歴史の“恨み”は消えないこともある。
1987年、会津藩の城下町だった会津若松市は、長州藩の藩府だった山口県萩市からの姉妹都市提携の申し出を断った

▼徳川家の一門だった会津藩は幕末、長州藩や薩摩藩などを主力にした新政府軍に敗れ、多くの犠牲を出した。戊辰戦争である。
120年の節目を前に「もうそろそろ」と和解を考えた萩市に対し、会津若松市民は「時期尚早」と猛反発した

▼それから30年後の昨年、地元紙の福島民報は戊辰戦争150年と題して長期連載した。
犠牲になった郷土の志士たちをたたえ慰める活動の数々や人々の思いをつづった。
山口県や鹿児島県にわだかまりを抱く人はまだいるという

▼勝者がいれば敗者もいる。光は影を伴う。それが歴史である。
明治維新150年を賛美する言葉ばかりが流布している昨今の状況に警鐘を鳴らす識者もいる

▼「日本ナショナリズムの歴史」(高文研)を出版した元編集者の梅田正己さんは「明治は変革の時代でもあるが、日本が植民地を獲得していった帝国主義の時代でもある」と話す。
1879年の琉球併合(「琉球処分」)はその大きな一歩だったとみる

▼「琉球処分の再来だ」。
辺野古の新基地建設をそう呼ぶ県民からは、明治賛美は戦前回帰に映るだろう。
歴史のわだかまりどころか、“逆流”を実感してしまう厳しい現状が沖縄にはある。

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