京都御所で火災
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京都市消防局によりますと、23日午後9時すぎ、京都御所を管轄する皇宮警察から「敷地内のプレハブが燃えている」と通報がありました。
現場は京都御所の西側の「清所門」の近くにある工事用のプレハブと見られます。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180723/k10011545651000.html 人
∧_∧ ( 0 )
< `∀´> л シュボッ
 ̄ \ ( E)
フ /ヽ ヽ_// 来島またべい役長州力はないだろ・・・・
かつぜつ悪いし、半島顔だし 皇宮消防と皇宮自衛隊もいるやろ あと皇宮清掃局と皇宮水道局も >>32
明治維新で天皇が東京行ったらは御所を放ったらかしにして「狐狸の里」と荒れ放題にした京都人だよ
都合のいいときだけ天皇と御所を大切に思ってるアピールされてもw
小汚い腹の底見えてますわ
ちなみにこの事実は京都御所の説明看板に書いてあるからね >>9>>18
従来はかわら版の記載にある通り、[1] [2]乃美織江ら長州兵が撤退時に河原町の長州藩邸を放火したことが原因とされていたが、
西隣の寺町にある本能寺は長州藩邸制圧を狙った薩摩兵の砲撃により真っ先に焼け落ちており、
北側の角倉邸、南側の加賀藩邸や対馬藩邸、東側の鴨川対岸が無事に火災を免れた[3]ことから
「長州藩邸はすぐに鎮火されたが[3]、敗残兵が逃げ込んだ鷹司邸や民家が福井藩、一橋慶喜勢、会津藩・薩摩藩兵、新選組らの
砲撃により炎上し[4][5]、その火が延焼した」可能性も浮上している。
この際、敗残兵を匿っていないにも関わらず日頃勤皇派に協力的な施設も砲撃されている。[6]
なお鷹司邸は一橋勢が攻撃しているが、永倉新八の回顧録では大槻銀蔵が放火して長州兵を燻り出した新選組の手柄として
記載されている[5]。
国立歴史民俗博物館館長の宮地正人は「大火は、会津藩が長州残党を狩り出すため不必要におこなった放火が原因だ、
との感情が強く」と町民からは評判の悪い会津と新選組が原因扱いされていたと指摘している[7]。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています