両陛下が確立した平成の皇室像 乗り越えた右派の批判


美智子妃は63年に第二子を流産するが、引きこもらず、皇太子とともに山口県を訪れ、
懇談会に臨んだ。
だが右派にとって、天皇と皇后は決して対等であってはならなかった。
彼らは昭和天皇のような神格化した権威を、次代の天皇にも求めようとしていたからである。

右派にとっては、人々から仰ぎ見られ、高みから提灯を振る天皇こそ理想の天皇であった。
だが彼らの期待に反して、こうした天皇像が平成に定着することはなく、それとは正反対の
天皇像が定着してゆくのだ。

彼らにとって、常に天皇に寄り添う皇后の姿は、目ざわり以外の何物でもなかったのだ。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190425-00000051-sasahi-soci