平成生まれが信じられない、電車についてたアメニティ 3位灰皿 2位栓抜き 1位給水器
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環境に優しい路面電車存続を
環境に優しい路面電車の存続などを目指す「第13回全国路面電車サミット2018松山」
(実行委員会主催)が14日、愛媛県松山市道後公園の子規記念博物館であった。
全国の愛好団体関係者ら約130人が「幅広い財源確保に向けた国民合意づくりに全国で
取り組む」などとする大会宣言を採択した。
https://ehime-np.co.jp/article/news201801150022 食堂車とかも今じゃもう高級寝台列車ぐらいでしか見られなくなってしまったもんなぁ
物心付いたころには既に、100系の二階建て食堂車や0系のビュッフェの営業は終了してた 急行列車のビュフェに立ち食い蕎麦コーナーがあったこと こないだサントリーライム買ったら栓抜きじゃないと空けられないタイプだった
ここだけ昭和かよ >>1
テメーんとこの借金返すために喫煙してやってんのに、車内どころかホームから灰皿撤去するとか頭オカシイ
なあ、JR >>269
そうそう
電車で旅行といったらお茶と冷凍ミカンのイメージ 昔は、禁煙・分煙なんてなかったから
冷房すると 煙草の粒子も 洩れなく付いてきたし、キュンキュンに寒いぐらい冷房してた。
それが嫌で、夜の田舎国鉄で 冷房なしの車両に移ると、もう稲に付く緑色の虫の王国。
またSLが一部 走ってた路線では、長いトンネルに入る前に
「この電車の前を 蒸気機関車に引かれた列車が通ったため、煤煙が社内が入るかも知れませんので、急いで窓を閉めて下さい」
と車掌のアナウンスが流れることもあった。 灰皿って座席に付いてる奴じゃなくて
壁にある銀色の奴だろ?
主に国鉄型の車両にあった標準装備
このタイプの最後は北斗星、トワイライトじゃないかな? >>96
お茶はこれだったな
長めに止まる駅では、首から駅弁とお茶を下げた売り子さんがホームにいたよな
電車の窓から駅弁買うのも今はなくなったなあ >>303
確かに
万が一駅で喧嘩になってあれ投げつけられそうになったら全力で逃げるしかないよね 空港なんかにも冷水機あるし、長時間閉じ込められるような施設には給水機の設置義務でもあるのかな 昔人間はそこらでたん吐きまくりだな
くすんだ緑っぽいのな >>14
俺昭和61だけど灰皿も栓抜きも知らんぞ。 新幹線や飛行機では灰皿あったけど
普通の電車になんてなかったよ
栓抜きや給水機にいたっては見たこともない >>296
窓の下側にちっちゃい台が出てたろ
あれの側面のふちが栓抜きになってたのよ
「センヌキ」って書いてあった ストーブなんかトウホグ地方だけだろ
冬は椅子の下が超熱くなった思い出がある 昔、稚内行きの急行列車の水を飲んだら、腹が特急になった。
アレは飲料用では無かったかもしれん。
稚内駅のポットン便所にブリーフを捨てた二十歳の夏。。。 汽車の旅の記憶が懐かしくて死にたくなってきた
母親の髪も真っ黒だったし兄弟みんな仲がよかった 10系B寝台、冷房車にもかかわらず窓が開くし網戸が付いてた。 緑のテレホンカード専用の電話器があった。
それどころか、一般回線から新幹線に107番かけると車掌さんから〇〇さん電話がかかっております。と放送があって、電話しに行ってた。 新幹線乗ってて車内放送で「○号車の××様、お電話がかかってます」と呼び出されたりな >>327
それを会社の宣伝に使いまくったから規制された。 カツラのおっさんが怒ったような顔をして窓を閉めてた
ってかいつの間にか窓が開かなくなったよね >>2
元年ならギリわかるだろうね。
自分43歳なんだけど、高校時代普通に喫煙してた人居たわ
ただし吸える区間が決まってたし、混雑してる時間だと周囲が迷惑そうに見てたがね。 記憶違いかもしれないけど、
幼少の頃電車の中で、紙を折りたたんで作ったコップに水を入れて飲んだような気がする。
実際そういうのあった? 「非常用コック」を示す白赤紺のプラ銘板
未だにCockの字を見るとあれを思い出す。 給水器は寝台特急日本海のA寝台で見たのが最後かな。
栓抜きは急行向け車両には大体あった。ググったらいすみ鉄道にまだありそうだな。 >>336
処方箋の袋を小さくしたような
安っぽい紙コップならあったよ
国鉄末期にトイレのとこの冷水器に付いてた アメニティではないが、食堂車やビュッフェだな
そういや昭和の新幹線にあった客室の速度計、今でもあるのか? 国鉄時代のほうが色々面白かったね。ホームでタバコ吸って線路に投げてるのが普通だったし(´・ω・`)
トイレには「駅に停車中は用を足さないで下さい」って書いてあった。走り去ったあと、おみやげ残しちゃうからね(´・ω・`) 食堂車やビュッフェは利用したこともあるが
食堂車のように寿司カウンターが存在したことは
知識としては聞いたことあるが、どんなものだったのだろう? >>348 検索して少し調べたが
急行に寿司カウンターやそばカウンターが存在したと >>295
国鉄世代ですが新幹線や寝台特急の各券は手書きの硬券や補充券でしたね。 >>345
「使用中は停車しないでください」という落書きはセットがお約束だった。 2003年までは山手線のプラットホームは吸い殻でみっちりだったと思うと感慨深い 山手線で窓を全開放して風がバッサーーーーー!!ってなってて
すごく気持ちよかったな
あと、上で扇風機がグルグル回ってると夏が来たって感じがしたw ♪(汽笛一声新橋を…のメロディ)
「えー寝台特急あさかぜ51号にご乗車の皆様、これが本日最後の……」
夜のおやすみ車内放送
間もなくメイン消灯
シャッ 寝台カーテン閉める
ポチッ 枕元灯の白いボタンの方を押す
ガサガサ 糊でバリバリの毛布に入る 地下鉄は平成のはじめくらいまで冷房なかった気がする >>356
抵抗制御の排熱がトンネル内に篭もるから駅の冷房で対処と言ってた。 ご注意
12月1日から
3月31日まで
高崎
上野
宇都宮
および東海道線
以外の駅では
ドアは手で
あけてください
しめることもできます 何か最近ここの連中がマジで昭和生まれのお爺ちゃんお婆ちゃんばかりな気がしてきて怖いわ
えっ、昭和生まれがインターネットやってるの?!みたいな 駅のホームはドス黒いガムと吸い殻でコーティングされそこにプルタブが埋まってたんだぞ
マジで今に日本とは別の惑星だった >>354
そもそも昔はそんな夏でも暑くなかったよね
30度上回るって2週間くらいだったような
クーラー無しでもなんとか生活できてたから、
「熱射病」って言われていたんだよね
今みたいに屋内でも倒れるような状況ではなかった ?特急だと自販機とかついてたんやで?
あと在来線は地面の見えるトイレ 俺が高校生だった90年代初めは
山陽線115系のトイレは線路が見える車両が結構残っていた >>364
ティラティラティラリン ティラティラティン チーン 15年ぐらい前
新幹線の自由席が喫煙車しか空いてなくて我慢して乗った記憶 その場で握ってくれる、車内に寿司カウンターが有る急行列車が有った 地下鉄の風鈴はうるさいだけ
つけた奴あたまおかしい でかい駅は汚いトイレとは別に洗面所のブースがあった
そこで水筒に見ず入れたり歯を磨いたりするの 今18才くらい子供は家電の使い方知らないのいるよ切り方がわからんて言ってた 灰皿は上に持ち上げてクルンッてひっくり返して吸い殻を回収するんだよな
通常使う時は上の蓋を開ける
懐かしいな…今ではありえんが、昔は喫煙に寛容だった
あと大垣夜行の切符取る時、喫煙席か禁煙席を選んだ憶えがある ここ読んでたら、なんか昔の電車が懐かしくなった
昭和50年代から20年、半年に一回東京の病院に通院してて、昭和57年に新幹線が開通するまでは多分特急に乗ってたんだな
あの容器に入れられたお茶、駅弁を売るホームの声の通るオジサン、線路が見えるトイレ、栓抜き、どれも懐かしい
駅員さんが切符切る時のカチャカチャ音も大好きだった
上野駅に降りると人がいっぱいで、父や兄におんぶされて人を掻き分けて歩いた
あの頃の日本が大好きだわ 2階建て新幹線MAXは車内販売が使えないので
車内自販機があったが動いてるところをみたことがない
いつも販売停止だった >>356
大阪や名古屋では昭和55年頃から冷房が付いてたぞ >>379
今は無いのね
まあ、10年前くらいまでは
単に禁煙席の区画があったってだけだし
分煙なんてそもそも無力だから当然か >>68
鉄道職員だった親父はあの水絶対飲まなかったけどな 駅にホームに飲料機器があったよね。
足でペダルを踏むと水が出てくるのが。
今はもう見ないよね。 >>336
冷水器に小型の封筒みたいなのが付いてて
半分開いてコップ代わりに使ってたな >>355
寝台特急あさかぜ51号、出張で岡山から熱海まで乗ったわ
懐かしい
3段の寝台の上で目の前にカーブした天井があって狭苦しかったわ 発射ベルがジリジリジリジリジンっと結構うるさかった >>121
昔は駅員の入って居る所が石で出来ていた。
鋏をカチャカチャさせながら、鋏を石の縁に打つけて拍子を取るから、縁が凹んでいたな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています