>>47
こら
小野田少尉の悪口を言うんじゃない^^

>小野田が戦争がまだ継続しており、ルバング島全島が日本軍の占領地だという認識を持っていたため、
>侵入してくるものに対しては個人であろうと住民らの連帯責任であるとの考えに基づき報復のため部落への攻撃を加えていたことが
>明らかになった。小野田らが潜伏していたジャングルの近隣のブロール部落の住民が何回となく捜索に来ることがあったので、
>夜襲をかけ銃撃や放火などを行った。小野田らは山賊と呼ばれ住民らにおそれられ、住民らはヤシの実をとりに行くこともできなくなった。
>占領は日本軍の再上陸に備えるためであった。1949年(昭和24年)頃には皆、野生の食事にも慣れ海岸の岩間にできた塩を年に
>1、2升採集し、自生するヤシの実を拾い、肉類は牛を月に2頭くらい屠殺した。牛は島内の住民の大切な財産である農耕牛であったが、
>小野田の主張では野生牛で、乾燥肉にもした。これにより、良質の動物性タンパク質とビタミン、ミネラルを効率良く摂取していたとされる。
>使用した武器は99式短小銃、38式歩兵銃、軍刀等であり、その他放火戦術も用いた。この際、弾薬の不足分は、
>島内に遺棄された戦闘機用の7.7x58SR機関銃弾(薬莢がセミリムド型で交換の必要あり)を九九式実包の薬莢に移し替えて使用していた。
>29年間継続した作戦行為によって、フィリピン兵士、警察官、民間人、在比アメリカ軍の兵士を30人以上殺傷したとされる。