【技の千葉、力の斎藤、位の桃井】お前らが認める幕末最強剣士
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維新150年】大阪府警の“源流”に伝説の剣豪
2019.2.18 07:12
幕末史は剣豪たちの歴史でもあるといわれる。封建的な身分社会が
崩れ去った乱世にあって、実力主義を掲げる諸派諸流の道場が割拠し、
桂小五郎や坂本龍馬ら一流の剣士が登場する一方で、新選組のような剣客集団を生み出した。
当時、江戸三大道場と称されたのが、千葉周作の北辰一刀流「玄武館」、
斎藤弥九郎の神道無念流「練兵館」、桃井春蔵(もものい・しゅんぞう)の
鏡新明智(きょうしんめいち)流「士学館」だった。
なかでも4代目桃井春蔵は、“技の千葉”“力の斎藤”に対し、
“位(くらい)の桃井”と評され、「品格随一」の剣術と謳(うた)われた。
その伝説の剣豪が大阪府警のルーツといえる治安部隊の創設に関わるなど、
大阪を舞台に数奇な生涯を送ったことはあまり知られていない。
府立中之島図書館に、1枚の浮世絵が収蔵されている。歌川国員(くにかず)「玉江橋景」。
赤と緑の陣羽織に紺の股引(ももひき)、草鞋(わらじ)ばきの兵隊が六尺棒を手に整然と進み、
隊列の中央を黒太刀の武者が馬に跨(また)がり、堂島川を渡る…。
維新直後の大阪をパトロールする治安部隊「浪花隊」を描いたものだ。
浪花隊は慶応4(明治元、1868)年6月、発足まもない大阪府が元与力、
元同心らで編成した府兵2小隊80人。「(大阪の)警察制度ノ嚆矢(こうし)」
(天満警察署沿革誌)とされる部隊を、「監軍兼撃剣師範」という
事実上の隊長として率いたのが4代目桃井だった。
(続きは以下ソース)
https://www.sankei.com/west/news/190218/wst1902180010-n1.html 小野派一刀流とか柳生新陰流とか、幕末にはどうなっていたのか調べたら
北辰一刀流って小野派一刀流から分派した流派だったんだな、強いはずだわ >>39
小説の中の架空の人物かと思ってだけど、実在した人物なんだよな
壬生義士伝は本当に感動した 策を弄したはいえ、あの清河八郎を討ち取った佐々木只三郎じゃないかな? >>40
実在してるけど、新撰組隊士時代の話は全部フィクションだからね
あと戊辰戦争後、盛岡藩邸に逃げ込んで自害してるけど、脱藩藩士は裏切り者なので処刑される
沙汰前に自害しちゃっただけで、武士の面目もへったくれもないからね 池田屋切込み時の近藤勇の胆力はガチ
酔っ払って気勢あげてる本気のテロリスト
もちろん全員刀持ってる
そこに踏み込むとか、鎖帷子着てたりしても
普通やれない。しかも二階にはほぼ1人で最初上がってった。 >>28
幕末のほうが平均では剣術は強そう
幕末は槍鉄砲弓馬の訓練には時間割かずに剣術ばかり練習してるし
戦国時代の剣法は戦場覚えの我流や家流が多かったけど
広く交流して体系的で客観的な教育方法が確立したのが千葉周作とかの時代からだし
ただ戦国の一流剣士は生命力高そう >>48
そりゃ、芹沢事件で解散まぬがれたのに、その後めぼしい仕事してないから、
いい加減、仕事しないなら解散って会津藩から明言されちゃったら死んでも仕事するだろw >>49
江戸期の安定で都市化が進んで、また幕末の
不安定ながらも軍が動くでもないような状況で
都市ゲリラ相手に戦闘するっていう需要の元
史上例のない剣の闘争事例多発時期だったのよねー 剣術のレベルは間違いなく幕末が一番
江戸に入ってから浪人の仕事として剣術道場が乱立して百姓、町人も受け入れて競争してたからレベルが羽上がっている >>52
稽古して、それを試すことができるような事態になってたからね
何より実戦積んだ人間強いわ 道場では斬られても死なないから密度の濃い稽古が出来るもんな 幕末の剣士って平和な世の中で育ってるから
現代に例えると公道でスピード違反してる走り屋(笑)みたいなもん
レース場ではポジションがない 子吉っつあんじゃね 取り抑えるのに男谷本家プラス辰五郎親分とか面白イベント目白押し 個人の強弱なんて無意味
大村益次郎指揮下の百姓のほうが遥かに強い 金とか権力があれば簡単に有名どころの免許皆伝がもらえた時代でしょ
道場もそれ見越してわけわからん流派をバンバンつくってたみたいだし このテの話題って実際に見た事あるかのように語る人いるよね ついでに言うと死なないどころか怪我もしない竹刀と防具で稽古してる現代の剣士の方がさらに沢山本気の稽古が出来るから幕末の剣士より技術は高い
いいもの食ってるから体力もある 斉藤一こと藤田五郎が、晩年に真剣勝負についてインタビュー答えてたが
「真剣での斬り合いというのは、道場でのエイ、ヤッ、というものではなく、抜刀したら必死にブン回すだけ」
って言ってたらしい
撃剣師範だった永倉新八も道場では無敵だったが、実戦になったら北海道で寺に逃げ込んでたし
実際、剣道とかの訓練と、死合いでは勝手が違うだろ、角度とか >>72
明治時代に永倉が斬り合う訳には行かないよ
名前まで変えて藩に帰っているのに >>74
永倉は戊辰戦争時に榎本らが函館に来る前に一人だけ蝦夷に逃亡して五年くらい寺に匿ってもらって、
後々その寺の娘だかと結婚してる。
永倉はその後も北海道に住み続けて、新撰組の永倉生存を伝えたのも北海道の新聞社のはずなんだけど
帰参されたって、どこの藩なの? >>74
>>72は三番隊組長・斉藤こと藤田が晩年、幕末での真剣勝負について語った記録ね
永倉は北海道の記者に新撰組のことは話してたし地元警察の剣道師範にもなったけど、
自身の新撰組時代の斬り合いについては証言した記録が無い >>75
永倉新八は松前藩の出だよ
松前藩に帰参した >>77
そうだったのか、そりゃ地元に真っ先に逃げるわなw >>82
実際に戦えば初期UFOと今のUFC位の差があると思う >>72
時代は違うが「剣はとにかく手数だ。打ちまくれ。どれか一発でも当たれば勝ちだ」というようなことを柳生宗矩も書いてるな。
うつたる所はきれうときれまいとまま心をとどむるな
二重三重猶四重五重も打つべき也 敵にかほをもあげさせぬ也
勝つ事は一太刀にて定まる也 技術の大爆発の直前に旧世代の異物になることが決まっている剣術が最高に花開いたというのが日本らしくていいね >>16
平子龍先生に勝てる気がしないだろ勝小吉は >>68
江戸学者三田村鳶魚の親父(八王子千人隊の家系)が道場で近藤勇と手合わせした 3本に1本は取れた、大したことはないというのが残ってはいる 所詮これも伝聞だが >>88
近藤勇は竹刀での戦いは得意ではなく実戦で強かったと言われている
池田屋でも一人で多数の不逞浪士と戦っている 江戸時代って誇張抜きに一日中剣の稽古してるような半分アスペみたいなのがいた時代だろ
それに加えて幕末は実戦もしてるんだから、そら強いわ >>92
攘夷派で外国人に斬りつけて死罪になった脱藩藩士は何人もいる >>93
そのへんの下っ端とペリーの見分けがつかなかったのか 技の1号 力の2号なんて言ってるけど
1号も結局は殴る蹴るじゃん 永倉が龍飛剣
斎藤が左片手一本突き
沖田は何だっけ? >>88
3本に1本取らすのは金やり取りある手合わせの礼儀なんですわ とりあえず先手必勝で、先に致命傷を与えた方が勝つ。
俺なら上段に振りかぶらず、中段で小手狙いだな >>98
連突き。
一拍で三回突いてくるとかなんとか。 >>102
天真正伝香取神道流はそんなかんじ
すごく合理的
ただし、実戦には正解はなくて薩摩示現流みたいに
物凄い勢いで殺到して速さで正面からぶっ潰すのも
また有効で実際幕末薩摩人はやはり強かった。
行き着くところ真剣で斬り合いに臆さない胆力
こそ一番重要ってこと
道場で竹刀チョコチョコしてる現代剣道とは
全く別。今の剣道の選手とかも実戦では全く
役に立たない可能性高い 真面目な話、木刀であっても全力で打ち込んだら骨折するからな 日本刀って結構重いように思えるんですけどどうなんですか? それこそ道場で竹刀とかつかって戦う最強という意味でいったら江戸とか幕末が最強
戦場での生き死にが重要だというなら戦国最強
そもそも戦国の戦場では最低でも槍が必要で 剣での切りあいとかよほどの乱戦にならないとやらなかったって話しだし
剣術という意味でも戦国では道場稽古というよりも甲冑をきての実践形式が多かっただろ
あんな動きやすいペラペラの服きて道場で剣術とか戦場では意味ないわ >>107
平服で市街でやり始めるっていう状況が幕末に特異的っていう話なのに
なに古臭い戦の話してんの?って幕末期言われてるんだよそんな話は
今や戦は刀槍でやるものではござらぬ
と鳥羽伏見後に言われてるはなしとか知らんのかな? >>76
まあ警察なんて基本は薩長側だからそこで自慢げに新選組時代の話するわけないんだが >>111
それは違っていて、明治の早い頃から史談会みたいなのが当時の新聞やら
出始めた雑誌でやられるようになって新撰組の生き残りとかよく出てる。
官が薩長メインだったことへの反感もこのころには普通にあって。
榎本武揚みたいな人も普通に官吏として勤めてたりするし、明治政府は言うほど薩長でもない。
さらに日本人は昔からゴレンジャーが好きで
独立した戦隊モノは庶民にとても好まれた。
新撰組はその辺の戦隊モノに加えて、当時の
はみ出し者たちの寄せ集めが頑張ったってんで
庶民受けした。 天然理心流て実践向きの蹴りあり投げありなんでもやる剣術なんだろ >>111
いや二番隊組長でありながら、新撰組時代の永倉は実績がなかっただけ
一番隊・三番隊組長の沖田や斉藤こと藤田は実行部隊として有名なのに、
永倉は留守番係というか屯所警護が主体だったから
でも晩年の永倉は、孫と一緒の時に杖付いてるほど弱っちにもかかわらず、
チンピラがドス出してもガンつけて退散させたり、
地元警察の剣道師範時代でも辞めるまで無敵だったらしい
>>112
ペリーだって出会い茶屋に一人で行きたかったかもしれんし、行ったかもしれんだろ?
黒船にも許可もらえば乗船できたんだから、そん時に斬れなかった奴が(r
>>114
天然理心流は、近藤が道場持ちになった時に名づけただけで、独自の型や技なんか一つも無い
ようは我流武術っすよ
なんせ剣術に投げ技とか寝技なんて、柔術の域じゃないすか >>115
近藤勇は天然理心流四代目だぞ
それに剣術に柔術や棒術が一緒なのは珍しくない >>116
震災乞食の東北人はロムれ
でも4代目情報ありがとう、書き込むなよロムれ >>117
基本的なことすら何も知らないお前がロムれよバカ ただのチンピラなのに随分神格化されちゃったな
るろうに剣心(笑) >>118
基本的なこととやらを書き込んでから、もの言えや朝鮮人 チンピラとかいってるのはそれこそものをしらないカッペだな
八王子ってのは徳川が幕府のいざというときの守護するための部隊のために作った町なんだよ
親藩譜代はおろか旗本ですら幕府の危機に風見鶏してるなかで
幕府の秘蔵っ子の八王子同心の子孫たちだけがまさに幕府に忠誠を尽くして戦った
藩主だと一万にすぎない林ぐらい、あとは会津と桑名の兄弟だな、これも血筋は尾張だが家系は妾腹で徳川を名乗れなかった会津や異父兄弟という血筋的には劣ってるとこが
がね
どんな恩や厚遇をあたえても忠誠を尽くす奴ってのは教育私大っていう教訓 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています