秀吉は自分で知ってても信長に「分かりません。どうしましょう」と胡麻すりの手紙を書いていた
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
秀吉「大殿やべーっす。高松城攻め落とせない上に毛利両川が大軍率いてきました。マジやべーっす助けてください」
信長「しゃないなぁ。諸将を集結させるからまっとれや」
秀吉「ありがとうございます!(計画通りだぎゃ...)」 信長はイノベーターとしては天才だが統治者としては秀吉にまるで及ばない 司馬遼太郎の小説にもそんなことが書いてあったな
信長「猿はこんなこともわからぬのか、こうせい」
って手紙書いて満足する 上司である丹羽と柴田の
文字を使って、羽柴と名乗る男だぞ
当然、それくらい気を遣う 「分かりません。どうしましょう」って名古屋弁(当時は尾張弁?)で何ていうの?
「わからんがね。どうするだぎゃー」とか? ジャイアンに擦り寄るスネオみたいな胡麻擦りタイプ
ジャイアン信長いなくなったら、歯止めの聞かない独裁者になりやがった 現代に通じる処世術の基本「相談」ですね
自分もこれさえできていれば… 佐久間信盛「儂も手紙の一通でも送っていれば・・・。」 ゴマすりというより処世術だろな。
主君を立てて実利を得ていく感じの。 暴君が連日の酒池肉林で今が何月何日か分からなくなり
そこにいた臣下に聞いたがみんな分からない
ただ一人分かっていた人間も、自分だけ分かっていたら殺されると思って白を切ったとさ 爪を隠すのも処世術。
有能すぎても遠ざけられそうだし。 「殿、雨が降っておりますが、お履き物は?」
「おらゴム長」 世渡りとは嘘がうまいことだからね
ヴァカ正直なのはアスペ 仕事を、ほんのちょっと上司に助けてもらうのは有効な心理学のテクニック
人は、自分が少し関わったものは、ほんの少し評価が高くなる >>6
ひできち無能すぎない?
よくこんなんが信用されたな 一方で光秀は有能だけど「全部わかってますよ」的な
したり顔が無性に気に食わなかったのかもしれないね信長は これ上司だけじゃなくて、後輩や部下にも有効なんだよね
下に手柄を立てさせてやるのって大事 >>30
なんかわかる
あまりに完璧にこなされると何かしら文句をつけないと自分の立場がなくなるって感じで 信長に手柄を割らすことで、信長の嫉妬をかわした
天才だぎゃ 何かドラマやアニメとかだと秀吉だけやたらと馬鹿にされるよな
特に大河ドラマのお江は見ていて不快だった ついでに言うと、跡取りのいない
足軽大将の家に婿に行くのも秀吉の狙いだからな 仕事の美味しいとこを上司に任せる処世術やぞ
めんどくさい部分を投げるとキレられるから注意な 秀吉に仕えた黒田官兵衛 秘密の目薬
黒田官兵衛が神社に頼んで目薬売っていた
官兵衛の子孫が日本銀行黒田...
中略
黒田官兵衛は目薬と同時に神道大麻も販売して、それで得た金で金を貸し、利益を得ていました。今で言うところの金融業です。
大麻を摂取すると目が...
続きを読む
https://plaza.rakuten.co.jp/denkyupikaso/diary/201802160003/ 毛利との戦で
こっからあとは誰がやっても勝てるわって状況作ってから
信長に助けを求めたってのは有名な話
まぁ助けに向かう途中で本能寺されちゃうんだけどね 毛利攻め援軍要請したのもこれだからな
わざわざ信長に止めをささせ上司をたてる
結果それが悲劇につながった 秀吉「宇喜多を味方にしました!」
信長「ふざけんな!余計なことするんじゃねえ!」 織田信長が居候していた家で
秀吉は働いていた
これ豆な >>13
柴田の方が偉いのになんで柴羽にしなかったの? >>27
お前馬鹿すぎだろw
秀吉は1人で中国地方落とせたんだよ。
日本ナンバー2の覇者、毛利をな。
その手柄のあまりのでかさに、これは信長様に警戒されてしまうと思って、
攻略完了直前に
「信長様、やっぱ信長様のトドメが無いと難しいっすよ〜。手助けお願いします〜」
って、信長の機嫌を取る手段に出たってわけ。
信長も上機嫌になったろうさ。
「ハゲネズミめもかなりやりよるが、やっぱ最後はわしよのうw」
ってな。
こいうところがが秀吉の恐ろしさよ。 >>14
「わかれせんがねー、どーしたらええのきゃ?」 ・・・ かな。
昔のネイティブは、よーわからんけど。 信長が死んだら、姪を嫁にしたのがすごい
本当に上司を尊敬してたらできない
信長を転がしてただけだったんだろうな 墨俣や安土城の普請でも、トップ(信長)と下(小六や作業員)を喜ばし
賎ヶ岳では一人で利家の城にドカドカ入って行って飯食ってる
天下取るまではケレン味だけで生きてるから面白い (´・ω・`)うるせえ!今俺は忙しいんだ!見れば分かるだろ!
_人人人_
> 報告 <
 ̄^Y^Y^Y ̄
(´・ω・`)あぁん?そんなこと俺に言ってどうすんだ!馬鹿かお前!
_人人人_
> 連絡 <
 ̄^Y^Y^Y ̄
(´・ω・`)なんで今頃になって言ってくるんだ!自分で蒔いた種だ自分で何とかしろ!!
_人人人_
> 相談 <
 ̄^Y^Y^Y ̄ まあ、こういうことが出来たからこそ人たらしって言われたんだろうしね
それで十分能力はあるんだから あの上司に限って言えば胡麻摺りと云うより長寿術だったかも 久隔清音、馳恋無極。伝承安和、且慰下情。大阿闍梨所示五八詩序中、
有一百廿礼仏?方円図?図?注義等名。今、奉和詩、未知其礼仏図者。
伏乞令聞阿闍梨。其所撰図義並其大意等告施。其和詩者忽難作、著筆之難改後代。
惟示其委曲、必造和詩、奉上座下。勤附貞聡仏子奉状。和南。
弘仁四年十一月廿五日小法弟最澄状上 高尾範阿闍梨所法前
此頃、得法法華凡本一巻。為令覧阿闍梨、以来月九、十日許参上。
若有和上暇、必将参上。若無暇更待後暇。惟示指南。委曲尋申上。謹空
・口語訳
久く清らか御身に会えず、慕情は極りなくせめて。安かに和む事を伝えるむねとし、しばらく(寂しい)人情を慰ております。
(ところで)大阿闍梨より贈られた詩の序文の示す所の58(5 × 8 = 40)の詩(伝教大師が40歳を超えたのを祝うため贈られたこの詩)
の序の中に120礼仏ならびに方円の図ならびに注義等名が有り。今、(貴方の詩の返礼に)詩を(私が作詩し)あなたの詩と和して奉りたい
と思いますが、未だに其の知礼仏図者と言う意味が解りません。
伏して阿闍梨聞にお尋ねしますが。其の貴方が選んだ所の図義並に其大意等の言葉の意味を教えて下さい。
其の和するための詩は直ぐには作りにくく、(一度)作詩してしまうと、後に改作はし難いのです。
ただ其の詳しい訳を示し、必ず和するための詩をつくり、あなたの座席の近くに差し上げましょう。謹んで貞聡に託して書状を奉ります。
弘仁4年11月25日
小法弟最澄状を上 高尾範阿闍梨所法前
・意訳
(私を捨てて空海のもとに走った元愛人である高雄山寺の泰範よ。)私はまだあなたを愛しており会えないことを日々寂しくおもっています。
空海からこの前貰った本の「120仏や方円図や注義」の意味をもっとよく知りたいので
空海から意味を教えてもらって比叡山まで教えに来ていただけないでしょうか?
(そして久々にホモセックスしたいなあ) これか?(佐久間折檻状)
武篇道ふがひなきにおいては、属託を以て、調略をも仕り、相たらはぬ所をば、我等にきかせ、相済ますのところ、五ヶ年一度も申し越さざる儀、由断、曲事の事。
戦いで期待通りの働きができないなら、人を使って謀略などをこらし、足りない所を信長に報告し意見を聞きに来るべきなのに、五年間それすらないのは怠慢で、けしからぬことである。 >>49
1人で中国落とせるとかマスターアジアかな? 森蘭丸は信長が「そんなことしていると失敗するぞ!」
と言われると「大丈夫です」とかいっといてやはり失敗して信長を喜ばせたとかいうが
内心のことを誰が記録してるというか蘭丸はまわりに教えてたのか… >>49
きっとこれが正解なんだろうけど、絶対俺は出来ないわ
同僚からの妬み嫉み足の引っ張り合いで気がおかしくなりそう そうそう
上司としては切れるヤツより頼ってくるヤツのほうが可愛い (´, _ `)ゝ こうですか!?わかりません!教えてください! ストレスのたまった上司がブチ切れて援軍無しのままぶん投げられるだけ そんな秀吉がX年後には、「わしは信長(ガチ呼び捨て)の様には甘くはないぞ!」つってキレているっつーね… 信長の書簡って、現代の基準だと少し怖い所もあるけどすげーまともな上司だよ
怠け者は腹切るか死ねって感じだけど、頑張ってれば結果出せてなくても認めてはくれている >>29
本能寺後の秀吉の動きが完璧すぎる
逆に智将と呼ばれた光秀の動きが行き当たりばったりすぎる
本能寺の変の黒幕どころか実は秀吉が仕組んで光秀に濡れ衣を着せたんじゃないかって最近は思う >>54
尊敬も何も信長の妹が織田軍のアイドル的存在で柴田勝家も秀吉もガチ恋勢だった
浅井長政も信長もいなくなってこれでお市をいただけると思った矢先に勝家と再婚
勝家しばいてもう邪魔者がいなくなったと思ったら勝家と心中
仕方ないからその娘で我慢したって話よ 現代の基準で考えてもミスリードしそうだけどな
特に最近はやたら現代寄りにキャラ付けされて 丹羽と柴田から1字貰って羽柴ってのが取り入り上手
佐々には最後まで厳しかったが >>27
その前に三木、鳥取と落として佐久間の折檻状にも秀吉はよくやってると書かれてるぐらい
毛利も高松城攻防は吉川、小早川まで出してきた決戦の覚悟
>>19
実際折檻状に独力でできないなら相談するべしと書かれてるからな >>48
丹羽は初期からの側近の一人だし
一方勝家さん謀反したから結構長い期間干されてたぞ >>72
現代の基準だと、怠けてても結果(目先の数字)出す奴が重宝されて、頑張ってても直ぐには結果を出せない奴は切り捨てて育てようとしないよね 高松城攻めてた時に
秀吉軍だけで落城させれたけど
信長に最後のとどめをしてもらって
信長の顔を立てたよね
秀吉軍だけで手柄立てたら信長に妬まれるから
https://www.youtube.com/watch?v=WBn2CypV7YE
この動画1時間9分から見てみ あとは客にハンコ押してもらうだけというとこまでもってってから上司に、後一押しなんですって同行してもらうやつね。 >>49
秀吉は信長の命令で毛利討伐に向かって
高松城を城攻めして落城寸前まで追い込んだけど
最後のとどめは信長に頼んだんだよ すべて1人でやると信長に妬まれるから
落城寸前まで追い詰めたけど 毛利輝元と吉川元春と小早川が
高松城救援に5万に援軍つれてきたからね
もう信長の援軍がないと戦えません助けてくださいって
泣きついて 信長の顔を立てた
長曾我部は信長から可愛がってもらってて四国統一の支援を
受けてたけど 1人で四国統一を成し遂げて信長の逆鱗に触れて
信長の四国攻めが始まった >>75
光秀の場合は、信長が本能寺に泊まらなければそれだけで機会が失われるから
慎重に慎重を重ねる必要があって事前の準備や調整ができないのは仕方ないし
そういったことは足利義昭を迎え入れるなどすれば何とかなったんじゃないかと
でも秀吉が早すぎて手が打てなくなったんじゃないかと
秀吉の動きが完璧に見えるのは、秀吉が普段から複数の可能性を考えながら
行動して準備を怠らないやり方をしていたためで、それが別の形で活きたという
ことじゃないかな
と言うか、信長を迎えるために自軍から京までのルートや日程を散々調査して
整備していたはずで、それを部下に丸投げではなく自分でやってたから、
そこを逆走すれば、ってすぐ思いついたのかもな >>88
まだ当時は河野残ってるし統一してない
臣従する予定だったけど信長と領土の割譲巡って意見が合わずに開戦決定
長曽我部が四国統一したのは本能寺の変の後 高松城は落とせても、毛利本隊は秀吉一人じゃ厳しくね?
山陰進む者と四国サイドから攻めなきゃさ。 >>92
毛利の本隊が高松城に援軍に到着した時には
高松城は取り囲まれて水に水没してて
それ見て毛利ももう戦意喪失した 秀吉が山陽側、光秀が山陰側から
大友と島津の連合軍が長門から攻め込んで甲州崩しの再現を図ってた 手柄を秀吉が全部もっていくと信長に睨まれるから
しかたなく信長に最後の仕上げをしてもらおうとしただけだろうな
秀吉は貢物も信長に半端ないくらい貢いだらしいし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています