“喧嘩番長”と呼ばれた米国の元プロレスラー、ディック・スレーターさん
(本名リチャード・ヴァン・スレーター)が現地時間18日、米国で死去したと現地のメディアが伝えた。
67歳。死因は今のところ不明。

スレーターさんは大学でレスリングとアメリカンフットボールを経験し、72年にプロレス入り。
荒々しいファイトスタイルの悪役として、多くのローカル王座を獲得するなど活躍。
私生活での気性の荒さでも恐れられた。80年代後半からはWWF(現WWE)、WCWなどにも参戦。
95年にはバンクハウス・バックと組んでWCW世界タッグ王座を獲得したが、96年に背骨のケガのために引退した。

74年に全日本プロレスに初来日するなど、来日回数も豊富。
日本ではドリーとテリーのファンク兄弟の弟分として善玉で人気を博し、“喧嘩番長”と呼ばれた。
80年にはチャンピオンカーニバルの優勝決定戦でジャンボ鶴田さんと対戦、
83年にはロディ・パイパーと組んでジャイアント馬場、鶴田組のインターナショナルタッグ王座に挑戦するなど、
鶴田さんのライバルであった。
https://www.daily.co.jp/ring/2018/10/19/0011743612.shtml
ディック・スレーター(右)
http://www.prwrestling.com/nw/wp-content/uploads/2018/10/SLATER.jpg