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日本は武装解除していた戦車を急いで動くように整備し直して、準備ができた戦車から次々と出撃して行きました。
激戦が展開され、午前七時頃には敵中への突撃を敢行し、四嶺山を奪還します。

その後、男体山山頂をから女体山へ向かい、女体山で危機に陥っていた
第三特殊監視隊を救援すべく、午前八時に猛突撃を敢行します。
この時、池田隊長も戦死しましたが、ソ連にも大きな損害を与えます。

反撃開始当初から停戦を摸索していた日本側は、十四時頃に、十六時に停戦を決定し、
停戦交渉に入ろうと護衛を含めて軍使総勢13名を派遣します。

ところが途中から単独で赴いた長島大尉がソ連軍に拘束されてしまいます。
満州でもソ連軍は同じ事をしましたが、非道な行為です。
混乱の中、三〜四回の停戦交渉が行われて停戦に至りました。