた
当時の第 14 軍司令官の本間雅晴中将には、
2 月 11 日 の紀元節 ( 現在の建国記念日 ) に銃殺刑を宣告し、
彼が 4 年前に バターン半島の コレヒドール要塞に立てこもった米国と フィリピン軍に
総攻撃を命じた同じ月日時刻である 昭和 21 年 4 月 3 日の午前 0 時 53 分 に死刑を執行するという念の入れ様でした。

極めつけは昭和 23 年 ( 1948 年 ) 12 月 23 日 に、
東条首相以下 7 名の A 級戦犯の死刑を執行したことでした。

それはいかにも陰湿な欧米人らしく 当時の皇太子であり、現天皇の誕生日に狙いを定めて処刑し、
日本国民が末ながく祝うべき天皇誕生日を以後何十年にもわたり、 戦犯処刑者の血で汚す ことを意図した 飽くなき復讐の方法でした。