当時、沿線の信楽町では「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき'91」が4月20日から開催されており、信楽高原鐵道は線路容量をはるかに超える来場者輸送(ピーク時約2万人/日)に追われていた。
世界陶芸祭は好評を博し、主催者の予想した来場者35万人に対して、これをはるかに上回る客を集め、ゴールデンウィーク明けの5月11日には入場者50万人を達成していた[4]。

「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき'91」の開催にあたって実行委員会は会期37日間の想定来場者数35万人のうち、25%にあたる約9万人を鉄道輸送で賄おうとした。
期間中の想定ピーク輸送人員約9千人/日に対して信楽高原鐵道の輸送力が不足(会期前の乗客は平均して2千人/日足らず)[注 3]であることから実行委員会は1990年3月に滋賀県知事名で、信楽高原鐵道・JR西日本の両社に対し協力を要請した[5]。
これを受け信楽高原鐵道は旧来の設備を約2億円掛け大改修し、路線の中間部に当たる箇所に小野谷信号場を設け、運行本数をほぼ倍増する工事を実施した[6][7]。
小野谷信号場は無人で運用することから信楽高原鐵道は、閉塞方式を票券閉塞式から特殊自動閉塞式に変更し、あわせて車両の進行により信号機と分岐器とを自動で設定する自動進路制御装置も設置した[注 4]。
また設備面でも単線で行き違いができなかった旧来の設備では来場客は到底運べないことから、設備改修とあわせJRの車両と運転手をともに借り受ける協定を結んだ[注 5]。
しかしCTCは設置せず、信号および分岐器の動作は列車の運行によってのみ決まるシステムであったことが、後述のJR西日本による方向優先テコの無断設置の遠因になった。


なお、「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき'91」は会期を5月26日まで残していたが、事故翌日から開催を休止しそのまま終了となった。

滋賀作(笑)