クソ親父が「YS11は零戦の技術で作った(日本スゲー、俺スゲー」やってたんだが本当なの?
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プロペラ片方止まっても飛べる
自衛隊も使ってるから安心 単に戦後は日本で航空機を造らせて貰えなかった
アメリカは日本の技術力にちびってたから規制された YS11は銀河(海軍航空技術廠)の技術が濃いように思う >>3
戦後敗戦国に軍備整えさせない措置なんて普通なのに
愛国フィルター通すとこうなるんだよなあ 各務原の航空宇宙博物館行ってこい
にわかの俺でも楽しめたぞ >>5
航技の山名正夫と三木忠直はYSには参画してないよ 堀越二郎が関わった最後の飛行機
堀越が前面に出て設計してたらとんでもない機体になったと思う。 >>15
小牧のここと各務原入場券セット割引あるよね
両方に挟まれたとこ住んでるけどどっちも近すぎて行く機会ない
どっちも自衛隊の基地あるから戦闘機はよく見る >>19
まあ名機って何かって評価問題だからな
少なくても、当時のプアーな日本の空港にはちゃんと対応していた YSの開発者たちは旅客機という乗り物に
乗ったことがなかった
これ豆な 水面に胴体着陸して水を吸って山火事消化する飛行機が海外で人気らしい アメリカに縛られなければ
今頃世界では日本製の大型機が飛んでいたはず >>26
あるだろ
戦前でもDC3とそのデッドコピーの零式輸送機やMc20があるんだから >>27
>水面に胴体着陸して
それを「飛行艇」と呼ぶ 零式輸送機の日の丸は直径が人の身長と同じくらいでかい >>19
出来てからが大変だったんだよ
一般人用の旅客機作る経験が足りなくて
アメリカの航空会社に売り込んだら盛大にダメ出し喰らった 国産って言うけどエンジンはロールスロイス製なんだろ? YS−11の基礎設計には、総合主任と各分野の主任が置かれますが、この総合主任に、「航研機」で名を馳せた木村秀政氏。
・三菱重工業の堀越二郎氏「零戦(ぜろせん)」、「烈風」の設計者。
・川西航空機の菊原静男氏「紫電(しでん)」設計者。
・中島飛行場(現富士重工業)の太田稔氏、「隼(はやぶさ)」
・川崎重工の土井武夫氏「飛燕(ひえん)」設計者設計者。
5人は、いずれも戦前の日本を代表する「五人のサムライ」と呼ばれた。 あんま日本の戦時中の技術を継いだって感じはしないけどな
機体設計は主にアメリカが戦中に開発した技術を輸入して作った印象だが YS11の当時の売りが
「速度がゆっくりだから景色が堪能できる」
だったんだよなw それ俺スゲーじゃなくて俺は誇りに思うって感じでしょ?
馬鹿はスレ立てする前に日本語の勉強しろよクズゴミ 今でもプロペラ機は世界中で飛んでて需要あるのになんで開発やめたのかねえ?
もったいないよな YS11伝説
試験飛行できりもみの危険性が発覚し、ほぼ設計やり直し
就航後も主脚の亀裂や雨漏りなどのトラブル多発で整備士は連日の徹夜を余儀なくされた
待望の海外発注先となったハワイアン航空に渡された3機の機体は、騒音と振動、出入り口の背が低いと苦情が多いため1年で全機が返却された >>29
そういう戦中の機体じゃなく
戦後のコンステレーションやDC-6のような
与圧キャビンを持ちハイドロ操縦系統を奢った
洗練された快適な旅客機のこと
結構有名な話だぜ ゼロ戦の技術を受け継いだのは新幹線
戦後日本は航空機の開発が禁止されていたので
航空技術師のほとんどが鉄道に行きました
その結果が現在の鉄道技術です 呉の造船所なんか戦後すぐにアメリカからタンカーかなんかの発注あったらしいしな ガキの頃東亜国内航空のこれに結構乗ったな
トライスターからトランジットで
当時DC10に憧れてたけど今思うと贅沢だわ ニューオータニの回転展望レストランは大和主砲の旋回技術で作った >>28
100年単位で見れば少しくらい遅れたって日本が巻き返せるさ。 >>38
輸出を前提として米国のFAAの型式証明の取得を目指したため、戦前までの軍用機の生産技術は新しい民間機の生産技術には
ほとんど役立たなかった。エンジンは耐空証明の取得に困難が予想されたため、自国での開発を諦めた。 日本は狭くて山が多いからあちこちの街にヘリポートを作ってオスプレイみたいなエアバスが運行してたら便利だったのに 隼の太田、紫電改の菊原、堀越の零戦
この3人が関わったのはマジで凄い >>13
日本は独自に軍備整えろって矢のような催促してたのは、GHQっつーかマッカーサーだったのに
パヨク史観だとこうなるんだなぁ >>39
設計経験は単発の小型機中心の人達を集めたのか 次の凄い飛行機ができないから零戦スゲーで脳が止まってるんだよ >>69
>>67読めばわかるけど、日本の航空機技術の発展には大いに寄与した
YS11は秀吉軍が大韓大陸にいた飛行機技術者の韓人を日本に強制連行して強制労働でエアープレーンスレーブにして作成したものだからな
アベと日王はエアープレーンスレーブの韓人に謝罪し国家賠償すべき
>>70
だからもう禁止されてるわけじゃないのに名機が登場しないから
零戦の栄光にしがみつきたくなるんだよ ターボプロップエンジンが国産違うからな。当然レシプロエンジンと違うし。 現状の役に立たないなら何であれゴミだろ
何を知りたいのか分からん質問をする1の無能さを広めるパーティーでも開くのか? とにかく主翼がバカでかいんよ
これからの旅客機は短距離離着陸性能が
売りになる!とか勝手に妄想こいて
1200m級の空港をベースに開発したんよ
でも完成してからアメリカに売りに行ったら
田舎の空港でも3000m級が普通で
短距離?STOL性?何それ儲かるの?
って全然需要なかったんよ
主翼でかかったら巡航速度遅いし
抵抗も増えるから燃費悪くなんのよ
航空会社は全然儲かんないんよ
作る前にそれくらい調べとけよって話よ >>55
俺の親が一時期外交官だったからガキの頃、80年前後にさまざまな旅客機に乗った
B707、DC-8、トライスターあたりに乗れたのは良い思い出
YSは2000年頃、わざわざ豊中〜出雲に乗りに行った
大山がよく見えて楽しいルート >>37
関係してたどころか、YS-11を形として実質的に纏め上げたのが東条英機の次男である東條輝雄氏なんだ
設計チームは日本航空産業界の重鎮揃いだが、全員我が強くその度に意見が合わず対立し続けた挙げ句に
基本的な仕様だけ決めてだけで全員が同時に辞表を出して、設計チームは文字通り空中分解しちゃった
東條輝雄氏は出世コースを外れる事を覚悟の上で、会社を説得して三菱自工から日本航空機製造に再出向し
プロジェクトを再編しYS-11生産の陣頭指揮に当たったんだよ、本当のYS-11の生みの親は東條輝雄氏だよ 俺はYS11よりT1のようなジェット機を
昭和30年代の日本がよく作れたなと思う。
最初はエンジンだけ外国製だったが、
のちにエンジンも国産化され純国産機となった。 >>69
ほんとこれ
しかも零戦だって同世代の他の機体と比べたらとても名機とは言い難い GHQによって航空産業が解体され、
技術者が自動車等他業種に流れたので、
そっちが驚異的に発展できた。 ほとんど全ての部分がアメリカの4発旅客機の劣化縮小コピーだって
当時重工で設計やってた爺さんに直接聞いたから間違い無い
そのまんまコピーしたんじゃ芸が無いので「世界初のアルミ電線実用化!」とかやったんだけど
異種金属間の電解腐食が問題になって大失敗したらしい そもそも旅客機の製造経験がないんだし、戦闘機とかの技術流用するしかなくない? >>82
アルミ電線はアメリカがB-36用に戦時中に開発して採用してたはず
旅客機で…ということなのかもしれんが >>13
そんな話元レスのどこにもないけど?
もう見えないものが見えちゃってるのかw 一度、乗ったことがある
乗客としての感想だが
音がうるさい、速度が遅い、乗り心地はよくない、まとめるとワクワクするものが全くない
駄目な自動車屋が造った売れない車種という印象を受けた >>47
安定性の話は主翼の上反角を2度増やすってことで解決した。
試作機は付け根にクサビ型の金具を挿入。量産機は製作してないから関係ない。
雨漏れに関しては整備員が飛行機を宝物みたいに格納庫にいれたりカバーをかける戦闘機と違って
野ざらし雨ざらしにされる旅客機の扱われかたを知らなかったことに起因。当たり前に水抜き穴を開けて解決。
まあ、一気に進化した軍用機開発をしてた人が民生用のものをはじめてつくったわけだからね。
近代旅客機を見たこともないから、入口の所でキップをもぎるスペースがあった方がいいか?とか悩んでたくらい。 >>38
エンジンは顧客の好みの物でないと売れないからな。
現在でも同じ機体でキャリアによってはGEかP&Hを選択している。 来年発売されるセスナデナリっていうビジネスジェットは
ターボプロップエンジンなんだね。
普通のジェットエンジンと比べてどこが優れてるんだろ? 飛行機自体の開発は戦前からのノウハウで何とかなったけど、
それまで戦闘機の座り心地なんて度外視した座席しか作ったことがないから、
旅客機のための座り心地の良い席の開発に苦労したとか聞いたな >>80
今にしてみると零戦がすごいんじゃなくてパイロットが名人しかいなかっただけよな
しかし名人は簡単には育成できないから
へなちょこでも戦えて生還できる戦闘機つくれたアメリカに勝てるわけもなかった 当時の内情を調べるにつけ、戦争が無かったとしてもまともに飛行機作れる国にはなってなかったと思う。
満洲に遺された工業基盤を受け継いだ中国がいま航空大国になりつつあるのは結構皮肉な展開かもしれん なんでも日本の技術は世界一と思ってる池沼いるよな
なら何で戦争負けたの コルトガバメントは質の均一化・画一化という点で画期的な拳銃だった。 戦時の開発陣の最後の作品ってだけじゃね?
そんでここで途絶えたと 捕獲した零戦を操縦したアメリカ人パイロットいわく
ジャップはよくこんな危なっかしい飛行機を操縦してるな
だったそうだ 大戦中の日本の技術力の本当を知らないで日本すげー思考って馬鹿なんだろうな
たとえばリード線一本にしても日本は銅線に紙巻いただけ
ドイツからの技術提供の部品を調べたらミクロンレベルの加工技術で真似できなかった
液冷エンジンは液漏れでまともに稼動せず
日本の技術レベルが上がったのは朝鮮戦争でアメリカが軍需物資を日本で調達する必要に迫られたため
QCを教えたことにはじまる >>104
それが経験の少ないパイロットでも一通りは飛ばせるくらい操縦は優しい機体。
失速しにくく着陸も容易だった。
但し零戦の持ち味を活かした機動ができる操縦をするにはかなりの技量が必要だった。 私が子供の頃に作ったYS-11の模型は
東京オリンピックのエンブレムを描いた転写シールが
入っていた
航空会社の尾翼マークは東亜国内航空?
ダ・ビンチの螺旋ヘリコプターを図案化したヤツ >>4
だって透過図と写真だけでなんとなくジェットエンジン試作するぐらいだから
あと伊400系の潜水母艦とか、局地戦略的な爆撃はB29以上だしな YS-11のあとのYS-Xは紆余曲折あってざっくり言うとC-1とボーイング767になった。 >>82
全然わかってないなw
劣化コピーならもっとまともな機体になってた
旅客機のトレンドをほとんどリサーチもせず
最新の旅客機に乗ったこともない戦中の
レジェンド爺さん達が軍用機感覚で
やらかしてしまったのが
YS-11なんだよ 航空機の開発を実質制限される中で誕生したからYS-11は凄いんやで 昔なら「作れるだけでもすごい」って評価できるが
じゃあ実用性や生産性で行くと、うーん
コストとか考えたらアメリカから買うほうが安いよねとなる
まぁ、安く買えるなら海外から安くかいつつ、国産もできるよう技術維持のため採算度外視して研究もしないとね 零戦はメッサーシュミットの改造版だけどな
そしてメッサーシュミットは後期型のスピットファイアにボコられた
ちなみに零戦もスピードファイアに追いつけない >>120
Bf109は一撃離脱を志向した高速戦闘機で巴戦重視の零戦とむしろ対極だぞ エンジンやプロペラを強化した電子戦訓練機/電子偵察機のYS-11EA/EBもそろそろ用途廃止なんだろう
EC-1電子戦訓練支援機もおじいちゃんだし、RC-2とかC-2ベースの電子戦機を開発して順次切り替えて行くのかな >>123
C-2改造のやつはもう入間でテストしてるじゃん。 >>124
RC-2がもう飛んでて、これからはEC-2?とか色々作っていくんだろうなと
今どきは電子戦機の重要性が昔と違うから >>117
この話の元って恐らく、戦前に輸入されたダグラス社の4発旅客機DC−4Eとそれを原型機とした
中島飛行機の試作4発爆撃機深山の事では?確かに大型機の開発経験が乏しかった日本軍は
DC−4Eの機体を一部コピーして、深山を作った経緯自体は間違いない事実ではあるんだけど
そもそもYS-11が参考にした外国製旅客機は、英国ビッカース社のバイカウント等の戦後の機体だ
参考までにDC−4Eと日本でも就航してたDC−4は全くの別物だ >>129
DC-4エラーってやつだよね。DCシリーズから無かったことにされたやつ。 >>121
>巴戦重視の零戦
でもない
当初は、操縦者たちに、何だこれは、前の96戦のほうがずっと良かったと不評だった
設計者は、世界の趨勢に合わせて、栄より大馬力のエンジンを積みたかったんだが、とにかく急げと言われたと回想してる >>131
回転半径は九六戦の方が小さいが速度で零戦が勝るので
格闘戦は五分五分。
エンジンは金星を積みたかったがすると機体が大きく見えて
それが嫌がられて不採用になるのを恐れて瑞星を選択した 各務原 飛燕
小牧 YS11
常滑 787
えーねー >F6F「ヘルキャット」の運動性は、「零戦」との空戦の結果、「やや劣った」と日米両軍ともに認めている。
これについて、日本のかっての設計者、あるいは航空評論家は、「『零戦』の倍以上の重量では劣るのが当然で、一キロでも重量を減らそうとする日本にくらべて、その大まかさは救いがたい」
とけなす。しかしこのことは逆に、 「『零戦』の二倍近い重さの『ヘルキャット』でさえ、やや劣る程度の運動性なのだから、じっくりと神経を注いで造れば、同等あるいはそれ以上のものになる」
といった可能性を秘めていた。 これを仮定としてでなく、真実としてグラマンは回答した。
後継機F8F「ベアキャット」がそれである。
「烈風」が間に合っていればという人がいますが、間に合っていたとしても駄目だったみたい 日本スゲーの後に俺スゲーと勝手に付ける被害妄想て朝鮮風土病(´・ω・`)? >>135
コピペ乙
コピペした内容からにわかというのがわかるわ >>135
1945年2月からF-80が量産され始めて訓練も始まってんのに烈風でどう戦うんだか W2終結までに軸流式ターボジェットでの飛行に成功したのは日独英のみ とにかく頑丈らしいとしか知らない、設計の基本が爆撃機基本でやったとか >>145
作るどころか
栄光のルフトバッフェが風前の灯火、消滅寸前なのよ ボーイングのフライトコントロールアクチュエーターはずっと日本製だけどな >>147
B29のエンジンは新型なんで、時々、火吹いた
アメリカ軍が硫黄島をしゃかりきになって取ったのは
不時着用の飛行場が欲しかったから >>146
調べたら装備しょぼすぎだな
あそこ陸軍もやばいんでしょ? >>150
長年の宿敵であったフランスもロシアも攻めてきそうもないし
脅威といえば国内の移民で、これは軍事力ではどうにもならんし
まあ、いいんでないかい >>145
川崎とメッサ―シュミット(現ユ―ロコプター)が組んでヘリコプター作ったよ
現在米軍にUH-72 ラコタとして採用されてる >>147
レシプロだよ。排気タービンのスーパーチャージャー付き。
のちにターボコンパウンドもあるけどそもそもこのエンジンはアメリカの技術をもってしても
難産なエンジンで試作機から量産機でもたくさんの人身御供を生んだ。 >>18
オリジンやらリメイクで作り直したストーリーやら入れたらもっと出てるな… 展示場所が小牧なんだよな
セントレアに移して 787と並べてほしい >>1
今の没落した日本の技術や海外でシェアの3割も取れない現実みると
昔はよかったってのが日本の絶頂期だったわけよ >>158
ジェットエンジンを製造できるメーカーは世界にもいくつもない
日本でジェットが造れるのはIHIだけじゃないかな >>159
GE、P&W、RRが頭に浮かぶがロシアはどうなってるのだろう? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています