「私が死んだら残ったお金を…」41年の生き様を形に がんで闘病の教師が残したものとは
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八戸市立市民病院に23日、入院患者用のテーブル5台が寄贈された。贈り主は松坂智恵子さん(十和田市)。
長年にわたるがんとの闘病の末、昨年11月に41歳でこの世を去った。
「私が死んだら、残ったお金を患者さんのために使って」。
寄贈は自身の入院体験に基づき、父母に託した遺言だった。
■ステージ4
父潤一さん(69)、母京子さん(66)の長女として生まれた智恵子さん。
大学を卒業後、青森県内の県立高で国語の教員として教壇に立ってきた。
2011年春の健診で、思いもよらぬ結果がもたらされる。
大腸にがんの発症が見つかり、さらに精密検査で肺への転移が確認された。
症状の進行度合いは、いずれも最も重いステージ4。
がん細胞が転移している場合、回復への道はずっと険しくなる。
それでも、望みは捨てなかった。教員としての激務をこなす傍ら、市民病院で手術や投薬を受け続け、有効と思われる治療法があれば全国にも足を運んだ。
【写真説明】松坂智恵子さんの遺志に基づき、患者用テーブル(手前)を寄贈した潤一さん、京子さん夫妻(中央)=23日、八戸市立市民病院
https://news.goo.ne.jp/article/dtohoku/region/dtohoku-106433704.html
http://img.news.goo.ne.jp/picture/dtohoku/m_dtohoku-106433704.jpg
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■端然として
13年に八戸中央高の定時制へ転任した智恵子さんと同僚になった国語教諭の鈴木肇重さん(51)にとって、彼女は年下ながら頼もしい同志だった。
クラス担任として公私の別をわきまえ、生徒とは正面から接する一方、アフターケアや激励を欠かさない。
初めて経験する定時制の雰囲気、同校で導入されたばかりの新たな授業スタイルに試行錯誤しつつ、端然と振る舞う白衣姿に、プロの自負がうかがえた。
校内で病状をはっきりと知っていたのは、鈴木さんら一部の教員だけ。
その鈴木さんでさえ、投薬の副作用の苦痛を時折伝えられる以外、つらそうな様子を見たことがない。
編集を担当した同校の生徒会誌に、教え子らへの激励を度々記している。〈最終的に自分の人生に責任が取れるのは、自分だけ〉〈春夏秋冬、どの季節が欠けても桜は咲かないのです〉。
16年3月、3年間受け持った生徒らの卒業を見届けると、智恵子さんは1年半にわたる長期の療養生活に入った。
■自分らしく
市民病院への入院を繰り返してきた智恵子さんには気になることがあった。患者のベッドをまたぐ形で置けるテーブルが院内で不足しているようだった。
本や携帯電話などの置き場がないのは不便だ。看護師にお願いすると、他の病室からわざわざ運んでくれる。
自分が使用している間、他の患者が不自由しているのではー。そんな懸念を抱いた。 職場復帰を目前に控えていた昨年9月、体調が悪化し、十和田市内の病院に入院した。既にがん細胞は全身に転移していた。
他人に迷惑を掛けることを嫌う性分だった智恵子さんはその後≠フ在り方も自ら決めた。葬儀の形式や出席者、持ち物の処分、そしてテーブルのこと。
「お金が残ったら、何台でもいいから寄贈して」。
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短くも充実した生涯は同11月末、幕を閉じた。
患者用テーブルという一見目立たない備品に着目した智恵子さんを、鈴木さんは「彼女らしい」と評する。
「身近に役立つ物でも、生きた証しを残したかったんだよ。松坂智恵子ここにあり—って」
生前、両親を頼ることの少なかった長女が最期に託した意思を、京子さんは誇りに思う。
「もっと甘えてほしかったけど、自分らしく生きられたのなら、せめてもの救いです」。
智恵子さんの名で贈られた同院からの感謝状を手に、かみ締めるようにつぶやいた。
おしまい あのテーブルは業者からのレンタルなんよ。
金も物も、使うより貸して利息を取るのは商売の基本。 もの悲しい話だなぁ…
近所の知恵遅れなんか新車買ってイイ気にしてるというのに(T-T)
はよシネ!202 若い人のがんは進行が速いから1年に一度の検診じゃ間に合わないんだな こういう時公務員だと通院しながら仕事が出来ていいね
ギリギリまで働けるというのはいいと思う アレ1台いくらぐらいするんだろ
ちょっと下品だけど気になる 業務用の備品って思ってるより高いんだよな
机や椅子なんかも、え?何これぼったくられてんの?って思うくらいの値段 このテーブルすごく便利なんだよな
ちょっと書物したり本を読んだりするのに重宝してた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています