県は5日、県立琵琶湖文化館(大津市)で、戦国武将・明智光秀の重臣・明智秀満(左馬助)が馬に乗って琵琶湖を渡る姿をかたどった像を、
1962年に琵琶湖上に建立しようと計画した書類が見つかったと発表した。計画は実現しなかったが、同館の井上優主幹は「像を
建てようとした話は一般的に知られておらず、資料の発見に驚いている」と話している。

 左馬助は光秀の娘婿、いとこなどと伝わる。1582年、光秀が織田信長を倒した「本能寺の変」の後、光秀の居城・坂本城(大津市)への
道をふさがれた左馬助が、打出浜から北方向の柳が崎まで、馬に乗ったまま琵琶湖を渡り、城へ帰還したという伝説が残る。

https://mainichi.jp/articles/20200606/ddl/k25/040/397000c