アメリカ軍のオスプレイが、繁華街や住宅地の上空を飛び、5日、東京の横田基地に到着しました。配備の前倒しが突然発表され不信感が
高まる中、かつて米軍機が墜落し幼い兄弟と母親が亡くなった横浜のある町では、強い不安の声が聞かれました。

 「今、オスプレイが飛び立ちます。回転翼がスピードを上げています。今、4機目のオスプレイも離陸しました」(記者)

 午前11時すぎ、横浜港の米軍施設から相次いで離陸した5機の米軍輸送機、オスプレイ。3日、在日米軍が横田基地への配備を前倒しす
ることを突然、発表したことを受け、5日、横田基地へと向かいました。回転翼の向きを変えて一気に加速し、横浜ベイブリッジの上空を通り抜けていくオスプレイ。どのようなルートを通ったのでしょうか。

 横浜港を飛び立ったオスプレイは、東京湾を南側へと向かいました。三浦半島の南側を回り、相模湾へと迂回したとみられます。その後
、JNNのカメラがとらえたのは藤沢市の江の島。遠くに5機が連なっているのが分かります。江の島の西側にある神奈川県平塚市の相模
川の河口で、オスプレイは陸地へと入っていきました。住宅街のすぐ上を5機のオスプレイが並んで飛行するのが分かります。そしてついに、オスプレイは東京の上空へ。八王子の住宅密集地の先を横田基地へと向かっていきました。

 「現在は住宅地の上、福生市の住宅街の上を、5機が飛行している状況です」(記者)

 およそ30分にわたって東京、神奈川の上空を飛行したオスプレイですが、40年あまり前の1977年、
横浜港から横田基地を結んだ直線上の住宅街では、米軍機による悲惨な事故が起きていました。

 「今から40年前、米軍機が住宅地に墜落しました。こちらが墜落の現場ですが、当時の面影は残っていません」(記者)

 1977年9月、住宅が広がるこの場所で事故が起きました。米軍厚木基地を飛び立ったジェット機が、当
時の横浜市緑区に墜落。墜落現場の自宅にいた3歳の土志田裕一郎ちゃん、1歳の弟、康弘ちゃんが大やけど
で翌日死亡し、母親の和枝さんも重傷、その後亡くなりました。いまから、20年前、和枝さんの父親はこう語っています。

 「ここの公園全体が焼けた。1本も木がなかった。この場所は来たくない場所、めったに来ないですね」(亡くなった和枝さんの父 勇さん[97年10月])

 観光名所の「港の見える丘公園」には被害者がモデルになった母子像が置かれ、市民にとって忘れられな
い記憶となっています。当時、墜落現場の近くに住んでいた斉藤真弘さん(76)。事故の関連資料を集め、いまも語り部として活動しています。

 「こういう破片がまだ落っこちてたんですよ。これはもともと米軍のもので、掘ると出てくるから皆
さん拾って。白い煙というか湯気が立ち上っているようなね」(斉藤真弘さん)

 横田基地へのオスプレイ配備については、情報開示が不十分だとしています。

 「一番危険な人口が密集しているところで、実際置くのはおかしい」(斉藤真弘さん)


http://news.tbs.co.jp/sp/newseye/tbs_newseye3335232.htm