「これからも妻とこのような登山の楽しみを見出せたら」

 趣味の一つに、山登りをあげられている皇太子さま。宮内記者会の記者たちと一緒に、山登りを楽しまれることもあると聞く。1988年2月、28歳の誕生日を前にした記者会見では結婚を富士登山に例えて、

「七合目、八合目ぐらいといったところでしょうか」

 とお答えになったこともある。

「山と渓谷」(1996年1月号)には「山と私」というエッセイが掲載され、これが皇太子さま初の雑誌へのご寄稿となった。この中では雅子さまとの登山について、

〈最近、私は妻と東京都の最高峰雲取山に登った。山は冬の装いを呈し、吹きつける風は冷たかったが、すばらしい眺望に恵まれた。この山は一五年前にも登っているが、山頂から重畳たる四方の山々を望み、登山の醍醐味を改めて感じた。また、ふたりでこの光景を目の当たりにし、東京奥深くの晩秋の自然に接することができた喜びも味わった。私は、これからも妻とこのような登山の楽しみを見出せたらと思う。〉

 と生き生きとした筆致で綴られている。雅子さまについて、皇太子さまが具体的に何かをお書きになったり語られたりすることは、とても珍しいことのように思う。
「私の視野を大きく広げてくれた『水』に感謝」

 皇太子さまといえば「水」への強いご関心をお持ちであることで知られる。4月4日には、水にまつわるご講演9篇が収められた『 水運史から世界の水へ 』(NHK出版)が刊行された。同書の「はじめに」には、「水」への感謝を述べられている。

〈水問題は、あたかも水がどこにでも流れていくように、世界の紛争、貧困、環境、農業、エネルギー、教育、ジェンダーなどさまざまな分野に縦横無尽に関わってきます。(中略)水を通してこれらの問題に関心を持つことができたことは、とても有意義であり、私の視野を大きく広げてくれた「水」に感謝しています。〉

 昭和天皇や今上陛下が生物学の分野を研究されたのに対して、皇太子さまは学習院大学文学部史学科で学ばれた。同大学院でも水上交通史の研究を続けられ、オックスフォード大学大学院へ留学された後に、初の著書『テムズとともに』(学習院教養新書)を上梓された。

「父母に」と献辞のあるを胸熱く「テムズと共に」わが書架に置く

 美智子さまは、1993年にこのような御歌を詠まれ、母として皇太子さまを誇らしく思われるお気持ちが伝わってくるようだ。

 実は最近、皇太子さまは「学習院大学史料館『ミュージアム・レター』No.40」(2019年3月20日発行)に、両親である天皇皇后両陛下への思いが読み取れるような文章をお書きになっている。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190414-00011420-bunshun