村上春樹の小説って意味不明な展開が続いて、話が長いだけで面白くないよな
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<奇妙な展開だらけの村上作品の世界的ヒットは特徴ある商品が上手に売られている感じ――文芸評論家でもない一読者としての私的作家論>
話のできる猫、未来を見通すカエル、謎の羊、消滅する象。時間移動、パラレルワールドの扉、消える語り手......。
これを読んで「もっと聞かせて!」と思った人は、きっと村上春樹の小説のファンだろう。
逆に、わずかでも現実に起こりそうなことを書いた小説が好きな人なら、
僕と同じく、あんなバカバカしくて不合理な話を、この分だと結末もまともではないなと思いながら何百ページも読む気にはならないはずだ。
村上が世界的な現象であることは確かだ。彼の本は大ヒットし、数十の言語に翻訳されている。
村上は、僕がロンドンのバスやニューヨークの地下鉄の中でその作品を読む人を目撃したことのある唯一の日本人作家だ。
大江健三郎や谷崎潤一郎を読んでいる人など一度だって見たことはないが、村上を読む人を見掛けたことはたくさんある。
世界の多くの読者にとって、村上こそ日本文学なのだ。
日本が好きで、本が好きで、おまけに時々は走るし、神戸に住んだこともある僕にすれば、村上は気に入ってもおかしくない作家だ。
実際、僕は彼を好きになろうとしたが、逆に嫌いになってしまった。
僕にとって村上の小説はとても長くて、信じられないこと(悪い意味で)が書かれているだけでなく、偉大な文学が持つ意義や洞察に欠けている。
村上の読者は感銘を受けているのだろうが、僕はヤギの口から出てくる「リトル・ピープル」や、
月が2つある世界を読むと、そこにどんな意味があるのか知りたくなる。
何の意味もないのなら、奇妙さ自体に価値があるとされているわけだ。
しまいに僕は、村上の物語に入り込めなくなった。何が起きてもおかしくない世界では、いくら物語が展開してもあまり衝撃を受け得ないからだ。
物語の重要な場面に差し掛かり、主人公はどうなるのかと頭を悩ませていたら、彼が10年前の世界に飛んでしまったり、
突然2000歳のキツネが登場したり......という経験を僕はしたくない。
村上春樹の小説を僕が嫌いな理由
https://www.newsweekjapan.jp/joyce/2018/07/post-144.php あの長さはなぜ必要なのか
多くの人と同じく、僕が初めて読んだ村上の小説は『ノルウェイの森』だった。
けっこうセンチメンタルな物語だと思ったが、スタイルの面では優れた点がたくさんあった(それに、まだ物語として形を成していた)。
『羊をめぐる冒険』は、僕が大人になって初めて、自分で選んでおきながら途中で読むのをやめた本だ。
『アンダーグラウンド』はノンフィクションの秀作だが、村上作品の中では彼のボイスが最も聞こえないと思った。
『神の子どもたちはみな踊る』のような短い作品には読み切ったものもあるが、
『1Q84』のように1000ページを超える作品は手に取っていない。
村上のファンにすれば、そんな僕には村上作品を語る資格がない。
「読んでもいないものを批判するのはおかしい」というわけだ。
だが、あの旺盛な執筆量からすると、村上のファンでなければ作品を全て読もうとは思わない。
誰かが考えた策略ではないだろうが、「村上作品を批判する資格があるのは彼の作品が好きな人だけ」なのだ。
僕としては、彼の考えを伝えるのに、あれだけの長さが本当に必要なのかと問いたくなる。
大長編は非常に優れているか、非常に重要な作品でなくてはならず、さもないと自己満足に陥りかねない。
『戦争と平和』や『ドン・キホーテ』は、この条件を満たしている。さて、村上はどうだろう?
村上作品に長所がないわけではない(あの執筆のスタミナには敬服する)。
むしろ僕が気になるのは、村上の人気が不相応に高いということだ。
この点へのいら立ちは、日本でよりイギリスで強く感じる。
日本のファンは他の日本人作家も読んでいるだろうが、外国のファンは日本人作家の中では圧倒的に村上を読んでいる。
僕としては村上だけでなく、『個人的な体験』や『坊っちゃん』『細雪』『雪国』も読んでもらいたいと思う。
できれば村上作品より先に。
村上はジョージ・オーウェルやフランツ・カフカなど他の作家にさりげなく言及する。
音楽家についても同じことをよくやっている(ヤナーチェクやコルトレーンなど)。
ひいき目に見れば偉大な作家たちへのオマージュだが、
シニカルに見れば自分が偉大な先人に近づいたことを暗に伝えようとしたり、彼らの名声を借りようとしたりする行為だ。 ファンも魅力を説明できない
どちらにしても、村上の作品と彼が触れている作家の作品を比べたくなる。
『1Q84』はオーウェルの『1984年』の6倍も長いが、同じほど重要な作品だと誰が言えるだろうか。
『審判』が書かれてから100年が過ぎ、「Kafka-esque(カフカ的な)」という言葉は普通に使われている。
100年後に「Murakami-esque(村上的な)」が広く使われているとは思えない。
多くの人が村上作品を楽しんでいるなら、その人たちにはいいことだろう。
ただし僕が村上ファンと話をすると、いつも彼らは村上を支持する説得力ある理由を言えない。
「特別な魅力がある」とか「作品の空気が好きなんだ」と言うだけで、
村上が何について書いているのか、なぜ村上が重要かを理解できるようなことは言ってくれない。
あるファンが週刊誌に、村上を理解する「マスターキーはない」と書いていた。
「私は隠れた意味を探すのをやめた。そうすることをおすすめする」
だったら、村上は文学の殿堂に入るにはふさわしくないだろう。
僕にとって村上は、どちらかといえばポップな現象のように思える。特
徴ある商品が、上手に売られているような感じだ。ただ、それは必ずしも悪いことではない。
以前、村上ファンの多い所に居合わせたとき、僕は自分の考えを分かってもらおうと、
彼らのヒーローはどちらのグループに入るのが自然かと尋ねた。
1つは、サミュエル・ベケット、ジェームズ・ジョイス、ドストエフスキー、オーウェル......。
もう1つは、レディオヘッド、ポール・オースター、デビッド・リンチ、村上隆・・・・・・。 作家はものを書くのが商売なので頑張れとだけ
作風の好き嫌いは個人の感想なのでどうでもいい
ただ毎年毎年ノーベル賞の時期になると騒ぐ連中は〇ねば良いと思ってる 内容を語る意味あるのか
AKB48の曲を僕が嫌いな理由もお願いします つか団塊世代が何時まで経ってもノーベル賞が取れない理由は
当に村上春樹が取れない理由でもある 溜めるっていう動作だよ、ラーメン屋に長時間並べば味がよくなる とりあえず 奇人変人を出しておけばいい的なのが 多い 面白いと思ってることを、説得力を持って他人に説明するのは無理だし。 うん、時間の無駄 難しくないから何も考えないで読めるけど 世界の終わりとハードボイルドワンダーランド
ねじまき鳥クロニクル
この2つは読むべき
あとはまあ初期のネズミが出て来る3部作くらいかな 意外にだらだら書いてると空気感が出てきてそれっぽくなると思ってるのは
自分が書き手としてまだまだということでしょうか。 これには>>1に同意
と言うかネタ元も村上とかわらん。 嫌いな作家の海外人気が高くてイライラするって頭おかしいんじゃないのこいつw そうそう、平坂読がキャラの席順を図で書いてるの見て、
この人のデビュー作のTシャツの手法そのままではないかと思った。 高校の現国の先生がベタ褒めだったのでノルウェイの森を借りたが上巻だけでやめてしまった
だいぶ経ってから、金持ちで妻子持ちの主人公とビッコ引いたヒロインの不倫話を読んだが
やはり不快感ばかりが残った
無味乾燥なのに、どこか汚らしい感じがするんだよ
ちなみに、好きな作家は筒井康隆と司馬遼太郎です ミステリーのつもりで海辺のカフカを読むと
読後の不満感が凄い 要は団塊世代、世界的言う処のベビーブーマーの価値観なんだろ
80年代の中流幻想というものと根は同じなんだろうな
だから、今の時代だとああいう「ぼんやりとした豊かさ」に浸れる人は少ない 何が言いたいのか分からんから読んでしばらくすると内容忘れる >>30
おまえはオレかw
ちなみに軽く読み流すなら五木寛之 ヘンテコ信者が多過ぎたせいで
なぜか株を下げる羽目になった、ってイメージ 嫌いな人少なそうな北村薫とかのが嫌いだなぁ
女がみんな清廉潔白で人間味がないというか、細田守に出てくる少女っぽい感じの無機質で感情がない理想だけで成り立ってる人形みたい
村上春樹は無駄な描写多すぎるけど作者の言いたい世界かんは割りと好き この記者コリン・ジョイスて言うのか
ものすごく的確な書評だな フランス辺りの古典を模倣してるだけなのに
こいつ評価してんのは何時迄もヨーロッパ人崇めてる無能達だからな。 >>17
バーナード嬢を読みなさいよ
んなんいくらでも出来る
ビブリオ真っ向から否定してるな >>37
確かにブルーボトル的な忌避感は出てると思う 好きな人たちもいれば
嫌いな人たちもいる。
それが普通の人だよ。 南京か慰安婦肯定までしてノーベル賞逃がしたのがなぁ まったく興奮しない性的描写ばかり書き連ねているよね 読まない人間にとっちゃ、読んでなきゃまともな大人じゃないと言われるこういう作家はウザいしめんどい 村上春樹とかスター・ウォーズエピソード8とかの良さを理解できないやつって
増えたよなぁ。 素人からしたら分からんが大江健三郎は
論壇から評価されるに値する作品を書いてるんだろ?思想抜きでも
村上春樹がそうだって話をあんまり聞かんのだが 実際意味わからなければわからないほど良いみたいな馬鹿みたいな風潮があるからな
いまだにポストモダンがどうたら言ってるやつもいるししょーもない 世界の終わりは大人の童話的で良かった
羊系も好き
ノルウェイもまあ鉄板
ねじまき鳥クロニクルもなかなか
あと短編でちょくちょくいいのがある >>55
漫画のワンピースとかゲームのドラクエ11良さがわからんやつが増えたよな そもそも芥川賞すら取れてない泡沫大衆文学作家がなんでノーベル賞候補とか勝手に言われてんの? たくさん飲めるのであれば、カルピスをどれだけ薄めても構わないという人もいるだろう。 >>1
毎年ノーベル文学賞候補に挙がるのに未だに受賞していないのが最たる理由 >>1
まだ田中芳樹の銀河英雄伝説のほうが面白いわ >>64
これが真実ならなろうと変わらなくね?って思えた 俺も最近ネット小説とか読んでるけど、無駄に長々とどうでもいいことを説明してる作品を持ち上げる奴が多い気がする
そういうのが好きなんだろ
俺は無駄な描写嫌いだけど イラストがないライトノベルのようなものだろ
アクセル・ワールドと何が違うんだよ 俺も読もうと思って何冊か買ったけどあの甘ったるい文章読んでると
眠くなっちゃうんだよなあ完走した事一度も無い
知り合いが言うにはSEXすると世界が救われる話が多いと言っていた >>1
7/5 数十万人に避難指示が出されていた夜、
宴会、酒盛り、バカ騒ぎをしていた自民党議員
放置され、見捨てられた避難地域の被災者たち
結果、見殺しにされた200人以上の死者たち
それを正当化する自民党支持者たち
戦後最悪の人災を引き起こしたのではないか?
戦後最悪の人災を支持者は正当化している
罪深い・・ 彼らに人間の心はあるのか・・
苦しかったよ・・
いたかったよ・・
死にたくなかったよ・・
死にたくなかったよ・・
お母さんと離れたくないよ・・
お父さん助けてよ・・
自民党議員
「うえ〜い」「サイコー!!」「バンサーイ!!」
「楽しかった〜(笑)!!」「忙しかった〜(笑)」
自民党支持者
「東京じゃなくてよかった」「仕方がなかった 」
「逃げないのが悪い」「天罰だろ?」
「自己責任だろ?」「総裁選のほうが大事」
「酒飲みながらでも仕事はできる」
「準備は完璧だった」「ヤトウのせい」
「サヨクのせい」「マスゴミのせい」
「外国人のせい」
https://i.imgur.com/qCIjbrt.jpg
https://i.imgur.com/fjzo9lf.jpg
https://i.imgur.com/D8RaPdL.jpg
https://i.imgur.com/HzVKCtG.jpg 昔は面白かった
阪神大震災以降急に人恋しくなったのか作風が急激に変わったな
濃密なのにつまらない
随筆、紀行は一流 >>82
こんな気持ち悪い文章が延々と続くの?
ごめん、アクセル・ワールド以下だわ 短編とエッセイは面白いよ
長編はねじまき鳥しか読んだことないから判らん 海外小説の翻訳本を読むとこんな感じ。それを逆に翻訳するから海外で受けるのかしらね。 >>88
宮部はオリジナルはいいんだけどゲームのノベライズは最悪だったぞ
原作を尊重せず自分の解釈と妄想詰め込みまくってるから評価悪い 他人が考えた作り話をわざわざ読むのは時間の無駄だと気づいた >>54
今までそんなこと言われたこと無いので
今後も読まないと思うし特にめんどくもないな 安部公房がもう少し生きてたら、三人目のノーベル賞だった
こいつにはムリ もう一人居るよね
龍ってのが。
うどんとそばの違いなのか、ザルとモリの違いなのか、よくわからん。
違い教えて。 >>3
重要であるかをファンが説明できない事が、その作家に価値がないことの根拠になるのか?
村上作品の非論理性・非現実性をもってダメ作家の烙印を押すなら、
彼の無価値さを万人が納得できる論理で説明しないとただのいちゃもんになるよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています