江戸時代って「おぅおぅ、するってぇと何かい?」「やだよお前さんたら」って喋ってたの?
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江戸時代の古民家で七草がゆ
東大阪市にある江戸時代から残る古民家で、ことし1年の無病息災を願って、七草がゆがふるまわれました。
東大阪市の指定文化財で、江戸時代初期に建てられた「旧河澄家」では、毎年、正月七日に合わせて、
地元の人たちや近畿大学の学生によって、七草がゆが無料でふるまわれています。
明治時代に作られた大きな釜で炊いたおかゆにセリやナズナなどを入れた七草がゆ、およそ500食が用意されました。
訪れた人たちは、七草がゆを受け取ると、昔ながらの趣を残す広い座敷で家族や隣の人どうしで会話を楽しみながら、
温かい七草がゆに舌鼓を打っていました。
家族で訪れた40代の男性は「家にいるとなかなか七草がゆを食べることがないので、子どもたちにとっても
いい機会になりました」と話していました。
夫婦で訪れた60代の女性は「家とはまた違った雰囲気の中、食べるおかゆとあって、とてもおいしかったです。
夫婦そろって無病息災でことしも1年元気に過ごしたいです」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20180107/4099261.html てやでいばーろーちきしょーめぇ!
そんなんでオマンマ食えるかってんでぃ! マジレスすると裏長屋の古女房なんてもっとべらんめえ
江戸の会話は文献が山ほどある 江戸近郊の主に職人や商人はそのように話していた
歴史的な証跡も多数ある 江戸だけな
京都はおじゃるとか言ってた
他は現代と一緒
でれすけーとか言ってた お控えなすっての後にベラベラ喋るやつアレ生理的に気持ち悪すぎ 地方の訛を誤魔化すために発達した江戸弁やろ
花街ことばみたいなもんやろ てやんでえっべらんめい!おとといきやがれすっとこどっこいってマ? 俺の爺さん婆さんはそりゃあもう落語家みてぇな話し方でこざいやした おっと待った、皆まで言うな
惚れた腫れたの一大事とあっちゃあ、一肌脱がずにいられますかいってんだい
こんな感じ 話し言葉なら江戸後期位で大体そんなもんだろ
あいつマジヤバイ←これが江戸時代でも通じるくらいだぞ >>29
落語も古典もろくに知らない大糞馬鹿
今の古典落語の江戸弁はむしろおとなしくなってる
文献資料にある江戸弁はもっとはるかにべらんめえ >>30
マジビビったーとかも通じるね
最近ビビるが平安時代からあったと知ってビビったわ 江戸は元々過疎地で、
徳川が来たから人が集まって出来た町
江戸弁は何処が元なんだろ >>9
あの辺は演劇の要素
歌舞伎の元は西日本で発達した浄瑠璃 明治生まれのじい様、ばあ様、その友人たちは、べらんめえ口調で話してたのは確か@神保町 >>38
明治生まれはちゃきちゃきしてたよな
大正になるとだいぶ東京弁ぽくなる べらんめーかは知らんが
ばあちゃんはおれ、じいちゃんはあたしって言ってたな 祖父と伯父がべらんめぇ口調だったが
伯父より8歳くらい年下の父は普通だった
どこかに境目があったのだろうか するってぇーとなにかい、
てめぇーとこの坊主がうちのオカメにチョッカイ出したのか!
チョイとお前さん、やめておくれよ。 >>36
三河や上方とあと越後あたりからの流入が多かったようでそれと元々の
関東方言が混じって関東風になまったもんなんじゃないかとかいう感じらしい
元禄あたりまではまだ上方の影響が強くて老人の役割語で自分のことを「ワシ」
語尾に「〜のう」とかいう西日本風表現が残るのは古い人のことばが
上方風だった名残だとかいう話も >>13
権力層は山の手だったし山の手言葉は江戸初期の京言葉の影響を受けて成熟した方言だし順当だろ
今でも田舎は方言酷い
ガチの江戸時代の江戸はべらんめえでもないけどな
「べい」だよタコ 寿限無くんの名前を覚えきる父ちゃん母ちゃんはえらいよなあ 個人的には語尾に付く、〜べ、〜だべの広がりっぷりに興味がある
方言の分布で一番広いんじゃないかと思うぐらい
アレ東北から関東、静岡の辺りまで使っている奴見たわ
芸人でも中居くんとかさまぁ〜ずとか使ってるしなぁ だべはなんとなく農民な感じ
江戸は海っぺりだから元は漁師とか
海運主体だから船乗りとか河岸で働く人足とか
なんか忙しくて気が荒い人が多そう 平成時代って「え、うそ。マジ?」「ふざけんじゃねーよ」って喋ってたの?
といわれるのかな >>59
殿さまたちは江戸出身じゃないから、標準語話してたんじゃないの? 昔の電話対応
おいおい
はい、ようござんす
現在
もしもし
はい、ようござんす >>62
〜だべし
で武士言葉とか聞いたような
中学ぐらいの時「〜だべ」を使うなって先生が居て
そんなこと言ってた記憶 シばちったらシばちだよ!
わかんねえのかよ、じれってぇ野郎だ、この唐変木! >>67
べはべき→べい→べと変化した東国方言でとくに武士というわけではないよ だんな!
いい娘が入ってますぜ?
良かったら楽しんでいってつかーさい 江戸っ子だってね?
くいねえくいねえ寿司くいねえ!
by森の石松
静岡も江戸弁だったのか 越後「これは お代官様の大好きな黄金色の菓子でございます」
代官「越後屋・・・おぬしも悪よのぉ」
越後「いえいえ お代官様には敵いません」
代官・越後屋「はっはっはっは」
代官「!! 何奴!?」 てやんでぃ!こちとら江戸っ子でい!寿司食いねぇ!まで予定調和 江戸は洒落が上手いやつほどモテるって風潮だったから
会話の半分以上は意味のないオヤジギャグみたいな感じだったらしい 親分!てーへんだてーへんだーぃ!
ハチ!てめぇのてーへんだは聞き飽きたぜ! >>75
大阪は今もそんな人多いけど江戸だけ変わったのか >>81
気性が荒いのも昔は大阪より江戸だったしなぁ 江戸時代にタイムスリップしても言葉わからないと思う
昭和の時代に大正生まれのジジイの言葉すら何言ってるのかよくわからなかったから 江戸っ子は身振り手振りがすごく大きかったとかどっかで読んだ
今とずいぶん雰囲気違いそう スレタイでパロディモードのミストラル思い出した
全く同じセリフがあったはず 明治生まれの爺でも違和感なく通じたのに>>83は何を言ってるのか
江戸時代なんて余裕だろ?
ま、訛の強い方言なら知らんがな 落語Theムービーは面白かった
レンタルはないのね テレ朝の暴れん坊みたいにフジテレビでも
鬼平犯科帳第一話から再放送やらねえかなあ
全話録画するぜ 過去にタイムスリップしても戦国時代以降なら一応会話はできるらしい
>>5
あたぼうよ 60くらいなら江戸弁喋る人いるよ
同じ年でも浅草生まれのやつは標準語、赤坂のやつは江戸弁と
エリアの問題ではない 虫歯が不治の病だったとか
タイムスクープハンターの沢嶋に教えてもらった チョンコ一匹残らず追い出しちまえ! (^ω^#)੭ꠥ⁾⁾ てーへんだーてーへんだーって言いながら走り回ってたらしいな
今ならただのガイジだよな >>90
ない
この間一挙放送してたから録画したわ ニコ動のsm11707305に明治33年(1900年)に録音された新橋の芸者の音声がある
つべでもあるかと思ったが見つからんかったわ
昨日を「さくじつ」とかの読みになってるがあんまり今と変わらんし、そこから3,40年さかのぼってもあまり変わらんだろ てやんでぃ!
あたぼうよ!
ちくしょうめ!
ホントにこんな言葉ばっかで会話成立してたのかよw 下町の職人言葉ですね
商人言葉はもう少し上品だったけど、空襲で言語自体がほぼ壊滅した
(和菓子屋の息子・小林信彦なんかがエッセイに僅かながら残してる)
落語だと、主人公になることが多い八っつぁん熊さんは大抵職人だし
これが少し西に行って坂を登ると、てやんでえは一切使われなくなった
本当に狭い地域のいわば方言 >>113
今だって「それな」「クソワロ」「死ね」で会話してるんだから変わらんだろ おぅおぅおぅ、5chのとっつぁん達よぅ。
お江戸をトンキンたぁどぅ言ぅ了見でぇ?
一昨日きやがれってんでぇ。 >>113
マジ?
マジ!
マジ卍!
よりはマシかと >>9
あれ出来なきゃ一人前じゃない、なんて時代だったら
おれは通用せんわとよく思う >>9
あれちょっとでも噛むと叩き出されるらしいな
だから噛まないように必死に練習したんだろう たぶん今地方に残ってる方言と比較しても
大差なかったんじゃないのかな
きれいな言葉ではなかったと思うけど無くなるのはもったいない >>9
うちの会社の社長が大昔に組に出入りしてた時に一度だけ見て驚いたって言ってたな 今でもそのまんまの話し方のオッサンとかたまに居るぞ 熊さんはっつぁんのコミュニケーションは代表的な下品な江戸弁
江戸の商人は耳あたりの良いきれいな江戸弁
武士や花魁はまた違うが耳あたりが良い
公私で江戸弁を使い分けるのが江戸っ子・・・らしい 仁義の切り方
*軽い会釈の姿勢を採り、利き腕を手のひらを上に出す。
●:「ご当家、軒先の仁義、失礼ですがお控えなすって・・・」
○:「有難う御座いやす。軒先の仁義を失礼さんにござんすが、手前控えさせて頂きやす。」
*腰を中腰に落とし、出した手を更に突き出し、そのままの姿勢で、口上を続ける
●:「早速ながら、ご当家、三尺三寸借り受けまして、稼業、仁義を発します。」
○:「手前、当家の若い者で御座います。どうぞ、お控えなすって下さい。」
●:「手前、旅中の者で御座います。是非とも、お兄いさんからお控え下すって・・・」
○:「有難う御座います。再三のお言葉、逆意とは心得ますが、
手前、これにて控えさせて頂きます。」
●:「早速、お控え下すって有難う御座います。手前、粗忽者ゆえ、前後間違いましたる節は、まっぴらご容赦願います。向かいましたるお兄いさんには、初のお目見えと心得ます。手前、生国は(以下、自分の出生地を縁起を交えて話す)
日本(ひのもと)日光 筑波 東北 関東は吹き降ろし。野州は宇都宮で御座います。
稼業、縁持ちまして、(以下、親分の身元を話す)身の片親と発しますは、
野州 宇都宮に住まいを構えます、十文字一家三代目を継承致します坂本牛太郎に従います若い者で御座います。(以下、ここで初めて自分の姓名を名乗る)姓は風間、名は重吉。稼業、昨今の駆出し者で御座います。
以後、万事万端、お願いなんして、ざっくばらんにお頼申します。」
○:「有難う御座います。ご丁寧なるお言葉。申し遅れて失礼さんにござんす。手前、(以下、親分の身元を話す)当神津組四代目川田源之助に従います若い者。
(以下、ここで初めて自分の姓名を名乗る)姓は江藤、名は昌吉。稼業、未熟の駆出し者。以後、万事万端、宜しくお頼申します。
●:「有難う御座います。どうぞ、お手をお上げなすって・・・」
○:「あんさんから、お上げなすって・・・」
●:「それでは困ります。」
○:「では、ご一緒にお手をお上げなすって・・・」
●:「有難う御座います。」
○:「有難う御座いました。」 >>65
でも代が進むに従って、生まれたときからずっと江戸暮らしで、家督を継いだ後に初めて領国に赴く殿様ばかりになってくるよ 今でも浅草とか深川だとそんな喋りのおばあちゃん結構居る 勝海舟の親父が書いた自伝が口語体で書かれているから
幕末直前の江戸っ子言葉がよく判るよ
文庫でも出てる >>132
自分記憶力弱いからこんなんペラペラ喋られたら肝心の名前覚えられないよ(´・ω・`) 江戸っ子だった祖母はライターのこと「しぃ」ていってたな
しぃ取って、そこのしぃ 江戸人が昔江戸弁だったのは違和感ないけど、
同じように関西人は関西弁、東北人は東北弁を大昔から話してたのかって思うと、なんか不思議 >>144
覚える必要ないよ
これほど長い口上を淀みなく言えることで自分が渡世人であることを相手に証明し、一宿一飯の恩に預かろうってことだから。 その角をしだりにへえった所にでえこん置いてくらあ。 って言うか山の手と下町が同じ言葉のわけないだろ
山の手は武家の言葉だよ
神田や日本橋みたいなガヤ街はそんな感じ >>148
トウホグの田舎モンが江戸、東京を目指すのは今も昔も変わらないんだなあ >>146
今昔物語でも源氏は河内が本拠地なもんで関西弁使ってるけど、
「われこそは〜」の発音はもっと関西弁っぽかったのではないかと思う。 山の手(東京は西から手が伸びてるように高台がある、身分の高い奴らは高台に住んだ)と下町(東京湾の埋め立てや江戸城建築をした職人の街)
仁の咲さんの言葉が山の手言葉
「咲は武家の子で御座りまする!」 過疎りすぎて茨城スレしかない掲示板wwwwwwwwwwwww >>9
股旅という映画では前口上は長いので
ものすごい早口でしゃべってた 音声記録残ってないのに「証拠ある」なんてよくいうなw
だから文系は馬鹿なんだよ >>137
あたぼうよ!
江戸の昔の娘言葉は今の男言葉とほとんど一緒なんでえ!
んなことグダグダ言うなんざみっともなくてありゃしねえ
(ホントは「みったーってしゃーねぇ」と聞こえる) >>117
会話じゃなくてノリを楽しんでるだけだろ >>163
「浮世風呂」などで、話し言葉をそのまま書き写してるのがあると聞いたよ 江戸時代の武士たちは刀を差していたから重さのせいて左足が大きかったというけれど
現代人だって左手や左足のほうが少し大きいぞ >>166
「浮世絵師がこうかいてるから、こうしゃべってた!」
これが証拠?
だから文系は馬鹿なんだよw マジだろ
江戸時代は階級や地域が違うと言葉が通じない ういやつよのう
ちこうよれ
ごむたいな、かんにんくださいませ
よいではないか
あ〜れ〜 江戸は大雑把に言うと山手線の内側なんだけど
その江戸弁みたいのは、浅草とかの下町の言葉でしょ
今で言うとビートたけしのしゃべり方
山の手でそんな事言う老人聞いた事ない
うちの本家は江戸時代には玉川村住んでたけど
当然江戸の外だし、江戸弁なんか明治生まれでも話してるの見たことないな 大阪の商人は「おます」とか「だす」とか使ってた
町人は今の大阪弁に近い 明治初期の日本最古の録音聞いたら確かにべらんめぇ口調だったよ おぅ、邪魔するよ!
…っ!?なんでい、なんでい
どいつもこいつもしみったれたレスしやがって
しけたスレだなぁ、おい >>171
A ういやつよのう
B ちこうよれ
A ごむたいな、かんにんくださいませ
B よいではないか
A あ〜れ〜 新潟あたりは今標準語と差がないけど明治生まれの婆さんもほぼ標準語だった。
数十年で言葉が変わるはずもないから江戸時代の言葉も標準語に近いはず。
江戸時代は関西から来る商人と三国街道通って来る商人もいたから、
下町あたりは越後商人たまり場かもな。越後屋、お主も悪よのう〜
ちょっと千葉寄りの下総あたりからは東北系の訛りになるし、
神奈川方面もまた東北系が多い。 昨日の斉彬公は江戸弁だったな
あぶねーじゃねえか!って叫んでた >>183
1.明治政府が言葉の統一を謀った
2.日清日露の戦いで徴兵された
3.関東大震災が起きた
4.東京大空襲があった
5.朝鮮人がはびこった >>183
江戸という世界から、日本という世界にグローバル化したからじゃないかな てやんでいべらぼうめえおとついきやがれこのすとこどっこいのとーへんぼくが
位は暗唱出来ないと召喚できないよ よく年寄りが美しい日本語をとか言ってるの聞くとお前らだって御座候とか言ってねーじゃんっていつも思ってしまう なんかの言語調査で「べらぼうめ!」という言葉を使っていた老人が昭和30年くらいまでは確認されてたとか >>188
なにをぉっ?!(語尾上げ)
「はったおすぞこのやろう!」が抜けてる 自分称で「オイラ」という東京人も「ワテ」という大阪人も未だに出会ったためしが無い。
もちろん「おいどん」も。 >>182
新潟は「おらぁ頑張るらぁ。」
長岡は「そーいがーね、おらがー言わねえがー」
昭和生まれだって訛ってるよ そーいが あたりは埼玉あたりまでの方言、
訛りとは少し違うな。 よく考えたら寅さんの実家の団子屋の会話が近いんじゃね
寅さんは的屋の口上も交じってるけど、江戸弁に近いでしょ 「まじ」、「めろめろ」って言葉は江戸時代にはすでにあった。 小林幸子がテレビで、東京と新潟じゃ「すずめ」のアクセントが違うと
言ってるように、違う部分が目立つほど新潟弁は外輪東京式アクセント テレビ時代劇は近年無茶苦茶になってるから古い時代劇じゃないと
江戸弁とは言えないね。「何さぼってんだよ」てえのは外来語の
サボタージュが元だから江戸弁ではありえない。 「てやんでぃ べらぼうめ こんちくしょー!」っていいつつ、手の脈の辺りで
鼻をこすりつけるのが江戸っ子 うちのひいばあちゃんが浅草の生まれ(浅草尋常小学校で澤村貞子と同級生)
数の数え方がおいちょかぶ風にチンケ ニゾウ サンタ ヨツヤで物事を肯定する時はよござんすだった 江戸しぐさとか江戸講とか、なかったものを大々的に宣伝するのに
浪速講とか実在したものは全然言い出さない歴史家ってほんとウンコだわ /)
///)
/,.=゙''"/
/ i f ,.r='"-‐'つ____こまけぇこたぁいいんだよ!!
/ / _,.-‐'~/⌒ ⌒\
/ ,i ,二ニ⊃( ●). (●)\
/ ノ il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \
,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| |
/ iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ / けっこう毛だらけ猫灰だらけあそこの周りはクソだらけ わかりやすさのために創作物じゃ階級関係なくそう表現してるけど
庶民においては言葉使いに男女差はそんな無かったはずだから
やだよお前さんたらなんてのは上品すぎるな まだたまに江戸ッ子みたいな言葉遣い見かけるけどかなり減った
子供の頃はたくさんいたんだけどな 昭和40年代ぐらいまで「てやんでぃ」や「あたぼう」は普通に使われていた >>212
ビートたけしみたいなのが下町言葉で三宅裕司やグッチ裕三みたいなのが山手言葉。
という認識でよろしいか? 水戸黄門を津軽に行かせて
現地人役の人間に本物の津軽弁を喋らせると
第三者の目で見てて・・・面白いかもな
意味不明には字幕付けたらエエし 面白がって現代のはやりことばだけで通そうとしない限りは可能だろ
お互い意思疎通するつもりがあれば基本いけるはず
まあ江戸時代といっても長うござんすが しゃべるときに「ん」を「ン」で発音する気持ちでしゃべるとより江戸っ子っぽくなる 落語ザムービーでやってた「薮入り」の鈴木保奈美は色っぽかった。 >>217
江戸の人と現代人なら多分いける
でも江戸以外ってなると、自分と他地域はもちろん(現代人同士でさえ方言丸出しなら無理)、
例え同じ地域の人でも難しいと思う
最近の人はまだ生きてる年寄りの訛りも
聞き取れないことが多いだろうから ttps://i.imgur.com/jC7nfcs.png 昔は電話で話す為に標準語を覚える教室なんてのも有った
電話代がかさむので短い文章を教師やお坊さんに作ってもらうと言う地方の人も居た >>183
汚いとか乱暴とか下品とか言われて矯正されたか
>>67にあるように学校で使うなと言われてたのかも てやんでえって
今で言うムカ着火ファイヤ
ってマジ卍? >>214
話すのは狂言言葉で書き言葉ば漢文読み下しじゃね 大名の子息妻は人質で江戸にいるから幼少から江戸山の手言葉だろ
一方、お国住まいの家老以下は方言がきつい
殿様は江戸ことば・家臣はなまりがきつい
事実慶喜は島津藩下級武士の発する言語が全く理解できなくて困った 昭和30年代制作の時代劇を見たら何言ってるのか理解できなった
当たり前だけど時代劇も今は現代風の言葉でしゃべってるんだな >>228
ちょっと前の時代劇は台詞もそうだけど、演出も今みたいに噛んで含めるように説明するのではなくて
パッパッと進んでいくよね。昔はあれで皆、理解できたんだと思うとどんどん世の中は変わっていくのだと思った。 戦後すぐあたりは江戸時代生まれの年寄りはまだ生きてたからな
そのへんの幕末世代の肉声データはたくさん残ってる
明治あたりでも音だけのデータならそこそこ残ってるし落語とか演劇の演者はほとんど江戸時代生まれ 時代考証を厳密にやるとNHK大河ドラマは成り立たない 現代でも思いっきり肩の力抜いて威勢だけでしゃべろうとすると、そんな感じになるよな
情報伝達に徹してるし合理的な喋りかただと思う 江戸時代どころか40年ほど前の関西の漫才もなにを言ってるのかさっぱりわからない >>226
「やいやい太郎冠者」
「ざれことをすな」
「ざれこととはうろたえもの」
とかやってたのか >>225
よ、よせやい、てやんでぇ(テレテレ)
「てやんでぇ」とは
「何を言ってるんだよ」→「何を言ってやんでえ」→「(何を言っ)てやんでぇ」
って意味(相手の言葉を打ち消す)です 江戸っ子はガサツだから。
どいたどいた邪魔邪魔でい、女子供は引っ込んでろい。って突き飛ばすからな。
火事と喧嘩と犬の糞って言うくらい殺伐とした男社会。
落語なんかはそん辺を上手くお笑いのオブラートで包んでいるんでぇい。べらぼうめが。
分ったかトンチキが。 幕末とか本当に「〜でござる」とか「〜で候」とか話してたんだろうか
たった150年ほど前の言葉なのに今使ったらふざけてやがると思われる 庶民は男女の言葉の壁がなかったから
女も俺って言ってたんだって
?表紙本(当時のエロ本)のセリフも
「おう、おう、俺も段々気持ちよくなってきたぜ」
とか女が言ってて笑った >>240
混ざってるね
火事と喧嘩は江戸の華
伊勢屋稲荷に犬の糞 バカ老害「若い連中はあけおめとか略して言うな!日本語を正しく使え!」
江戸庶民「あけよめことよろ〜^^」 >>72
ちょっとワロタよ正月ボケかな(´・ω・`) >>241
話言葉と文字言葉が明治以前では実は違っていた。明治になり話言葉と文字言葉は一致させた。このため口語って言葉ができている。 でーこん
でいく
てえしたもんだ
アメリカ人は語中の「i」を「い」と発音せず「あい」で発音するみたいなもんか 江戸っ子がおうおうこのスットコドッコイとか言ってるとしたら
宮ことば使う身分の人達は〜でありんすとか〜してたもれとかほんとに言ってたのかな >>199
イチゴとか新幹線のアクセントがわかりやすい。 >>214
江戸の藩邸に勤務してる人同士は「拙者〜でござる」「かたじけない」「貴殿はいかがいたす」
見たいなのを覚えて会話したんじゃないか
ずっと国元にいた人が転勤で江戸に勤務した時は、方言からそういう言葉を覚えるのが
大変だったとか >>249
英語の訛りは独特だよ。
あぃがえーになるのは音的におかしくない(色んな言語で起きてる)けど、
いがあぃになるのは特殊。 武士に二言は無しをリアルにやってたから
大名や武将は人前では滅多に話さない
忠臣蔵みたいに大名同士が廊下でアレコレ騒ぐだけでも
当時は大問題 演劇とかドラマとかまったく理解できないけど、落語ザ・ムービーだけは楽しみだ。 日本語とか明治時代以降
それまで日本の共通言語はハングルだった 大江戸八百八町に紛れもねえ、背中に咲かせた遠山桜、
散らせるもんr;かjxcvxj
↑何言ってんのかわからない時ある 「いかが致された〜」
「貴公も参られるのか〜」
「申したき儀あらば、殿の御前にて申されよ〜」
現代では「謙譲語」とされる言葉に尊敬の助動詞をつけて
「尊敬語」にするのはいかようなる仕儀 >>255
山の手じゃないし、書いてるけど江戸でもないよ
爺さんは玉川村の某家に入り婿だけど、生家は芝
元々の山の手は大体新宿南部と港区文京区あたり
東京が拡大するとともに、西側に大きく広がったらしい
だから最近は世田谷あたりでも山の手とか言う人もいるけどね >>30
ヤバイがヤクザ用語らしいな
ビビるは知らんかった >>265
おれは中村梅雀の親父がやってたやつだなあ 「よいではないかよいではないか」「なりませぬなりませぬ」みたいな感じの抜けるエロ漫画ない? wow wow wow
tear day,be love bone men 江戸時代につくられたらしい滑舌練習の「外郎売り」って現代語とたいして変わらんやん てやんでい、べらぼうめい!
意味がわかりにくいですね 武家言葉と庶民の言葉は別でしょ、まあ映画ではかなり現代語を加えているだろうが、
古い映画ならかなり近いはず。NHKなどの時代劇はもう原型なしの感もある。
東映赤穂浪士では歯切れの良い江戸弁も聞ける。
https://www.youtube.com/watch?v=DMI2ASayCUA&t=2s イザベラ・バードの通訳が東北の農民の言葉をどこまで理解してたか気になる >>261
ガチで忘れて適当に誤魔化した可能性あるな。
時代劇の主演俳優は長ゼリフ丸暗記が必須科目。
間違えたり忘れたりするのはベテラン時代劇俳優にとってかなり恥ずかしい事だろう。
松方弘樹はこの丸暗記が得意で「大学受験も丸暗記で青山入った」って自慢してたぐらいだし。
時代劇のチャンバラシーンの斬られ役には意地悪な伝統があって、セリフを覚えられない主役にはワザと斬られてくれないんだって。
だから松方弘樹も松平健も里見浩太朗も長ゼリフ丸暗記が得意。
但し、高橋英樹と千葉真一は不明。桃太郎侍と影の軍団は最後の決めゼリフ毎回同じだったし、
この二人は別格に『殺陣』が上手かったらしいから特別扱いされていた可能性もある。 >>272
おやぶん&こぶんずのEDがよかった
番組終了時には事務所(前進座)からスケジュールがいっぱいで
これ以上撮影は無理との理由でテレ朝に連絡があったわりに、
日テレの伝七捕物長に出ていたという大人の事情 京橋はええとこだっせ
グランシャトーがおまっせ
だっせとかおまっせなんて使う大阪の人見たことない。 未だに下町のおばちゃんたちのしゃべり方は名残あるぞ とっととしがしのひち屋に行けってんだべらぼうめ!
「し」と「ひ」がひっくり返ってるってのが面白いね 仁義を切る(じんぎをきる)は、任侠、テキヤなどが、初めて顔を合わせたとき挨拶をすることである。
一身上の都合で旅人(たびにん。旅から旅に渡り歩く者)となった者も、手拭い1本あればその土地土地の親分を訪ね、
一宿一飯の恩を蒙り、草鞋銭(わらじせん)を得て旅行することができたという。
ただし、一言でも言い間違えたり、所作に間違いがあった場合は「騙り」とみなされ、袋叩きになって追い出され、殺されても不思議ではなかった。
識字率が低かった時代の身分証明の手段でもあり、前近代では幅広い層で行われた習慣の一つであり、
厳格な所作は同業の者であると確認するための目安であった。
現在では任侠・テキヤも名刺を用いるようになったため、挨拶法としては行われていない。
一例を示せば、
旅人「何某の貸元の御宅はこちらでござりまするか」。
家の者「手前です。お入りなされ」。
旅人「御敷居内、御免下されまし」
旅人「親分様でござりまするか」。
家の者「若い者でござんすから御頼み申します」
家の者「自分より発します。御控えください」
旅人「どういたしまして、御控えください。私は旅のしがないものでござんす。御控えください」。
家の者「下拙も当家のしがない者でござんす。御控えください」。
旅人「さよう仰せられ。御言葉の重るばかりでござんす。御控えくだされまし」。
家の者「再三の御言葉に従いまして控えます。前後を間違いましたら御免くださいまし」。
旅人「早速御控えあってありがとうござんす。陰ながら親分さんで御免なさんせ。姉上さんで御免なさんせ。折合いましたる上々様御免なさんせ。
斯様土足裾取りまして御挨拶、失礼さんでござんすが御免なさんせ。向いましたる上さんと今回初めての御目通でござんす。
自分には何地住居某一家何誰若い者何と発し、御賢察の通、しがなき者にござんす。後日に御見知り置かれ行末万端御熟懇
(ゆくすえばんたんごじっこん。原文のまま)に願います」。 >>142
ヤクザが全員朝鮮人だと本気で思ってるの? 大正末期か昭和の始め、やくざ稼業(本業は港湾人足の手配業)の親戚に
幼少の母が遊びにいったとき店先で突然「お控えなすって・・・」が始まった
やくざの妻、「また来ちまったよ〜」(本当はゼニが欲しいだけの旅のやくざ)ということで
いつものようにゼニを渡して引き取ってもらったとか けっこう毛だらけ 猫灰だらけ ケツの周りはクソだらけ 石松:江戸っ子だってねぇ
江戸っ子:「 神 田 の 生 ま れ よ 」
石松:酒飲みねぇ、スシ食いねぇ 戦国の大河ドラマとか絶対あんな風には喋ってないよね
日葡辞書でも発音自体現代と大きく違うし
時代考証厳しくやっても頓珍漢な現代語+ござるみたいな会話してるのおかしくね
いっそ全部現代語にしたらどうなの。 >>290あれって一応、パターンがあって、
しばらく身を置かしてくれとか言った時は飯と寝る所を用意しなくちゃならないけど働き手として使っていいんだよ
急いでるとか言った時はお金を渡さないといけないけど、手拭いかなんかを置いてくんだよ、 江戸っ子はどこに行けば会えますか?
千代田区なら可能性高いですか? 明治初期だかの江戸っ子の会話録音したやつ聞いたら
ガチで>>1がみたいな感じの話し方だったよ >>297
日葡辞書にも当時の話ことばが載ってるのか NHK大河「セゴドン」のセリフは鹿児島県以外の日本人には解読不能
謎の異国ドラマになる
輝彦ではなく隆盛が江戸詰めになって彼はバイリンガルとなり勝海舟との会話が成り立つ >>301
はひふへほは古代ぱぴぷぺぽで後にふぁふぃふゅふぇふぉになる
日葡辞書だと平家はふぇいけとか日本はにふぉんとかなってる じいちゃんが日本橋生まれのちゃきちゃき系の人で
使ってる言葉は「てやんでぃ」「べらぼうめ」系の人だったらしい
親父はじいさんが50過ぎて頑張っちゃった系の生まれなので余り思い出が無いそうだが
会話が「てやんでぃ」のみで済まされる事がよくあったそうだ
「お祭りに行きたい」→「てやんでぃ(ざけんなメンドクサイ的なイントネーション)」
「連れてけ糞じじい#」→「てやんでぃ(げんこつき)」
「頼むから連れてって」→「てやんでぃ(しょうがねぇ的なイントネーション)」
「行ってくれると思ったよ」→「てやんでぃ」
って感じ >>307
書き忘れたけど
じいさんのしゃべり口調は落語家の古今亭志ん生そっくりだったそうな
志ん生の落語を聞くとじいさんを思い出すらしい おぅおぅおぅおぅおぅおぅおぅこれ言ってて気持ちいいわwwwおぅおぅw 江戸の方言なんだから当たり前すぎる
標準語って明治入ってから作ったもんだろ? .>>307
目茶苦茶便利だなwww
曖昧さは、日本語の良い所でもあり、悪い所なんだよな >>312
関西の方言の「なんや」に通ずるものがある 本家神楽坂の曾祖父に昔のことを喋らせると近い感じにはなったよ。
落語みたいにあんな人に聞かせるのに特化したような一本調子な感じではなかったけど、
興奮しはじめると似たような具合にはなった。 江戸っ子って下町限定だよな
神楽坂や赤坂は山の手だから江戸っ子と言えるのかどうか >>306
鹿児島弁を暗号として使ってたらしいから、無理。
さらに、津軽弁は隣の南部ですら理解出来ない言葉なので、異世界と会話するようなもん。 >>306
江戸勤務経験のある人だと侍言葉で会話できたらしいが、そういう経験のない人
だと謡曲(能の台本)の言葉を使って会話したらしい。インテリ同士だと漢文訓読 >>217
膝栗毛を読むと、今の言葉でいけると思う
関西弁や九州弁も今と同じ感じみたいだし、日本のどこにタイムスリップしてもきっと大丈夫 津軽の郵便局から電話が掛かって来て最初はフランス語だと思いボンジュウル・イヤミって言ったら慌てて標準語で話し始めたよ。 >>301
というか日葡辞書は室町後期の発音をラテン文字表記してあって
当時の言語を知るための最重要基本文献
あとは宣教師に日本語を教えるためにラテン文字で書かれた日本語版イソップ物語とか 江戸弁は頻繁に擬音を使う
今で言う大阪弁に似たところがあったんだよな
江戸弁は進化したが大阪弁はあまり変わってないということか 江戸弁は進化したっていうより共通語風新東京弁に淘汰されたって感じじゃないかな
大阪弁も船場あたりのじいちゃんが使ってるようなコッテコテのやつは廃れかけてるし >>71
それは舞台は江戸時代だが
できたのは明治後期の講談 大阪城を造る時に秀吉はおもろい人間を集め、江戸を開発するときは突貫工事だったので家康は気が短い人間を集めた。 >>328
将軍などは耳学問のために、 世俗について詳しく話が得意な者を多く雇った。
これは 「御伽衆」 というもので、 秀吉は800人を抱えたと言われる。
それに 「尾張漫才」 や 「三河漫才」 が交わり、 後の漫才・落語に発展した。 しかし、干潟埋め立てて下町作っちゃったんだから凄いよね
しかも上水井戸付きで スレタイ名前分かんないけど禿げた恰幅のいい感じの落語家の声で再生される もう喋れる人も滅多に居ないけど
ガチの名古屋弁や三河弁は何言ってるかわからない
あんな言葉で信長や家康が喋ってたと思うと…
「光秀のやつ!裏切ったぎゃー!本能寺どぇりゃあ燃えとらっであかんわ!」 俺らの親世代あたりまでは都内ですら地域で言葉違うぞ 浅草だったかで昔たばこ吸ってたら、
し、かしてくれ。
とか言われて、頭おかしいのこの人って思った。 >>336
あたぼうよ!
湯島の切通し界隈なんぞと一緒にすんじゃねーや、べらぼうめ >>336
途中送信しちまったw
上野ってのは徳川様の墓所もあり、位の高い貴族連中が不忍の池で手拭い合わせしたりした「別格」の場所で商人や僧侶もそれなりの言葉遣い
対して文京区辺りは赤髭でも分かる通り貧乏町人(職人)が群れた場所
自ずと言葉は違ってくるね >>339
上野もお山のお殿様と御徒じゃ話し言葉全然違うけどね
爺さん世代になると文京区の西片辺りとか山手言葉で湯島まで下がると江戸弁の人多かったり
俺ら世代だとちゃんと「ひ」を発音できるし
時と共に言葉は大きく変わっていく 江戸市中に限れば場所っつうか生活区分の差が大きい
裏店の生まれでも大店に奉公出ればことばは直されるし
同じ下層民でも江戸市中と外堀から外れた豊島村とかでも言葉遣いはけっこう変わった >>145 「しぃ取って、そこのしぃ」
爪楊枝をとって渡してる思う >>9
会社の就職活動の面接みたいなもんなんだろな。
ノック3回、お辞儀のタイミングや角度、みたいなの。
そう考えると昔から日本人は様式美が好きなんだろな。 >>333
秀吉も偉くなると人前では訛らなかったようだよ。平民コンプレックス強い人だから。
ただ北政所さんとの会話がヒートアップするとお互い訛り全開になって、みんな驚いたそうな。 >>271
今からワイルドに桜吹雪みせるぜぇ
もう見せてるぜぇ >>333
そう言えばお国訛りは末尾に出るんで、それを隠すために「候」が便利だったそうな。
花魁のアリンスも同じ理由。 江戸弁って
味噌汁→おみおつけ
漬け物→香の物、おこうこ
ってなるって本当? 「テヤンデイ」てのは
「何を言っテヤがンデイ」なんだろ
「アタボウよ」は
「アっタりまえだべらボウめ」
まったく武蔵国のいなかもんは頭悪そうでいけねえ >>353
俺も昔、その漢字だったらおもしれーな なんて一人笑いしてた覚えがあるわ >>356
武蔵国でも特に豊島郡だな
そんな話し方するのは >>323
人が存在してることを「おる」と「いる」で使い分けてぞんざいな言い方と丁寧な
言い方に分けるのは江戸と上方だけだよな >>333
北条氏政とか「犬に食わすコメはあっても、おみゃぁに食わすコメはみゃーだで」とか
やってたのか >>352
お父ちゃんは味噌汁がおつけ、漬物がおこうこうだった
俺は味噌汁漬物と言ってる >>362
何区生まれ?
東京市旧15区に入ってる? >>138
小吉だっけ?
喧嘩無双と記録に残ってるらしいね ヤジさんキタさんがホモのカップルだったと知ってショックだわ
てっきりタケシとサンマみたいなコンビだと去年までは思ってた 1つ人の世生き血をすすり
2つ不埒な悪逆三昧
3つ醜い浮き世の鬼を退治てくれよう桃太郎
こんな感じかと >>352
ウチはおみおつけって言うわ
周囲も同じでそれが普通だと思っていた あっし 性は○○ 名は△△と申しやす
以後お見知りおきを >漬け物→香の物、おこうこ
名古屋じゃたくあんの事をこうこって言うけどトンキンも同類だったとはある意味ショックだw 19世紀末のパリ万博で録音された会話が、現存する世界最古の日本語録音だが
「パリっ子がねぇ」ってバリバリの江戸弁で面白い 「ハンパねぇ」がそのまま通じるからな
流石に「パネェ」は無理だと思うが 日葡辞書では現代の「せ」「ぜ」が[シェ][ジェ]になってるらしいがそれは天草とかの方言の影響なのか
それとも日本語が元々そういう言葉だったのが一部地方にだけいまだに残ってるのか
ま、〜けりとか山陰や九州地方の〜けんや宮城の〜けろみたいに今でも生き残ってるからそういう可能性もあるかw >>377
リアルでは「じゃじゃじゃ」と言うんだよ。 たかだか4、50年前の若者にインタビューした映像でも口調が現代と明らかに違う。
みんなえなりかずきみたいな口調なのな。 先代の正蔵師匠なら江戸っ子言葉だろうけど
当代はダメだな >>384
バラエティータレントを長くやってたのが仇になったかな
テレビではあまり下町言葉は使わない方がいい
あれは標準語ではなくただの方言の一つだからな >>386
発音できないというよりは区別をしてないんだそうだ
宮城の方の方言でキとチが交代してるのもあるけど同じような例 >>384
古今亭志ん朝師匠が亡くなった時に
正しい江戸弁を使える噺家が全滅したって
立川談志をはじめ落語家が口を揃えてたんだぜ
いくらなんでも当代正蔵を引き合いに出したら可哀想だよ
池波志乃なら使えそうだね >>390
言葉自体の意味は分からんけど
絶対に不可能なことを言うってのは交渉の余地なしってことじゃないの? チンコ「ダンナ、ちょっと話してえことが」
俺「なんだい思いつめたような顔しちまってどうしたい。なんかあったのかい」
チンコ「ダンナ…、おれぁもう生殖器のカンバンおろさしてもらいてぇんだ」
俺「なんだい、いきなり。突然だねおまえも、ドキッとするようなこといわないでおくれよ」
チンコ「いままでずいぶんといい思いさしてもらったダンナにこんなこというのはしのびねえが、おれぁもう自信がねぇんだ」
俺「そりゃね、そりゃ、不調なときもたまにはあるさね、でもね、なにもカンバンおろすこたぁないじゃないか」
チンコ「ダンナのもとを去ろうって不義理な料簡じゃねぇんだ。これからは、ただの泌尿器、としてお仕えさしてもらいてえんだ」
俺「泌尿器っておまえ…、まだ四十代だよ。そいつぁいくらも早すぎだよ、もうちょっとがんばろうよ」
チンコ「らくをしてぇわけじゃねぇんだ。いざってときに、途中でふにゃってダンナの顔つぶしたかぁねぇんだよ」
俺「そりゃこれまで生殖器とし活躍した事は無いかもしれないが、思い出してごらんよ。よかっただろ、楽しかっただろ」
チンコ「ダンナにゃ本当にいい思いをさしてもらったと思ってる、そんなダンナだからこそ恥かかしたくねぇんだ。わかってくれ、ダンナ」
俺「そうか、じゃあこうしよう。あたしもこれからは節制するよ、節制。節酒、十分な食事と睡眠、そいからストレスもためないよ」
チンコ「お気持ちはありがてぇが、もう決めたんで」
俺「よし、効くってウワサの薬も飲もうじゃねぇか。節制と投薬、ダブルの効果だ、こいつで一緒にがんばろうじゃないか」
チンコ「気ぃつかってもらって申し訳ねぇが考えたすえのことなんで…、次は小便のときお会いしやしょう。ダンナ、失礼いたしやす」
俺「おいおい、ちょっと待っとくれよ、お待ちったら・・・、いっちまいやがったよ」 >>388
「ひちや」は質屋
「しこうき」は飛行機
「しばち」は火鉢
「八百屋おひち」はお七
だけど「塩撒いとけ、塩!」
この時は「しお」って言えるのが江戸っ子ってもんでえ! >>333
つまり信長も「是非も及ばず」なんて気障ったらしい事言ってないということだな >>396
頭の部分だけねw
スーパーひとし君はスーパーしとし君
スーパーしとひ君とはならなえってのが粋じゃねえか、こんチキショウ!(畜生とはならない) >>389
志の輔は富山出身だがまあまあ江戸弁風ではあるな
まあだいぶ努力して矯正したんだろけど >>399
あー、頭の部分だけなのかw じゃあ八百屋おひちは? ってなるが
別に規則じゃねえしな。 次に来る音の母音がいの時だけひになるって感じじゃね? 長音つうより、次の母音の前に子音が無い時を除く かな? だから、ひき、ひし、ひち、ひに、ひみ、ひり、は言えるんだよ。 今でもケリをつける日本語の分布域を見ていると意外と地方ほど正しい日本語が残ってる可能性が高いな >>407
正しいっつうか元より方言てのは古い日本語が地方なりに変化したものやぞ
だから一番古く分化したともいわれる琉球諸方言も基礎語彙と構文が完全に日本語なわけで >>399
でも、 「ひおしがり」 って言うよ。 (潮干狩り) >>333
津本陽の小説なんか、信長も秀吉も家康も標準語なんぞ言わずに「みゃーみゃーだきゃー」言ってるから
名古屋弁に馴染みがないと鬱陶しくて鬱陶しくて堪らん >>151
謝る位なら へぇって来るんじゃねぇいやぃ べらぼうめぇ >>333
めちゃんこチンチコチンだがねー!!
あーちちーあちー、燃えてるんだ廊下ー!! 福島の某賠償関係の仕事してる
昭和中頃までの女性の名前は
ヒロイ
マサイ
キイコ
なんてのがたくさんある
イとエの区別が無いんだよな
文盲率とも関係あるんかな >>418
字の書けない人の発音を役人がそのまま書いて登録しちゃうんよ >>419
不思議なのは明治大正時代じゃなくて昭和の30年代40年代までいるってこと
松田聖子や中森明菜の親の世代でも東北じゃイとエの区別がないのか こないだのアド街で姫路をしめじという神田の元芸者さんが出てたな >>419
それって社会保険事務所の自治労の仕事なのでは?
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