自衛隊・弘前駐屯部隊が「八甲田山」ルートを3泊4日で完走
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冬の八甲田で多数の犠牲者を出した旧陸軍の雪中行軍で、全員が生還した青森県の弘前歩兵第31連隊(弘前隊)の踏破ルートに
陸上自衛隊弘前駐屯地(弘前市)の部隊が挑んだ。同駐屯地の創立50周年を記念した機動訓練で、同じルートで行われたのは
20年ぶりという。隊員らは極寒の八甲田を含む約224キロを3泊4日で踏破した。
旧陸軍の雪中行軍は日露戦争前の1902年1月、ロシアの侵攻に備えて実施。異なるルートを進んだ二つの部隊のうち、
青森歩兵第5連隊(青森隊)が吹雪で遭難して199人が死亡したが、弘前隊は38人(従軍記者1人含む)が全員生還した。
少数精鋭で臨み、地元住民の案内人を手配するなど入念に準備していたことが生還につながったとされる。
今回の機動訓練は1月29日から今月5日まで2部に分かれて実施。前半は先発隊として第9偵察隊の23人が、
後半は第39普通科連隊の35人が、当時と同じ約224キロに及ぶルートを、スキーや一部の行程では車両を使って進んだ。
同普通科連隊(隊長・小又道1等陸尉)では、各中隊から選ばれた隊員らが今月2日、小銃や食料が入ったリュックを
背負って同県平川市切明の温川地区を出発。夜は集会所に泊まるなどして、十和田湖―十和田市―八甲田―青森市内を通り、弘前駐屯地に帰還した。
途中では、十和田市中村地区に建立されている案内人7人の功績を顕彰する「東道旌表碑(とうどうせいひょうひ)」や、
青森市横内の「雪中行軍遭難記念像」を訪れ、先人の偉業に敬意を払い、犠牲者に弔意を表した。
参加した猪股智樹2等陸曹(38)は「視界が約20メートルでお互いの声があまり聞こえないこともあったが、最新の装備を駆使して
踏破できた」と振り返り、「昔の装備ながら、厳しい環境で果敢に訓練に挑んだ先人たちのようにならなければならない」と話していた。【藤田晴雄】
https://mainichi.jp/articles/20190207/k00/00m/040/284000c つべにあがってる春日太一の陰謀論が面白い
ああいうの大好き >一部の行程では車両を使って進んだ。
はい、価値なし
保守系のスレを毎日立てたいんで、誰かポイントをくださいませんか? 明日から出発して八甲田山ルート完走なら凄いと思うけど
この暖かい日に完走と言われても… 100年以上も前の話なのに八甲田山って言うとすぐこれだもんな
あの映画の罪は深い 今日あたりから出発とかだったら、どうなってたかなw 加山雄三の倉田大だっけ
もし軍隊にとられるならあんな上官に従って戦いたい あえて当時の装備で挑戦する方がキャッチーじゃないかね いざって時のための予行演習だから十分意味がある
車両とか故障でまくるし 現実にも助けたのは弘前の部隊だろ?
青森の部隊はなんでアホだったのか >>6
新田次郎のは脚色ということもある。
そもそもかなり準備、認識不測であり当日の指揮官だけを責めるのも酷。
もちろん判断のミスではある。
指揮の不適切をいうなら引き返さなかった事。ソリも使えない深雪に
非常な低温と吹雪なら即時撤退すべきだった。
はまり込んでしまったらおそらく誰がやっても無理だったと思う。 先人たちのようにならなければならない。
死ぬってこと? 224q歩くとか凄い。 シロクマには負けないで下さいませ。 >>24
ほんとにそうなの?
よくわかんから教えて装備博士 毎年厳冬期に縦断してるけど楽しいよ。ホント装備って大事だと実感する。 凍らないまともなコンパスが一つあれば全員助かったよ >>37
ガルパンは完走する前に自分が死にそうな気がする >>40
みんなカイロもってればよかったんでないのかね。
雪の行軍ってこれより前にもやってるよねー 死亡した部隊も地元案内人いたけどな
てか生還したルートやっても一般人は面白みにかけるから死亡ルートやってくれ 最強寒波が到来する明日以降の出発だったらどうなんだろう
現代の装備だと対応できるのかな 明治の弘前隊のほうは十和田湖まで大回りして日程の最後のほうで八甲田山に挑んだ。
行程は数百kmあるだろ。
一方、青森隊のほうは、山の中の温泉まで行って帰ってくる、ちょっと見ハイキングコース。
その青森隊の方が大量遭難だから、山の恐ろしさだわな。 自衛隊ってよくあんな金具で滑れるよな
こないだあれでパウダー滑ってる自衛隊員いてちょっと惚れたわ 八甲田山で遭難した部隊は、雪山に慣れてない岩手と宮城出身の兵隊ばっかりなんだよな
あの遭難事故は色んな陰謀説があるから面白い 雪中行軍事件の時付近は旭川で公式日本史上最低気温の-41度が出たときなんだよな
八甲田も相当寒かったんだろうな 白褌マッパのおかげで、いまだに八甲田山がらみのイベントで声掛けてもらえる
大竹まことはツイてるな 前の週とかに予行演習した時は余裕だったらしいからな。
100年に一度くらいのヤバい寒気が来てる時に突っ込んだから死んだ。 くだらないことしてないでさっさと島を取り戻せ
自衛隊は税金の無駄 >>49
弘前隊みたいに装備が整った少数精鋭で行けば
異常な猛吹雪であっても、特に問題なく行けた行程だったの? 史上空前ていうあの寒波には弘前隊も十和田湖あたりでぶつかって、相当苦労したらしい
八甲田の山中でぶつかってたらどうだったろうな >>61
何それと思ってググッたら洒落にならなさ過ぎて怖くて小便行けない、漏れちゃうぅ 平日にスキー場行くとしょっちゅう自衛隊がスキーしてるけど、冬場はずっとスキー訓練なの? じゃあ弘前隊は明日からまた八甲田山系縦走な
敵はいつ攻めてくるか分からんだろ >>28
同じ条件で地元住民犠牲にしたけど全員生還した連中いるからなぁ
即時撤退といっても、それ出来ない無能だったからあのザマだし・・・ >>73
条件は割と違う。
青森の指揮とった大尉は割と急に決められた。
やる予定で準備してた人と急遽交代してる。
しかも大人数でというのが条件。
弘前の方はもっと前からで、しかも少人数の選抜。
装備も事前によく調べて用意してた。
青森隊の服装ググってみると絶対無理な服装。
あと新田次郎の小説のように競争とかではまったくなく
お互い行軍してたのも知らなかった。 >>74
そうなんだ。地元だがにわかでそれは知らんかった。
そんな左右解らん状態で行かされてあれならその上の人の責任だろうなぁ >>1
これ正月もCSでやっててお婆様が食い入るように見てはってウチもじいさんもこれ何べんみてんのwwwwwwwゆいながら一緒に見てたけど最後まで見てまう不思議wwwwwww
これ昭和前期世代のナウシカラピュタ枠みたいwwwwwww欣也ちゃんワッカwwwwwwwゆいながら平成世代のウチも結局三時間盗まれるとゆうwwwwwwwウケルwwwwwww >>1
>地元住人の案内人
美談みたいに語られてるが、この人達は巻き込まれた上に身体に障害を負って、挙句何の補償も無く見捨てられたんだろうに
準備が足りてたからとか抜かしてんじゃねーぞマジで、初めて自衛隊に抗議したくなったわ 今年は暖冬らしいけど、それでも視界20mの日もあるんだな。北国こええ 計画と準備とマネジメントの違いで、絶望的に凍え死ぬ人たちとそのすぐ近くを気付かずに元気に通り過ぎる人たちにわかれる、あれは教訓だ。 >>74
青森側の隊長もあれじゃかわいそうだよな今の言葉で言う無理ゲー 人間の体自体はさほど変わってないんだから
装備と情報がいかに人間にとって大事かって話だよな 今でもあんのかな
写真みたいなのの一部が木かなんかで隠れてて
ペロッとめくると手や足が無いの
あんなもん小学校の遠足で見せられてもねえ。。。 >>84
訓練だから経験積んて取捨選択していく経験値積むためでしょ 映画はなかなか見応えあったけど
八甲田山事件のどこに美化する要素があるのかさっぱり分からないんだよね
たかが訓練で大量に死者出すとかアホの極みだと思うんだけど >>44
上着とか今と違って防水無いの着てるからカイロ有っても寒さからは逃れられんよ 十和田湖と八甲田山を観光したとき心霊写真が撮れたよ
「乙女の像」って力強い作品だった
高村光太郎ってやっぱ本物 >>93
実際映画を観てわかってても
「あの話のどこが映画的だったんだ」って思うもんな
歩いてるだけでどんどん悲惨は募るものの風景は単調なはずで
脚本の橋本忍が監督とロケハンしてて当初別の場所を考えてたのが
山深い八甲田の上空をヘリで飛んだ時
「これだ」と思ったらしい
今ではあの迫力の物は作れないのではないか そらま、現代の自衛隊が現代の装備使えば、たとえあの時の寒波の中でも走破は余裕だろ ワークマンに1万円握りしめていけば生還できる装備手に入るんだから時代の流れってすごいよな >>28
何言ってんだ?
青森組は失敗した
弘前組は完璧に成功した
歴然たる事実を粉飾するな おしっこしたくなってズボンのボタンを外そうとしたけど手が凍傷で外せなくて
そのままおしっこしたら一瞬温かくてホッとしたけどそのまま足からチンコまで凍って死ぬって話が怖すぎる 青森組は指揮官はそこそこ優秀だったのに
なんか指揮官の無能な先輩上司が「俺も行きたい、連れてけ」とねじ込まれて
指揮系統がむちゃくちゃになって失敗した >>96
白虎隊の話みたいなもんちゃうか
何か戦争のダメさっていうのが良く解るっていうの
白虎隊は゛保護者が゛隊を離れたのが原因なんよな
それで゛子供らは゛不安と飢えから判断ミスして自決
キーワードが無駄に切ない
゛単なる訓練゛で遭難したっていうのが、「戦争と言うその異常さ」を何か教訓として伝えてくれる 昔東部戦線の本で兵士個人の装備品でドイツとソ連の大きな違いが靴の防寒と防水性能の差がだったと読んだのだが日本軍はどんな靴を使っていたのだろうか >>79
確かに暖冬で雪は少ないけど、今シーズンの降り方は癖が強い
吹雪で荒れてドカっと降っては、シレっと晴れて溶ける
雨になる日も多い >>110
太田「その万に一つに備えるのが俺達の仕事だろうが、このボケぇ〜!」 ここって、夜になると幽霊が出るんでしょ
怖くないのかな 馬鹿馬鹿しい
時代錯誤すぎる
自衛官には敬意を表するが、正直言って優劣はある
誰もこのような馬鹿どもに国防を委ねたくはない
現実的な鍛錬をせよ >>104
なお日露戦争ではみんなまとめて仲良く戦死した模様 >>104
新田次郎のは脚色ということもある。
そもそもかなり準備、認識不測であり当日の指揮官だけを責めるのも酷。
もちろん判断のミスではある。
指揮の不適切をいうなら引き返さなかった事。ソリも使えない深雪に
非常な低温と吹雪なら即時撤退すべきだった。
はまり込んでしまったらおそらく誰がやっても無理だったと思う。
おれは軍事には相当くわしい。
あまりなめない方がいいぞ >>131
昔の装備って助かった人が手足に油紙巻いてたとかそんなレベルだろ
今と比較にならんよね 自衛隊ってミリヲタばかりだから、むしろご褒美だろうなw 北大路欣也が指揮権は誰にと言っていたが上官の三國連太郎にあるに決まっとるやんけ! ニコニコに同じコースを1人で縦走してる動画有ったな 夏と比べたりして面白かった 谷に迷い込んじゃうのも理解できる >>136
責任者でもないのに思い付きで部下に強く指図するという無能上司を上手く演じてたよな >>122
近道なんで連隊長の銅像の前の道路よく通るんだが >>140
近道なんで連隊長の銅像の前の道路よく通るんだが、夜中の10時恐いんで こころ旅で火野正平が遭難ルートをチャリで走ってたな >>122
軍靴の行進で、一晩で白髪で、ずっと入院中のあれか
完全に都市伝説
俺の記憶では30年前にはあったな >>143
このご時世に、陸自に入隊する、しかも好んで兵隊やってるミリヲタはむしろ喜んでるだろw リアル「天は我々を見放したぁ!」って叫べるんだぜw 弘前隊は小峠付近で疲れきった案内人を置き去りにしていった >>148
高倉健をヒーローにしたいばかりのあの辺の改変はなあ 秋吉久美子と暖かいとこであんなことこんなことやるほうが俺はいいかな 現在の八甲田山冬の観光は?ゲートしまってしまうん? >>67
露助はウォッカという暖房飲料があるから平気で攻めてくるよ >>155
もちろん閉まってるよ。
4月1日に開通する。
道路わきの雪の回廊は高さ10mくらいある。 今は雪山登山のノウハウがいくらでもあるし当時とは装備が格段に違うから
戦前の精神主義が招いた悲劇だね敵を知り備えるのは基本中の基本 誰か一人を犠牲にして、そいつを何人かでドリル状に回転させつつ進んでたら
生還できたかもしれない >>122
別にいいじゃねーか
愛国戦士たるもの先人の御霊に敬礼のひとつでもして差し上げなさいよ >>67
あいつらはウォッカがあればタンクトップ1枚で余裕だぞ >>157
酸ヶ湯温泉とかも行けないの?
八甲田スキーは?
八甲田ホテルは行ける? 指揮官の能力は最早関係無いからな
目的地を動画で見れば最初から遭難する予定だった事が解る
これもYouTubeからの受け売りだが山縣失脚のためかどうかは分からんが実地前の不可解な人事や少佐自決の可否やそれを確認した他所の隊からわざわざ呼ばれた軍医の謎の死等仕組まれてた感満載 青森隊は重さ30キロの銅鍋を積んだそりが足を引っ張った。
東京から来た士官たちは田代の温泉にタオル1枚で行く感覚だった。
あの辺は周り一面真っ白でなにも見えなくなる。
あんなとこ軍手2枚にチマゴ履いて歩くとかマジ無理。 >>163
雲谷ゲートから酸ヶ湯温泉ゲート、八甲田温泉ゲートまでは、午後9時から夜間通行止めだが、
日中なら八甲田スキー場も酸ヶ湯温泉も八甲田温泉も行けるよ。 今朝のNACK5で
「八甲田山消された真実」が紹介されてた >>110
日本列島は亜寒帯から熱帯まで伸びる気候の変化に富んだ大きな島国で
有事に際しては温かい地方、季節でばかり戦うとは限らない
ロシアは今も自衛隊にとっては最重要仮想敵の一つなんで
少なくとも雪山で戦うための訓練は必要になってくる
乗り物に関しては
確かに現代の歩兵部隊は大抵が自動車化されていて
その場合、部隊全員を基地から戦地へ、戦地から戦地へ輸送するのに
必要なトラックの数は確保されてるんだけど
戦地の中での進軍となると、敵の攻撃を耐えられる装甲車は高価になりがちで
先進国でも全員分を揃えるのは難しい
だから戦況によっては、戦場を徒歩で移動する歩兵というのがどうしても発生してしまう
また地形や気候にも影響される(ヘリもそう)
アフガンじゃ山岳地を車両が通れないんで、米軍でさえ歩兵は徒歩で移動しなきゃならなかった
特に雪山ともなると、雪上車も必要になるけど
これもまた特殊な車両なので、積載量1トンの型が、3トン半の普通のトラックの3,4倍の値段する
よって多くは揃えられない >>172
スキー
多分カンダハーっていう種類なのかな?
つま先だけ皮かなんかで固定されてて、踵がプラプラなの
テレマークっていうのと似てんだけど、自衛隊の人はアルペンスタイルでがっしり踵で板抑えながら滑ってる
あれで不整地とかかなり難しいと思う 油紙入れるって靴の中の撥水効果を期待してか?
濡れるの前提か? >>179
当時はゴム長靴が貴重品だったから撥水というか防水ね。
さきには唐辛子を入れておくのです。
濡れた場合はさっさとはきかえられるようにかわりをもっていってたはず。
遭難した青森隊はそうしてない兵が多かったようだが。 資料館と幸畑の陸軍墓地行ったけど、やっぱ軍隊って
階級がすべてなんだね、墓石の大きさの違いがなんかもう・・・ >>185
宿泊したホテルの混浴で前田吟にマムコを見られた人 >>186
自分は歩測担当だからそれだけでいいすねーって言ってたのにそんな役得w
弟凍ってたけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています