小児がん乗り越え「必ず両親を甲子園へ」 約束果たした折尾愛真の4番
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折尾愛真(北福岡)の上地龍聖(かみじりゅうせい)君(3年)は幼い頃、小児がんだった。生命も危ぶまれた時期を乗り越え、4番打者としてあこがれの甲子園に出場した。
【写真】入院中の上地君=2006年2月、家族提供
いきなりチャンスが回ってきた。10日の日大三(西東京)戦の一回表1死一、三塁。「どうにか外野まで飛ばそう」。思い切り振り抜き、左翼へ飛んだ打球はタッチアップに十分な深さ。先取点につなげた。
「おなか痛い」。2006年2月の朝、5歳の上地君は泣きながら目が覚めた。母の佐代子さん(45)は「胃腸の具合が悪いのかな」。父の晃さん(46)が連れて行った病院で腫瘍(しゅよう)が見つかる。血液がんの一種。医師からは「生存率は7、8割」と告げられた。
入院中、麻酔で眠らせ、点滴で抗がん剤を入れる。抜けていく髪の毛を面白がったり、医師にキャッチボールを挑んだり。無邪気な上地君のそばで両親は気が気ではなかった。「死んでしまうかもしれない」とハンディカメラで動画を撮り始めた。
治療は成功した。抗がん剤の影響で成長や運動能力への障害も心配されたが、小学2年からは本格的に野球をできるように。中学でも続け、先輩がいる折尾愛真への進学を決めた。甲子園出場実績はなかったが「自分らの代で甲子園に行く」と両親に宣言した。
中学校卒業の際、クラスで両親に手紙を書く機会があった。「とてもめいわくをかけてきました。絶対に甲子園に両親を連れていきます」。受け取った佐代子さんは、以前撮ったビデオを見せた。
グラブやバットに囲まれた病室で、福岡ソフトバンクホークスのユニホームを着る小さな自分がいた。髪はまばら、眉毛もない。佐代子さんは伝えた。「診察が数日遅かったらどうなってたか。今も『調子悪い』というたびに心配なんよ」
上地君は「生かされているからには、やる」と心に決めた。北福岡大会6試合で計67安打を放った打線では「つなぐ4番」として、9四死球を選び5盗塁も決めた。決勝は2安打2打点の活躍。スタンドでは佐代子さんが手紙を握りしめて泣きじゃくった。
12年前の退院の日。病院のテレビで夏の甲子園決勝を目にした。後に語りぐさとなる駒大苫小牧―早稲田実の引き分け再試合。「いつかこの舞台に」と願った。佐代子さんは「我が子ながら本当にすごい」。
かつての主治医からは「りゅうせい君は子どもたちのヒーローで、治癒をめざす親御さんたちの期待の星です」とメールが届いた。
この日、初戦で敗退した。それでも「野球を続けて、自分らの代で甲子園に出られた。両親には感謝しかありません」。(狩野浩平、岡純太郎)