夏目漱石のこころってなんで名作扱いされてるの? 普通の小説じゃん
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ここで取り上げるのは、夏目漱石の晩年の名作『こころ』だ。国語の教科書の常連で、「ゆとり教育」論議の際にも、「国語の教科書から漱石・鷗外が消える!」と大騒ぎになったくらい、国民作家としての漱石の存在感は、まだまだ健在のようだ。
国語の授業というのは、一種のスロー・リーディングの時間である。そのときに、おそらくは読んでいるはずという意味で、ここでまた、あえてこの作品を取り上げてみた。多くの人にとって、これは時間をおいた「再読」となるだろう。
『こころ』は上「先生と私」・中「両親と私」・下「先生と遺書」という3部構成になっている。教科書に採用されているのは、第3部の「先生と遺書」が多いようだ。
親友が好意を持っていた女性を、計略を巡らせて奪ってしまい、結果、その親友が自殺してしまうという重いテーマの小説である。
そのことに対し、彼女との結婚後も、「先生」はずっと罪悪感を持ちながら生き続けてきたが、明治天皇の崩御と乃木大将の殉死の報に触れて、ついに自殺を決意するという結末で、愛、友情、エゴイズム、死などの深刻なテーマが折り重なる第3部は小説『こころ』のクライマックスといってもいい。
https://toyokeizai.net/articles/amp/316322 頭を割られて殺された何百人の子供が、ずっとこっちを睨んでる夢をついさっき見た。
昭和初期くらいの日本の農村で、当時、何百人単位の子供が被害にあったみたいで、生きてる子供を連れ去っては、その子供を頭から持ち上げて、他の生きてる子供の頭に衝突させて殺されたらしい。それを写した写真集があって、頭割られて殺された子供が写ってた。
夢の中で、その写真集を抱えながら、ボロボロの真っ暗な団地の敷地内で、誰かに追いかけられながら逃げてる場面もあった。 ねぇ、先生♡
今度の夏休みに先生の家に行っていい?
いいよ♡ 百数十年前の小説を「普通の小説」として読めることが凄いとは思わん? 時代背景や当時の価値観まで気にして読むと名作
普通に読むと普通の作品という事らしいぞ >>2
そのフレーズしか知らん
陰気な話は嫌いなので昔の文豪小説は好かん まあ、ゲーム・オブ・スローンズのほうが
面白いわな
仕方ないよ 夏目漱石の小説の中だと一番わかりやすく面白いから
有名なセリフもわかりやすい伏線だし >>6
でもこころはつまらんだろ
行人までや、未刊の明暗と比べて
こころと道草はホントつまらん 「私は死ぬ前にたった一人で好いから、他(ひと)を信用して死にたいと思っている。
あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。」
現代の感覚でいうとこれが重い
本当に他人を思うをなら一人で想いを抱えて自害するのが美徳ではないか 新刊か。夏目は全部買ってるし一応買っとくか
って奴が多かったんじゃねって思ってる >>1
あれのおかげで人格障害ってか境界性、ボダ女が見分けれるようになった 漱石をストーリーを味わう目的で読むというのは21世紀の人として情けないのではないか。
明治人の考えるストーリーが当たり前すぎに見えるのは、当たり前だろ。
漱石はやはり表現を味わうように読まないとダメじゃないの。ストーリーだけなら今の小説家
の方が高度。 夏目漱石って当時は読みやすい文学だったし
今で言うラノベだよな あの時代なのに原文でスラスラ読める時点でとんでもないぞ
現代国語の父や 自殺した作家の小説はよみたくない
自殺する主人公がでる小説もよみたくない 日本語の教科書だから
こころや舞姫や山月記を採用するんだろ?
日本語の名人だもの 読みやすさでいったら「こころ」「夢十夜」「三四郎」あたりか
坊っちゃんと猫は逆につらい >>8
猫は短い落語みたいな話の連続で読みやすいのに あれだろ?子供の頃から鉄砲ばかり撃っているとか何とかいうやつだろ エゴイズム三部作とか新エゴイズム三部作とか
ネチネチしていて読んで不快
めぞん一刻を読んでクソだと言っている人も、同じ感覚なんだろうな 言葉の使い方が綺麗だろ
あと、夏目漱石の凄いところは早く次を読みたいってなる、次回予告のうまさ 創作物でクソな奴を作り上げて、そんなクソなやつでも葛藤や苦しみがあるんですよ〜って言われてもなあ >>26
ろうせいのりちょうははくがくさいえい
高校時代に授業でやったきりなのに覚えてる凄さ こころを
腐女子漫画家と
亀田源五郎に
同時に別々に漫画化
してもらいたい。 第4部があって、先生が自殺。
その後も先生の家に通う主人公が奥さんとやっちゃったという
続き物を読んだが文体も漱石と同じで
面白かったなあ 中学生のとき、夏休みの宿題の感想文で、
内容知らずにこれを選んで、読んで衝撃を受けた記憶が今も残ってる 夏目漱石は生徒の藤村操の自殺がトラウマになっていて
どの作品にもその時の出来事がオーバーラップするような場面がある
Kが自殺したあとに先生がマスコミから糾弾される描写も
自分の体験談なんだろうな >>47
今年亡くなった橋本治はそう言ってたな(「蓮と刀」で)
作者の漱石が、書いてるうちに「これ、書いてる自分の立場がヤバくなる」って
途中で投げ出した作品だ、と
本当なら、最後にもう一章あるはずだ、とかなんとか こころ読んだことあるけど、
つまんなくて途中で読むのやめた
でも名作だということはわかる
雰囲気でわかる 記憶して下さい。私はこんな風にして生きてきたのです。 >>58
ただでさえ県名長いしかなりうるさく見えるな 遺書が異常に長すぎてうんざりした
三行でまとめろよ >>61
あのクソ長い遺書を
主人公は懐に入れて家を出て
移動中の列車の中で読むんだぜw そもそも夏目漱石に駄作なんてあるのか?
漱石の中だけで比較して、これは良いこれはあまり良くないという評価であって
相対的に評価したら全て名作だろ あの時代に書かれた小説で、現代人の子供でもすんなり読めるってのは結構貴重だからな
日本で一番売れた小説だし、子供に教養として教えておくのは問題ない 「こころ」というだけあって、先生がお嬢さんを諦めさせようとKを追い込む最終決戦の心理描写は最高傑作 >>1
政府の方針。
お上に逆らうくらいなら自殺しろと洗脳するため。 夏目漱石はシェイクスピアと一緒
小説の地位を上げて、いろんな言葉を作ったから 読書感想文で駄作だと思うって書いたら点数なしにされたわ そりゃ昔は作家自体少なかったからな
今の小説に慣れたら普通よ
当時生きてこそ凄いと感じる >>71
書き上げたってか
この人の新聞連載がスタイルを作ったって言っても過言じゃないしね
四迷も鴎外も今読むとつらいだろ 日本語の現代文体の源流の一つ
と考えるなら偉大な純文学だろう
とは言えやはり夏目漱石の作品は
憂鬱になるだけで学生が読むに適してるか
と言えば疑問である たしかになんで面白いのかと説明できないな
それでもなぜか面白く読めるんだよな
志賀直哉とか芥川とかみてもきっとあらすじは面白さとは関係ないんだろな >>1
私のところではなかったな
理系だけど国語IIIまで履修していたけど >>1
これ同性愛っぽいな
最初の外人さん見る目とか 明治以前は自我が無かった
家や身分に束縛されていた
明治に入り西欧文明が入ると共に自我が芽生える
その自我がある故の孤独と苦しみを描いたもの
それがこころであり名作である所以 前半読むのがだるいのがなぁ
後半面白くなるんだけど お前らまた負けチーム選んでるんか
時流読むの本当に下手だよなお前らwww 親友の心が下宿の醜女に奪われそうになったから、醜女と婚約して親友の心を守ったら親友が自殺したホモ耽美 >>81
美少女話が読みたければ太宰治の『美少女』を読め
太宰治が人を楽しませる天才であったことがよくわかる、チンコ膨らませながら腹を抱えて笑ったぞ >>22
青空文庫を片っ端から読んでたら
好意を寄せてた女弟子に着丈に振る舞って思いを伝えられずに
女弟子が出て行った後で布団抱きしめて萌え〜萌え〜とむせび泣いてた作品あった。
あれは本当に大昔の作品なのか >>22
森鴎外がまさにそう言い放った
「あんなの読んでるとバカになっちゃうよ」と
とは言いながらもちゃんと評価はしており漱石の葬儀に来た時に受付をやっていた芥川龍之介に名刺を渡している 中学生の頃…なぜかわたせせいぞうのイラストが好きで
初めて読んだ漱石がこれで大変ビックリした 小谷野 敦
『こころ』は本当に名作か―正直者の名作案内 (新潮新書)
って本、2009年か、この本に「こころ」は名作ではない論が書かれてる、小谷野が初めて言い出したことではなく昔から否定論を言う人たちがいたらしい。 草枕から明暗までがめぞん一刻なんだよ
明暗が未完だから恋愛小説を完結できなかったけどな >>97
良いと評価されているものに対して
それは違う!!
と指摘した俺すげーだろ
って人は昔から現在まで一定数いるよね 山本七平の「こころ」の解読は
お嬢さん = 意志と決定を持たない天皇
の意味であって、先生やKは政治や軍を意味して戦争を起こしたのだと、
「こころ」は天皇制の問題を書いたんだという本がある
こんなふうに「こころ」はいろんな解釈ができてミステリアスで謎めいて、深いモノがありそうでと匂わせることができる あのクソ長い手紙を実際に書き上げたネットの記事があったはす。読んだ時にも思ったが、やっぱり無理がある。 >>100
病気だなぁ
具体的に言うとMがおっぱいに見えるレベルの病気 これ、新聞の連載開始時は結末決まってなかったんでしょ?
そもそも短編小説をいくつか書きますよって話だったのに… こころとそれからは佐々木亮と言う漫画家が漫画を描いていた。
もう亡くなってしまったけど。 >>94
でも、今や鴎外がどーでもいい読み物なんだけどな。全く可能性の無い糞読み物。 誰が名作扱いしてるんだ。ハルキストみたいな連中だけだろ。 鴎外漱石あたりで近代日本語小説の文体が固まったんだろ
その前に円朝の落語をヒントに口語体小説を誰かさんが書いたのが先駆とか
聞いたことがある。また漱石の「・・・である」は画期的だったとか
現代日本文の模索の時代 お嬢さんって凄い美少女だったんだろうな
二人の男の人生を狂わすって >>1
私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代わりに
淋しい今の私を我慢したいのです
自由と独立と己れとに充ちた現代に生まれた我々は
その犠牲としてみんなこの淋しみを
味わなくてはならないでしょう >>95
留学先のイギリスで神経衰弱患ったんだっけ 今だったら、生きることがKへの償い!とか言いながら背中を向けて右手こぶしを突き上げるクライマックス。 >>108
文体自体を固めたのは国木田独歩あたりな気がする
四迷の浮雲と20年後の其面影や平凡を比べると
自然主義からの影響の強さがわかるし
漱石がメジャーデビューするのは武蔵野の数年後
しかもまだ落語調の語りから脱しきれてない >>22
将来、国語の教科書に載りそうなラノベってありますか? >>63
漱石自身が『こころ』を駄作扱いしてる
Kを殺して必要以上にドラマチックにしてしまったとかで 高校の文学史、こんなもん覚えて何になるんだと思ってが
あれに載ってた小説で今見ても面白いのもあるんだろうなぁって
今更思う >>118
そんな駄作を教科書に採用するのは子供に自殺を刷り込む政府の陰謀 高校の教科書に先生の遺書の最後の方が載ってたけど、あれ程心に響く文章はなかったな 言文一致がいかに意義のあった運動であったかを思い知る。
今でも読めるもので挙げるなら幸田露伴の運命なんか見ると、特にそう思う。 人は自分しか信用できない。と思って生きてたら、自分も信用できなかったでござる。 夏目漱石の小説くどい
芥川龍之介くらいにさくっと読めるのもっと無いの?
けど伊豆の踊子は良かった 文章作法の件で渡部昇一のうろ覚えだが日本語は英文を直訳・和訳すると
冗長になりがち。文法の違いを無視して長々と続けるものではないとか
ノーベル文学賞の日本人はその点で落第・・・難解に見えるのは単に下手だから
5ちゃんの書き込みくらいが日本人にはちょうど良い あの構成とかは当時としては斬新だったりするのかね?なにか参考にしている海外の小説があったりするのかな? >>137
そこまでは無いけどKの苦悩の描写はホントに心に響くよ >>105
森鴎外の娘の森茉莉が
鴎外は猫を書かなかったので漱石ほど後世に読まれなかった
と書いてたな
それだけじゃないとは思うけど 新しい時代のほうが技術も進んでいるから、過去に評価されたものを名作扱いするのはまあ >>136
具体的な小説もそうだけど
元々の講義のコマが文学論で小説の構造分析みたいなことしてた人だし
ジャンルとして小説を考えてた
こころは告白文学、緋文字なんかを研究してるし こころは教科書だと第3部あたりから始まってわけわからん
Kと先生がホモにみえるし そら偉いおっさんたちが価値があるって言ってるからな
文学も芸術も偉いおっさんたちが価値があるって言ったもんが価値があるんだ >>139
a passionate few
後世に残るか否かは熱狂的な少数者がつくかつかないかだと言った人がいたけどその通りだと思おうわ
漱石は大衆文学に終始したお陰で熱狂的な読者をとらえる機会に恵まれたんだと思う
鴎外は文体のせいであの時代から人を選んでたし 朝日新聞で掲載されていたから、朝日が名作ってステマやっているだけ 高校夏休みの読書感想文課題図書だったな
なので最初は嫌々だったけど、面白かったから一気に読んでしまった
次の年が数ページで必ず眠れるエッセイで超苦痛だったのもあって
余計に印象に残ってる どうせなら夏目漱石と森鴎外と幸田露伴を
一冊づつ読ませればいいのにな 坊ちゃんと吾猫しか知らない人はこれが漱石?とギャップを感じるよね 先生はガチホモで、先生と呼んでる人は青年期特有のホモ感を有した普通の人間ってことだろ? 森鴎外も芥川龍之介も
父親は山口県の人なんだよな
丸山真男は母親
菅直人とかも >>129
副島隆彦が指摘してるんだが「伊豆の踊り子」って少女売春や被差別民という社会の暗部を描いてるんだな ノーベル賞作家の川端康成先生の名作「たまゆら」を読んでみろ。
10分も読めば爆睡出来るぞ。 >>141
>先生の手紙長すぎだろ封筒に入らねえよ
その点、安部公房「他人の顔 」は遺書がノート3冊だったから長くてもおかしくないな 順位がつけられるようなものなのか?
「多くの人が好評価している作家たち」
というところに入れてもいいかどうか
というのであればできるだろうが
1人を選ぶことに意味はないし順位をつける基準を作れない こころで印象に残ったのは第3章の長さ
あれ全部遺書かよ
実際読むとなったらとんでもない文章量だよな 川端も流石の文章の上手さ。この二人が抜きん出てる。 この頃の文学を公文とかでやらされたんで、思い出すだけでヘドが出る >>1の質問に対して
枝葉をのけて出来る限り単純にしてわかりやすく答えると
「東大の教授が名作として扱っているから」 自殺は他人の生涯に暗い影をおとすのわかってて死ぬんだから身勝手だね >>8
猫と坊ちゃんは雰囲気明るいよ。
坊ちゃんは薄いからすぐ読める。猫は文体に慣れないと挫折しそうになる。 >>170
雪国でエロい描写が何もないのに「髪の毛を拾う」という文だけで昨晩のあんなことやこんなことを読み手に妄想させてしまうあたりがすごい >>176
指だけが覚えている
という表現があるぞ >>175
新聞掲載だから猫はどこから読んでも面白くどこで読みやめてもモヤモヤしないコボちゃんのような作品
そのせいか誰もが二度三度読んでいるはずなのに全体を通してストーリーを話せる人がメチャ少ない 「こころ」もそうだが、夏目漱石の小説に出てくる「純粋で奥ゆかしく見せかけて、実は策略的な女」が好き。
「三四郎」のヒロインは、お上りのエリート童貞三四郎君を手のひらでクルクルと転がしまくってアッサリ捨てるし、
「それから」のヒロインは、自分を奪い合う愚かな男二人の間に挟まれるのを楽しんでいる。
私が女だからか分からんが最高。 >>175
坊っちゃんって今基準だとめちゃくちゃバイオレンスだよな >>122
上級国民ニートが親友の妻を寝取って勘当される話
働いたことがないから職という文字が何を意味するのか
分からないみたいな心理描写がある >>180
坊っちゃんは学級崩壊と職場放棄という
現代の社会問題が描かれてるな 川端 芥川 夏目 志賀 は高校生で全作品読んだな
いまでも読み返して文学とはなんと素晴らしい
芸術かと思う 猫は冗長に過ぎるんだよね
面白いけど
娘たちが顔を洗ってから朝食をとるところとか笑える 虞美人草はヒロインが派手な洋風ツンデレ美人と和風地味子というの対比が
今どきのラノベの走りとも言える
ラストは残酷だけど >>184
志賀直哉の短編は今読んでもスゴいよな
キチガイをキチガイとしてちゃんと描写できてる
現代文学とか志賀直哉と比べたらぬるすぎ 夏目漱石の、
「余は朝鮮人に生まれなくてよかった」
は、現代に通じる名言! 数年前から猫読んでるけど今ミケが死んだとこ
長過ぎる >>194
猫は一本道ストーリーを求めると辛いだろ
田舎に飛ばされたエリートの愚痴だと思えばいい
でもあれは漱石の本質を集約してる作品だと思う >>185
カルモチンを買っておいで、と言って村の薬屋にお使いにやったら、ヘノモチンという下剤を買って来ちゃう人? >>8
ネコの反対語はタチ、先生と私、これが理解できない奴は日本人の心はないだろう。 >>163
文句なしで三島だろうな
15で彩絵硝子を書いてる化け物 >>1
江戸時代って時代劇で見るように変な言葉使いなのよ
これが現代語になったのが明治
現代語を作ったのが夏目漱石
現在の日本文学ってほぼ全て夏目漱石の流れを組むことになる
君が今書き込んでる現代語も夏目漱石のパクりのパクりのパクりぐらいなわけよ
世界を一変させたモノってあまりにも優秀で一般人ですらその有用性を瞬時に理解できてしまいその模倣があふれる
というかそれだけになる
そのためあまりにも当たり前過ぎて凄さがわからない
パソコンやスマホ、YouTubeやAmazon、LINEみたいなもん >>201
パリ万博の頃の音声が残ってるけど今と変わらないぞ
ちょっとべらんめえだけど
何を根拠にそんなこと言ってんだ? 今ビートルズを聞いて「普通のロックじゃん」って言うようなもんじゃね
日本の小説界は漱石以前と以後に大別できるといっても過言じゃない よござんす さしあげましょう
てセリフだけなんだか憶えてる。 夏目漱石の本には今の基準で言えば当て字や誤字がたくさんある
あの頃なら誤字ではないのだろうが >>201
文章を口語体で書いたのは夏目漱石だけじゃないだろ、坪内逍遥や二葉亭四迷も居るぞ。
更に言えば、江戸時代に書かれた浮世風呂や傾城買四十八手も会話体で書かれてるぞ。 >>196
「転生したら猫だった」みたいな感じに脳内再構成してしまった
前世の自意識を引きずりながら、一介の猫として生きていく男の話風に >>201
録音した音声で一番古いのが大正末期だが
江戸っ子の庶民の話し方なんか現代人と大きな違いないな
アクセントも語彙も
おそらく明治時代にタイムスリップしても会話成り立ちそう >>209
実際のしゃべりじゃないしな
フィクションとして、登場人物(や話者)がしゃべってるって第三者にはっきり判別させるための「語りの技術」の話だし
だから普通の会話はもちろん、落語や怪談の語りに対する違和感も現代と大差ない 10年以上前の「笑っていいとも」に夏目漱石の曾孫が出演してたが、当時の典型的な
"コギャル"な外見で笑った。 >>211
つーか孫の夏目房之助は最初の頃2chにたまに来てたw 漱石はバリバリの江戸っ子だったが滅多にべらんめえ口調にはならなかったそうだが、森田草平が知人を酔っ払った状態で夏目家に連れて来たときに友人と漱石が大げんかとなり森田はただオロオロするだけだった
その時当たり前のように漱石の家にいた寺田寅彦が止めもせずに「ああ、先生はやっぱり江戸っ子だったんだなぁ」とべらんめえ口調の漱石に痛く感銘を受けていたエピソードが好きすぎる
漱石は夏目金之助としての人間関係が面白すぎる、満洲鉄道総裁となった「フロックコートを着た猪」こと中村是公と帝大の下宿時代に同室で大親友とか、互いの墓がメチャ近いところにあるとか
最高! >>206
大作家が使うとそれが用法となる
無敵だなw >>200
文豪ってのは個人的に、老成とか
ある程度の完成形人生が
必須条件と思っていたわ。。
若くして自殺は、語感イメージに
そぐわないというか、、 >>213
幼少期には里子や養子とか出されて、
親戚たらい回しされてた?ためかね
口のきき方には自然、用心していたろう
小学校なんかも度々転校していたはず 文豪って言っても49歳没なんだよな
ここにはもう50過ぎも多いんじゃないか トルストイってギャグぽい要素があるな
心のなかでうけながら書いてそう
翻訳だからそうなってしまったかもだが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています