丸ごと1本を低温で30分かけてホクホクに揚げたさつまいも、細切りにし一気に揚げた花のようなにんじん、衣はパリッと中はみずみずしく揚がった太いアスパラガス…。
「てんぷら 近藤」の天種には野菜が多いが、もともと江戸前の天ぷらは魚介が中心で、野菜は「邪道」とされていた。
また、素材本来の味を生かすために薄い衣で余計な油を残さず揚げた軽やかな天ぷらもかつてなかったもの。独自のスタイルは、18歳で就職した「山の上ホテル」で育まれた。

■「山の上ホテル」には天ぷらの職人を志して就職されたのですか?

近藤氏:
まさか(笑)。小学生のころに父を亡くし、忙しい母を手伝って子どものころから料理はしていたね。薪でご飯を炊いたりしてね。
料理は身近でしたけど、この道に入ったのは「料理人になれば、食いっぱぐれることはないだろう」というくらいの動機ですよ。
商業高校を卒業し、就職する時は和食をやるか洋食をやるかも考えてなかったな。「山の上ホテル」の面接で、創業者の吉田俊男社長(当時)から「お前は和食の顔だ」と言われて「てんぷらと和食 山の上」に配属されてね。
天ぷらを揚げるようになったのは、入社半年目くらいにたまたま担当したからなんだよ。

■天ぷらの技術は先輩から学ばれたのですか? 

近藤氏:
それが、天ぷら職人が独立するということで辞めてしまって、先輩がいなかった。だから、私の天ぷらは独学なんですよ。
なけなしの給料で料理の本を買い集めては営業時間外に練習して技術を身につけた。上からとやかく言われず、アイデアを自由に試せたのは良かった。それから、私の師匠はお客さん。

「山の上」は池波正太郎さんや土門拳さんといった文化人も常連客に多く、舌が肥えたお客さんに鍛えられたのでしょうね。


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