今川氏真は戦乱の世の中を生き延びたんだから賢かったんではないの?
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孫は徳川の家臣になりました。現在の荻窪あたりが領地として与えられ今川の地名が残っています。 親の仇の前で
『おい、お前リフティング上手いみたいじゃん やってみろよw』
と言われてホイホイやった男 武田勝頼とかの末路を見るに逆に有能というきがしてくる 劉備の息子と同じだな
統治者とか殿様としては超無能だけど
個人としてはわりかしまともな部類だったんだと思う
単なるお馬鹿さんではない 元家康の上司だし。
ぬっころしたら体裁悪いし。
まあ豊臣とかぬっころしてるんだが 観点の違いで有能と無能の評価は変わるかた
どの観点でも無能なのは一条カネさだ 義元死後もあんだけの国力と兵力がありながら、
武田徳川につまらん計略ばっかり仕掛けてたのが不味かったな 父の敵信長の前で舞を舞ったらしいが
現代版でいえば
母をレイプし殺された敵の前で、ストリップさせられる事やろな
「もっと股広げんかい!」「小便垂れ流せや!ウンコ食えや!」「順番にまな板ショーしよか」 >>12
暴君である孫堅やそんこうと比べたらリュウゼンは明主といえるよ
とくに悪政したわけじゃない あの時の信長は追い詰められたねずみ
窮鼠ネコを噛んだだけの話。 暗愚と評のあった人物がどいつもこいつも再評価されまくり
今川もそうだし劉禅もそうだし
呂布なんか政治も知略も優秀になってる どの大名一族も結構生き延びてるが
滅亡して途絶えたのは武田家ぐらいじゃねの? 氏真は戦国大名としての才能がなかったんだろ
でも馬鹿じゃなかった
そんだけだな
キングカズとか貴乃花が政治力ないのと一緒だ クズ野郎を再評価したり、反対に偉人は実はクズだったって書いた方が売れるだろww 武田、今川の滅亡を見てきてなんで北条があの展開で滅亡するかが全く理解できない
毛利長宗我部島津と下した豊臣になぜ抗戦するのか すべてをかなぐり捨てて命だけにこだわった人、かな
まあ人それぞれじゃないの >>30
末裔は創価学会の第四代会長にもなったしな。北条浩。 そらお家捨てて匿ってくださいやってりゃ生き延びられるよ >>21
ぜんぜん違うと思うんだけど、関連性を説明してくれない? >>8
勝頼は詰んだ状態を受け継いだだけだから評価しようがなくね 氏真wとかいいだすやつって
信長の野望でしか知らないでしょ?
俺もだが 家臣がバカでオヤジのことばかり持ち上げてグダグダ言ってくるような奴らばっかりだったらどうする?
野心が無ければそんな家臣なんかどうでもいいだろ >>26
勝頼は途絶えたが信親が残ってるんじゃなかった? 晩年はいつも長話ばかりして家康が参ってたんだよな。
まぁ憎めないキャラだったんだろう。 >>21
たとえで言うなら半沢直樹が大和田の前で自殺した父親の物真似をするのほうが近いかも 鞠を蹴り損ねたふりをして信長の顔面に蹴り入れるくらいの気概はほしかった
即座に土下座すれば許してもらえるかもしれんのに とんだアクシデントで親父が死んで
次々と国人の離反がでるなかでの10年間の運営だからな
まあでも英傑と呼ばれる人間はそこからでも建て直すような人間なんだろうし無能なんだろう いろいろ批判されたけど 他ではザコ扱いされる氏真君の出番があれだけ多かった直虎は ある意味貴重なドラマだよな >>46
信長、秀吉、家康、信玄、元就、早雲とかなら氏真と同じ状況でも建て直せそうだな
勝頼もギリいけそう 輝元だと無理っぽい 義元と信虎の血を継いでるんだよな
そして大名ではないが子孫も家もある
世渡りすげーな 武田に領土奪われて徳川も裏切って世渡り上手くないのに、何故か4家も大名を輩出した小笠原氏。 うろん(乱雑)天下一とか言われて嘲笑されてた織田信雄もなんだかんだで生き残って家系は明治に至ってるな 個人の素質つーかされた教育と個人の能力だけなら同世代の中でもトップクラスな人材。 光栄の信長の野望〜武将風雲録だと
教養はあるけど 政治 武力が からきしだからな
育て甲斐はあるんだが
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄
( ´・ω・) < まあ 今川焼でも食べて考えよう
( つ旦と) \____
と_)_) 大名として滅亡はしても子孫残るよね、尼子とか
アマゴワクチンすげえわ 親の仇の部下になるってさ
戦国時代ならゴロゴロいたろ 似たような境遇の斉藤龍興に比べたら優遇されてる氏真は能力低く見える
地縁があるとは言え再出発した徳川に負けてるし豪族や家臣に信用なかったんだろう
親のせいかもしれないけど 文武両道な人物だけど、戦国大名×のスキル持ちだったからな
足跡追いかけると家康の将軍就任の影の功労者っぽいわ
息子や孫が幕府で式典とかの作法指南の高家職になってその分野で天下取ったり
彼に刃を向けた連中が悉くろくな死に方してない中、家族に囲まれて畳の上で息を引き取った勝ち組だよ 足利幕府の身内って、
大内、尼子、山名、今川、武田、であってる? >>31
中枢に秀吉嫌いのアジテーターがいたんだろう、信長嫌いのアジテーターがいた播磨の別所と同じたな >>8
どっちも有能だと思うがな
勝頼は信玄がどうしても落とせなかった城を簡単に攻略したりと戦上手だったから
死ぬまで戦うしかなくて
氏真は才能が別の方に向いてて戦下手だったから戦わない道を選べた 無用の用を体現してるんだよ
有能だと思われた奴は警戒されて潰される
役立たずだと思われてるから誰からも警戒されず生き残れる
荘子の説話にこんな感じの話よく出てくるわ >>68
幕府の身内ってなら三管四職の細川、斯波、畠山と赤松、山名、京極、一色じゃね 家康の下で再起を志して遠州で転戦してた頃が転機だったんだと思う
自分が諦めたら旧臣連中は徳川なり武田の家臣になって楽に生きられるのに
自分が頑張ってる間は忠義で縛り付けてしまう
信長の前で蹴鞠したエピソードは覚悟の表れじゃねえかな
俺はもうそういう世俗的な価値観には背を向けて生きるんだっていう >>46>>51
謙信も実質空中分解してた越後を短期間で立て直したからな 逆に義元の尾張侵攻があと2年早かったら
信長が歴史に名を残すことはなかったな。 創作だろうけど今川義元が山本勘助の見た目が悪いからって召し抱えなかったエピソードは考えるわ(´・ω・`)
召抱えていたら太原雪斎が死んでから随分役に立っただろうにって(´・ω・`) >>47
蹴鞠でしょ?
公家ですらグヌヌ状態で太刀打ちできなかったらしい 実在はしてたみたいよ
軍師?半兵衛官兵衛、宇佐美定満じゃ
あるまいしそんな奴いるかよ 義元に色々教養叩き込まれてたおかげだろうな。
教養大事
血脈も続くしな >>72
なるほど。
吉良と今川ってどっちが足利家内では上なの? おまいらには嘘番組と定評のあるヒストリアでも取り上げられてたけど、あれはホントだったの? >>38
信玄が死んだ時
あまりの借金の多さに嘆いたって言うね
すでに甲斐金山は掘り尽くし
近隣をちまちま攻め込んでは
略奪を繰り返してた
家康が甲斐を手に入れても
財産はもぬけの殻だった 氏真の能力はだいぶ見直されてるよ
家康が今川を裏切って岡崎で独立し
その後天下を取って
氏真が能力高い武将だったら都合が悪いから
氏真が愚将で今川の行く末が心配で
岡崎にとどまって
織田の猛攻を止めたと言うことにした 現代ならJリーガーだろ
元康「オレーオレオレーオレー」
雪斎「やえちゃーん、やえちゃーん」 野心を持たなかったのか表に出さなかったのかわからないけどそれも大きかったかもな。 豊臣家は根絶やしにされたんだっけ?
適度にお馬鹿なほうが生き残れる場合もあるのか 今川義元はどういう評価なんだ?
自分は超優秀だと思うが項羽並に >>8
勝頼は上杉の御館の乱の処理がミスったと思う そりゃそこそこ今川は賢かったんじゃないか?
天才の信長に奇襲でやられたがそれまで結構大きい領土納めてたわけだし
桶狭間の圧倒的兵力だったにもかかわらずあり得ない少ない兵力の信長に運悪く負けた事だけがクローズアップされて「無能」の烙印押されるってなんかかわいそうだな あの天下人家康を最大の窮地に陥れた三河一向一揆は
影で氏真さんが糸を引いていたんだぞ!
山岡荘八先生がそうおっしゃってたぞ! 織田のせいで消えた大名家
今川、武田、朝倉、浅井、六角、足利、北畠、
あんまりだよな、いずれも名家だぞ。死ねよクソ織田 未だ有能な家臣団がいたので家康の下で手柄を立てて城持ちになった
しかし領国経営に全く興味がなくまた家康の食客に戻ってしまった >>31
北条はまさか家康が秀吉に頭を下げるとは思ってなかったんだろう
小牧長久手でかっぷり四つに組んでる間は関東は安泰
ところがその後家康が上洛して秀吉の臣下になってしまい一気に大ピンチ
そうこうしているうちに大坂へ行く機会を失ってしまった >>93
景虎についてたら北条の下につかなきゃならんレベルになるからどうしても許せなかったんだろうねぇ
アレで家康が武田攻めを決めたらしいし >>97
浅井はほんとうちの無能のせいで滅ぼされてスマンカッタとしか言えない
義理堅いにもほどがある 元々武田ってのは家臣団が強くて大名の権力基盤が弱い
信玄パパの信虎が追放されるくらい
おまけに信玄時代の外交戦略で外には敵ばっか
勝頼の当時の地位は「諏訪家に養子に行った後見人」で
そんな状態で権力基盤作るにはオラオラ系で戦争しまくるしかなかった。
あの状況でよくやった方なんじゃないかと思う。 内をまとめるには外敵作ってしまうのが
最も簡単で効果的だからな。 戦国武将辞めてから家康の金で遊び歩いて幕府が出来たら速攻で家康の元へ
歌絡みで家康にウザがられる事もあったが屋敷や1000石与えられたりして仲は良かった模様 >>100
北条も、隣の大切な友邦の大戦争なんだから、
少数でもいいから、援軍を出せばよかったのに。
上方がどういう戦いをやってるのかを知る、良い機会になっただろうから
その後、分を弁えない選択をして全てを失うような事も
あるいは避けられたんじゃないの? 恨みを持つ敵は子供だろうと弟だろうと殺してきた信長に殺されなかった不思議 家中をまとめきれず、親戚を頼ったが再興どころか客分扱いされた時に彼の中でなにかが変わった。
あの時代に名や利よりも実を選んだ。
結果、今川家は滅亡大名でありながら安土桃山→江戸→明治と血脈を残した。
己の恥より妻子の命を優先した偉人である。さすがは義元公の御子息。 小田原の後北条氏だって北条攻めの時に子供は許されて、大阪の狭山で領地
をもらってるな 新宿古着屋ワタナベは生き延びてませんがダイバクショウ
もう死んでますよダイバクショウ 去年の大河で唯一良かったのは
氏真公の「戦なぞせずに蹴鞠で決めればいいのじゃ!」だと思ってる >>108
信行なら1度謀反を許して2回目やろうとしたから殺したんじゃなかったっけ >>92
信長の引き立て役のお貴族様なイメージが大きいけど
やった事は当時の最先端な事ばかりだし同時期の信長よりはるかに格上
楽市楽座も信長は今川からパクったようなもん まぁ大名としては身代潰してるわけだから無能だわな
個人として生き延びる事にかけては無能ではないだろうが、これも家康の知人、徳川が天下取った、という当人の能力と無関係な所によるからな
結局一番優れてたのは「運」 >>26
信玄の末っ子がネーチャンの嫁ぎ先の
上杉家に逃げ込んで家臣になってる >>77
山本勘助が実在した事は立証されている
がどの程度の人物だったのかは今もって謎 毛利はどっかで更に拡大発展して行ける道が有ったんだろうか
どのみちあの辺りが限界だった気もする >>108
信長は極端に身内びいきだぞ。長島一向宗虐殺も異母兄弟殺された仕返しだし、
弟の信行(信勝とも)は、>>116の書いてある通りで、信行の息子は津田性でありながら一門衆待遇。
ただし身内が裏切ったら反動で残虐度が増してる。
>>117
楽市楽座を考案したのは六角氏だ。 >>118
同意だな
それより朝比奈泰朝はもっと評価されて欲しい >>121
相棒wの朝倉さんも、陪臣ながら室町殿・義政
お得意の「一本釣り」を契機に
主家たる斯波に下剋上しているがなw 武田は武家として途絶えただけだしそれ言ったら今川も…… 妻の父親が三郎を上杉に養子に出して信玄を牽制したからだろ。 >>16
北条氏康の娘だっけ
今川家没落したあとも死ぬまで添い遂げたんだよな
三国同盟絡みの政略結婚で離婚しなかったのはこの人だけ >>131
それで思い出したけど、信玄の駿河侵攻で北条から離縁された長女黄梅院のお墓の寂しさは異常
寺無くなってるし
https://goo.gl/maps/beh1Fb49hco 今川氏真は疑心暗鬼になって部下殺しまくったのに報復されずに天寿を全うできたし末裔も残った
疑心暗鬼になってやらかすと大抵報復されるのに
長曾我部元親とか最上義光とか >>132
北条も小田原駅近辺にある氏政氏直の石碑がものすごく小さく設置されてる 部毘祖は戦乱の世の中を生き延びたんだから賢かったんではないの? >>114
去年の大河?
なんだったっけ戦国もの? この人って戦国時代の武田修宏のイメージがあるけど。武田修宏は昭和の今川氏真になるのか >>114
おばば様の命日に笙を吹いたら信玄が死んだ場面だろ >>108
実は裏切に関しても意外と寛容な部分もある。
家臣からしたら線引きが難しい >>22
劉禅は暗愚と言われるが、諸葛亮、蒋琬、費禕といった有能な家臣に丸投げしているし、
宦官重用したのも漢室に倣ってのものであり、時代背景からするとおかしい事では無い
姜維の暴走で蜀の寿命が縮んだと思われるが、国力の差からすれば遠からず滅亡していただろう 日本って他国に較べて
根絶やしはあまり無いよな!? >>142
天正の震災で山ごと土中に埋まっただけで誰かに根絶やしされたわけではw 根絶やしにするには山がいっぱいあって隠れるところ一杯だから >>38
そもそも勝頼は信玄に滅ぼされた諏訪家の跡取り。
そこそこ有能とはいえ、下請け企業(諏訪)の社長の勝頼なんかに御大(武田)の家臣は殆ど従わなかったんだろ。
最後、武田重鎮の小山田や穴山にまで裏切られてるし。 >>140
むしろ孔明があと十年長生きして北伐を続けていたら蜀は疲弊して孔明死後十年もたなかったかも? >>125
毛利は九州の大内遺領を大友に取られたのが痛かったな
博多を取ってたらだいぶ違ったろうに >>17
豊臣秀頼には娘がいて、大阪の陣の後保護されて尼寺マルっと一個贈呈されている。
関ヶ原以降の秀頼の行動次第では充分生き残れる可能性はあった。
正室の千姫は徳川秀忠の娘つまり家康の孫娘であり、秀忠の妻は秀頼の母・淀の妹だった。
つまりイトコ婚だったわけだ。
結局秀頼の、いや淀の戦略ミスで豊臣は滅んだ。
大阪の陣より前に大阪城を返上して国替えしてもらい、母・淀を江戸に人質に出し、
妻・千に子供を産ませたら、その子が男子女子に関わらず10歳になった時点で自分は隠居。
これなら家康は絶対に豊臣家を滅ぼさなかっただろう。
戦国〜安土桃山時代全体を通して見た時、家康はかなり優しい権力者だったと言える。 >>141
そりゃ平安時代に天皇が穢れを嫌い怨霊を恐れまくりで軍隊(国家の正規軍)を廃止してしまったくらいだしな
結局、武士もその影響を受けていて皆殺しはあまりやりたがらなかった >>1
愚かではなかったが、
親父の存在が大きかったのと、
周りが凄すぎたと思う >>11
幕府がほとんどの名門を子孫探し出してまで高家として取り立ててるからなあ >>145
家柄から言ったら、甲斐武田氏より諏訪氏の方が古いけどな〜 >>145
武田の家臣は独立性が高いしな。信玄の甲州法度も自領内では勝手に停止したりでなかなか言うこと聞かない連中
小山田や穴山なんてほぼ独立小大名状態で武田の軍事指揮下に入ってるだけのようなもんだし
そんな連中をまとめ上げて何とか国家運営してた信玄は有能ではあったが、跡継ぎの問題を解決できず
滅亡の原因を作ってしまったのは失敗だな >>146
諸葛亮ならその辺の匙加減はしっかりやって
蜀が侮られない最低限のラインを保てたんでないの?
姜維じゃとても無理だったけど まぁ良い殿様だったのは確かだろう
滅亡間近には家康に攻められまくって籠城してる重臣に、「今までご苦労、感謝してるよ」
って降伏許可状を出してるしな
つか、明らかに信長・家康・信玄による今川包囲網戦(恐らく信玄の主導)だったんだから
有能でも勝ち目なんか無い 信長は公家風の足利将軍を憧れていたから
公家風今川氏真には一目置いたと思うよ >>156
そもそも信玄自体が地方豪族に担がれた国主だからね
ちゃんと権力移譲できなかった時点で無能 東海道の弓取りとか越後の竜、甲斐の虎
このフレーズって後世で付けたんやってね
武門の誉れ高き家柄でもないんやね今川 足利、吉良、今川、北畠ことごとく滅ぼしたんだな信長はw
徳川、松平とかはやはりかっこ悪いな江戸幕府は 無能だから脅威と見なされずに生きながらえたのでは?
それって有能と言えるのか? >>149
島原の乱
家康死後の反乱だけどキリシタンだけじゃなくて西軍浪人も加担した
が裏切り者一人除いて3万近くの反乱者が根絶やしにされた
ちなみに裏切り者には妻子がいたが裏切り後に天草一派によって殺されてる コーエーが家康を過大評価してるから、家康といい勝負した武将は能力高くみたいので不遇な武将が結構いる 今川育ちだった家康の友人であり、家康が義理堅い人物だったから生き延びただけで、
本人の能力ではないような 信玄から駿河を取り戻した家康が、氏真に駿河を返そうとしたら信長に止められたって逸話が残ってるんだよね確か
「あんな無能にやるんじゃねえよ!」って 戦国中期にもなるとバッサバッサ人斬りまくってたわけじゃないからなぁ
政治的な戦略戦争で被害最小限に抑えてたし
切った張ったやり続けてたの九州勢力くらいで 大名や武将としては無能だが一般人としては多芸な良い人だったと思う >>166
島原の乱は外国勢力の影響下による宗教反乱だから
根絶やしにしても徳川家が特別に残虐無道だということはなかろう
切支丹政策については秀吉のそれを踏襲したものといってよい
中公新書「戦国日本と大航海時代」なんかは良書なのでおすすめ
氏真についていえば、暇にあかせて家康の元を訪ねては長時間昔話をするので
家康が辟易したという話が好き >>155
下克上の戦国の世で家柄なんて関係無いだろ。 2度ほど落とうとについて謀反しでかしてる柴田が結構な大家老になってたり、当時は裏切りなんて良くあるあると許されてたのかね >>164
今川氏真…戦国大名
劉禅…蜀漢皇帝
比べるのが失礼なレベルだけど、
今川氏真@信長の野望大志 統率24 武勇27 知略27 内政60 外政30 戦法:お調子者
劉禅公嗣@三國志13 統率34 武力19 知力30 政治35 伝授特性:人徳 戦法:天衣無縫 家康が有能だったのは幼少期に太原雪斎の教育を受けていたからだと言われてるんだけど、
氏真は受けてなかったんだろうか
それとも受けていたのにあのザマだったのか >>176
第一線で戦う教育受けた家康とは違う教育受けてるだろ >>156
当時の家臣団なんて殆ど豪族の集まりでしょ。
信長、信忠だって本能寺の後、家臣団の権力争いでグダグダになって織田家が分裂した訳だし。 >>12
劉禅は有能だろ。
仮に曹操があの状態で蜀を引き継いだとしても、やはり滅亡するしかなかった。
誰がやっても滅びることに違いはない。
劉禅は多くの血を流さずに滅亡を穏やかな形で収めた。有能以外の何物でもない。 >>26
武田家の末裔ってのがこないだ発生してたろ >>172
島原の乱の発端はキリスト教ではなくて藩主による厳しい取立てだぞ
島原の乱鎮圧後に藩主切腹も許されず斬首 >>176
家康と氏真の違いは部下への信頼
家康は色んな部下に裏切られても滅多なことで裏切り者やその家族を殺害するという厳しい処分はしなかった
(幼少時に家康を虐めた今川家臣を出世後に処刑したのみ)
氏真は部下の家族を殺しまくったから家康側に付いた 治世なら有能だったが乱世だから無能認定された
逆に乱世なら有能認定されてたであろう人もいるし時代が悪かった ・塚原卜伝の弟子
・長篠の戦に参戦していた
今川氏真についてあまり知られていない事だが、他に何かあるか? >>184
乱世治世の両時代で有能なのに父親と弟が偉大過ぎて評価が著しく低い真田信之 >>178
豪族にもいろいろある、信玄の武田家は家臣の領国経営にほぼ口出しできない状態
甲州法度も信玄が自分もこの法に縛られるんだからみんなも守ってねという状態
で、穴山、小山田は自領内で甲州法度停止をした(一次資料の文書あり)
小田原北条ではちゃんと検知も行うほど家臣の領国経営に関与
陶謀反直前の大内家では家臣領地の年貢の取り立ても大内の役人が行い
武断派は軍の指揮くらいしか仕事がない中華王朝の将軍状態(これが謀反の主な原因とも)
織田信長の家臣ではある程度領国経営を任されているが信長に指示されることも多々あり
本能寺の後は命令する主とその跡継ぎが居なくなったんだから分裂グダグダは当たり前じゃないか 氏真は生き残れたけど、お前らだったら根絶やしにされてるよ 氏真を保護していれば義元恩顧の地侍達を
治めやすかったんだろう。
家康にとっては養うだけの利点は大きい。 信長の前で蹴鞠披露した時も、実は暗殺しようとしてたが
信長が死ぬことで戦国時代が長引くことを悟り、あえて恥を晒した名君である 東海(トンへ)一の弓取りという二つ名から見て、当時日本海という名称は使われておらず東海(トンへ)単一表記だったことは明らか 杉並の観泉寺にある氏真の墓にお参りに行ったことがある。
こんなところまで流れてきたんだなあとしみじみした。
西荻窪から行ったがちょっと道に迷った。
西武線の上井草からの方が一本道で行きやすいみたい。 >>114
静岡がサッカー県の理由はそれかw(多分違う 今川家を捨てた徳川家からすりゃ暗愚でいてもらわにゃ困るしな 家康に敵対している人物も含めてガチクズがほとんどいない
山岡荘八の徳川家康において数少ない真性クズとして書かれていた。
築山御前が狂乱してしまったのもそもそもの発端は
氏真に手籠めにされたからで。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています