明智光秀は波多野兄弟や丹波の赤鬼ら土豪のウジャウジャいた丹波を平定したから名将ではある。
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京都側では英雄扱い、兵庫側では侵略者扱い。
さてどう描いてくれるかね。 天才が信長みたいなうつけにパワハラされたらそりゃね 明智光秀が手柄を立てたときに褒美を3つしかもらえなかったのでこう言った
「あ!ケチ!みっつ?ひでぇ・・・」 何故大河ドラマで儂が選ばれんのだ!って石田三成がお怒りです 比叡山の焼き討ちは明智の主導だったことが発覚している。
ようするにその頃から信長を極悪人にしたてあげて自分がヒーローになるつもりだったのだろう。 まあねえ所領取り上げられて
最大の競争相手である秀吉の与力として加勢しろとかやられちゃねえ
佐久間とかの例見てるし一か八かの賭けに出ようと言う気持ちも解らんではない そもそも明智と羽柴が織田の双璧でしょ
これを名将と言わずしてどうするよ 本能寺の変
各武将推定年齢
織田信長49歳
明智光秀62歳
羽柴秀吉45歳
徳川家康40歳
黒田如水36歳 信長の野望で近畿大名を選ぶと
まず丹波の赤鬼こと赤井直正をGETするのが当面の目標になる >>15
長谷川博己に合わせたら信長が染谷将太で家康が風間俊介でおかしくないんだよな
若すぎるとか色々言われてるが
むしろ秀吉が佐々木蔵之介ってのがおかしい
ライバルキャラになるから若いのじゃ駄目だったのかもしれんが、
それならせめて同年代の役者にすべきだった
一回りも離れた年上っておかしいわ >>12
ん? 信長も出陣するから秀吉の与力にはならんやろ。
つか、転封は織田家臣の宿命みたいなもんだからそこに文句言うくらいなら
最初から仕官なんかせんやろ。 信長の死体とか首級を見つけられなかったのが敗因なんだろ
明智も山崎の合戦前には味方を募ったようだが
もし生き逃げ延びてたら明智の味方したら後でどんな仕打ちに遭うか判らんもんな >>15
光秀だけは白髪まっしろけぐらいのイメージやな >>18
ん?与力として先発しとけって事じゃなかったか?
それにまだどうなるか確定してない毛利領の空手形で
今迄の所領没収が通常運転だとかどんな感覚してるんだよ >>22
所領を取り上げたと言うのも眉唾ものの話だけどな。
所領なくてどうやって軍隊動員するんだよ。 寄生虫がうじゃうじゃ湧いてる溜便を
水洗便所にしたようなもんか >>22
あーそれは確かに
信長が名目上管理して貸してる形とかかのう >>22
先発だったとして、信長が到着するまでの間、秀吉の配下になるのが嫌なほど仲が悪かったのか?
勝家ならまだしもな。
>毛利領の空手形で今迄の所領没収が通常運転だとかどんな感覚してるんだよ
は? 占領するまえに没収なんて一言も言ってないけど 巨大銀山のある石見に国替えなんて
超破格の待遇だと思うけどねぇ >>27
何か反論したいが為の反論って感じだな
じゃあなんだと言うんだよ主な原因はまさか秀吉や朝廷黒幕論とかじゃあるまいな >>30
>>9で述べたけど光秀はかなり前から裏切るつもりだったと俺は思っているよ。
ただ押し付けるつもりはない。 光秀は若い頃に主君だった道三に憧れていたと思えば謀反も国盗りで納得できる 家康黒幕説は好きじゃないけど
天海=明智光秀説はロマンあるよな 明智光秀は性格に問題があったという史料は全くみあたらないそうだ
逆を物語る史料はちらほら見つかっているとか >>32,36
当時の宣教師ルイスフロイスの「日本史」から。ルイスフロイスは明智光秀をこのように評しています。
「その才知、深慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けた」
「裏切りや密会を好む」
「己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。友人たちには、人を欺くために72の方法を体得し、学習したと吹聴していた」 >>36
あんな大人しそうでよい子が、まさかあんな事件を起こすなんて…………の典型例。 昔、学研から歴史群像シリーズって赤い背表紙の本が出てたんだけど、
明智光秀の本で、イタコに光秀と信長の霊を呼んで対談させるという
クソみたいな企画があってコイツらマジかと思った。 >>41
昭和末期は心霊ブームだったし、それに乗っかった感じでしょ 光秀のちょっといい話
婚約者が皮膚病で顔に出来物ができ
周囲から妹の方と結婚を勧められるも拒否
結果、夫婦仲良好で、生まれた娘も戦国一の美女と言われるように。 能力主義のノブーの筆頭家臣な時点で無能なわけがなかろう そう言えば、1か月ぐらい前の所JAPANで本能寺の変を扱ってたな。
古文書によると、近所の寺から信長の義弟が駆けつけて、本能寺の生け垣を切り開いて境内に侵入すると
卒塔婆で信長燃やしてたって内容だった。
え? 明智方はそんなゆるゆるの警備だったの? >>2
丹波の兵庫県側の徹底抗戦は山陽道でそれこそ血道を上げた秀吉の影響じゃねえか?三木とか皆殺しだからな あそこんとこ秘境過ぎだろう。点々とある町は全て山に囲まれ、小さな川が流れ、駅のホームには寅さんのようにジャケットを羽織ったチンピラが睨みをきかせ、駅舎の前ではリーゼントのDQN学生が大きな奇声を上げていた。 >>39
宣教師ルイスフロイスの「日本史」はキリシタンバイアスがかかっている
これ定説です >>38
フロイスは
イエズス会からもバイアスかかってると
思われてるから >>1
波多野と聞いてドラゴンと結衣が浮かんだ
ドラゴン波多野って何の話だっけかなぁ フロイスは布教に積極的に協力しない人物には辛辣です
そんなある人が死んだ時は「その日は聖なんとかの祝祭日だった」とか書いてるし
もっとも日本人で信長の死を悼んだ人もいなさそう
秀吉なんか(飛び上がってよろこんで)到底無理と思われる大返しをやってる >>8
何年かにいっぺんの割合で柿を拒否するところが流されるってなかなかの厚遇やん? >>50
それでいくとガラシャの父だし、もうちょい上げても良いと思う
信長はキリスト教に比較的寛容だったとはいえキリシタンじゃないしな まぁ目立った性格上の欠点はないけど
本能寺後に誰も助けが来ない辺り
社交性はそこそこあるが深い付き合いは出来ないタイプだったんだろうな 会社で働いたことあるやつなら理不尽を繰り返す上司に対して
こいつボコボコにしてえ
と思ったことあるべ?それと同じだよ。
しかも当時は下克上が普通だったし。 信長自身も守護代や守護を破って下克上したんだよな。 1534年信長誕生系のシナリオがあると波多野稙通を選択しあっという間に畿内を蹂躙可能 信長は成果だしてるうちは引き立ててくれるけど
成果だせなくなったらそのうちリストラする上司だからな
光秀は天皇や将軍とのとりなしで成りあがった武将だから
幕府がなくなり天皇の権威を必要となくなればそら光秀はリストラ筆頭 京都の丹波ってかなり北まであって、福知山なんて、細川が預かった丹後半島にめちゃ近いぐらいやねんな?
その細川が味方して福知山城あたりまででも出張ってたら、天王山から丹波に逃げて栗でも食えてたかもな 明智光秀って信長にめっちゃ優遇されてただろ
何があったのか知らないがちょっとした恨み程度で謀反起こすなんてクズだろ
秀吉共謀説とか天皇指示説みたいな妄想は無しな >>16
そこに百地三太夫、島左近あたり加われば、畿内平定待った無し >>71
荒木にも松永にも裏切りまくられてるんだよなあ
江戸時代の感覚で戦国武将見てたらそらあ不義理に見えるかもなあ 羽柴柴田滝川と違ってそこまで強敵大国と戦ってたイメージがない >>53
喜ぶ訳ないだろ。自分の立場が変わるから必死なんだよ。 >>61
そこは大返し中の秀吉の外交力と根回しの速さがヤバ過ぎるのが大きいと思う どういう出自なんや?
なんで天皇や将軍に顔が効くねや? 従兄妹の帰蝶が信長にいじめられていたことをずっと恨んでいた説 細川元首相は明智光秀の
血は引いていない
細川隆元は血を引いている >>73
二人からしたら信長という人物は、過去で功績があっても、年くって役立たずと思われたら、すぐリストラされる恐怖の存在 >>61
友人たちには、人を欺くために72の方法を体得し、学習したと吹聴していたって話だから
相当やなヤツって思われてたんだろうな。
ってかみんなに嫌われてたって書かれてるし。 本能寺後に出した手紙にも
謀叛の正統性を訴えるような事が書かれてないから発作的な行為だろうな >>81
言うてもな、結局地元のまとめ役の政治家的存在はいるし自分のコスパにあった身分でいる限りは安泰だったと思うんだがなぁ >>78
将軍と共に復活夢見てさ迷ってたじゃない
帝担当は教養あるからじゃない? >>69
安藤、磯野、林はまさにその通りだけど
佐久間に関しては発奮かけたんだと思うぞ
あの最後の方の字か小さくなる折檻状みるに
だからこそ後が酷いんだろうけど >>87
新人「仕事ダリィ〜」
管理職「やる気の無い奴は家に帰れ!」
新人「じゃ、帰りますわ」
管理職「何を言ってるんだ!」
の世界だよな。 会社の社長が個人崇拝を求める様になってきた上、失敗を許さない性格になってきたら、反旗を翻す重役が出てもおかしくないな 信長「このハゲー!!」
信長「ちーがーうーだろ!」
信長「お前、頭がオカシイよ!」「このキンカン頭が!」
信長「これ以上、余の評判を下げるな! 余の心を傷付けるな! これ以上、余の支持者を怒らせるな!」
信長「死ねば? 生きてる価値ないだろ、もうお前とか、◯◯※とか」
光秀(無理・・もうムリ、もうダメポ・・これ以上この人の下にいたら壊される・・!それならいっそのこと・・・!)
おれ「分かる〜」 信長ができなかった事を秀吉がやったと考えると
光秀「やっと丹波攻略が終わったと思ったらすぐ毛利
んでその後九州 さらにチョーセンだとぉ?
テメエの欲望のためにいつまで俺を働かせる気なんだよあの野郎
海の向こうなんかで死にたくねえっつうのクソッタレが」 >>15
ボケ老人が更年期のオッサンにいじめられてキレたって感じだな >>23
やはり四国説が一番しっくりくるわ
織田家中の主導権争いで豊臣三好派に明智長曾我部が負けて非主流派に落ちて
政治的に詰んだから裏切ったとかいつの時代でもありそうだし まぁしょせん信長の威光がなければ何も出来なかった奴
本能寺の変のあと誰も味方しなかったというのが全てを物語っているよ >>100
現在の日本にいたら、詐欺で巨万の富を得ただろうな
と思ったら、レバノン人の両親からブラジルで転生して、日本で仕事していたらしい ナンバー2が謀反起こしたんなら成功する可能性もあったけどな
まぁ天下より信長ぶっ殺したかっただけなんだろう 丹波の赤井と俳優の赤井英和て繋がりがあるって
NHKファミリーヒストリアでやってた。 命からがら逃げ出した信長にとどめを刺したのが秀吉だったとはね 吉川太閤記の坂本城パートは最高
クライマックスは明智長閑斎光廉が炎の中から飛び出してくるシーン
これと明智光春の湖水渡りは大河でやってほしい 秀吉の大恩人だよね
いくら感謝してもいいってくらい天下人にしてくれた開運武将
光秀謀反が無ければ、信長のパシリのままで
秀吉が唐入り総大将になって、北京一番乗りしてただろうねw
その後100年後には、日本も中国化してたかも知れん
世界の歴史も変わってるわw >>106
あんなのでっち上げだろ
ルーツ辿れば済州島から密航してきた祖先がいたとかなら、そんなの番組にできんからな
赤井の実家は元々丹波篠山の漬物屋とかだな
キムチやかどうかは未確定だがw
藤原紀香の先祖が藤原氏とか、織田信成が信長の子孫とか
ミンナ適当なこと言ってるだけだろと 島津製作所がただの出入り業者で、薩摩の島津家の血筋いっこも入ってないのワロタ まつろわぬ蛮族相手の平定いうより征伐とか討伐だったセンゴクさんの紀州攻めももう少し評価されてもいいな
野人の群れと戦ってるようなもんだったろ 信長を殺した男面白いな
でも、家康共謀説ってスタンダードじゃないのね 波多野氏の隆盛は応仁の乱ころでしょ?
ちなみに、光秀の親を人質交換にだして処刑されたよね・・・ >>114
太閤検地の時島津義弘を手伝った人が義弘に良くやってくれたうちの苗字やるよっていってもらった人が島津製作所の先祖とν速で見た >高柳光寿著の『明智光秀』(吉川弘文館)に「光秀の年齢」という項目がある。
>「光秀の年齢はわからない」としつつも、『明智軍記』という書物では55歳としているとし、
この書は悪書で信用できないが、 「しかし何だかそれくらいではなかったかというような気もする年齢である。
そして光秀の年齢はこの書以外には全く所伝がない」と結ぶのだ。
>これが55歳説の根拠である。
いい加減過ぎるだろ >>112
まあ芸NO界なんて大概嘘だわなスケートの織田なんか本家に否定されたし
今の時代で名字藤原の藤原氏なんていないし
サンドイッチの伊達は一応分家位の血が入ってるらしいけども トップを取る器ではないが明智と小早川がいたこその今の日本だな
そういう意味ではこの2人は名将だな。 光秀の丹波平定に屈強に抵抗した
丹波国人って評価高く見られがちだけど
あの丹波口の濃霧と峻嶮な地形があったら
そこそこ抵抗は可能だろうなあ
大軍を動かすにはちょっとキツイ土地だわ 突然裏切ったと考えるから面倒な事になんの
最初からある程度デカくなったとこで裏切る予定だったんだよ
やっと来た千載一遇のチャンスが本能寺 >>127
神奈川からいきなり福井ではなくて
先に京都の幕府界隈に奉仕する形で功を成して
福井に寺開きなさいって領地貰ったんじゃないのかな ところで教科書にも書かれてる「光秀の三日天下」の出典は何?
信長公記とか豊鏡とか老人雑話に、当事の庶民がそう言ってたとでも書かれているのだろうか 光秀が織田信長に仕える前に近江湖西の大溝城で
幕臣として城主格に据えられていたって史料がちょっと前に出てきたけど
その後、あの史料の研究進んだのかな >>128
千載一遇があれか?
親密だった長宗我部への討伐予定、領地変更
その後のバタバタぶりや味方になるであろうと計算してた奴等からも相手にされず
もし本気でそう思ってたのなら光秀は無能だろう
個人的には今迄の総合的な蓄積と歳による焦りと呆けも始まっての突発的な行動に思える >>126
織田軍ってさ、伊賀や丹波のような険峻な土地は後回しにしてた
山と谷と川しかない土地で勢力争いしてた連中に、平地出身の軍隊じゃ勝てない 光秀は認知症だったという設定の時代小説読んだことがある 佐久間信盛を讒言した奴がいるって譴責状に書いてあったろ
それが光秀だって史料はないけど
佐久間息子はその後許されて信忠の家臣になってる
光秀長曾我部路線が廃止されて秀吉三好路線になって本能寺の変 明智光秀の年齢設定はおかしい気がする
多分、織田信長と同じくらい 光秀を操った黒幕は徳川家康だよ
その後、光秀は徳川にかくまわれて坊主になって生き延びたのさ 良し悪しは置いといて
信長ぶっ殺したのはポイント高い >>139
信長って結構普通のおっちゃんなんだけどねぇ 信長は冷酷な男ってイメージが定着してるけど女装して家臣を笑わせたり
安土城を民に解放させて入場料を自ら受け取ったり面白い面もあったらしい 普通じゃねーよw
最近普通に優しい扱いにしたがる煽りが異常に多い風潮だけ でなあ
ぶっ殺し上等なとんでもねえ、パワハラ上司だよ >>139
確かに
大は石山本願寺や武田信玄から
小は荒木村重や杉谷善住坊まで
ことごとく失敗した後で
きっちり仕事して仕留めてる 普通と言うにはあれだけどもあの時代の武将で言うなら範囲内じゃねいか
人は石垣人は堀なんて言ってた信玄だって虐殺やらかしてるし
義だなんだとのたまってる謙信だって奴隷狩りとかしてるし 本能寺攻めたのは
明智光秀と言うより春日局の父の斎藤内蔵助
しかも光秀主犯説の根拠になるものの大半が
秀吉等が後世に広めたもの
そう単純じゃない 誰かの黒幕説はない、ただの単独説だな
信長も用心していたら、反逆するつもりはなかったけど
無防備にいたら、つい出来心でやってしまった
信長さえ殺せば天下取れるんじゃねぇと咄嗟に思ってしまった感じだな
その後の手紙の内容みると、そう思うしかないな >>132
フロイスの評価で友人たちには、人を欺くために72の方法を体得し、学習したと吹聴していた
ほとんど全ての者から快く思われていなかったとあるから
多分、自己評価と他人の評価が相当乖離してたんだろう。
フォーク准将とか京アニ放火犯みたいな感じ >>147
>つい出来心でやってしまった
そんな万引きでつかまったおばちゃんのような言い訳が通るとでも思っとるのか? だいたい京都が悪い説
裏切り者の大半が畿内の連中だし
光秀も京都で仕事するうちに毒されてしまったのさ >>149
逆に考えろ、そういうつまらない理由だからこそ、
今まで謎になっているんだよ 光秀若年性認知症説というのが最近出てきた
「つい出来心」も無碍に退けられんか 光秀が謀反を起したタイミングがいちおう織田家臣団筆頭のころだろ
光秀はけっして合戦が上手なわけでもないし足利幕府が滅亡し光秀の強みがなくなれば
とうぜん秀吉柴田などの下になるのも時間の問題
ならば成功するかどうか一か八かの賭けでも力のあるうちに勝負にでたいと思うのが戦国
実際秀吉があそこまで早く帰ってこなければどうなってたかわからん
柴田や滝川なんぞアップアップだったしな 細川に手紙出したのも7日後で土橋には10日後
謀反の理由は書いてない
自分の行動の正当性を時間を置いても書けないんだから
ついやっちゃったってのが正解かもな >>43
当時の大名にしては珍しく側室を持たなかったんだよな 長宗我部との仲介を信長に勝手に切られ四国征伐が目前に近づいてたからな
しかもその総大将は信孝、副将は丹羽長秀
自分らはいいように使い潰され果実は信長の息子たちに与えられる
誇りが高そうな光秀が叛意を抱くのもうなずける 斎藤内蔵助利光
この人は山崎の合戦の後で捕えられ、秀吉の命令で処刑、首を晒されているのです
光秀の部下で命令に従っただけなら、なんでそこまでと思えます
裁判なんてものはなかったし、あったたとしても非公開、弁護人なし、記録残さずの暗黒裁判同様でしょうから
真相は闇の中です
秀吉は自分に都合の悪いことは全部消せと命令してたでしょうし >>156
信長がサイコパスだろ
サイコパスが日本を無茶苦茶にする前に止めたヒーローが光秀 信長が変革者とか破壊者だとか、誰が吹聴した話しなんだろう?
政策的には三好長慶と大して変わらないのに ま、信長の名前が今あるのも、多くは日本統一を初めて成し遂げた、秀吉の存在ありき
そのおかげだからな
もちろん見出し抜擢重用した点は素晴らしかったけどね >>151
歴史に詳しくなくても、信長の人生見てるだけでも斯波氏や斉藤義龍、浅井長政、、柴田勝家、林、信勝等々
裏切りなんていくらでもでてくるだろうに、(無知ゆえに)愚か者ほど自信に満ち溢れているってのを思い出したわ >>161
んーまあ楽市楽座も今川氏元や斉藤道三が似た様な事やってたし
天守やら築城も松永久秀からだし
設楽ヶ原の陣構築による鉄砲の大量運用も少し前のスペインだかでやってたのを
宣教師辺りから聞いた可能性もあるし
そう言った情報から利点をすぐ取り入れる先進性は凄いし
そういう臨機応変さが最大の武器なんだけど自らが切り開いた天才かと言えば疑問はあるな >>5
朝廷工作できる臣下として重宝だっただけだろw
それといつまで生きていたのかしれないが濃姫の親戚だからな
濃姫てガキ生んでないから歴史書に残ってないけど
一応正室ポジションだからなw >>11
信長だって美濃を手にいれるのに時間かかっているw >>165
いや上杉謙信なんて、神保・椎名・北条・佐野を何度許したか判らないくらい許してるぞ >>19
信長もそれを読んで爆死かな さすが英雄は違うなw
けど長男の跡継ぎまで一緒にお供するとは思わなかっただろうなw >>97
まず秀吉の時代でバイアスがかかって
さらに徳川の時代でバイアスがかかったのが
今の通説だからなw
まあ佐久間 林の追放をみていれば次は自分かと思うだろw >>164
天下布武の思想をガチで世の中に向けて唱えたのが大きかったんだろうと個人的には思う
民衆からすりゃもう悪魔でもいいからこの乱世を終わらせてくれって状況で、それを終わらせるって言う公約を掲げて希望を与えたのが大きいと思う >>87
佐久間は信長が弟と跡目争いしているとき
信長について手柄も上げているからなw
柴田より信用できるけど本願寺を落とせなかったことが腹にたったのかいなw >>122
戸籍がないのだから自称だろw
江戸時代の武士は髷が結えなくなると
自分から暇乞いするのが常識だったしなw >>142
尾張のころは
盆踊りにでて領民と一緒に踊っているw 明智光秀は、信長に天下を取られたら国民が苦しむ事を知っていた >>172
成程・・具体的に統一の意識持って具体的に進めて公表までしたのは信長が初かもな
今迄の武将は朝廷や幕府ありきの権力闘争から抜け出てないだろうし
確かにそう言う精神性の部分では革新的な天才だったかも AV女優の波多野結衣って本当に波多野氏の子孫なの? >>158
斉藤利三の妹が長曾我部元親に嫁入りしてたし力入れてたんだろう
長宗我部を切って乗り換えた先が秀吉が仲介してた三好というのも 光秀って信長に蹴られたんだろ?
謀反するには十分な理由だぞ。 三大カッコイイ名前の戦国武将
1.伊達政宗
2.明智光秀
3.藤堂高虎 光秀認知症説というのがあって笑ったなw
実際60超えてるしありえる >>194
誰がそんな事言い始めたのかな?
やっぱ共産主義者な歴史学者が戦後蔓延ってたんだなぁ
信長の行動はどう見ても権威主義なのに >>197
そうか?
ではなぜ官位断ってるんだ?
薄っぺらい認識だが個人的には
信長超リベラル、秀吉リベラル、光秀保守、家康保守って感じだね
厳密には違うけどね、簡単に言えばそんな感じ >>198
光秀や家康も下克上上等な革新側だと思うが
と言うか今の日本の野党や海外でもポリコレ振り回してる自称リベラル連中とは違う本物の革新者の信長について行けてる時点で保守ではあり得ない >>198
何の官位を断ったの?
征夷大将軍、関白、太政大臣のいずれかってやつ?
あれは要求したとか断ったとか解釈が色々なんよね
そもそも信長は右大臣まで行ってるし
尾張1国の頃から朝廷に莫大な寄進をしてる 家康なんて豊臣討伐の勅許を断られて、朝廷を潰せとか怒ってたぞ。
あと、二股膏薬野郎の光秀は保守じゃないぞ。比叡山焼き討ちは光秀の所業だ。 状況証拠だけ見ればむしろ家康の方が天皇や公家に厳しい
信長の方が敬っている少なくとも表面上や物資的には >>194
信長なんて勤皇家の代表みたいな感じなのに何でこういうのが湧くようになったんだろう >>201
元天台座主の足利義教ですら比叡山攻撃してたぞ 当時の比叡山って言ってしまえば今のパヨちんと似たようなもんだからな
他人には論理的な意味もない善を押し付けて攻撃する癖に逆に自分はやりたい放題のダブスタで私腹肥やしてるだけの裸の王様集団
信長のように空気読まない人間に行動されたら、そりゃみんなGJってなる >>200
それそれ
そもそもその前に官位返上してるよね
権威を利用することはあっても自分に必要なくなれば壊しちゃうんじゃないかな?
別に悪いとは言ってない
キリスト教の布教を許可したこととか天皇を心から敬ってたとは思えないな >>199
光秀が裏切ったのはその辺のような気がするんだよね
もちろん現在の右左とは全く違うものだと思う >>209
辞したのは、源頼朝に倣ったんだと思うよ
で、征夷大将軍に任官せよと迫った つか天皇を敬う云々言い出したら
配流かました鎌倉幕府や
高師直の高言に始まり南北朝やら足利義満の室町幕府なんかどーなんだっての >>137
天海=光秀説な
あれ事実なら最高に面白いし、支持したいんだけど、残念ながら別人
もし事実なら光秀は、当時としては記録的に超長生きした事になってしまうのと、
あと何よりもこの2人、両方とも本人が書いた文字が残ってるんだけど、筆跡があまりに違う
1文字ごとの癖はもちろん、書全体のスペースの使い方とか、筆使いとか、似てる部分が見当たらないレベルで別人なんだわ >>212
太平記のDQN共と比べたら、戦国大名なんて聖人だなw 戦国の武士道なども今の893も真っ青という代物だしな >>212
まったくだよね
そう考えると皇室が現在も続いてるのは奇跡としか言いようがない
大事にしないとね 武将は人殺してなんぼだよね
10歳に満たないガキまで切腹させるとか
日本も見習うべき まー直接手を下したわけじゃないけど >>212
高師直は「天皇がいないと困る?じゃあ木像ででも造って置いとけよ」って言ったんだってな 明智光秀って謎が多すぎなんだよな。
実は生きて徳川家康の軍師をやってたって噂もある。
日光東照宮かどっかに徳川の家紋と並んで明智の家紋があるし。 織田は信秀の代から朝廷に多額の献金をしてる勤皇家だよ >>221
明智光秀のおかげで天下が取れたって言う感謝の印じゃね?
天海とは関係ない気がする 天海と光秀が同一人物説は本当にロマンがあって好きなんだけど、
あの説は不都合な部分を無視しちゃってるからな 天海は家光の時代に剣豪たちを集めて御前試合をしたんだよね。
それが天海の行った武闘会ってことで、天海の武闘会、天下一武闘会になった >家光の乳母 春日の局
>三代将軍徳川家光の乳母。明智光秀の重臣斉藤利三の娘
臭うのう >>200
尾張3分の1程度の領土だよ信秀は。信長が桶狭間の戦い終わって尾張統一したのは、1565年。 >>228
秀吉はともかく家康は無い。
家康が関わってるなら本国にいる時にやる。 >>231
秀吉も大返しの過程でかなりギリギリの綱渡りしてたから無いだろ
アレが見事と言われるのは何も知らなかった所からスタートしたにしてはって前提が付くからであって、策略として見た場合は運任せ要素と行き当たりばったりの場面が多すぎて、秀吉にしてはかなり下手な戦をしてると言わざるを得ない 光秀も行き当たりばったりだからなあ
実際はなんかもっと大した話じゃない予感がしてる
案外、後世の人々がまことしやかに陰謀論や深謀遠慮があるように吹いてる物事も
本当は計画性ゼロで回ってたりするのが世の中なんじゃなかろうか >>232
秀吉の大返しは用意周到レベルだよ。
これは人工湖に浮かぶ高松城と言う最高のビジュアルを信さんに見せるために準備したのが効いてきて、信さんのために準備した一定距離毎の休息所と、整備された街道と、行き届いた治安対策のための国人の懐柔協力体制がそのまま使えた。
これらは、あくまでも信さん接待用であって、どうやって功を分散しようかって程の成功を収めそうな秀吉が黒幕とは思わないけどね。 やっぱ秀吉は天才!
大返しで突っ走りながら、虚実取り混ぜ次々と策を打ってるんだぜw
これは、ノブにも無理 晩年の信長は頭痛こじらせてすぐキレたんだろ?
魔王を名乗り始めたし
キチガイが天下取るまえに葬ったろ!の精神だろ >>234
秀吉はそういうの得意よな
賤ヶ岳でもやってたよな確か 途中から明智光秀じゃなくて惟任日向守って名前に変わったんだよな >>236
魔王なのったのは、信玄が天台座主って名乗った書状送って来たのにノリ突っ込みかましただけらしいで >>220
大河太平記の柄本明の師直爬虫類的はキモさは見事だった >>230
信秀の最盛期は西三河・西美濃まで、
かなり大きな時代があった
二度目の小豆坂で今川に大敗してから
急速に勢力が落ちた
信長が継承したのは、大幅に勢力が落ちた時
信長は長島城が落ちるまで、尾張統一は出来てないよ >>234
いや、もちろん黒幕じゃなかったら見事にもほどがあるのは認めるよ
行き当たりばったりってのは黒幕だったらって仮定で見た場合は秀吉にしては事前準備をしてなさ過ぎるってだけの話 秀吉黒幕説は本能寺の知らせを聞いて毛利と即日の講話失敗してたら計画破綻じゃん。
ちょっと条件を検討します、返事は後日に…とかやられたら破滅じゃん。
秀吉はずっと前線にいて光秀と密談する機会なんて無いからな。
数ヵ月後に毛利が折れます、即日講話に応じます、って知っていないと黒幕説は成り立たないわ。
秀吉が黒幕なら大予言者だよw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています