「8時だョ!全員集合」の思い出
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
1979年生まれの私はお笑い好きとしては「ダウンタウン世代」だと言える。中高生の多感な時期に『ダウンタウンの
ごっつええ感じ』『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』などでダウンタウンの笑いに触れて、その虜になっ
た。
だが、私の世代ではもう1人、忘れてはならない芸人がいる。それが志村けんだ。物心つく頃に『8時だョ!全員集合
』でザ・ドリフターズのコントを夢中になって見ていた。その後、後継番組として、ドリフのエース2人である加藤茶と志
村の『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が始まった。2人が探偵として共同生活を送るコントを見て、そのライフ
スタイルに憧れるほどのめり込んでいた。学校が終わった後は親しい友人と「加トケンごっこ」に明け暮れていた。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200327-00000007-sasahi-ent 12:00 お笑いスター誕生→
13:00 明日の刑事(再)→
14:00 UFO戦士ダイアポロン→
15:00 ワイドサタデー→
17:00 カレー屋ケンちゃん(再)→
18:00 怪傑ズバット→
18:30 ヤッターマン→
19:00 ズバリ当てましょう→
19:30 俺はあばれはっちゃく→
20:00 8時だよ全員集合→
21:00 Gメン75→
22:00 ウィークエンダー→
23:00 クイズDEデート >>154
『はじめてのぼくです』回で加トちゃんが福島訛で歌ったのが受けて『加トちゃんのはじめてのぼくです』でレコード化 志村と仲本がノミ行為で謹慎してブーのキャリアハイがきた >>551
戦争もののコントで志村と仲本が捕虜になったって設定があったな オレ77年生まれ。
隣の家の幼なじみとの写真は
志村と加藤の顔真似のものが多い >>355
秀樹ネタ?だと志村がジャガーの衣装着てるんだけど後ろ向くと半ケツ状態 >>121
まんが日本むかしばなし→クイズダービー→全員集合→Gメン75→金田一耕助 ギャングと探検隊とお化け屋敷
志村初登場の時は辛気くさい自己紹介してた記憶 斜めで止まるはずの便所のセットがそのまま志村の上に落ちてきた事故あったよな ゴールデンハーフ
↓
キャンディーズ
↓
トライアングル
↓
アパッチ ここへ来て志村の代表ギャグが「このBCGが黙っちゃいねぇぞ」になりそう 長さんの母ちゃん役、ちょっと前はあんな母ちゃんがいた時代だったなと
ハマっていたよ もしかして生き残ってるのカトちゃんだけ?
やっぱ若い嫁って効くんだな >>551
今考えるとよくコントが成立したなってメンツだな >>144
「いってみよう!」じゃなくて「いってみろ!」って命令形だったのに最近気づいた。 公開生放送2回ほど見に行ったなあ
けっこう音がでかくて驚いた記憶がある 田舎の土蔵の白壁なんかでよくみる七宝紋を目にするとやっぱりどうしても思い出すな
ステージ後ろのあの模様 >>493
由紀さおりなんて
歌だけじゃなくて天才コメディアン才能もあったし
今だったらスゲーだろうね
志村には毎回馬鹿にされてたけど
前回より年齢が下がって17歳とか言わされてた 志村後ろー!のお化けは結構本格的にメイクしてて、子供にとっては普通に怖そう >>573
由紀さおりの年齢サバ読み、マックスは11か12歳だったよ。 >>572
子供の時 庭さきゃ多摩湖 のたまこの意味が分からずタバコと解釈してた思い出 >>229
ピンク映画のネタもあったな。
画面がピンク一色で、「この色何色」「ピンクだろう」というナレーションだけ。 >>572
これドリフでも初期なんだよね
後期しか見てなかったからリアルタイムしらんわ
志村といえば加トちゃん券ちゃんから >>576
終盤に障子から手が何本も出て来るのは
今でも夢で見る位トラウマになっとる
(´・ω・) どうも志村けんの芸風が合わずにひょうきん族に行った記憶が いかりや「おいっすー」
ガキども「おおおっーーーーーいいっす!」
いかりや「シー‼声が大きい、我々は忍者である」 親には、ドリフは見ちゃダメ
欽ちゃんの番組だったらいいって言われていたな
そして、クソつまらない欽ちゃんの番組ばかり
見ることに 志村がイ○ポって言ったら会場の子供が母親に
イ○ポってなーに?って声が入った時 >>588
コンバットだよね
手榴弾投げると人形が飛んで来るの
銀行強盗だかでさ
金庫探してて
大きな金庫小さな金庫が出て来て
最終的に
「チンコがありました」
ってなの無かったかしら
小さなチンコの作り物持って来るの
(´・ω・) ドリフの面々が力士の着ぐるみみたいなの着てたやってたコントは
死んだカーちゃんが死ぬほど笑い転げてたな
特に志村のふんどしが下過ぎてヒョコヒョコ歩く所で・・ 593コクさ “シコシコ”だが、
ドリフは怪物番組だったかんな。 地方だったけど1回生で見た
忍者ネタだった
未だにあの時の興奮を越える舞台は見たことない 2階のセット物が好きだったわ
パトカー突っ込んだり手すりが開いたり あの当時の土曜夜は今でも価値があったよな
そんな時間にやってたから尚更楽しかった バカ兄弟の最初のやりとりよくできてたよね
子供の時はなんも考えてなかったけど ヒゲダンスとか早口言葉とか、スゴいなぁ〜
て見てた
芸のある芸人やと思う ガキの頃はひょうきん族の方が面白くて「なにが志村うしろだバーカ」思ってたけど、
後年になってみると古臭くなった時事ネタと楽屋落ちばかりのひょうきん族なんてクスリとも笑えないことに気づく >>597
昔はそうだったけど、よく考えると
生バンド演奏だからめちゃくちゃ豪華なんだよね
今の時代レコード大賞くらいだよ生バンドは これ言うと県バレするけどw
土曜音楽会いちばん星みつけた→タイムボカンシリーズ→まんが日本昔ばなし→クイズダービー→8時だよ全員集合 お〜いっす!!
元気いいなぁ〜!!もういっちょ、お〜いっす!!
これがスパイ編とか泥棒編とかだと
……おいっす
……声が小せぇ、もういっちょ、おいっす
…………静かにしろっ 生徒のドリフメンバーがギャグを言うといかりや先生の机の板が上がって顔に当たる
長さんも体を張ってコントしていた >>595
たけしとさんま
この2人がいなかったら持ってかれなかった 8時だよ全員集合が好きだったのでのちに発売されたDVDを買ってたまに見ていた。
2000年代生まれの娘2人が一緒に見てて、おれよりもハマってたので、「いいか、絶対外でドリフのマネをしちゃいけないぞ?」と約束をして見せていた。
ある日家に帰ってきたら近所で娘が遊んでて、友達と「この野郎!この野郎!」と言ってるのを見てしまった。子供にドリフのマネをするなと言っても無理なんだよな。おれもそうだったしw
他にも「あ突いて突いて、払って払って、最後に斬る!」って言う剣道ネタもやってた 東村山音頭は原曲馬鹿にされてよく怒らなかったな 逆に宣伝になったのか?
変なおじさんも、ハイサイおじさんのアレンジだし >>606
実はあのコントが一番難しかった。
僕が「あんちゃん、あんちゃん、これってどういう意味?」って聞いて、
いかりやさんが間違ったまま話を展開していくパターンですから、
だから稽古時間がめちゃめちゃ長かった。まずテーマを決めて、
いかりやさんと二人で掘り下げていくんだけど、
薬の効能をネタにしたときなんか大変だったな。
難しい漢字ばっかりで、バカ兄弟じゃなくても読めないものばっかりなんだもん
内容をうんと深めていかなきゃならないんですよ。
新聞見たり資料見たりして拾っていくから、けっこう作り方もネタも現代的だったよね。
ただ、あのコントは一部からの抗議もあって、やめたんです
バカな子がいる家への配慮がないとか、ミもフタもないこと言われて
だけどね、あのコントは「仲のいい兄弟」というのがテーマなんですよ。
あんちゃんのことを尊敬する弟。そんな弟をかわいがる兄という。
そこのところが、知識人の先生方には伝わらなかったみたいで >>618
普遍的なんだよな
ひょうきん族はDVD化された時にウッキウキで予約したのに拍子抜け 正直言うとドリフ観てた時代の記憶は曖昧で
憶えてるのはひょうきん族なんだ。
しんずれーしましたとか、ちょっとだけよとか覚えてるけど どうにか覚えてるドリフ語録
教科書:アイマイミーユーユアーユー・・・ 志村 :アーミーマーユーヤーユー・・・
碇:おまえそれはないだろう・・・
荒井:なんだ馬鹿野郎(真顔)
加藤:どうもすんつれーしますた 志村が病欠で仲本が代役した時めっちゃ盛り上がって終わった後の拍手がすごかった 当時、ドリフからひょうきん族に移っていった派が多かったけど
今、見れば、ドリフの方が絶対、おもしろかった 今年40の55年生まれだが全く見た覚えがないなぁ
カトケンはちょっとだけ記憶あるな >>635
画質がきれいすぎる
絶対に市販のDVDから抽出しただけだな カトケンだと
ドラマ
田村英理子
PCエンジンゲームだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています