小さい頃からアニメの絵を描くのが好きで、学校の絵画コンクールで入賞することが多かったという萌さん。

「京都アニメーションで働きたいんだ」との一心で、高校卒業後の一年はアルバイトをしながら絵の勉強を続け、念願かなって入社が決まった。
「受かったよー」。うれしそうに報告に来た姿が忘れられない。

 大工だった祖父の岡田さんは、絵を描くために傾斜をつけた手作りの作業台をプレゼントした。
「仕事は楽しいよー」。萌さんに会うと、いつも充実した様子だった。
岡田さんの誕生日には、電気シェーバーや辞書などをプレゼントしてくれた。家族思いの自慢の孫だった。

最後に会ったのは一週間前。
「よっ、じーちゃん」。萌さんは気さくに声を掛け「元気にやってるよ」と、たわいもない会話をした。
「まだ聞けてなかったが、将来の大きな夢もあっただろうに」岡田さんは声を詰まらせた。

萌さんは事件当日、病院搬送者のリストに名前はなく、行方不明者の中に名前があった。
遺体が一時運び込まれていた京都府警察学校へ娘夫婦らが向かったが
萌さんの確認には至らず現在はDNA型鑑定の結果を待っている。

https://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2019072002000284.html