台湾少年工、留日75周年で記念式典、顕彰碑もお披露目
先の大戦末期、旧日本海軍の航空機工場「高座海軍工廠(こうしょう)」(現在の神奈川県大和市など)で、戦闘機の製造に従事した台湾の元少年工の来日75周年を記念する歓迎大会が20日、同市内で開催され、
台湾少年工をたたえる顕彰碑の除幕式も同日、同県座間市内で行われた。
元台湾少年工計22人やその家族、地元関係者計約500人が旧交を温めた。元少年工の高齢化で、大規模な歓迎式典は、今年で最後となる。
戦時下の労働力不足を補うため、日本政府は終戦までの2年間で、航空機技師を目指す約8400人の少年を募集。選抜された少年たちは、空襲の恐怖と戦いながら戦闘機「雷電」の生産に没頭した。
戦局が悪化するにつれ、空爆で命を落とす仲間もいた。戦後、台湾に戻った元少年工たちも、日本軍に協力をしたとして、国民党から弾圧され、苦難の日々が続いた。
こうした歴史を背景に、日台の交流は75年間続いている。同式典では、元少年工全員に感謝状が贈呈された。
元少年工で同窓組織「台湾高座会」総会長の李雪峰さん(92)は「こうして戻ってこれることは、本当に涙ぐましいこと。日本は第2の祖国であり、故郷に帰ってきたような思い。戦争を知らない世代に歴史を伝え続けていきたい」と述べた。
戦中に父親が少年工の寄宿舎の舎監だった縁で、生活を共にしていたという「高座日台交流の会」会長の石川公弘さん(84)は「こうした歴史と真実を知ってもらいたい」と語った。
https://www.sankei.com/life/news/181020/lif1810200048-n1.html