少女だった昭和初期、家庭の事情や戦争の混乱で学校に通うことができなかった八十代の女性が、夜間中学と夜間の定時制高校で学び直している。夫の三回忌を終えた
四年前、「人生でやり残したことを」と思い立った。学ぶ喜びをかみしめ、十代の生徒たちに交じって青春を謳歌(おうか)している。 (川田篤志)
四月下旬、都立足立高校の定時制。午後五時四十五分から始まった化学の授業で、大森みどりさん(88)=同区=が背中を丸め、一生懸命に黒板を書き写していた。
「覚えるのは苦手だけど努力家です」と話すのは、一年生時の担任阿久井正己教諭(59)。同級生も一目置き、担任の名前は呼び捨てにしても、七十歳近く年長の大先輩には「さん付け」になる。
生徒約二百四十人のうち五十歳以上は六人で、大森さんは最高齢だ。得意科目の地理や国語を同級生にアドバイスする代わりに、スマートフォンの操作を教わる。苦手科目は
数学で「青春にはこんな伏兵がいたのか」と苦笑いする。
世界恐慌が起きた一九二九年に生まれた。三歳の時、子どものいない親族の養子に。尋常小学校五年の夏、養父から「女に学問はいらない」と子守を命じられ、学校通いを禁止された。
「悔しさのあまり舌をかんで死のうとしたけど、痛くて諦めちゃった」。家計は苦しく、その後も学校に通えなかった。四五年二月に空襲で南千住の実家が焼失。
数日後に養父が病死し、失意のどん底で終戦を迎えた。十五歳だった。
「無一文で、食料難の殺気だった世の荒波に放り出された。何の希望もなかった」と振り返る。
戦後は国鉄の電話交換手として働き、結婚して三人の子宝に恵まれた。六年前に夫が亡くなり、三回忌を終えた二〇一四年、「失った学校生活を取り戻したい」と決心。
地元の夜間中学に入学した。数学では分数を丁寧に教わり、学ぶ楽しさも知った。
同高の定時制課程は四年制で、三年後に卒業できる。目標は、墨田区の自主勉強会「えんぴつの会」の先生役になることだ。戦争の混乱などで学校に行けなかった
高齢者や在日外国人らの学びの場で、教員OBらが週二回支援している。大森さんは「学んだことを生かしたい。同じ境遇の人の励みになれたら」と意気込んでいる。
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