下剋上の有名人 津軽為信・北条早雲・斎藤道三・宇喜多直家・毛利元就、一番悪は誰?
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宇喜多かな・・・宇喜多以外は当時流行のお家騒動がらみやしな(´・ω・`) 中国の覇者とか最強毛利軍とか言われるけど
実際に毛利が最強だったのは
大阪夏の陣より絶望的な状況を巻き返し
あまつさえ幕府滅ぼした幕末長州藩だと思うんだ 悪魔の毒々戦国武将津軽為信さんが半歩抜きん出てるイメージ
どこまで裏取れてるのかわからんが周囲の毒殺謀殺が結構多いって話はよく聞く 関ヶ原での小早川秀秋の寝返りは10代の若殿とはいえ。。
信頼を捨てて害悪なすという点では満点だろう。 >>14
九州勢も為朝1人に無双された過去あるしな 明智光秀
斎藤義龍
朝倉景鏡
穴山梅雪
陶晴賢
三好長慶
織田信行 度会家行
アマテラスの門番的なポジションの配膳係な神様をアマテラスより格上にしやがった 宇喜多毛利親族の敵討ちという仕方ない部分がある
北条斎藤はほぼ無から勝ち取ったからすごい
一番悪は南部のもとでそれなりに優遇されながら裏切った津軽だな、豊富徳川にもうまく取り入りやがって >>15
津軽独立までは確かにえげつないが、恩がある九戸や石田三成の遺児を匿ったり、
徳川時代に秀吉像をこっそり祀ったり、かなり義理堅いオッサンでもある。 斎藤道三は最近の研究じゃ1人で乗っ取ったんじゃなくて何人かの功績が1人にまとめられてるってことと
油売りではなく土岐氏という名門出身らしい 下剋上って範囲広いよな
宗家倒して守護倒して将軍倒した信長も下剋上だし
三法師を傀儡にして実権握った秀吉も下剋上だし
一応の主家筋豊臣家滅ぼした家康も下剋上だし >>23
南朝の今日処刑する皇族の毒薬を泣きながら作ってた皇帝みたいなサイコパスなんじゃね 北条はよくわからんなあ・・・なんで北条名乗ったんや
伊勢のままでよかったんちゃうんか・・・厨二患ったんか息子さん(´・ω・`) >>10
南部の家臣だったのに津軽を奪ったからじゃね?
遺恨は数百年続いたし >>30
そういう割れてみれば、代替わりって代替下克上だな
討幕やった幕末のあいつらもいうならば下克上か 南部は三戸の下にみんなが傅いてたわけじゃなく同族連合だったからな
つきあいが浅いとか気に入らないとなれば領地を奪うくらいのことはあっても不思議じゃない 俺は岩倉具視だと思う
地下人同様の貧乏公家が摂関家より上に行ったんだからな >>27
まじか(´・ω・`)
教えてくれてありがとう 明智は信長に散々虐められパワハラを受け続けてたみたいだから
謀反で下剋上、と指さすのはちょっと可哀そう 三好長慶も被害者というわけではなく、自分もえぐいことしてる 石田三成の次男か三男が為信の息子に連れられて津軽まで逃げたじゃん
都会育ちには最果て津軽どんだけしんどかったろうなあ
でも子孫は明治まで家老職ってすごいわ >>32
何かで見たのだと、関東で受け入れられるためらしいけど……どうなんだろうな? >>50
善人の塊みたいな親父や兄ちゃんは息子と共に佐和山で戦死してんのに
意外としたたかに生き残ってんだよな三成の息子たち 陶隆房 宇喜多直家 そしてバサラ大名の佐々木道誉を演じてる
陣内孝則って ある意味スゴいな >>23
当時にしたら謀殺も武門の常的なところもあったんだろうしな
為信公一代記なんてドラマは無理でもヒストリアあたりで掘り下げてほしいところなんだが
成り上がるまでが凄惨すぎるしどうやっても南部を刺激してしまうしで難しいんだろうな ここに乗ってるやつより、一番力を持ってたのが松永久秀
一時は三好家と幕府両方を手中に入れてたようなもんだからな
そりゃ信長も一目置くよ 全員とてつもなく能力高いんだよな、甲乙つけがたい
一番悪党は織田信長違うか 主君殺し
将軍殺し
寺院に放火
信長の上を行く松永久秀 『津軽双花』という小説になった話で、息子の嫁は三成娘と家康養女。
謀略・外交と義理人情の綱渡りが地味に凄いな、初期津軽家は。 ノブヤボでは国持大名じゃないから地味だけど
畿内をこれでもかというくらい引っ掻き回した細川晴元 インパクトがあるのは松永久秀
逸話も豊富
某ゲームでも際立った強さがある 早雲は梟雄というよりエリート官僚が知事になった感じじゃないか
戰は下手だがすぐれた調整役で民政家 >>73
忠誠に篤く目に一点の曇りもない松永と
「人材より女の尻を追いかける方が良い方は我が主君にあらず」と仕官断る宗麟と娘婿の一条
がっぷり四っつの信玄公と高坂弾正は
様式美だな >>66
石田三成の娘辰姫と家康の養女満天姫が関が原から場所を変え為信が跡継ぎ信枚の正室として
静かに火花を散らす…ってなんか凄い大河チックな感じなんですがw
これはぜひとも読んでみたい 情報感謝です 南部家家臣の先祖を持つ俺。
ひいじいさんに、
「弘前には行っちゃなんねえ」
と、子供の時に言われた。
でも、うっかり弘前大学に入学しちゃった18歳の春・・・ >>74
官僚ならトップに尽くさないとな。
早雲は主家を明らかに乗っ取っている。それも子供を殺すというえげつない方法でね。 >>65
将軍殺しって結構レアなんだよな。他には赤松満祐と公暁くらいしか居ないんじゃね? >>81
じゃあ、将軍頼家を自領に押し込めた上、暗殺、
更に朝廷から追討令を出されたのを逆手に取って京を占領し、
天皇上皇を皆、島流しにした時政義時父子は最強なのか。 >>82
北条政子じゃね?
北条時政は引退させられてね? ダントツで斎藤道三
道三の成り上がり方読んだらマジで凄まじいぞ >>16
そりゃ秀吉の甥・養子で跡取り扱いされてたのが秀頼生まれて用済み扱いに一変だからな
それも毛利本家ならまだしも五大老とはいえ毛利の陪臣である小早川家に飛ばされ、、、
しかもその養父隆景が毛利本家を守るためにわざわざ小早川に来るよう秀吉に工作した結果
秀吉や小早川を恨んでもまあ仕方ない 津軽氏とかいう石田三成の娘と神君家康の養子を嫁に貰い関ヶ原合戦屏風も貰い藤原氏を名乗ることを許された4万石そこそこの謎の小大名
むしろ南部がお取り潰しにならなかった方が疑問 外道さで言えば親父を追放し息子をぶっ殺した信玄が一番だろう USENの社長親子が宇喜多みてーなんだよな
親父が勝手にケーブル設置しまくったりなんかしてやりたい放題で事業拡大してったけど息子はイケメンでちゃんとした人ってのが 南部は領地広い癖にお家騒動頻繁にやらかしてるのが大友みたいで好きになれない 斎藤道三こそ男のロマン
上司の妻を次々と寝とって、懐柔し
出世していったんだよね 信長、秀吉、家康の行為はいずれも紛れもなく下克上な筈だが
なぜ下克上を語るときに小物の松永、宇喜多如きが大きく扱われ
彼らの行為は無視なのか???? >>55
別にそんな非難的に言うほどでもないだろうよ たけし「一番働くやつが一番裏切る」
この伝でいくと、光秀は織田家家中で一番働いていた事になる
歴史上、最も決定付けた裏切りの小早川秀秋は、ガチガチに一番有能で一番働いていた事にも やり口の陰険さではダントツで宇喜多
>>2
松永の場合主家を壟断はしたが主家を乗っ取って
自分が大名になったりはしてないからな
将軍義輝を頃したというが久秀が義輝の家来というわけでもないし 甲斐源氏の武田家嫡男なんだし 悪であっても下剋上の有名人ではないんじゃないの たけしの場合は下克上というか自分が取って代わられる訳じゃないし
事が今に至っては稼ぎ頭を失った森社長の自滅しかないわけで 中国地方の暗殺が多いこと多いことw
元就と宇喜多にぬっころされた武将の列伝大杉てワロタ >>56
道誉は足利尊氏に対しては
歯向かってないからな直接
大河だと何かと世話を焼く友人だったが >>109
多分ノブ殺した男、羽柴秀吉
信じる、信じない、構わぬ 松永を挙げる人も居るけどあいつってそこまで利己的な悪人かね? 宇喜多は謀略尽くしたが、味方、家臣には優しかったからな。
謀略家は疑心暗鬼になって家臣に手を掛ける事が多いが、直家は古参の家臣は一人も殺してない。
暗殺や自決させるのが犠牲者が一番少なくて済むから合理的ではある。 津軽家満天姫の功績は地味に凄い。
東照宮を日本で初めて招致し、南部・伊達・佐竹に
下手に手を出させなくさせた、国替え危機の時に
裏で手をまわしてくれたなど、初期の津軽家への
貢献度は高い >>14
毛利が負けたことは無い
秀吉は運が良かった >>30
何処が?
家康は三河の源頼朝から続く三河の武家社会支配の継承者であり
猿吉は、それに歯向かったウンコ君だ
日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府(1185〜1333年)◆
【勝者】源頼朝:清和源氏、藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338〜1576年)◆
【勝者】足利尊氏:清和源氏、三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国碧海郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467〜1477年)◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603〜1868年)◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614〜1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平 >>107
佐久への非道もあるしな
早雲もだけど何故かクリーンな印象が広まっている >>80
それね
実は国親は一条家には行ってないし
元親の祖父も死んでおらずに普通に国親が16のときに隠居してる
つまり一条家は何ら関係ない
裏切ったとすれば娘を嫁に出した本山茂宗
茂宗が死んですぐに国親が難癖つけて攻めてる >>124
森喜朗や安倍晋三などの自民党清和会を中心に今でも政権を担ってるね。 >>120
当時の軍事行動には乱暴狼藉が付き物だったそうだから
宇喜多直家は民衆にとっては良い戦国大名だったかもな
寺の住職でさえ近くで合戦ともなると出向いて総大将から禁制をもらって
命がけで禁制を掲げて「お主らの主人がこの寺への略奪は禁じておるのじゃ!!!」と
叫んで略奪暴行を防止しないといけなかった 戦国時代を1番満喫したのは松永久秀
主君も将軍も大仏も殺した正に自由奔放 >>130
久秀はパッと見、下剋上の代名詞のように見えるけど
史実を見る限り実は三好本家(長慶、義継)にひたすら一本筋
常に長慶父子を中心に動き、その為には将軍も三好三人衆も信長も敵にも味方にも振り回してる
義継が死んだ瞬間、まともに働いてない
で、死地を求めるように自爆 >>101
いや別に非難してるわけじゃなくいがね
世渡り上手ってのは決して悪い事じゃないし
何か非があって生き残ったわけでもないし >>124
松平が源氏だと本当に思ってるの?
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