武田信玄って本人の実力じゃなくて家柄血筋でお陰で戦国大名面してただけだよな
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武田八幡宮 本殿の改修始まる 40年ぶり、8月完了予定 韮崎 /山梨
毎日新聞2019年3月8日 地方版
武田家の氏神として尊崇を集めた武田八幡宮(韮崎市神山町北宮路)の本殿工事が7日、始まった。
約40年ぶりで、主に屋根を改修する。8月ごろに完了予定という。
本殿は武田信虎時代に建設が始まり、1541年に子の信玄が完成させた。
ヒノキの皮や竹を細く整えた竹のくぎを使用した檜皮葺(ひわだぶき)屋根で、
19…この記事は有料記事です。
https://mainichi.jp/articles/20190308/ddl/k19/040/220000c 家康をフルボッコにしたから評価されてんだろ
これは味噌じゃ! >>5
基本的ににってアンタ
秀吉なんて良くて足軽出身でしょうが 信玄にビビってクソを漏らした家康は一体なんだったんだ >>9
秀吉は特殊な例でしょ
信玄も信長も家康もええトコの子 家臣団による主君押込で大名になったお飾りの傀儡大名だったといいたいのかな 家康と北条自分で裏切って窮地に立たされ
信長に必死の命乞いしてたね 逆だろ
諸国連合の盟主にすぎない立場だったのを(親父のおかげもあるが)甲信連合の独裁者になれるぐらい凄かった
この独裁者が跡継ぎは息子の勝つよりじゃなく孫の信勝な、と遺言したことが甲信連合の武田独裁の崩壊のはじまり
そりゃ独裁者からお前は後継じゃないといわれた奴には従わないわな >>19
何言ってんだよ
戦国時代下剋上
その典型かつ天下人
実力主義だった時代の象徴じゃねーかw 上杉謙信があいつはやることなすことえげつないと切れてる
まあ、後世の目で見れば、どっちもどっちなんだが >>20
信玄だって若い頃は負けてるけどな
小さな戦いで経験積めなかったのが気の毒だろ
いきなり大陣営からスタートだもん
それもまた高難易度かと 家格とケンカの強さを一緒くたにするからおかしなるんよ 戦国武将も基本的に殆どが親の地盤を受け継いでるからな
まあ、地盤がなくても何らかの恩恵を受けてる
秀吉と道三ぐらいか?
ガチの成り上がり者は? 秀吉道三も大変だけど
毛利元就も自分があの立場だったら絶対心折れる 戦国時代トップクラスの奸雄のイメージ
大河の直虎で寿桂尼の怨霊に呪い殺されるシーンは胸がすいた >>30
あんた家康がどんな幼少期だったか
恩恵どころか人質スタートやで >>1
家柄だけでここまでやってきた安倍さん麻生さんを批判するのか? そもそも三傑からして大変な人生歩んでる
信長も尾張統一まで大変な苦労してるわな 大工の棟梁だろ。真田安房守が親方様〜!と言ってたし 幼少期の家康とか結構な高待遇だけどさ。
信長も爺さんぐらいからの地盤があるからまあまあだと >>33
松平家の跡取りだってことで家臣団もいたし義元も取り立てたわけだしなぁ >>38
だから三傑
信長、家康も血筋良しとは言い難い
尾張にしても管領は斯波氏だったろ 血筋が無ければ人質にもなれんしなぁ
つまりそれだけの勢力があったわけだよ
家継いだからって苦労が無いわけでも軽いわけでもないわけだけどな >>40
松平家自体が吹けば飛ぶような少勢力やったやんけ 家柄血筋ってよくある自称源氏庶流だし親父の代まで甲斐一国もまともに支配できてなかったんだけど 秀吉の出自のネタが出ると
大体、明の朱元璋の名前が挙がる
乞食から成りあがった皇帝 >>43
義元が一族の娘を娶らせて懐柔しようとするくらいの影響力はあったよ 頼朝=血筋・家柄だけの無能
尊氏=血筋・家柄だけの無能
謙信=血筋・家柄だけの無能
信玄=血筋・家柄だけの無能
政宗=血筋・家柄だけの無能 >>50
少なくとも三傑は血筋で「大名」
江戸期の基準で言えば1万石か
を得たわけじゃない
三人とも自力でのし上がってる >>48
そら娘をやるにしても対等に近い相手じゃないと家の中にも不満が出るからな 小なりとはいえ領主であるだけ土台で強みじゃね
譜代がいないことが秀吉の悩みだったしな
どっちもそこから自力でのし上がったのは確かだけどね >>54
つまり松平家の地位は地方豪族、家臣程度のランクで尾張攻略の足がかりのために懐柔しとく程度
大名でもないし良血でもない >>51
北斗の拳みたいに
後継者以外の兄弟皆殺ししちゃったのが
オスマントルコ帝国 基本的に名門扱いされてる大名達もグダグダ煩い家臣や国人達を黙らせるなりして実力で統治構造作り上げてるわけで >>59
謙信ですら嫌気さして出奔したというからなぁw 戦国大名でサラブレッドで有能なんて逆に思いつかんw 家康は祖父、父が家臣に殺されてるからなぁ
兵法の達人になったのは大名の趣味と言うより自衛の為だし 武田信玄の子孫は抵抗出来無い花魁達を虐殺した人間のクズ共
そんな先祖達を誇りにする現代の武田信玄の子孫共は
一人残らず花魁淵で切腹して花魁達に詫びろ >>57
ん?そうだよ?
でもゼロからのスタートではないわな >>53
パッパが熱田押さえてくれたからノッブが飛躍出来たんやで >>65
スレタイはゼロスタートを意味してないだろ
信長、秀吉、家康
血筋で戦国大名になってない >>66
島津は
四兄弟の祖父忠良のおかげ
個人的には忠良のほうがひかれる >>71
ワケわからんなぁ
それじゃ信玄が勢力拡大したのも評価しないの? >>75
信玄は甲斐源氏
クーデターで家督を奪ったにせよ甲斐一国スタートだからなぁ
もちろん大変ではあるが信長よりかマシだわ 騎馬隊が強すぎた
馬が凄いだけで人間は大したことない 武田の棘みたいな小山田や穴山が甲斐の中に有ってだな… 戦国末期の大名なんてほとんど成り上がりだろ?
家柄大名はほとんど滅んでるじゃん 程度問題だろ
家柄血筋で戦国大名としてやれてたのて義元くらいだろうと思うが
その義元もお家騒動家督を巡る戦はやってるし 少なくとも信玄は甲斐源氏で甲斐守護職を最初から世襲してるわな
家柄血筋の点で恵まれてたのは事実 >>79
本当の成り上がりなんてほぼ少なくて、大抵はちゃんとした家柄ではあるけどな 信虎「ちょっと娘んとこいってくるよ」
晴信「ゆっくりしてくるやで・・・」 >>67
宇喜多直家は裸一貫からだが、祖父の代では領主で
その祖父は名将として幕府にも知られてたほどの人物で
母親は旧主家の浦上家と繋がりがあり、それで再仕官できた
裸一貫からと言っても人脈はあった
とは言え、祖父を陥れ領地を奪った人物との
政治闘争に勝てなければ、また裸一貫に逆戻りの厳しい状況ではあった 信長の野望なんかでの武田家は初っぱなから強すぎ
兵力さえ整えばいきなり今川や北条潰して 東日本はあっという間に武田の天下 >>88
さすがに過大評価しすぎだと思う
まあ、人気大名の人気ある武将たちだししょうがないか >>90
信長に直接対決を避けられながらジリ貧に
追い込まれて勝頼と同じ最後だったろうと思う 長尾氏 元から関東管領上杉氏の家宰として越後任されてた
武田氏 鎌倉時代前から甲斐源氏として甲斐の支配家
毛利氏 室町時代の山名氏・大内氏家臣時代から安芸国内屈指の領主家
伊達氏 種宗の代から陸奥守護の家柄 なんだかんだ江戸時代まで甲斐の武士団の精強さは受け継がれてるワケだろ?。
だったらそれを纏めてた武田の凄さってのは前提としてもいいんじゃないの。 スレ建てたやつが戦国大名と守護大名の違い解ってなさそう >>92
三方ヶ原の時点で織田と直接対決してるやん >>30
竜造寺隆信なんか
地盤無くして流浪してるけどな >>14
アホはお前 信長はたかが守護代の家
もっとよくお勉強しましょうねw 風林火山で実の父親を追放した悪いイメージがあるけど
実際はどうなの?父親の方が悪役だったとか >>103
次男に家督を継ごうとしたから逆恨みで父親を追放して武田家を乗っ取った >>74
どこがそれなりなんだよ全部優秀じゃねえか >>77
お前もしかして当時の騎馬隊がサラブレッドだと思ってねえか? 信玄や謙信があと五年元気だったら織田はどうなってたかな >>103
国人に圧力加えて自分の権力確立しようとした父信虎
それに国人が甲斐武田家の嫡男だった晴信=後の信玄を擁立して自分らを抑え込もうとする信虎を追放したクーデターよ
良いとか悪いとかの話じゃなくて権力闘争
大名個人の権力を強化出来るかどうかが守護大名から戦国大名への脱皮に必要な事 >>103
当時の風習からして殺されないだけマシだったと思え >>99
早雲は最近の研究で幕府の執事というのが判明しているから。 >>89
何で勝頼入れてんの?武田家最大版図築いたんだけど? ま、勝頼くんは親父が裏切り繰り返した所為で周囲が武田だけは許さんモードになっちゃったからなぁ
諏訪勝頼として扱われてたのをいきなり武田当主にしたって、そりゃ周囲は今までどおり諏訪勝頼として扱うわな いくさで傷ついた家臣を発掘した温泉場へ治療へ行かせるような
福利厚生の充実企業だぞw
いまなら、一部上場企業だw >>1
家柄血筋でどうやって拡大政策やるの?本人の実力で領土を増やしたから川中島で5回も謙信と戦うハメになぬたんだけど。 >>109
その五年で信長との差がもっと開いてたと思うわ
特に信玄は勝頼と同じ道に突き進むのみ >>115
最大版図いうても1割も拡大してないし
長篠はともかく御舘でやらかして滅亡の原因もろに作ってるし >>93
毛利氏だけ下じゃないか
他は探題、守護、守護代とかのクラスやし >>109
信玄なんて戦が終わる度に地元に帰還を繰り返してるから長生きしても変わらんよ スレタイよりも ID:o8c/4r+T0 が気になって仕方が無い。
何が気に入らなかったんだろう 武田信玄は偉い人だよ
問題は息子なんだ
武田勝頼が馬鹿すぎて、この馬鹿のせいで一発で滅びた・・・ >>99
室町幕府政所執事伊勢家の分家の人物
大河やるなら花の乱とつなげられる >>82
お前のレス見てると信玄は大したことない気がしてきたな
ミーハーっぽいけど信長 秀吉 家康は別格なんやな 信長は勝頼を評価してただろ?
偉大な親父を持ってしまった上に正統な嫡男でも無かった故に無理をせざるを得なかった、
「気の毒な御仁」みたいな事を言ってた気がするが >>118
インサイダーを恐れて大量殺人とはたまげたなあ
武田家滅亡後と明記してあるけど
合掌 >>130
評価ちゃうやろ
哀れんでただけ
あまりにも凡蔵で思わず同情してしまった
全く敵にならないので、どうでもよかった >>127
信玄が偉大すぎただけで、勝頼をバカすぎるとこき下ろすのも偏りすぎ。 信玄の嫡男が謀叛起こさなければ勝頼も平和に暮らせたんやろな >>135
諏訪の領主として暫くは安泰だっただろうけど
どっちみち信長に飲み込まれるのは運命かw 先代との落差が激しいバカな跡継ぎは
秀頼が頂点で次点が輝元だろ >>104
兄弟仲はすごくよかったんだよな
信繁が死んだときに信玄は号泣したらしいし
尊敬も集めてたみたいで真田幸村の本名の真田信繁は武田信繁から取ったんだよな >>135
信玄って自分のせいで北条家に嫁いだ長女も離縁されて失意のうちに早死にしてるしな
領土拡大の為に権謀術数を駆使し過ぎて家庭崩壊してるんよな >>137
秀頼って従来のバカ殿評価から、ちょっと再評価の動きもあったけど・・・
親父が余りにも偉大過ぎてw 生半可がどうにもならないもんなぁw >>141
秀頼「ちょ、お父さん(三成)の事、過大評価すぎっしょw」 >>137
輝元は防長二国になってからは悪くないよ >>137
輝元は馬鹿だが、同じ元就の孫の吉川広家の救いようのない馬鹿っぷりに足を引っ張られたと思う >>143
「それは、腰味噌じゃぁ ボカッ(鬼作左を殴る音)」 出来のいい弟を世継ぎにしようとしてた親父の目は確かだったな。周りの者はまさか信玄が50で病死するとは思わなかったろう。武田滅亡の責は信玄担いだ重臣どもにあり。 >>129
三傑の中でもさらに秀吉は抜きん出てると思うわ
仕えた主に恵まれたとはいえ信長が討たれた時点で自分より格上家臣はいくらでもいたからなぁ >>144
関ケ原後のあの苦境を乗り切っただけでも大したもんだよ
6国返還させられて、領地80%削減なんて今の会社に置き換えたら倒産確実だし >>143
なんとか脱糞乙っていたよな
誰だっけ? >>149
勝利条件を見つける柔軟さが他の二人には無い何よりの強みだと思うし、それが秀吉の魅力
何をしたら相手を上回れるかを常に考えて思考停止しない
晩年の耄碌は老いと言うか何というか、頼れる後継ぎと忠誠心の強い譜代の臣下を持たない者の悲哀だわ >>143
その名前からして悪口なんだよなあ。。。 >>153
家臣団といえば家康だなぁ
嫡男を今川に人質にとられたところからよく盛り返したわ 歴史上の人物を現在の価値観や規範に基づいて批判するのは愚か者 >>156
秀吉「徳川殿は得をしておられる」 って小説でも言われてたw >>22
どっちも人身売買やってたんだよな
身内が身代金払うと解放してやったけど
謙信は比較的良心的な額だったけど信玄はえげつない額を請求したとかどっかで見た 信玄のころは、金山で金の採掘が出来たから
家臣への褒美には困らなかったのがよかった。 謙信の人質解放の額はざっと拘束期間の食費程度 ケジメの面が大きい。
あおそを輸出してボロ儲けしてるので、人質で金儲けするほど貧乏じゃない。 騎馬隊強かったって時っていつなの?
大体は調略で城落としてたよね >>33
人質になる価値があったってことだろ。俺らじゃ人質スタートもできない 昔は血統は人心掴むために必要でしょ
時代は違うけど北畠も後醍醐に「よくわかんねー素性の男(多分楠木の事)起用してんじゃねーぞ(ドゥクシ)」
とか言ってたし 実力で下剋上可になると世間が荒れるから弱者が一番被害被るんだよな
血統崇拝は庶民にこそ必要だったのに 一応家康苦しめたからな
武田ageといた方が徳川の面目が保てる いやいや周りに才能も力もあるやつがゴロゴロしてるんだから、それをまとめるだけでも凄い実力だよ 歴史ある血統ってそれだけで現代でも権威になるわな
一番解りやすいのが天皇家でしょ
天皇家の血統が審議される事があるけど、戦国大名を祖先にもつ家の血統を調べたら
途中で養子を入れたりしていて大体が明らかに血が途切れているんだよね
そう言う意味で天皇家の権威って世界でも稀有な格別なものといえる >>141
あそこから一人で徳川倒して豊臣の天下まで盛り返したら
清の康熙帝並みの評価だろう秀頼 甲斐武田は清和源氏の流れの庶流だっけか
そこそこの名家だけど一番の功績は
甲信の諸豪族まとめて戦国大名になったことだろ 信長でさえ正面から戦うことを避け続けた
信玄には土下座外交でご機嫌取り続け、寿命で勝利
が有力家臣が多く残ってるため勝頼の代になっても警戒し続けて
長篠の戦いですら、倍以上の兵力があるのに野戦陣を築いて自分から攻撃をしかけようとはしなかった そもそも災害多発列島な所為で、危機にあって空気を読めず、統制に従わず
身勝手するような奴の血は淘汰されてるのが本邦なわけで
日本人でも身勝手な奴はそりゃ居るけど海外はレベルが違う 信長は敵対勢力に包囲されてたから戦略的に正面に立たなかっただけ
他が片づけばいつでも武田勢は駆逐出来てるよ 実際勝ちまくってるから強いんだろ。
たまに村上とかに大負けするけどだいたい勝ってるから 戦国大名なんて、今で言うところのヤクザみたいなものだろ
家臣A「オヤジ、駿河の今川組の義元が京に上るそうですぜ」
信長「なぁにい〜?行きがけにこの尾張もぶん取るつもりか…」
家臣B「オヤジ、ここはこっちから出向いてタマぁ獲ってやりましょう!」
信長「よっしゃあ!駿河の今川と戦争じゃあー!」
何でこんなに崇め奉られるのか理解に苦しむ >>177
実は結構本気で増援してたんだけど
ガチで負けた
徳川の捏造改変で、織田のせいにされた説濃厚 元亀年間に京都にいた宣教師が信玄をその強さで恐れられていると記しているし
熱心な仏教徒である信玄が織田を破って上洛してくることを危惧している
当時のこうした空気から言ってもどう考えても弱小じゃないだろ >>181
援軍の武将が重臣なのに兵数が少な過ぎておかしいのだっけ?
仮に織田軍2万徳川1万くらいだったとすると後の長篠の戦いで織田徳川3万に勝頼が正面突撃したのも勝算あっての事だったのかなと思いました。 ある一定数以上の集団をまとめるには
本人の能力より回りに有能な人材がいるかどうかだろ
まあ戦国時代とわず現代でも同じだとおもうけど >>184
統帥はそれらをまとめる能力だからなぁ
大抵は将器どまりだろ >>181
平手と佐久間って重臣中の重臣だしな
それで援軍が少ないとか言われたら、信長だってたまったもんじゃねぇわ >>181
家康が下手くそな指揮してボコボコにされたのを織田の責任にしたかったんだろ。 >>184
有能なものを積極的に登用できるのがトップの能力
外様の光秀や下人の秀吉を重用するのは信玄じゃ無理だと思うが そりゃだって信長は煩い国人や親族の多くが弟を神輿に自分に謀反したのを潰してるからな
煩い事言ってくる連中が物理的に少ないのよ で、拡大速度が早すぎて謀反起こした連中も許して仕事させないと回らない
光秀や秀吉みたいなのも使わないと足りないのが織田家
なお、年々ひどくなる模様 やってることは山賊なのに家柄いいから戦国武将に数えられてるだけ >>181
佐久間信盛は戦わずして逃げたけどな。戦死者ゼロってありえん >>108
当時の武田騎馬軍は多分木曽馬だったと思うが140センチ400キロの馬が時速30〜40キロで突進してくるの脅威に感じないの? >>139
家康を死ぬまでまでダチ呼ばわりしてたぞ。許されてたし。
蹴鞠も上手く、信長の前でも蹴鞠できる超絶鈍感力。
人生勝ち組だぞ。 >>156
しかも超メンドクサイ三河武士団だしな。
平成の悪質クレーマーやツイッター馬鹿なんて可愛いくらいの狂人ぞろいだからな。
家康の能力疑う奴は一度ト〇タにでも商談行ってみると良い。
家康の苦労とあれを束ねて天下を取った能力の凄さがわかるぞ。 長曽我部もわりと成り上がってるよな
小領主から一度滅びてから復活
元親がもう数年長生きするかもう数年早死にしとけば土佐藩主だっただろなぁ そもそも武田信玄公自ら率いる武田の鋼鉄の騎馬軍団は一人あたり十人の織田農民兵を蹴散らしたというからな
要するに武田軍25000は織田軍25万に匹敵するってこと 資源が乏しいあの土地で成り上がれたのが凄い
さすがに勝頼の時代になったらほぼ詰んでたらしいが オレ、孫子の生まれ変わりちゃう?
と思ってたらしいよ。 >>16
歴史は得意のようだが、もう少し国語を学んだほうがいい 一から成り上がった奴はあんまりいない。
世界的にも。
ローマは1日にしてならずで、強力な軍隊やインフラを整えるには時間が掛かる。
アレキサンダー大王だって親父が積み上げてくれなきゃあそこまでできない。 >>49
尊氏は人徳が有ったと思う
なんど負けても人が集まってくる 割と天下取れそうな条件整ってそうだったのに何がダメだったんだろうな >>30
秀吉は信長の兵隊を貸し与えるシステムがあったから兵力動員できるようになったし、道山もスライドして乗っ取ったんで一からは構築してないな。
>>36
家康は地元に家臣団いたでしょ。 孫子の兵法の体現者
慎重に機を見極めすぎて寿命が先に来た 道三なんかも今は親子二代説が有力だし
戦国大名も基を辿れば土豪や国人領主だわな >>108
サラブレッドが現在の体躯になったのは19世紀から
ナポレオンの軍馬も体躯はポニークラスだった
https://www.afpbb.com/articles/-/3092018
よみがえるナポレオン最後の愛馬、仏パリ >>130
実際はどっちも変わらんよな。
旧態然としたシステムで国を回してたから、強力な中央集権が築けなかった。
地元の豪族達と押し競饅頭してるようじゃ先はない。 馬は大きければ大きいほど当然餌の量も増えるから
一頭二頭ならともかく軍で使うならデカけりゃ良いってモノじゃない 武田信玄と上杉謙信、どちらも戦国最強と言われてるが、どっちかが1位か構わんが
次世代で武田は滅んだので暫定1位に上杉としよう
僕が選んだ戦国ベスト10だ
@上杉謙信
A武田信玄
B織田信長
C島津義久
D羽柴秀吉
E新沼謙治
F毛利元就
G徳川家康
H北条氏康
I伊達政宗 >>209
おいらは、まったく逆のイメージだけどなあ
どうにもならない条件だったのに何とかした、あそこまで粘ったという感じだけどなあ
コメはろくにとれず
水害や冷害続きで、配下の豪族の忠誠心なんぞそもそもなく、なけなしの食料をかき集めて
豊かな他国を攻め続けるしかなった
戦で死ぬか、飢えで死ぬか、他国から奪って冬を越せるか
そんな中で父親が築いた外交と方針に沿って信濃に進出し続けた
信虎がすげえ傑物で死ぬまで甲斐の為に戦ってるんだよね 秀吉は特殊としても信長、家康、信玄、謙信は元々大名格だからな
弱小国人から大大名の毛利元就が一番やばいわ >>199
その2万5千の内、1人で10人を蹴散らす鋼鉄の騎馬兵は1000人くらいなので、武田軍2万5千は織田軍3万5千に匹敵する 勝頼は親類衆のひとりだから武田家運営すんのは無理な話
あの立場で信長と敵対したら誰でも滅亡してた 戦国の大迷惑自称正義の味方上杉謙信は別世界の人
自然災害や異世界からやってきた自衛隊が中世の軍隊に無双するようなモノ
対謙信特別ルール
戦わないで引き分けるで勝ちが付く。 鍋島の三代に渡る龍造寺乗っ取りは見事と言っても良いんだがイメージ悪いんだよな
化け猫騒動とか >>221
そんな酷くないだろ。金出たし。
>>226
弱小だけど大江家だから家柄は良いぞ。 信玄の初期部下は村上義清にぼろ負けで死んだ割にはゲーム評価が高過ぎる
板垣、甘利は大幅に下げるべき
あと山本勘助も この時代は家柄血筋良くても、雑魚だとサクッと殺されるから
下手に名のある家に生まれたら怖い >>231
勝頼の時代には当時の技術で掘れる分は枯渇しつつあったらしい
あと、山国ゆえに輸送のしんどさがなー >>79
相馬、佐竹、上杉、武田、今川、土岐、北畠、大内、島津とか、けっこう有るのでは >>229
関東出兵は青田刈りが目的って話もあるけどね
というか戦国中期くらいまではどこもそうだった説
たまたま関東は関東管領とか関東公方とかいてそれで名義があったからそれを使ってただけ >>232
ヌルゲーも良いところだからな初期武田家は、信長元服くらいのシナリオなら近隣小勢力飲み込みながら中部に出て行けるしそのまま織田と斎藤を飲み込んだらもう天下統一待った無し >>236
本家は滅んだり衰えたりしたのに、その一族が出世し大名になったとかあるね
京極や細川、大友の立花、赤松の一族で久留米30万石になった有馬
光秀は所説あるけど明智氏は土岐一族 兵は強いが兵数が少なく食料も多くはない
補給線の関係で、仮に生きていても京には行けなかったとみる 家柄だけで最高の地位についてるのも
現代にいるじゃん
天皇家 鬼義重の佐竹氏と武田氏比べたら、佐竹氏のほうが格上なんだろ? 新羅三郎義光だかの家系の嫡流が佐竹
武田は傍流だっけ
でも鎌倉時代から甲斐源氏として土着して力があったのは武田なんじゃないのかな
危険視されて鎌倉幕府からイチャモンつけられて力削がれてるし
佐竹氏は関東のなんだっけ・・・・変なルールあってそん中で縛られてる印象が強い 今鎌倉から生き残ってる(断絶して名前だけ復活とかじゃない)のは
島津と佐竹くらいか? >>247
上杉は?長尾家に名前あげちゃってるけど断絶はしてないよね? >>237
名目は北条に虐げられてる領主を救援が主たる目的なので、そんな事したら領主が一斉に離反してしまう。
上杉謙信の行動は当時の常識外なので判らん。
判ってるのはジャンピング土下座しとけば大目にみてくれる事かー 全盛期謙信公と長篠の戦い頃の織田軍が正面衝突したらまじで勝敗がとうなるのか気になる >>251
新潟出身の著者は地元の英雄上杉謙信の軍事にも言及する。上杉謙信は生涯に関東への出兵など国外遠征が20回を超えるという。
上杉謙信の出兵パターンは晩秋に出かけて年末に帰る冬型(短期年内型)は川中島の戦いに見られる北信濃への出兵に多い。
関東管領職を得た上杉謙信がその名目で行った関東出兵は晩秋に出かけて戦場で年を越し春に帰るタイプ(長期越冬型)であった。
農閑期・端境期の戦場はたった一つの「口減らし」の場であったと、著者は語る。
「収穫を終えたばかりの雪のない関東では、かりに補給が途絶えても何とか食いつなぎ、乱取りもそこそこの稼ぎとなった。」
1566 永禄9年、関東に出兵し茨城県つくば市にあった小田氏治の城を落とすと人の売り買いの市が上杉謙信の指示で開かれた。
「小田開城ヨリ、御意ヲモツテ、春中、人ヲ売買事、廿銭・卅弐程致シ候」(越佐資料)。
http://www.geocities.jp/npowaro/raku-84.htm 間違えて覚えてた
まぁ口減らし目的って説もあるよ、って紹介 >>241
那須、大田原、大関と本家も一族も大名になった那須家。 >>255
織田軍の行儀よさと比べて上杉武田のまぁ野蛮なこと 京極氏
鎌倉時代 評定衆 室町時代 四職 徳川幕府 国持大名 >>260
信玄死亡後に武田が歴史物ででてくるのは滅亡したときだし
しょうがない >>261
長島はウツケ時代から支持してくれた親族衆を皆殺しにされての報復で仕方がないが
伊賀は皆殺しだけどなぁ 道三の子供とされてる人らって
本当にそうなのか実は父親が違うのかよくわからんよね >>246
佐竹は清和源氏だから東軍についても徳川に疎まれるってネタのマンガあったな 伊達政宗と同じ。
伊達も既に曽祖父の時代には奥州探題守護で奥州一の名家。
24歳で奥州を制覇なんて言ってるが、
父輝宗は最上から嫁貰ってて、北側から脅威ない状態だったし、大勢力なのに、雑魚の相馬を破れなかったし、
内紛状態の蘆名に勝った以外小豪族にも手こずるマヌケぶり。
信玄も信虎が甲州を統一してた。
小勢力や下克上で成り上がった、
齋藤道三、毛利元就、長宗我部、
四面楚歌から領土広げた北条氏康、
この辺が評価されるべき。 政宗というチビよりムキムキマン最上義光の方が頑張ったね。 武田信長という冗談みたいな、でも実在する人物
通字が信だから当然そりゃいるわなって後付で納得できるけど 甲斐一国は20万石 死亡時甲斐信濃駿河上野三河北部飛騨で130万石は有ったろうよ >>268
あまり知られてないが
二代も嘘で、実は道三の爺さんの代からなのが最近の通説
ちなみに爺さんの名前は斎藤道一
な 秀吉は自身が城持ちになるまで支えた人たちにもエグいとしとるしな
ボケてそうなったのか、元々そうであったのか >>276
油売りからの大出世じゃなかったのかよ
秀吉もでかい庄屋のせがれだったんだってな 旧式の武将としては最強やろ。
だが通年で動ける職業軍人の軍隊作ったノブナガに負ける運命。
連邦制も仇になった。 気仙沼の田舎者が嫁に来ないか?と>>219を見つめている >>280
でも信長公記の一節にしかソースないんでしょ
信長常備軍話って
そうとしか考えられなくらい自由に軍動かしてるように見えるけども
あと連邦制って何? 道三や秀吉のすごいのは、
既得権の中でのし上がった発想力だな。 >>132
勝頼は信玄に負けずおとらずの器だから気を付けろって信長の書簡になかったっけ 甲陽軍艦って昔は馬鹿にされてたのに
使われてる語彙の分析だかで成立は同時代だったかと見られてて再評価されてたりするし
有力視されてる話もなんだか
→空しいね(通常人)
→オモローね(沼) 実力ありすぎるだろ
上洛で徳川滅亡まであと一歩のを逃がして、織田がションベンちびってる時に死んだ運の悪さはあるけど >>282
全軍プロ兵士ってわけじゃなかったろうな
しかし半数以下だとしてもいつでも動かせるプロ兵士の存在は大きいだろう >>282
信玄配下は独立した豪族衆でいわゆる家臣団とは異なるってことだろ >>255
関東管領を名乗って、関東諸将の期待を背に出兵してるという名目なのに、
厳しい季節になるといつも北からやって来て、厄介払いの貧乏兵士達が乱捕りを恣にし
そこを支配するでもなく暖かくなるとさっさと帰って行く、って
地元の民にとっては、悪鬼か何かの集団みたいな感じじゃん。 信長の織田家なんか守護職の斯波家からみたら家来のそのまた傍流 それ言い出したら大半がそうだろ
問題先送りにせざるを得なくて勝頼に全部一気に降り掛かる結果になったんだが >>10
ただの逸話
昔の人は死体が糞尿垂れ流してるのを見て怖いからだと思い込んだ。死んで筋肉が弛緩しただけなんだけどね。
家康もそれぐらいビビったというお話。怖いから糞垂れ流しということにはならない。 信玄が無能と言うわけではないけど
中央集権化しようとした信虎を追い出して当主になった経緯もあるから
しわ寄せが全部勝頼に行っちゃった >>302
ついでに食い逃げもしてるんだよなあ。。。 >>297
信玄時代の武田家は苅田目的の出兵パターンが見られるらしい
(平山優 川中島の戦い)
徳川家が勝頼時代の武田家相手にやってたりするし
…まぁ謙信の方がまだマシ・・・んー >>255
長尾上杉家はそういう武家の台所事情で動くところがある
大減封食らったときもリストラできなくて以後300年間領民にしわ寄せが行った。
一度天領召し上げになった領地が幕末に上杉に返還されたときは一揆が起きたくらい このスレのやつ詳しすぎ
学者かマニアか前世関係者か >>132
おまえ、良く知らないニワカ知識で何を鼻の穴おっ広げてしゃべってんだ?ww
勝頼は信長、家康にとにかくめっぽう強い武田の跡取りって言われてたんだぞ
バカが、物を知らないで人並の口をきいてるんじゃねーよw
少し勉強してからしゃべれ、カス。 領土があんな山間地のクソ田舎じゃなかったら天下取ってた マラソンで言うとイカンガ―
戦国時代のペースメーカー >>285
歴史専門外の国語学者が証明したんだよな
歴史学者()は「日にちが間違ってるからファンタジーだ」と決め付けて一顧だにしなかった
実は側近の口伝のまとめで語り手の記憶が相違してたってだけだったんだが、歴史学者はそこまで辿り着けなかった無能揃い マジレスすると甲斐国が滔々たる我が国歴史の中でフューチャーされたのって武田信玄の時しかない
これは凄い事だぞ
その次って言うと米長邦雄かレミオロメンか中田英寿になるんだからそのハンデさがわかろうもん?
恐らく武田信玄が尾張に産まれてたら日ノ本だけじゃなく世界制覇余裕でした 山梨の温泉は殆どが信玄治世下に発見されてますからね、ひょっとしたら信玄が沸かせたのかもしれません 信玄は病死だろうし若い頃から持病があったって話もあるから
無念ではあるが不慮の死じゃないんだよな
生前に後継者問題キッチリしておく時間はギリギリあったろうに
武田崩壊を招いたのは信玄の無策も重大な要因だろうよ 長篠の戦いがしくじったよなあ
まだ謙信が存命で武田とは敵対関係で、
後方に謙信、前方に信長家康は無茶だろ 織田信長も信玄にビビりまくって
逃げてばかりだったな >>322
でもノブの贈物が入った箱の漆塗りの厚さを見て「あ!ノブは本当に俺を敬ってるのかも!」ってガード下げちゃったハルも甘いよな 総理大臣:織田信長
幹事長:武田信玄
防衛大臣:上杉謙信 武田信玄は本拠を移せなかった、つまりそれほど豪族や国衆達が強い力を持ってたので動かせなかった、勝頼の代で新府に移したけど非難出まくった 信勝ならわからない 長篠で負けても武田家は立て直せた
天目山まで8年あるしな
勝頼の失敗は御館の乱で景勝に味方したことと、高天神城を落とした事で信玄より有能なんじゃないかという勘違いをしてしまったことだな
信玄が高天神城を迂回して二俣城を落とした理由が理解出来てなかったようで まあ独裁者になりきれない武田氏は滅びるべくして滅びたわけだな ブラタモリで信玄が関東の地に本拠移そうとその場所摩で決めてたってやってたよね
しかしそこはまだ北条の支配下だったという
信玄も甲府じゃあかんって思ってたんだろなあ
静岡じゃ信濃に出るに偉い苦労するし 御舘で北条武田上杉連合が出来てたらどうなってたんだろうな
東国は北条に飲み込まれるだろうし北条が五万単位の後詰めを動かしかねないのは織田徳川にとって相当脅威だろう 主導権は北条上杉がどういう関係になるのか分からんね
むしろ火種になりそうな気もするけど、類例ってあるのかな
武田は衛星国というか織田における徳川みたいなもんかどっちにしろ 1580年頃は武田はもちろん、上杉も織田にまともに太刀打ちできる戦力ないだろ?
北条も駄目じゃね、数で言えば毛利クラスだろ キングオブ無能の北条が関東にいなかったら世界史すら変わってた 信玄は家柄は新羅義光以来の名門かもしれんけど・・・
・耕地は少ないよー
・国内は3つくらいの勢力にわかれててあんまり言うこときかないよー
ってな状態で生涯部下の掌握に心をくだいてた。
川中島四回目から三方ヶ原が頂点だったろうね。で、やっとってところで死んじゃった。 >>328
>>335
御館様はハードモードかイージーモードかどっちやねん 武田に生き残る道があったとすれば
義信事件以降即座に勝頼に禅譲して自分は一歩引く立場の後見人として
自身の上洛を諦めて勝頼の中央集権化を庇護するぐらいしか思い付かんな >>338
自分の育てた宿将達をそのまま後継者に渡してやるのは難しいことなのだよね。
それも急死した場合は特に。
だからおっしゃる通り、譲って移行期間をもっておくのがよかったのかもしれないね。 「おんな城主直虎」での信玄の死に様の描き方は秀逸だった
脚本家の力量ってああいうとこに出るんだなって思った おまいらオタクって詳しいんだな。
要するに信玄が死んでなかったら
首都がわが山梨になってたってことだよな。 >>338
まあ秀吉が台頭するまで存続して臣従しかないわな いや…遷都してるんじゃ…
日本住血吸虫とかいるし、ツレェよね >>341
山梨は不便すぎるからそれは絶対にないな >>341
山しかないくせに山無しとか
ふざけた地名つけやがって >>302
うーん
その時、本人が描かせた自画像の掛け軸があるのだがあの掛け軸は嘘なのか? 家督を早めに勝頼に譲って、東美濃と徳川を滅ぼすことだけに留めておけば、勝頼も上杉景勝のようになれたかもしれない。 >>346
あの絵では脱糞したかは分からない
三方原ではなく長篠の合戦を描いた説もある
そもそも家康ではなく義直が描かせた可能性が高い まあ大変なとこだよ
雨が降りゃ川が荒れ 地崩れで街道が消え 米の生産に適し無い土地ばかりで
夏は暑く冬寒い
甲斐を貫く富士川は急流河川なもんで物流が大きく発展とはいかず
よくこんなとこから支配地域を広げていったもんだよ 浜松で脱糞しながら逃げる家康を仕留めれば歴史が変わったな(´・ω・`) >>346
今時しかみ像が家康本人が描かせたと思ってるなら周回遅れもいいところだぞww どのみち勝頼では宿将たちを抑えきれないだろうなぁ
いずれ反目し分裂、織田に突かれる未来ぞ 家康ってのらりくらりと生きてきて最後に棚ボタで幕府をって扱いされてるけど、
福本の漫画並みに死線を潜り抜けてんだよな。信玄に追い詰められた時も良く生きてたし、
伊賀超えなんて今で言う無理ゲーそのものだぞ。装備無しで竜王の城辺りからラダトームに帰らなきゃならんのに まぁ勝頼に早めに家督譲ったところで斎藤道三ルートになる気もするが
そもそもなんで義信の家臣が背いたのかも不明なんだよな 武田信玄の子孫共見ているか?。
お前達の先祖が仕出かした花魁達を虐殺した歴史は消えないぞ
早く地獄に落ちて地獄から花魁達に詫びろ 【三河最強伝説】
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 領土拡大を続けなくちゃいけないメカニズムみたいなのはあったんだろうかね
最終的には今川との同盟切って東海道に出てそっから西進っていう方向でいってその最初の時点で義信殺しちゃうけど
その時の他の選択肢って
・北信濃から越後へ→上杉
・関東でる→北条
・東美濃から西上→織田
しかないもんなぁ、詰んでるよ 北信濃越後ルート、村上とかいう化け物と謙信という魔神が出てくるハードコース、関わったら負け
関東ルート、長野爺さんとかいう化物がいるので関わったら負け
東美濃ルート、わりとマシに思えるが地形が味方してくれないし、織田はそのうち第六天魔王になる
駿河東海道ルート、今川義元は化物だったが氏真は組やすし。しかし家中分裂
あー、うん、最初から積んでるね 相模方面の北条は統治の構造的に
武田では絶対に勝てないからなあ Ifだと武田よりも斎藤義龍が早世しなければって方に可能性を感じる 北条の川越夜戦みたいな一発が長篠ん時にくるのを祈るしかない >>9
一応、母親が内裏に勤めていた時に
尊い御方のお手がついて生まれたって事になってるけど >>87
作品によるけどその優秀な武将の多さから物資不足になって軍事行動を起こせないことも多くて
ある意味皮肉になってる気がする 1位 豊臣秀吉 ,852 84勝8敗7分 (海外含むと, 741 106勝22敗15分)
2位 毛利元就 ,816 49勝9敗2分
3位 長宗我部元親 .764 39勝8敗4分
4位 島津義弘 .739 34勝6敗6分
5位 武田信玄 .730 46勝4敗13分
6位 織田信長 .719 59勝16敗8分
7位 上杉謙信 .707 41勝5敗12分
8位 脱糞 .701 47勝8敗12分
9位 北条氏康 .690 29勝8敗5分
10位 肥前の熊 .692 23勝4敗4分
12位 松永弾正 .600 18勝5敗7分
13位 宇喜多直家 .667 16勝6敗2分
14位 大友宗麟 .560 14勝9敗2分
15位 伊達政宗 .545 12勝4敗6分
16位 佐竹義重 .536 15勝8敗5分
17位 浅井長政 .533 08勝4敗3分
18位 最上義光 .524 11勝3敗7分
19位 朝倉義景 .522 12勝6敗5分
20位 里見義堯 .517 15勝9敗5分
これが強い順 >>333
毛利と北条は全然違うぞ
毛利はたかだか120万石で背後に大友(100万石クラス、長宗我部とも対立しながら織田軍と対峙してた(天正9年より前は織田長宗我部の関係は良好
北条は当時既に200万石近い石高があり武田上杉と結べば関東諸侯が束になっても太刀打ち出来ない
まあ、もちろん>>332の言うように同盟が機能するとは限らないわけだが >>367
伝説のフィッシャーマンこと島津家久は? 信玄袋の発明者やぞ 日本中のおばあちゃんが感謝しとるで >>372
尾張・美濃・伊勢 濃尾平野付近だけで150万石超えかよw
そりゃ天下も獲れる訳だw 動員能力が高いんだな 最近のノブヤボやると上杉武田はクソ領地過ぎて泣ける
反面織田は天下取って当然レベルの神立地 越後は内政に全力で取り組めば一国で自給できそうな気がするんだが39.1万石ってなんだよ
開墾しろ自称軍神 >>378
昔々の越後の国はかなり広範囲に渡り潟が広がっていたそうな
大規模土木工事できるようになって川の流れを大きく変えられるようにならないと水はけ悪すぎてどうしようもないってよ >>346
しかみ像自体家康の時代のものじゃないんだって最近わかったんじゃなかったっけ? >>372
こりゃ10万以下を24万まで三重のためにでっちあげた山之内のせいで土佐の人民は苦しむわな
今でも土佐では山内を殿様だと思ってる奴はいない、長宗我部が殿様
といいたいけど山内にTV握られて洗脳されつつある
これまんま今の日本と朝鮮のメディア戦略と同じ >>181
武田側が寡勢が執る戦法の魚鱗、
家康が多勢が少数を圧殺する為の鶴翼を敷いてたんだっけ。 >>369
毛利120万石だけど小早川と吉川合わせたらほぼ200万石な 川中島の戦いってサッカーみたいにキーパーとキーパーが見えるようにはじまったの? >>383
安岡章太郎が十津川郷士出身の作家なんだっけ
司馬遼太郎との対談で熱く語ってたな >>378
別に米だけ作れば良い訳ではない
青そでボロ儲けしてるから >>381
まぁ相当時勢が安定してないとそれに注力できる余力ないんでしょうね
加賀100万石(35.6万石)ってのの由来がちょっと気になりました
>>380
甥(景勝)への手紙で習字の手本とか送ってるから… 山だらけで各地の独立性が高い甲斐信濃をまとめ上げただけでも有能とわかるわ >>392
治水もやってたし
土木技術も高い
さらにスパイ網まで作ってたからな
情報収集もトップクラスの有能さだ・・・ >>394
めっちゃ簡単な話だったんですね
ありがとう 自民党の派閥の領袖の顔触れをみてみろ
世襲議員しかいないぞ >>361
信玄はそれが痛いほどわかっていたからこそ
北条との同盟を最重要視してた
嫡男の義信は北条と距離を置き、上杉と和睦して
美濃攻略を狙ってて信玄と対立、北条との関係悪化を恐れた
信玄は義信を廃嫡し、北条との関係を保った やっぱ、秀吉が一番スゲエ。
よくて足軽、へたすら百姓以下の身分から天下人だもの。
信長という能力主義者の下についたのも、
竹中半兵衛や黒田勘兵衛みたいな天才を配下におけたのも、
ツキといえばそれまでだが、ツキこそがあるいみ全てだしな。 >>96
俺が言いたかったのは当主同士の主力決戦のこと
言葉足らずでスマンかった >>44
甲斐武田は自称じゃなくてきっちり由緒あるだろ 甲州って、川はすぐ氾濫するし、土地は狭くやせているから、
冬によく餓死者出してたはず。
だから、他の地域に冬になると略奪しに行ってた、山賊の集まりみたいな感じ。
そこの大将からよくぞ、あそこまでになったもんよ。 >>400
そのツキを呼び寄せるための準備も努力も
全力でやっていたのが秀吉
どうせ俺は草履捕りの小物だし…と腐ってたら
ツキはなかっただろうな
どんな仕事も全力でこなしてたからこそ
ツキがどんどん舞い込んできたといえると思う 八ヶ岳南麓の棒道が直線かつ平行して残ってるのが凄いな
電撃作戦の幹線道路で信州側は堪ったもんじゃないな >>403
平家物語の時代から名前でてきますが・・・武田家 >>404
他の戦国武将は無理だろうけど
秀吉は今の時代に生きてても、普通に成功して出世しそうだもんw >>409
だな、ヒエラルキーでガチガチの大企業でもない限り
どんどん出世していくだろうな
自営業でも大成功しそうだし
どんな仕事でも全力で頑張る人間は周りが放っとかないだろうし >>247
佐竹は上杉から養子もらってたでしょ
義重のひいじいちゃん?もうちょい前? >>411
戦後日本ならいざ知らず
DNAの連続性というよりかは家の存続が優先された当時は養子とか普通だからなぁ
というか途絶えた家を再び興して家臣に与えるとかやってるし(武田家でいうと山県) >>44
新羅三郎義光までさかのぼれるんだから武田は確実に戦国屈指の名族だぞ
佐竹の弟筋ってことにはなるが 血筋なんて戦国じゃ全く役に立たなかったやん
実際だいたいは血筋の優れた大名から滅んで行ってるし
最後に勝ったのは徳川とかいうどこぞの馬の骨 >>413
源氏の家系って確かに名族なんだけど家族の仲が悪過ぎて常に親子兄弟喧嘩してるイメージなんだが
仲のいい源氏系列の家族ってあるの? 実際の武田信玄は、かなりの病弱で大体療養ばかりしてる
追放した父親信虎は各地を放浪して武田信玄の倍近く生きた >>415
武士なんて平将門の乱に始まってどこも一門で争ってるけど >>414
家康名門大好きだっただろ
高家って制度つくったわけだし
そして吉良は浅野の遺臣に討たれるわけで(忠臣蔵) >>128
ただの分家ではなく本家と密接に結びついていた名門京都伊勢氏の第一の分家
しかも北条早雲は優秀さを買われて本家の養子だったという説もあり
さらに、室町幕府奉公衆(将軍親衛隊部隊長)に任命されてる
父は京都伊勢氏本家と直接連携しての今川家担当の幕府申し継ぎ衆
その縁で早雲の姉が今川家の正室として嫁いだ説が有力 虎は死して皮を留め、名門は血筋残して名誉職につくっと
俺が一方的に知ってるだけの元華族大名家は財団理事長やっていい生活してますよ
ちなみに織田作はカレーライスを残したそうで
坂口安吾が100人前のカレー注文したせいだな >>417
平清盛一族や北条氏、後北条氏、織田氏など平家系列は割と仲がいいと思うんだけど >>132
勝頼は生き残るために何が必要か知ってた優秀な領主だと思うぞ
信長のように中央集権体制に持ち込まないとダメだと喝破して
その体制づくりに奔走してたが、強権政治を嫌った家臣団の反発を
招いてしまった
当然、信長はそれを許さず、家臣団の反発を利用して武田家攻略に乗り出した
信玄が信長と主力決戦に持ち込んで勝てなかった時点で
すでに武田家は詰んでいた 源氏っていっても広いというか源平藤橘の4姓しか名目上は存在しないわけで
ヒデヨシが豊臣を加えたけど
源氏長者なんてどっちかというと公家の占有だったのにそれを征夷大将軍が備えるべき要件にしたのは家康からだろ
といっても源氏の一族間の抗争って目につくよね、特に所謂「地名」源氏成立期(地名には河内とかが入ります)
でもそれは平氏が鎌倉以降は権勢もてなかったからにすぎないとも思う 自分の家柄や血統を利用して
自分のキャリアを築けるなら
それも立派な才能だよ
俺には何もなーいとか言って
何もしない奴より全然立派 武田家は有能な家臣団の結束力ってイメージやなあ
信長はワンマンで天才や >>426
いや、信長家臣団もはんぱねえよ
軽んじすぎて裏切られたけど >>427
方針は全部信長が一人で考えて実行してたんだわ
家臣との協議とか殆んどなかったらしい >>419
北条も、もともと中央の息のかかった武将って……。
関八州は武蔵国以下、豊かな大国ばかりなのに
地元にロクな人材がいなかったの? >>426
中国の柴栄にたとえられてるな信長
曹操とか言われるけど
荀ケ郭嘉カク司馬懿とか
名だたる軍師の才能うまく使ってるから
ワンマンな人ではない 三方原で家康が描かせた絵も実際は違うらしいからな
そこまで恐れていたのかね 今は知らんけど以前に甲府駅?降りたら巨大な信玄像があったんだけど
真ん前に公衆便所あんのに誰も反対しないのな >>429
そこはめっちゃフィクションとして面白くできる材料が揃ってるというか
関東公方、関東管領とかいう役職があって北朝・南朝と同じくずっと?動乱があった地域なんですよ
扇谷と山内の上杉家とかさ、上杉禅秀の乱とか江ノ島合戦とか >>430
軍師っつって黒田官兵衛とか竹中半兵衛は秀吉の部下だし信長の部下ではないからな
と言うか当時第三者的立場だったルイスフロイスが信長は殆んど全く家臣の意見を聞かず全て自分で考えて行動していたって記してんだわ
当時の人がそう記してるから信憑性が高いんだわ >>434
ルイスフロイスのいう事全部無条件に信じてたらとんでもないことになるんでしょ?でも >>436
だけど疑う余地も無い
当時の人がそう記しているのであればそれを信じるのは必然だわ
のちの世の江戸時代の創作より余程真実味がある お前らがタイムスリップして戦国大名に憑依したら、老臣が止めるのを無視してファランクスとか試したりするんだろうな。。 >>429
北条早雲伊豆国奪取当時の関八州は騒乱状態
幕府の権威と甥っ子が当主の今川家と関東の騒乱を利用しての
関東攻略
地元にろくな人材がいなかったというより
北条早雲が突出して優秀過ぎただけかと
伊豆一国では国力20倍以上の関東管領上杉家との
戦いは困難を極めたが、幕府の権威や今川家の後ろ盾や
持ち前の知略を全活用しての関東攻略
一時は上杉家一致団結の渾身の反撃で弟が戦死して
相模攻略一歩手前から小田原城下まで押し戻される窮地に
立たされたが、見事挽回して相模攻略まで成し遂げてる
とんでもない政治家だよ、北条早雲は >>437
といっても日本=宣教師への楽天地みたいな記述をしたくなるバイアスが無いとは言いきれないだろ >>437
実際、桶狭間の戦いからして独断で開始してるしな
家臣達は慌てて戦支度して信長の後を追ってる始末だし
そういう事からしても辻褄が合い信憑性は高いわな 端的に言うと
しかし、信長が唐入りを計画していたという話は、イエズス会宣教師のルイス・フロイスの著述にしか出てきません。
これがフロイスの作り話ではなく、かつ信長のホラでもなかったとしても、光秀が計画を知っていたという証拠はありません。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55708?page=2
呉座勇一氏の発言ね 個人的には裏づけとか制度として残ってるモノではっきりしてる話をするのと
個人的な評価を完全に自分のあたかも自分が見たかのように話するような馬鹿は全然別物だからって強調したいな
フィクションとして楽しむのと史実として楽しむのの境目がめちゃくちゃ微妙なジャンルなんだよなぁ戦国時代って 夜の丹波山から柳沢峠の青梅街道は中々怖いな
花魁淵もそうだけど、今も当たり屋とか出没するのかな? >>429
武蔵もデカイだけだしあの平野の割に大したことない
むしろ相模以外ロクなことになってないだろ
北条がもうちょっと有能だったら大穀倉地帯になったかも知れんのに
鎌倉ですら早雲おじいちゃんが急いで保護するまで廃れきってたんじゃなかったか >>372
軽くいってるだろ
上総下総どころか上野に下野やら駿河の一部まで手を広げてるんだぞ 信玄はマジで外交と家中の統制下手クソすぎる
全てのツケを払わされた勝頼が不憫で仕方ないわ
次代に遺せる体制も同盟もなかった
こういうとこがお隣北条との違いだな 信長が唯一ビビってた相手
信玄死んだ途端に上洛開始 江戸幕府が過剰に持ち上げた結果、勝手に凄かった人に
ついでにライバルの上杉謙信まで ほぼ国力=農業生産力だった時代に甲府盆地なんてとこを拠点にしてあれだけの戦力もてたのってやっぱ金のお陰だろうし、
その金が枯渇しだしたからまだ力のあるうちに打って出ようとしたっていうことなんだろうな
勝頼の時代になったら金の切れ目は縁の切れ目で最終的に内部崩壊と 慎重すぎて時間を浪費した人、ってことかな
信長と秀吉は大博打を打って勝った人
おそらく信玄に同じことはできない >>446
>>372の
伊豆相模武蔵上総下総を全部足したら168.3万石だった
上野下野って1570〜1575くらいの辺りの北条の領土に入ってたっけ?
関東と駿河、甲斐、信濃いれた豊臣政権時代の脱糞ニキが260万石だから180万近く行ってるかもな
しかし尾張強すぎだな
尾張と美濃、伊勢志摩だけでもう170万石だ
近江の半分入れたら200万石になる
しかも京にめっちゃ近い、そりゃ天下取れるわ
逆に毛利や島津がしょぼい石高であれだけ肥大化できたのが凄い >>350
甲斐は日本住血吸虫症という風土病があるやべー所だからな
確か田んぼに足入れたら感染するんだろ?そんなんでよく作物取れたもんだ >>452
当時の日本のまさに穀倉地帯だったんだな >>454
そう、畿内に近くといちばんたくさん兵を養える余裕のあったところなんだよね。
そういう意味で信長、秀吉は何より地の利があったといえると思うなー
伊達に道三がここだと決めただけのことはある 慶長3年(1598年)石高(琉球・蝦夷を除く)
1位 356.84 石/km2 河内 (24万2106石)
2位 355.82 石/km2 尾張 (57万1737石)
3位 274.13 石/km2 和泉 (14万1513石)
4位 246.57 石/km2 摂津 (35万6069石)
5位 213.26 石/km2 筑後 (26万5998石)
―
59位 31.19 石/km2 石見 (11万1770石)
60位 31.01 石/km2 信濃 (40万8358石)
61位 19.60 石/km2 佐渡 (1万7030石)
62位 16.00 石/km2 出羽 (31万8095石)
63位 15.23 石/km2 日向 (1万2088石)
64位 14.64 石/km2 隠岐 (4980石)
65位 13.99 石/km2 土佐 (9万8200石)
66位 9.17 石/km2 飛騨 (3万8000石)
67位 0.00 石/km2 壱岐 (無石)
67位 0.00 石/km2 対馬 (無石)
武田かわいそう >>414
戦国においては実は血筋が最も重大な問題だろう
滅んだと言っても子弟は有力大名家に忠誠を誓い嫁や婿養子として迎えられ、
家臣たちはそのまま召し抱えられる
領地はそのままかあるいは鞍替え転地か その方が都合がいい
一族皆殺しの例はむしろ数ない >>457
三英傑がそれを否定してる
みな恵まれた家系ではない 勝頼は結局配下をまとめ切れなくて
内部分裂してどんどん寝返るよ
やったね多江ちゃん
になって武田死滅亡させたわけだから
武勇はともかく、武将としては最悪だな
結果が全て
その後、山梨では武田狩りが始まって大変だった
うちのご先祖は昇仙峡の奥まで逃げて隠れ住んでたくらいだ
全部勝頼が悪い 武田家滅んだ原因の無能家臣は今の甲州人のクッソ性格悪いのにも受け継がれてるな 信玄餅という名産品に名前を残したんだから他よりは優秀 >>469
うん
桔梗屋の信玄餅最強
お土産用で実家に持ってってあげてる 大好評
会社だときな粉がこぼれてよくないので
桃の形をした和菓子の方を買っていく
中の良い人には、岩石の形した砂糖菓子を買っていってあげる^^ 長篠の戦いの最中に信玄が病死して撤退しなければ信長は負けてたんだよな >>400
秀吉の治世が一番平和だったと思うわ
家康は武力で人殺しすぎ >>311
歴史は変わってたかもしれんが天下は取れなかっただろうな。
戦国大大名クラスで終わってた。
なんだかんだで信長は色々進んでたというかぶっ飛んでた。 >>315
金丸信と輿石東を忘れてしまっては困るなw
結構日本の歴史に介入してる。 >>471
病気なのに後継者決めずに戦に乗り出したアホ
武田の崩壊は戦バカが後継者を周知させなかったのが要因 >>468
仕えたメンツが蕭何張良韓信陳平
エグイからな >>330
地形的な問題もあるだろうね。
山梨行くとわかるが、地域が山で分断されてて統治が難しい。また当時の農業技術では耕作可能な土地も少ないし、生活物資にも事欠く。
そういう土地で鍛えられたから精兵なのかもしれないけど、時代が進んでくるとそらだけでは厳しい。 >>441
桶狭間に関する織田側の同時代史料は極めて少ないから実際のところはわからない
数少ないまともな手がかりとされるものが信長公記だが桶狭間の部分が載った首巻は
太田牛一直筆本が存在しない上に桶狭間の戦いの年代が間違っており熱田明神の加護を
過度に強調するような内容 >>339
でもそれやったら誰かにやられる危険性あるから出来なかった。身に覚えがある人間が出来るかね? 信玄は為政者・戦略家としては一流
ただ、同じ時期のお隣に規格外の、戦術家(メルヘラ)がいたのが
運の尽き >>480
謀略家のイメージしかない
力攻めはどちらかというと弱くないか >>367
秀吉は勝率も凄いが、戦ったいくさの数でも他を圧倒してるなw
さすがは日本で初めて、天下統一を成し遂げただけの事はあるw >>468
相手が悪い項羽なんてバケモン勝てるわけない
盛ってはいるだろうがそれでも数千の人骨見つかってるらしいし時代考えてもこいつだけイかれてる
三国志と比べてもおかしいわ 今も長野南部の県民から圧倒的人気を誇る侵略者信玄
ここに治世の真髄を見るわけよ 実は息子の勝頼の方が信玄より優秀だってわかってきたんだよな。未だに信玄とか言ってる奴らはニワカ >>486
それはさすがに無い。
勝頼は信玄の代から居る家臣団に信用されてなかった >>486
なんだって!?
最近わかってきたんなら
おまえがニワカじゃん >>485
山梨は信玄公だけど長野ではそうでもないよ
天正壬午の乱の顛末をみても信濃勢は武田にやむなく従っていただけというのがよく分かる
木曽、小笠原、海野(真田)、諏訪と信玄に恩義を感じてるやつはいなかった なんだかんだ言っても戦国時代は織田と毛利の戦いが天下トーナメントの決勝戦だわな
安芸の毛利軍が石山本願寺を応援して
播磨の別所や赤松まで調略したり
摂津の荒木村重を寝返らせたり
織田が宇喜多を寝返らせたり
将軍義昭の御経書ばんばん
戦いのスケールがでか過ぎる
関東や武田、上杉あたりの田舎のローカル戦とは比べ物にならない そりゃ正統な、嫡男でも無いのに御屋形様とは呼べんわなw
重臣たちにとっては所詮、諏訪のご領主
勝頼の苦境は察しても良い ある意味北斗の世界だった
荘園(収入源)を力で奪われ、天皇家ですら満足に食事も出来ず、
大臣家ですら女が外で立ちんぼして食ってた時代
都では死体がゴロゴロ >>434
>軍師っつって黒田官兵衛とか竹中半兵衛は秀吉の部下だし信長の部下ではないからな
竹中黒田は信長の臣下で秀吉の寄騎じゃないのか >>367
毛利元就って200戦ぐらいしてなかったか? >>490
信長包囲網はなんども瓦解してるけどその度に足利義昭が描き直して次から次へと刺客を送り込んでんだよな
おかげで東に西にと振り回されまくった臣下が反乱を起こして殺された
義昭は稀代の謀略家だよ
秀吉が下にも置かぬ扱いだったのも当然だわ >>447
信玄時代の武田家当主の権限なんて実質、軍事指揮権くらいしか
ないと言ってもいいくらいの状態だしな
何事も家臣団の同意がないと動けない状態だし仕方ない
甲州法度ですら重臣たちは自領での運用停止を決定してる文書が残ってる
しかも甲州法度は信玄が自分自身もこの法に縛られると
随分と下手に出て定めてるにもかかわらずだ
あの中世の時代に俺が法律だと言えない信玄
独裁権を確立してた父に対抗した重臣たちに
担がれて当主の座に就かせてもらった経緯から仕方ないが >>496
幕府違いでしょ。室町幕府の執事。昔は執事の分家説。
今川の空気があっただろうけど、北条家の一族の妻を息子に貰えるほど伊勢平家として
問題ない家柄だったんだろう。 >>501
大河の花の乱にでてきた
北村総一郎が演じてた伊勢貞親が
おじにあたるのかな >>496
違う、北条早雲は備中伊勢氏の嫡男
京都伊勢氏(室町幕府政所執事(将軍の右腕)の家柄)の養子だった説もあり
備中伊勢氏は本家京都伊勢氏と一体的に連携してた直接配下の第一の分家 甲斐に移り住んだ源氏の一派が甲斐源氏を名乗りその後に逸見(へんみ・へみ?)に苗字を変えた
その逸見家からいくつも出た分家のひとつが武田家
源氏とはいえ分家の分家がそんなに恵まれた家系だろうか? >>502
伊勢貞親は本家京都伊勢氏の当主だな
血縁的にはよくわからない
備中伊勢氏と京都伊勢氏の婚姻関係が分からないから
まあ、一緒に幕府に仕えてた近しい分家だし親戚であることは間違いないだろう >>505
Wikiだと逸見と書いてへんみになってた >>503
早雲の逸話は燃えるよな。
6人の仲間と関東に乗り込んで、この中で出世した人が他の人を引き立てるとかな。 >>490
鳥取城の兵糧攻めや高松城の水攻めとかな 大河ドラマの風林火山見ていると無能に見えてしまうな >>509
戦争を土建と経済にした秀吉はまさに貴台の天才
まぁ豊富な小竹だからできるんだが >>508
最近戦国ゴンベで早雲やってて面白かった 早雲も道三も秀吉も
結局ガチ貧民スタートは一人もイネーのかよ
夢が萎みんぐ >>514
庄屋の倅で最初の戦にもそれなりの手勢を連れていったって話だ >>514
あそこは集落全体が
戦争請負人のプロ集団だ
全然素人じゃない >>516
粛清した数が多すぎて
ドラマ化できないよw 冒頓単于:紀元前209年に反乱を起こし、父、継母、異母弟及びその側近を抹殺した上で、単于に即位した。
クーデターに当たり、事前に冒頓は私兵を秘密裏に養成していた。私兵を率いて
「自分が鏑矢を放ったらすぐさま同じ方向に矢を放て」と命令する。そして、まず野の獣を射た。
矢を放たないものは斬り殺した。次いで自らの愛馬に向かって射た。同じく放たないものは斬り殺した。
更に自分の愛妾を射ち、同じく放たないものは斬り殺した。そして父の愛馬を射るときには全ての部下が
矢を放った。こうして忠実な部下を得たのである。 そして父が通りかかった際にそこに向けて鏑矢を放ち、
配下の私兵も大量の矢を浴びせ、これがクーデターの端緒となった。
信玄公の方が100倍マシ、信長やイスラム国みたいな恐怖支配系と信玄公はあきらかに違う >>522
チンギス・ハンの
「男たる者の最大の快楽は敵を撃滅し、これをまっしぐらに駆逐し、その所有する財物を奪い、その親しい人々が嘆き悲しむのを眺め、その馬に跨り、その敵の妻と娘を犯すことにある」
ってのも畜生度が高くて笑える 戦国時代の嫌がらせ大名
メンヘラ上杉謙信
戦国時代の努力家
キャプテン織田信長
この2人は興味を惹く 逆に光武帝みたいな
エピがファンタジーみたいな
完ぺき超人はそれはそれで楽しい >>525
完璧すぎて小説になりにくいひとだったけれど
キルヒアイス大好きでもお姉さま大好きでもないラインハルトが主役になってもつまらないようなもの >>525
ギャグセンス0だけどなw
劉秀と趙匡胤は変わった君主だな >>523
以前NHKで耶律阿海が生前のテムジンを回想するような展開でチンギスハーンの物語が進行していく番組やってた時。
サマルカンド占領後に虐殺しまくるわ、ホラズム王のコーランを入れる箱を馬の飼葉桶につかったりして阿海がドン引きしてる
回想で面白かった、阿海がそんな書物残してたら末裔粛清されるだろうから、NHKの創作だと思うけど
阿海「この強欲な男に付き従ってとんでもなく遠い所まできてしまった、ここはどこなんだ?早く故郷に帰りたい。。。」 >>513
いきなり戦争するにしても武具は必要。そして武具の扱い方を知る必要がある。
そこが最低ラインで、そこから用兵を学ばなければ軍は動かせない。
一人じゃ相当厳しい。
現代だと軍学校があるからそこで体系的に学べてコネも出来るから軍事クーデターが成立する。 >>528
エロイ絵見せて
家来に怒られた話とか
フランクすぎて笑える劉秀 >>367
太閤つええええええ
あと信玄もやっぱり強いじゃん >>515
秀吉って貧農出身じゃないの?
庄屋の息子っていえば、坂本龍馬じゃない?母親は豪農の娘で、お金には困ってなかったけど武士になりたかった。でも龍馬も、考えた方とかやり方は商人っぽいよね。 >>533
調略してハメ殺しみたいな戦しかしないからね
工作に時間かかるけど勝率はそれなり
引き分けてばっかだから領土拡大は遅い >>515
それは無い! 我に父なし 状態
自分でご落胤説を流すくらい出自に負い目があったくらいだから >>452
家康が豊臣時代に甲斐信濃駿河治めたってのははじめてきいた
そうすると家康は350万石ぐらいいきそうだけどソースを教えてください >>539
関東移封前は甲斐・信濃・駿河・遠江・三河の5ヶ国の領主やん >>30
道三も油商人は父親で親子二代がかりでの美濃乗っ取り >>533
信玄は敵よりかなり多い兵力を用意しての勝利が多いからなあ
織田信長の2000人で25000人を撃破、総大将撃ち取りとか
北条氏康の8000人で80000人撃破(総大将一人撃ち取り)とか
毛利元就の4,5千人で2万人を撃破、総大将撃ち取りとか
そういうのが全くないからどうなんだろうな
川中島では戦場に投入した兵力武田2万、上杉8千で
弟を含む多くの重臣が討ち死にしてようやく引き分けだし >>543
川中島の戦い自体は、何回も行われてるけど
いちばん有名な合戦の事なら、
小さな領土的には信玄の勝ちだが
武田家が傾く遠因になった意味でなら大敗北 石高の小ネタだけど、サツマイモは米と違い中世も現代も収穫量は同じらしい、しかも農地じゃなく山林等の荒地でも育つ
サツマイモは面積あたりの収穫量が米の2.5倍(カロリーベースで米の2倍)
2017年の鹿児島年間33万tのサツマイモを栽培(石高換算約220万石)
沖縄県は戦前50万t以上を生産していたので江戸時代のデータが入手できなかったけど、薩摩藩だったので
沖縄鹿児島両県で83万t(533万石)
さらに2017年の鹿児島の米の生産量98900t(石高換算約65万9333石)
※現代米は農薬・化成肥料で江戸末期の3倍の収穫量があるので21万9778石
これらを足しても幕末の島津の炭水化物総石高は550万石はあったと推定、もちろん幕府も利根川治水や
米の品種改良で戦国期より1.25倍の収量がある米の品種を開発していたので石高は上がっているだろうけど
島津ほど急伸はできていない、さらに琉球や奄美のサトウキビによる砂糖生産もあるから幕末は島津が最強
日本がアメリカと4年戦えた一因にサツマイモ生産があると思う、食料危機になったら、日本はすばやく河川敷や
公園までサツマイモ畑にすれば乗り切れる、但しその世代はサツマイモが大嫌いになると思う、うちの親父のように。。。 >>486
都合の悪いことは全部信玄の負の遺産ってことにしてる過大評価だから
最終的には適正なところに落ち着くよ >>513
秀吉はガチ貧民やぞ
当時の下級武士は農民より貧しかった >>102
たかが守護代というがそれでも十分すぎるぐらい上流階級だわ >>550
家柄はそこそこで
金持ちってところが大きいな
親父が朝廷に多額の献金してるぐらいの サツマイモ伝来は南蛮貿易の結果だけど
サツマイモの救荒作物は江戸時代の時に島津藩でやってたんだっけ
とはいえ、食糧危機の時は今は輸入するし
輸入するだけのエネルギーすらないんだったら終りでしょどっちみち >>549
そういう情報って同時代史料から確認できたっけ?
その根拠は具体的になんという史料? >>127
信玄は、戦は強かったかもしれないが戦略無能。
信長と違って細かい利益のためにすぐに同盟を破棄したりするから
結局は四方を敵に回してしまい、地方大名で終わった。
三国同盟は、今川の太原雪斎の功で、信玄はその恩恵受けただけ >>550
まあ守護代の家の中でもわかれてわーわーもめとったんですけどねw
ところで同じ足利の名門、斯波の守護代同士なのに朝倉さんと織田さんって交流なかったんかね。
家康んとこも似たようなもん。
信玄はその点では名門中の名門ですわなあ。信濃の小笠原とか諏訪も名門だけど。
謙信は名門上杉の養子だからなあ。 上杉と認めると相手の方が格が上になるので長尾呼ばわりを続けた信玄
佐竹とどっちが義光流の嫡流なのかで手紙で論争した信玄
比叡山保護して天台座主沙門名義で信長難詰して第六天魔王と返された信玄
好きw >>525
光武帝を実写にすると桑マンしか適任がいないのがな
桑マンは岩崎弥太郎とか汎用性高いが、田代絡みで起用できないのが… >>540
それは「移封前」ですね
元レスをよく読んでからレスしてください
「関東と甲斐駿河信濃いれた」話です >>552
薩摩藩の場合、サツマイモは琉球が作ってて得た極秘の生産物だよ、江戸時代に他藩でこっそり
苗を盗んで密かに作ってた所もあった程度で、南蛮からえて日本中で作ってたものじゃない
琉球自体はフィリピンルーツとか言われてる。
食料危機というのは世界的食料危機になった時のつもりで書いたんだよ。 >>558
三国志はスリキンとか色々と有るんだけどな
三国志演義みたいな本が有ると無いとの違い。
劉秀は私生活 趣味 言動とかは突っ込み所は沢山あるけど
政治的な事は完璧だからなぁ 信玄のすごさは守護大名の体制のまま大国を築いた調整力
まあ、そのツケは勝頼の時代に来たけど 信玄が西上じゃなく上杉と組んで関東狙ってたら面白かったかもなあ >>549
秀吉は身分は低いが貧しいとは思わない。
傭兵工兵部隊の村だろうな。工兵(その時代は黒鍬者)は足軽。だから継父が足軽。
その配下の技能集団の村の者だろう。身分は低いが重用される。
農民や地域によってはサンカ身分。普通の米作る百姓とは違うよ。百姓身分なだけ。
じゃないと墨俣一夜城や備中高松城水攻めはできない。
親戚の加藤清正が難治の国である熊本で神格化されたのも治水工事のため。
ちなみに未だに信玄が山梨で神格化されているのも信玄堤での治水工事。
金山掘ってたから黒鍬者を多く抱えてた。温泉出てたのも同じ理由。 >>354
物心ついたあたりから人質生活(たまに人質横取りもあるよ)のハードモード
赤揃えと鬼ごっこした程度じゃ糞もらして終わり >>567
ある程度の財力があったにせよ下賤から天下人とか凄まじい才能だわ >>556
織田信長の家は守護代織田家の分家の代官の家柄だよ。
ただ熱田神宮門前町を抑えていた。 >>569
うん。俺もそう思う。
信長・秀吉・家康は現代でも出世するだろうが、秀吉は超出世するだろうな。 昭和初期から中期まで日本の指導者として君臨してほしかった 実は信長以前の戦国時代が面白いという
古河足利家とか扇ヶ谷上杉家とか 秀吉は最低でも禿(孫正義)レベルは行くだろう。
ツイッター炎上も武器にできそうなのが秀吉(呆け老人時代は除いて)。 >>578
それはエジプトの話だろ?今は日本の話だぞ >>487
殿の実の息子を信用してないとか家臣無能すぎないか?
普通ノータイムで命預けるだろ >>570
熱田神宮を押さえれたのも織田一門が越前の劔神社の神官が祖ってのも大きいよな
熱田神宮の大宮司の千秋季忠とか桶狭間に参陣して死んでるし
家柄、血縁、人脈 これを持たないとなんともなんねえ >>580
信玄本人すら諏訪殿と呼んで息子扱いしなかったから、武田一族は勝頼を自分の身内と思っていない >>580
そこはね、名前(信がつかない)からもわかる通り勝頼は最初母親の諏訪を
継ぐことにしてた人なんで家臣にとっては同列って感じだったわけです。
それが急に長男が今川のどーしたこーしたで切腹になって急に孫につなぐまでの
かわりになったわけです。となると反発したくもなるづら。 そのあたりは織田信雄信孝も長宗我部盛地価もみんな失敗した理由だな
毛利は照る元がある程度歳いっててよかった 後継者人事が上手かったのは
伊達輝宗と徳川家康が双璧だろうな >>576
永享の乱-享徳の乱もドロドロしてて面白いね
南北朝から始まって応仁の乱まで室町幕府の支配力がガバガバすぎるわ
安定してたの足利義満のときくらいだろ 戦国前期はグダグダばっかだからなぁ
やっぱり統一に向かわないとスッキリせんわな >>585
輝宗は上手かったのかな?
息子に消されたみたいなもんだし 伊達家というか東北って血縁だらけだろ
複雑怪奇すぎるわ
これのせいで最上義光とか伊達政宗も満足に動けなかったんじゃないの >>525
FEのマルス様のモデルと言われているな 家柄血筋のお陰と家臣が虚無僧やって稼いだお蔭で大名面してる人もいるな 武田家の主従関係って同盟関係に近くて、武田家はいわば近隣豪族の盟主だったんだよ。
それを若くしてまとめ上げて一代勢力を築いただけでも実力あるだろ。
あとホモ。 昔の戦とかの絵って、顔とか適当で逆に怖い、無表情な雑兵が首取ろうと群がってる絵とかゾッとなる
西洋の町並背景に白人が逃げ惑ってる中で、無表情なモンゴル兵が馬からトルコ弓みたいなの撃ってる絵とか怖すぎ >>30
元就はスタートは周り敵だらけの弱小大名だぞ >>595
失敗したとはいえ強権的な体制を築こうとしていた父信虎は先進的だったのかなぁ
この点、強権的政治を進めていた先代の子が反動で豪族の盟主的存在になるってのはすごい納得できる
近所の佐竹義昭→義重もまさにそうだった >>10
戦国の最終的勝者の家康公を苦しめた信玄、昌幸、幸村は江戸幕府も人気を容認してたから今の評価がある。
島津や毛利が如何に強くても家康からしたら、島津(笑)、毛利(笑)って程度だからな。 あの真田幸隆に忠誠を誓わせたんだから人望のすごさは認めなければならない >>602
真田家もいろいろ持ち上げられてるよね
幸村が頑張ったお陰で 真田っていうと大坂の役で活躍した幸村が万能の軍師として有名だけど、実はそのお父さんもかなり凄いらしいですね >>605
昌幸も徳川を苦しめたお陰で勇将智将として持ち上げられてるよね むしろ行き村のほうが一発屋で
親父や祖父のほうが天才だろ
兄貴も秀才 昌幸は信玄の頃に物見とかやってて鍛えられてたんでなかったっけ、逸話があったような
でも昌幸は三男とかだっけ
長男次男が長篠で死んだから家督継いだっていう >>605
入城したのが息子のほうでホッとしたってやつか家康が
大坂の陣から逆転なんて諸葛亮なみのチート軍師じゃないと無理だろうが >>610
諸葛亮ってイメージほど奇計希謀を駆使するタイプじゃなくね?
内政型で戦は手堅くって感じで 信玄というカップラーメン(味噌)を買ってきたが、スープが薄くて不味かった 幸隆の調略で城落としてなかったっけ
まぁ先方集みたいな地位でしょうが >>613
スリキンみてたから
すっかり影響されてた
劉邦に仕えた陳平みたいな
疑心暗鬼誘う謀略家タイプじゃないと
厳しいかな >>564
一皮剥けなきゃ旧世代の遺物で終わるでしょ。 大坂方も金に物言わせて結構な数の牢人抱えてたから
家康と秀忠の首取るような事態が起きてたらワンチャンあったんじゃないかと 正直全日本の大名が従軍に借り出されてるのはヤバイ(朝鮮征伐だって子飼いと西日本の大名だけ)
つまり豊臣以上に全大名が徳川に忠誠を誓ったってこと
まあ家康と秀忠の首取れれば徳川嫡流に他に正当性がある優秀な奴はいないからワンチャン戦国戻しはあるかもしれない >>583
そもそも絶対的な権力者じゃなかったしね。
現代だと国会の衆議院議長程度か?
自分に都合が悪けりゃいうこと聞かない連中の集まりだからタチが悪い。山で仕切られてて完全に文化圏が違ったんだろうな。 >>621
秀忠が武断政治でガッチリ権力基盤固める前の話だし
徳川家中でも「次は誰を担ぐか」で絶対荒れるし伊達政宗とかやる気満々だし
その中で豊臣が家康殺した最強勢力になる訳だから
十分巻き返しは可能だと思うんだ
まぁ前提が結構難しいんだけど 秀忠とか骨にまで達する銃創があるのに
勇猛とか果敢とかって評価が一切無いのが戦国時代の怖さだよな 神君家康が、三方原で完敗したから、
江戸幕府が、信玄を異様に持ち上げてるだけで、
そこまででもない気もする。
鉄砲の重要性にも気づけなかったし、金山なかったらタダの田舎大名。 >>623
仮に家康秀忠を殺せたとして、殺したのは「豊臣秀より」ではなく(たとえば)「真田信繁」とか「長宗我部盛親」とかになるわけだから
その討ち取った武将が豊臣の忠臣になるならともかく、独立状態になっちゃ戦国時代が再来するだけじゃないかな、毛利とか上杉とか佐竹とか恨みあるのも多い >>626
その第二戦国時代が来た時にかなり有利なポジションにいるのが豊臣秀頼
ほぼ駆逐されちゃったけど反徳川派が担ぐには最適な人物
お金も持ってる
なんかかなりお寒い妄想してる気がしてきたからこの辺で 寒くて寒くて雑兵達がその上の頭の制止を振り切って廃神社の鳥居や祠を壊して燃やして暖を取ってたら
本陣の信玄達にも騒ぎが耳に入り、勝頼に事の始末を言い渡す
祠を壊されて気の荒い勝頼がどんな采配を振るうのかドキドキだったが、雑兵達の前に進み出た頭が「祠の取り壊しを命じたのはこの私ですので、私を罰してください」と部下を庇う様子を見て勝頼が、
そこら辺の笹で祝詞をあけで御神体を移すとかなんとかで、はれて神社全てを燃やして良いことになったシーンはよかった 天下を駆け上がる時の秀吉傘下の武将は楽しかっただろうな
仕事したら、ちゃんと認めてもらえるからな
信長亡き後は、信賞必罰が結構厳しかったみたいだけどw 武田家を大事にしてそういう生き方してたんだじゃないのけ
破天荒な信長とか正宗と違って 家柄血筋はあっても零落した大名だっていくらもいるわけで
それだけでやっていけるわけがない >>625
実際の武田の軍役関係文書見ると軍役として課された長柄槍の替わりに
鉄砲を持ってくるのも忠節であるとか書いてあるから重要性は間違いなく気づいてる
現実には経済力の問題でそろわなかった面はあるかもしれないが その後の例えば天王山だとか小牧長久手みたいな野戦みても鉄砲が決定的な役割果たしたことって皆無だし
長篠の敗因が本当に鉄砲なのかなって思うけどね 俺が信長の野望で武田やると上杉織田北条今川に全方位から攻め込まれて即死する >>252
謙信自ら別働隊とし鳶ヶ巣山を攻略して酒井忠次戦死 武田も佐竹も鎌倉に愛着があって=関東に執着してたから血筋が恵まれていても上洛という発想がない。当時は一国に2つ首都があったような状態だから戦が強くても無理。結局東海地方のやつらしか日本中を見渡せる人物しか出てこなかった >>633
長篠の敗因は、陣地を構築しているところに相手より少ない騎馬中心の部隊で
突撃した愚だろうね。鉄砲はそのおまけにすぎんですよ。 親父を裏切って地方大名になったものの田舎から出てこられないまま消えた雑魚 長篠の戦いの武田軍って騎兵中心なの?
ってか騎兵の集団運用とかナポレオンの胸甲騎兵みたいに抜刀突撃とかできたの? >>633
当時の長射程武器は弓くらいしかないが、弓兵を揃えるのはかなり手間が掛かる。
鉄砲ならちょっと教えればとりあえず前面に投射することが出来るようになる。
戦果としては革命的な違いは出ないが、長射程武器を扱える兵を短期間に大量に調達するのが楽になるのが大きい。 >>643
でも臣従させたから存命中は秀吉の勝ちやん つーか基本的に領土侵犯したクソ野郎は容赦なく追い払うってタイプで天下とろうとしてなかった気が 戦国とほぼ同時期にヌルハチが騎馬隊で銃や大砲装備した明の圧倒的大軍をボコボコにしてるからこの時代は銃の優位性ってそれ程でもないよな >>647
騎兵による機動戦ができた大陸とは違うだろ
あと騎馬民族は草原があれば補給不要、全軍騎射可能とかチートすぎる連中だし
だって血筋がないと戦争の大義がないじゃん 世界史でも類を見ない二万五千の騎馬突撃にかかったら織田農民兵なんてイチコロだろう 大名って基本家柄でやってるものだぞ
というか、元々そもそも任命されてなるものだからな
成り上がりなんてほぼ居ない 柳成竜(朝鮮の領議政=総理)『懲録』
・倭奴は、攻戦に習熟し、武器が鋭利である。昔は鳥銃がなかったが、今はこれを持ち、
その遠くまで発射させる力と命中させる手際とは、弓矢に数倍する。われわれが、
もし平原広野で遭遇して、両陣相対して兵法通りに交戦したならば、これに敵対するのは
極めて困難であろう。だいたい、弓矢の技は百歩にすぎないが、鳥銃はよく数百歩に及び、
それも風のように雹のように飛んでくるから、とても対抗できない。
柳成竜『西刻W』
・城や険を守り、塁を攻め、堅を破るのは大砲にあるが、交戦の利器は、やはり鳥銃である。
わが国が保有している勝字銃筒に比べて鳥銃の威力は五倍、弓矢に至っては、一○倍である。 >>647
その逆で明側からするとむしろ西洋式の火縄銃くらいしか女真に対して効果がないというくらい
もちろん用兵の問題や普及がうまく行かなかったことで効果は限定的だったが
唐入りのときに鹵獲した火縄銃(鳥銃と呼ばれる)を使用させたり捕虜にした降倭からも
積極的に日本式の運用法を取り入れてるよ
「神器譜」
・最近では虜(女真など)を退けるものは、ただ日本の鳥銃でしかない
徐光啓
・虜が我々を畏れるものは二つある。丙寅以後、はじめて大銃を畏れるようになった。
丙寅以前はただ鳥銃のみを畏れていた。これら二物のみを畏れるのは、[弾が]遠くまで及び
命中するためであるという。 島津義弘書簡(文禄2年?)
「てつほう並玉薬被成御用意、可被食越候、鑓ハ一切不用立候、
何としても鉄砲被仰付肝要ニ候」
「高麗人ニ対してハてつほうニ可相究と見へ申候事」
朝鮮出兵の前半と思われる島津義弘書簡だがとにかく鉄砲と弾薬を送ってほしいということ
槍は一切不要だということ、現地の敵に対して鉄砲が極めて有効であることが
書かれている .. / ̄ ̄ヽ
.. ||\/||
.. 6[^][^]6
.. L_▽_」 信玄クズ人間♪〜 イェ〜イ
.. /<∨>\
凵^――\ゝ
.. / /) )))
.. (二)二))) 真田太平記見た記憶だと
真田昌幸が一番信頼してたのが武田信玄だった気がした… お家ってやつをまとめる求心力が凄いわけよ。
そのお家のガバナンスの正当性正統性が血筋なんだけど、これは下克上の時代だから絶対的な担保にはならん。
だから同じ血筋の親族親戚同士で結託したり殺し合いしたりしてるわけだな。
甲武地方なんて山あり谷ありで分断されてて糾合するのが大変なのに信濃諏訪まで平定して遠江まで討って出るんだから傑物よ。 >>372
土佐は10万石ないのか?
関ヶ原後に山内一豊が土佐一国貰った時はその倍以上だったはず 戦国スレは異様に伸びる無茶苦茶詳しいよねν速民
いつも勉強させてもらってます 笛吹川 釜無川 御勅使川を制した治水の祖だぞ
駿河侵攻後は 富士川 安倍川 大井川 天竜川 等の大河川の暴れ川の治水も行っている 家康も武田の治水技術を認め真似し受け継がれている >>597
西洋×モンゴルの絵見たい。どうやってぐぐればいい? >>669
ワールシュタットの戦いのWikipediaに載ってるだろ 武田 信虎が甲斐統一し甲府開設し今川と提携作り武蔵や信濃に出兵まで行えるようなった
長尾 為景が上杉定実を助け越後平定し朝廷より越後守の位を得、加賀越中にも遠征支配する
松平 清康が三河国統一
伊達 輝宗が外交と軍事で南陸奥13郡の安定をもたらす 政宗がそれをぶち壊し再び戦乱に戻る >>642
騎馬部隊なんてのは江戸時代の講談から。 当時の傾いて上等DQN侍共を纏めて家を存続させてる時点で有能なんだろう
出来ない奴はみんな家臣に殺されてるしな >>672
伊達さんところは、自分も含めて、しがらみで縛りまくって身動き取れなくなってるだけだから >>600
信虎は仕方ないね 親父や弟や叔父などと内乱してたからな
家臣も言う事聞かんから粛正して集権するしかなかった。
信玄の代の後半でようやく集権できたが長男を犠牲にしたからなぁ だって武田家は戦国武将の中でも屈指の貧乏だったからな。
他の戦国大名は港を持ってたから交易で潤ってた。
だから、信玄はなんとしても港が欲しくて今川家と同盟を反故にした。
それが原因で長男殺すことになるから最初から詰んでた。 >>680
そもそもが中央勢力と敵対する必要性あったのかね
信長が叡山焼いたのがやっぱり坊主的にあかんかったかね >>680
山梨だもん
しょうがないよ
今でもまだ空港も無いし
発展する可能性が無くて詰んでる
林業 とか ね・・・ >>642
ヨーロッパの騎兵は別に馬に乗ってなくても高速移動体に乗ってりゃ「騎兵」なんだよな。
チャーターしたタクシーに分譲した騎兵なんてのもあったぐらいで。 >>681
時の征夷大将軍(足利義昭)からの指示ですねw 南北戦争当時の騎兵隊も騎乗射撃してるんじゃなくて下馬して射撃してたらしいね >>686
当たり前じゃんw
反動があるから落馬して落っこちて死んじゃうかも知れないし
射撃が安定しない
実際にあの当時のライフルを持ってみろ
うちはばーちゃん家に火縄銃があった(撃てないように加工済み)けど
小学生じゃ重くて持ち上げるのも大変なくらいでかくて重いんだぞ
あれでさらに反動が来るんだから、馬上で安定してヒットさせるとか不可能だわ >>687
ナポレオン戦争時代の胸甲騎兵は馬上で火縄銃を撃ってからサーベルを抜いて突撃してた
日本でも伊達軍の騎馬鉄砲がある(実在してたかはよくわからんが) >>687
騎馬鉄砲いうても短筒やで?短い種子島なんやで >>415
各地の豪族の娘に源氏の貴公子が種付けして回っただけだからなw
男系統で源氏になるが各々が地方豪族の母系集団であることが
本当の正体w >>690
原理的に考えると筒が短いってことは短銃身ってことになる
ってことは炸薬量増えるんじゃ?(通常の銃身のと同じ弾速を得るためには) 追放された信虎は後に京で名だたる公家と交際して
足利義昭に使えて信長包囲網の畿内蜂起の工作とかもしてたんだよな
長篠で時代遅れの武田とか言われているけど
対鉄砲の道具の竹束なんか武田の家臣が開発したんだし
竹の中に砂や石を入れるなんて現代なら土のうやセラミックプレートやろ
いろいろおもしろいで 火縄銃は、黒色火薬で爆発が一瞬、しかも口径が大きく弾丸が思いから
今のライフル銃より扱いは難しいと思うで
特に日本は硝石の関係で運用コストが高かったから瞬発式の火縄銃ばかりで命中精度を重視やろ
馬上から撃つかなあ? >>633
水野勝成隊が鉄砲で鬼武蔵の額を銀の弾丸で撃ち抜いて殺してるやん
鬼武蔵を生かしといたら徳川方は大変なことになってたぜ >>692
弾の大きさが違うんじゃね?
1匁〜10匁まである。
通常の火縄銃ではは3〜4匁を使ったそうだ。 >>695
銀の弾丸って、門番スレイヤーは狼男かな?
>>696
あーそっちの方があり得そうですね >>697
鉛や鉄やタングステンの弾丸は長可には全く効かず返り討ちにあったので
勝成が高天神城滅ぼしたときに盗み出した高天神の本尊の渡唐天神像の願を掛けた銀の弾丸で額を撃たせたら一発で鬼武蔵は倒れたらしい >>693
雑兵がもつには重いだろw
日本の合戦絵巻で盾が出てこないのも
貧弱な日本人の体格ゆえなw 馬上射撃は別に非現実的な攻撃手段でもない
30年戦争以降は抜刀突撃の前後に盛んに行われたよ
『ナポレオンの軽騎兵 華麗なるユサール』
・もし、交戦状態となったならば、ユサールの散兵部隊は自身のカービンを敵の戦列の
100m以内で発砲した。その主目標は敵の士官であった。ついで、短銃を右手に持ち、
引き抜いたサーベルの腕抜きに手首を通し敵陣深く突撃した。短銃の弾丸は
最後の瞬間まで残しておき、短銃を左手に持ち替え、白刃によって攻撃を行った。 >>700
掻楯という大型の楯は合戦において標準で用いられたしそれ以前に戦国時代の軍役状などに見られる
三間(5.45メートル)の槍なんかのほうがそういった盾よりよほど重いんじゃないだろうか? >>634
重量約350キロの乗り物が時速30キロで突撃してきたらそれだけで怖くね?
しかも上に鎧兜付けた槍持ったおっさんのってんだぞ つーかモンゴルも
坂東武者も
馬上から弓を放つのがたしなみやろ 坂東武者が出来て西国武士が出来なかった戦法で
馬に乗って敵陣に乗り掛りその場で打物持ってぐるぐる回るだけってのがあった
これやられるとあっという間に陣は崩されたらしい 日本の合戦絵巻や軍記物では押捩りと呼ばれるパルティアンショットも鍛錬すれば現代人にもできる
これが実際に合戦でやれるか、とかはともかく
大鎧 押し捩り
https://www.youtube.com/watch?v=_Z5WIO7fFes
紅葉台木曽馬牧場での大鎧押し捩り 弓矢って言葉が武道やら戦も意味するけど
刀剣とか刀槍とかいった武器の組合わせがそういった意味になることってあるのかね >>702
あああれね
どちらかと言うと陣地構築の道具だろ
掻楯持って戦うわけではないし
ローマ軍団なんか重装歩兵は盾と槍もって戦っているだろ 「弓馬槍剣のわざはさらなり、その外くさぐさの業なにくれと、もののふの家に生るる人、
たれかは是をまなばざるべき」ってのが江戸時代前期の足軽のテキスト「雑兵物語」の自序だな >>711
おお、あるんですね「広く武芸一般の意」か
ありがとう >>710
重装歩兵の槍はギリシャ式のファランクスのほうだろう
それにしたってギリシャ式ファランクスの槍がマケドニアのサリッサのように三間槍並みに大型化した場合は
普通に両手で保持する形になってるから別段体力に差があったようにも思えないんだが
ローマもギリシャ様式の戦闘の時代もあったけど「ローマ軍団」という場合は
普通グラディウスなどの片手剣にスクトゥムという盾を持った様式を指すんじゃないかね? >>704
鐙があるからまだええやん
遊牧民は裸馬で剣や弓を扱うわけで >>715
ローマの重装歩兵はピルムという投げ槍と盾を持って腰にクラディウスを佩いていた。 これは謀反じゃーっ!板垣ーっ!甘利ーっ!陣場奉行ーっ!民部ーっ! >>710
楯をやたら過大評価してるが、あれは鎧が未発達な時代の簡易防具でしかないからな
当のヨーロッパでも板金鎧が出来た辺りから使わなくなったわ
そもそも鉄砲に対して片手で持てる程度の楯なんぞ気休めにしかならん >>719
竹束って火縄銃防げるだろ
攻城戦では攻め手が手に持って城からの射撃を弾きながら接近してる >>720
だから置き楯と持ち楯は違うって
竹束とかはどちらかというと野戦築城用の簡易要塞
土嚢とか塹壕とかそっち系の兵装だ 土塗るらしいよ
両手で持って?仕寄せ側が弾や矢を避けつつ城攻めしたり
背中にいっぱいつけてでっかい縦にして後ろ向きで歩かせてバリヤーにしたり
便利やね 盾の話が出てるがそういえば欧州から渡来の避弾経始みたいな感じの鎧あったね。 しかし家柄血筋、それに運も才能のうちだろ。
キングダムで王賁がんなこといってたでしょ。 >>726
関ヶ原の戦いでは家康が鉄砲玉をはじく
南蛮鎧を着けていた。
大阪の陣あたりだと鎧が重くて着ず
真田幸村から逃げていたけどなwww お前ら、スレ無視して楽しそうだな・・・いや、俺もその方が楽しいからいいけど。 竹束も島原の頃には有馬筒が貫通してきたから米俵に土詰めて対応したとか 武田の軍勢は討ち取っても討ち取っても突撃をやめない。この恐ろしさは、侮ってはならぬ。 そんな速攻で着火するほど乾かすのに二三日で足りるかな
水かければいいわけだしなんなら穴開けて節毎に水溜め込ませてもいいわけだろ >火縄銃の弾丸は竹束を貫通することができず、材料の調達が容易であったことから全国的に広まった。ただし比較的燃えやすいという欠点もある。
ソースは知らんけど >>726
キュイラッサーだな。
弾丸弾くほど装甲ぶ厚いから、流石に全身覆うわけにもいかず全面に防御を集中させた甲冑。
ヨーロッパではそれでも重たいんで騎兵用だった。
・・・こいつらいつまでも重装騎兵の槍突撃に拘ってるよな。
そのキュイラッサーの胴部分を流用、もしくは模倣して残りを日本式甲冑で固めたのが南蛮胴具足。
鉄砲で試し打ちして貫通しないのを確かめてたんで、破れジーンズの如く弾痕あるのそのまま使うのが当時のトレンド。
仕舞いにゃ、鏨でファッション弾痕つけるのが流行にw
ナポレオンの胸甲騎兵も似たような形式だったんで、南蛮胴具足はかなり実用的な防具だったと言えるな。 >>741
槍騎兵は17世紀以降ナポレオン戦争の時代まで西洋では下火になってないかな
南北戦争時代のアメリカの武器庫にも騎槍が入っていたというからその後も結構生き延びたけど >>734
大坂の陣でも竹束では間に合わなくて鉄楯を持ち出してるな
これは相当重い
徳守神社の鉄盾 文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/243995
岡山県
江戸初期
大阪の陣で使用したと伝えられる鉄製盾。 鉄盾一体は、横44p、縦91pで、横11.5p、
縦91pの細長い鉄板五枚を鋲で留めたものである。その重量は15kgで、一対で30kgになる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています