いかなる時代でも、いかなる社会でも、個人の仕事がなにかの新しさを発揮できるとしたら、長期にわたる訓練や修業を積んだあとで、はじめて新しさが可能になるのである。

それも努力してやっとわずかばかりの新しさが出せるにすぎない。

そういう経験は、今日でもなお実社会を動かしている現実の法則である。

日本でも伝統芸能や職人芸はもとより、近代的テクノクラートの職業においてさえも、この法則は決して死んでいない。

しかしどういうわけか【パヨク(ゴキブリ在日韓国人)が支配している日教組】だけが、このような法則を避けて通ろうとする。

いわく児童や生徒の自主性を育てるという。いわく学生の自由な判断を尊重するという。個性をたいせつに扱うという。

しかし結果的に、青少年は無原則、無形式の中で自分を見失い、自己形成の契機をつかめず、かえって古くさい既成の概念にもたれかかり、ステロタイプの枠の中に閉じこめられることが多いのである。

個性は決して主張するものではなく、意図せずして自然ににじみ出てくるものである。