明智光秀はなぜ主君、信長を討ったのか。
「本能寺の変」が起きた6月2日にあわせ、光秀ゆかりの京都府福知山市がインターネット投票で
募ったところ、信長の非道を許せなかったという「暴君討伐説」が最も多くの票を集めました。
「本能寺の変」は1582年の6月2日に起きましたが、天下統一を前にした織田信長になぜ家臣の
明智光秀が謀反を起こしたのか、多くの謎が残ったままです。
大河ドラマの影響もあって光秀への関心が高まる中、光秀ゆかりの福知山市は、
本能寺の変の原因を50の説の中から選んでもらうインターネット投票を
企画したところ国内外から3万5000票あまりが集まりました。
その結果が2日公表され、4046票を集めて1位になったのは、信長の非道を許せず正義のために討ったという「暴君討伐説」でした。
その理由として、「知将と言われた光秀がクーデターを起こすには、個人的な怨恨だけでは不十分だ」とか、
「光秀は義の人で私利私欲の謀反ではない」など、これまで裏切り者のイメージも強かった光秀に好意的な意見が目立ったということです。
2位は、本能寺の変の直後に光秀を討伐し、天下を握った豊臣秀吉の「黒幕説」(2513票)、3位は信長のパワハラや
嫌がらせに対する「怨恨説」(1866票)でした。
みずから天下統一を目指したという「野望説」(1851票)は、4位にとどまりました。
ほかにも、信長が実は生きているという説や朝廷が黒幕だという説なども票を集めました。
企画した福知山市シティプロモーション係の宇都宮萌さんは「1位の『暴君討伐説』も全体の1割の得票で、
光秀のイメージが多様化していると感じます」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200602/2000030532.html