市街地の変容と築堤の関係にみる無堤地区の形成史
〜多摩川無堤地区(二子玉川地区、立川錦町地区、川崎戸手地区)を事例として〜
ttp://library.jsce.or.jp/jsce/open/00061/2012/39-04-0001.pdf

このレポートが面白すぎた、軽く要約

・二子玉川:元は料亭のみの地区で洪水時立ち退く事が前提になっていた。
       後に料亭は衰退し土地が売買され住宅化、景観の悪化を理由に住人が築堤反対。

・錦町:元々高さがあり堤防不要とされていたが、伊勢湾台風を機に基準を変更した際に堤防が必要な地域の扱いになった。
    野球場等が作られ、本来は遊水地機能を持たせるはずの地域だが集落が存在し土地利用政策が徹底されてない。

・戸出:元は工場だった。戦後在日韓国人が集落を作成。堤防建設がはじまったのは1989年。
    2005年から住人の立ち退きが始まり補償が支払われていたが、政権が交代し、事業自体が停止。
    現在上流部のみ無堤地区として残っている。

被害が出てる場所にはそれなりの歴史的理由があるみたいね、予想されてたという事らしい