元始、うたは言霊の発現であり、実効性をもつ祈りであり呪いであった。そして歌集の編纂、すなわち編集行為は
それ自体が編集者の思想信条の表現である。朝鮮侵略戦争に血道を上げ、軍事に長けた地方豪族を戦争動員で
消尽した、古代の近畿天皇王朝…。その中央王権に翻弄されて戦死した青年兵士と、その死を悲しみ入水自殺した
許嫁少女の悲恋を、悲しみつつも憤激して歌った『万葉集』の挽歌は、それ自体がすでに“戦争への呪い”であった。
紀貫之はこの歌へのオマージュを、よりによって「賀歌」と称し、『古今和歌集』に何食わぬ顔で載せたわけだが、
これは“天皇の好戦主義”への呪いの増幅維持作業に等しい。古代の勅撰和歌集と、その編者たちの氏族的・
歴史的な背景や政治的な境遇を分析すれば、その分析吟味から新たな和歌の姿が見えてくる。

泉州・堺の漢方薬問屋の息子で、日蓮宗の坊主でもあった高三隆達の『隆達節』に収録された数曲を見てみよう。
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Dの「荒波かそなたは」というのは性愛の真っ最中の、忘我状態で興奮きわまって肉体をくねらす相手のことを
唄った歌、と解釈できるし、Eの「ぬれてこそ」の「ぬれる」も現代のエロ歌謡やエロ映画でも常用されている
「情交」を意味する言葉だ。これを踏まえた上で君が代を解釈すると、こんな歌謡が現れてくる――。
解釈@…きみが夜は 千夜に八千夜に さざれ石(=萎縮した男根)の 岩穂(=大きく硬く勃起した男根)と成りて コケのむすまで
解釈A…きみが夜は 千夜に八千夜に さざれ石(=萎縮した男根)の 岩(=大きく硬く勃起した男根)ほと(=女陰)成りて(=性交成立) コケのむすまで(=永久に結合したい)


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