乱妨取り

当時の軍の兵は農民が多く、食料の配給や戦地での掠奪目的の自主的参加が見られた。
人狩りの戦利品が戦後、市に出され、大名もそれら乱暴狼藉を黙過したり、
褒美として付近を自由に乱取りさせた。
それら狼藉は悪事ではないとされた。

ヒャッハーーー!!!

大名は食料獲得のため隣国へ戦争をした。
その結果として領土を獲得し、家臣団に与えて下克上の芽を摘み取った。
その上で、戦場付近の村を襲い、農作物を根こそぎ奪い、女・子供をさらい売り払うか奴隷にするかした。
女性奴隷の一部は、交易を行うポルトガルによって欧州やタイ、カンボジアに性奴隷として売られた。
人身売買の相場は、通常2貫文(約30万円)であったが、大量に乱取りが行われる戦の直後は25文(約4千円)に急落した。
女性を強姦し、抵抗する者は殺した。

ヒャッハー!!!