街・町・まち物語F 大阪城のレジリエンス力
2018.03.02
(中略)
その師団司令部も大阪城同様にすぐに歴史の波に翻弄されることになる。
それもささいな街角でのトラブルによって。
完成2年後の1933年(昭和8年)、梅田に近い天六(天神橋筋六丁目)交差点に、
当時は珍しかった自動信号機が付いた。曽根崎署の巡査が立って警戒していると、
外出中の陸軍一等兵がやって来て、赤信号なのに横断したことから喧嘩になった。
兵隊と警官のいざこざはよくあって、本来なら笑い話で済むようなことだったが、
今回は違った。「兵隊は特別の存在」を主張する軍部(陸軍)と
「兵隊といっても市民」と言う警察(内務省)が”がちんこ対立”し、大問題に発展してしまう。
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『ミライザ大阪城』のバルコニーに立つと目の前に大阪府庁が見える。
当時はここに大阪府警察部(現在の大阪府警本部)が入っていて、
わずか600bの距離をはさんで延々5カ月間、互いに一歩も譲らない睨みあいが続いた。
見かねた昭和天皇が「大阪はどうなっているのか」と嘆かれ、急転直下、大騒動はおさまるが、
これが世に言う「ゴー・ストップ事件」だ。
「進め」のゴーと「止まれ」のストップ、つまり信号機をめぐる事件という意味である。
少し詳しい歴史本の片隅に書かれているに過ぎないこの事件は、
もめごと好きな大阪で起きた”けったいな事件”と片付けられることが多いが、筆者は違う気がしている。
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天守閣が再建された年に満州事変が起き、翌年に軍事クーデターの五・一五事件が発生、
軍部が力づくでことを進め始めた時期だった。法治国家として最後の抵抗を見せたのが内務省で、
事件は表向きは和解という形をとったが、実際は師団側に軍配が上がり、以後、
軍部にモノが言えない時代となった。戦争へと突き進んでいく、そんな時代の転機になった事件だったのだ。
(後略)
https://www.constnews.com/?p=51029