これは歴代沖縄県知事の仕事

本土復帰後初の沖縄県知事訪米は、85年の西銘順治知事から始まっている

西銘知事は当時のワインバーガー米国防長官らに基地の整理縮小や実弾射撃演習の廃止などを訴えた
次の大田昌秀知事は米国留学経験もあり、2期8年でほぼ毎年、7回渡米し当時のペリー国防長官やアーミテージ国防次官補らの他、
国務省の高官や海兵隊のカール・マンディ総司令官らと会い、沖縄の実情を説明し、基地の返還を要請し続けた
太田知事の訪米の際に米国では、駐日大使や複数人の上下院議員らに加えて、
太平洋区域司令部のスミス副司令官(海軍提督)及び国防情報センターのジーン・ラロック所長(元海軍少将)や基地閉鎖統合委員会のジェームズ・クーター委員長らの厚意的な協力を得て
沖縄の米軍基地問題を米国で訴えていた

太田昌秀知事の後、稲嶺恵一知事も01年に訪米、04年に発生した普天間米軍ヘリ大学墜落事故後の05年と2回訪米し
01年の訪米では当時のパウエル米国務長官と面会、アーミテージ副国務長官とも会談を行い
さらに03年にも、普天間基地を視察しに沖縄に来たラムズフェルド米国防長官との会談で沖縄の米軍基地過重負担の軽減を直訴した