「語り継ぐのが使命」 阪神大震災で「下敷き」経験の退職警察官 兵庫署
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阪神大震災当日、兵庫県警兵庫署の当直責任者だった山崎保(やす)さん(60)=同県西宮市=は昨年9月の退官後、初めての1月17日を迎える。倒壊した署の下敷きとなって仲間に救助され、多数の犠牲者を検視した。「生と死」に向き合った警察官人生に終止符を打ち「あの日のことを語り継ぐのが使命かもしれない」と新たな一歩を踏み出した。

 署の刑事2課長だった山崎さんは1995年1月17日午前5時46分、1階の宿直室で仮眠中、地響きのような音で目覚めた。4階建ての庁舎は全壊、60センチほどの隙間(すきま)に閉じ込められた。両足は挟まれ、頭からは流血。ガスの臭いも漂い余震も続く。
がれきの隙間から懐中電灯の光が差した。「地震で1階がぺちゃんこになっています」。同僚の言葉に初めて状況がのみ込めた。若手の署員らが県警本部に無線で連絡、午前9時半ごろ救出された。

 病院で頭を10針縫ってもらい、検視にあたった。別棟の道場や駐車場に遺体が並び、次々運ばれてくる。まるで戦場だった。今にも目を覚ましそうな若い男性や、火事で骨だけになり性別も分からない人も。「圧死」「焼死」と判断して書類を作り、遺族に引き渡した。

 小学校低学年くらいだろうか。ジャンパー姿の少女が、姉と思われる遺体をじっと見つめていた。同じ年ごろの我が娘の姿と重なる。声を上げて泣くわけでもなく、静かに立ちすくむ様子に胸が締めつけられ、かける言葉もなかった。「あれほどつらい経験は後にも先にもなかった」と振り返る。