信長が「どんな家臣がいますか?」と聞かれ「色々いるが」と答えて筆頭に上げたのが明智光秀であった
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官兵衛「今こそ殿が天下を取る最大のチャンスでござる!」 >>7
お前の生きてる世界では、本能寺の変で信長は生き残ったことになってるのか?でその後も明智光秀は信長の部下であり続けたと。
俺の知ってる歴史とだいぶん違うな。 実際は、信長って結構家臣から軽く見られてたんじゃないかなあ
秀吉も後年「自分は信長のように甘くないぞ」とか言ってたというし 織田信長が活躍した頃、海を渡って来た奇怪な妖術者の群れが、ギヤマンの鐘を求めて各地を襲撃した。世界を制覇を狙う卍党の
仕業である。 強烈なエネルギー製法を秘めた鐘三つ。
日本の平和を願う信長は、卍党の野望を粉砕すべく、飛騨の国から仮面の忍者を呼んだ。 その名は・・ これは正しい俺、関ヶ原で死ぬ前に直接本人に聞いたもん 足利氏までは武家の名門を呼称出来たけど
信長にしても秀吉家康にしてもただの田舎の地侍だもんなぁ
上洛してからは凄いプレッシャーだったろ 林秀貞とか勝家とか荒木とか佐久間とかいるだろう
全員アレだけどさ(´・ω・`) ジャイアンも扱いに長けたスネ夫からしたら楽な奴だし、秀吉も案外楽だったんじゃね?流石に北陸から勝手に帰った時はヤバいと思ったろうけど。
光秀は優等生すぎた。
佐久間は頭下げときゃ良かったのに、意見しちまった。 結局光秀の謀反はなんだったんだろうな
信長って暴君のように扱われてるけど、裏切り者を何回も許してるし、秀吉なんて俺は信長の様に甘くないぞと言うし
実際、小栗旬が演じた信長みたいな性格だったのかもしれんな あんまり人前で言えるような配下居ないもんな
基本田舎侍ばっかだし そら京の雅な文化に精通してる希少な人材だしな
信長の部下って脳筋集団だから >>31
光秀のカーチャンの件もあるんじゃないかな(´・ω・`) >>27
中学までの日本史とfgoと戦国ランスで構成される俺のイメージでは暴君とかけ離れてるわ
基本はかなりの自由放任主義だがカリスマもあってそういう人だからこそアクの強いDQN達を実にうまく手懐けられてたんじゃないかと
それでいて直観的判断で配下を裁くから理不尽に見えることもあってそこだけが誇張されてサイコパス扱いされてるんじゃないかと 信長もまさか自分が400数十年後に女体化されて
おかずの対象になるとは夢にも思ってなかっただろうな 家臣団で最初の城持ち大名になったのも光秀だったな
将軍や朝廷とも交渉出来るし戦でも働ける
後者はそれまででも優れたのは居たが前者は居なかったし、評価されるわな >>25
北陸から勝手に帰ったのってなんで許されたんだろう。不思議だ 光秀は足利幕府の足軽衆から織田に支えて織田四天王に入った位だから有能なのは間違いない
秀吉だって四天王には入って無いんだし 信長「あいつはほんとに凄いやつなんだよ」
↓
信長「是非も無し」 確かに家臣で一番最初に領地持ちになったのは光秀なんだよな 光秀って信長より一回り上の世代で、本能寺の変の時は60歳越えてたとか言われてるけど本当なの? 来年の大河光秀だよね
BLみたいにしないでねNHKさんよ 本能寺の変の黒幕はどう考えても家康
家康と光秀はグルだった
秀吉は何も知らないバカ 実際、本能寺は光秀の与力家老の斎藤利三が中心になって動かした可能性が高い
当時の与力と家老は大名が家臣を監視させるために派遣されたもので
与力は信長に近い直属の部下だった
その斎藤が、光秀を動かして本能寺を起こさせた可能性が大きい
理由として
この斎藤利三は名門で、斎藤家の本家の人間で一族に幕府の要人が多くいた。斎藤道三は
この斎藤氏から名をもらった側の人間
利三は道三と関係が深く、信長と道三の関係で、信長と利三は親密な関係になった
さらに利三は文化面でも優れていて、信長とかなり近い立場になった
本能寺の2年前、1580年に利三は明智の家老になる。つまり光秀との関係は浅かった。
そして本能寺が起きる数ヵ月前に、家臣引き抜き問題等で信長と利三の関係が悪化して、利三は信長から切腹しろとまで言われる
この時期、織田と長宗我部の同盟もあって、その担当が明智だった。理由は利三の親族と長宗我部が親戚だったから
結果、信長は長宗我部との同盟を反故にしてしまう。
そして与力家老として信長の政治政策の情報を光秀より近く詳しく得ることができる立場で
利三は信長の天下統一後の統治政策が幼稚で酷いという情報を与力の情報網で得ていた
これに危機感をもった織田の一部の家老与力団が結託して本能寺を起こした
利三と秀吉の与力の黒田勘兵衛も繋がっていた可能性が高い。クロカンも秀吉に謀反の計画を打ち明けていただろう
細川筒井も、当初から本能寺の信長包囲網に関わっていただろう >>45
急な戦があって、その時戦えるのが秀吉の隊しか近くにいなかったから。 >>33
光秀のかーちゃんの話は創作で史実じゃない 信長が光秀を見習えって家臣達にに言ってたからな
裏切り者めが 木綿藤吉 米五郎左 懸かれ柴田に 退き佐久間
明智くんはどうしたのかな?w >>66
武将は言い過ぎ
お世話係兼話し相手ぐらいじゃね >>17
それは第二部
おれは下記の第一部しか覚えてない
> 豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃、琵琶湖の南に『金目教』という怪しい宗教が流行っていた
> それを信じない者は恐ろしい祟りに見舞われるという。その正体は何か
> 藤吉郎は金目教の秘密を探るため、飛騨の国から仮面の忍者を呼んだ ハリウッド映画の弥助じゃ多分光秀は悪役になるよな
敵役ってだけじゃなく人と成りも酷い奴に描かれるだろう
開放的で先進的な信長に対して保守的で頑迷な光秀っていう感じで 本能寺に攻めて来たのが光秀と知って信長は即座に負けを覚悟したらしいからな。
あれほどの軍略家相手に絶対に勝てる訳がないと。それくらい光秀の能力を高く買っていた。 15,000の軍勢を相手に数十人じゃ誰が率いていても絶対に勝てないだろ 日本三大裏切り者の1人だからな。
あとの2人は知らん。 本能寺の変当時の武将推定年齢
明智光秀62歳
織田信長49歳
荒木村重48歳
羽柴秀吉45歳
徳川家康40歳
黒田如水35歳
伊達政宗15歳 >>20
足利尊氏も三河だが
足利尊氏と徳川家康の生誕地は1.5キロしか離れていない
■上杉氏
太田亮
上杉−勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。
丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。
『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、足利家家人の上椙三郎入道(上杉頼重)より前は不明。
その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か
足利尊氏、直義が生まれただろう日名屋敷
■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷)
鎌倉末期に三河国額田郡日名(三河県岡崎市)にあった上杉氏の屋敷。
足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。
日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。 裏切り者といえば、あと1人は長田忠致か
源義朝を裏切って殺して平家政権で出世した後、平家の勢いが落ちると頼朝に鞍替えして
平家を倒す働きをしたが、最後は将軍となった頼朝に父殺害の恨みを晴らされて無残に殺された。
「嫌へども命のほどは壱岐守 身の終わりをぞ今は賜わる」と言われた人。 真面目な光秀は足で踏むが、松永弾正や高山右近は何度も見逃してやる
理不尽ブラック上司。 >>8
天下を取るのに肝心な人気が最低点なのが玉に瑕だけどね。 他所に紹介して恥ずかしくない教養とか考えると明智なんだろ
ほかにも教養人はいるけど戦功がないし >>12
大川隆法がイタコしたかもしんねーだろ石頭! >>27
俺は人前でハゲハゲと言われた恨みでキレたと思ってる 家康に向かって「この老人は人に出来ないようなことを三度も行なっています。東大寺の…」
松永久秀赤面 たけし軍団だったら明智光秀が「いろいろ居るが」って名前にされてただろうな >>27
年齢から来る将来絶望説を支持。
明智光秀は出生年齢に2説あり、死亡年齢は54歳か66歳なんだが、若い方の54歳だとしても「領地没収の上、切り取った毛利の土地をやる」って言う命令はキツすぎる。
(ましてや66歳なら余計に嫌だろう)
これは当時45歳の秀吉も同じなんだが、年齢的に「今より遥かにでかい土地がもらえるぜえ」って気持ちの方がでかかったと思われ。 だれかあれ貼ってくれ
信ちゃんが仕事が進展しない家臣にネチネチ嫌味を書き綴ったお手紙のコピペ >>107
原文貼ろうとしたら「本文が長すぎます」になったw
山盛りすぎワロタ やっぱハゲハゲ言われたのが効いたのかなあ
頑張って成果あげても
お前出来る奴だな〜ハゲのくせに!
とか言われてたんかなあ... 秀吉は信長と系統的には似てる基地だし
性格的にまともなのな光秀だよな >>113
一番出自がはっきりしてない。岐阜生まれのかも怪しい。 >>115
一応美濃守護土岐氏の支流明智氏の出ということになってる
明智という地名も東部の山間部にある >>113
ルイスフロイスいわく
「その才知、深慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けた」
「裏切りや密会を好む」
「己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。友人たちには、人を欺くために72の方法を体得し、学習したと吹聴していた」
「築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持ち主」
「主君とその恩恵を利することをわきまえていた」
「自らが受けている寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた」
「誰にも増して、絶えず信長に贈与することを怠らず、その親愛を得るためには、彼を喜ばせることは万事につけて調べているほどであり、彼の嗜好や希望に関してはいささかもこれに逆らうことがないよう心がけ」
「彼(光秀)の働きぶりに同情する信長の前や、一部の者が信長への奉仕に不熱心であるのを目撃して自らがそうではないと装う必要がある場合などは、涙を流し、それは本心からの涙に見えるほどであった」
「刑を科するに残酷」
「独裁的でもあった」
「えり抜かれた戦いに熟練の士を使いこなしていた」
「殿内にあって彼はよそ者であり、外来の身であったので、ほとんど全ての者から快く思われていなかった」
だそうだ。 >「色々いるが」
なんかコミュ賞っぽいなw
仕事訊かれたおまえらやん 家柄が一番良かっただけじゃないか。
でも2分ぐらいアドリブで話す才能はあったらしい。 >>60
↑
こいつ歴史をよく知らないくせに
現代からしか見て語るしか出来ない
ニワカ丸出しのシッタカバカだな
家康が黒幕だとして
信長没後から秀吉没まで20年近くあるのに
小牧長久手の戦いでチョイ戦っただけ
そんな無能な黒幕がいるかよ >>13
余り知られてないが信長は凄い家臣想いよ
本当に能無しだったり、決定的な失敗した奴意外は割りと矯正させてなんとか
使おうというか、もうちょいしっかりしろよって手紙に書いて通牒してるぐらいだし
秀吉は昔の同友、同胞でも邪魔だからって理由で討伐命令だして切腹させまくったし
信長に比べて大分鬼畜
家臣の女房に手を出しまくってた時点でも倫理観の欠如した奴だしね >>123
明智憲三郎とかいう、自称・光秀の子孫が発行した陰謀本に毒されたんだろ>>60ちゃんは >>125
お前が野垂れ死にしたって聞いて涙流して、息子を再登用したんだぞ信長さん そりゃ源氏のエリートなんて他にいねーだろ
当の信長より遥に出自が上 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています