1970年には、この怒りが爆発。当時、米軍の兵士による交通事故で沖縄の住民に死者が相次いで出ていました。
しかし、米軍兵士の刑は非常に軽いもの、あるいは無罪となっていたんです。
これらのことに住民は怒り、群衆が嘉手納基地に押し寄せたんです。
これにアメリカ兵は銃を構え威嚇。
これで群衆は引き上げた為、最悪の事態には至りませんでしたが、米軍で61名日本側に21名の負傷者が出ました(コザ事件)。