理解できないなら、それは史学の入り口にも立てないゴミ。
起った事を、淡々と調べる作業を「実証主義」いう。

それを味付る作業をアナール法という。


史学を探究するなら、全てに於いて中立であれ。
例えば、朝鮮人は薄汚い風呂にも入らないブドウ土人であるが、実はそうではない、彼らこそが世界を導く者であると心を開こう。


無駄な作業ではあるが、心を中立にし、資料と向き合う作業が死ぬまで続くわけだ。思想を捨て全ての可能性を排除しない作業が出来るかね?


日本人でも、釣り目は出来ない作業だな(・ω・)