乙武洋匡 作家
生活保護の受給費削減について、思うところをつぶやいた。

乙武 洋匡
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@h_ototake
生活保護の受給額削減が決定。セーフティーネットが充実している国こそ、人々はチャレンジするようになり、消費も活性化していくものだと思うのだけど、日本はその逆を行っているよなあ。/政府 生活保護費を3年間で160億円削減へ | NHKニュース https://www3.nhk.or.jp/news/html/20171219/k10011263331000.html

かいつまんで言うと、生活保護は国民一人ひとりにとってのセーフティーネットであり、保険である。日本国憲法においても、私たち国民は「健康で文化的な最低限度の生活」を送ることが保障されているのだから、そこはあまりケチるべきではないのでは、という意見だ。

これに対しては、「その通りだ」と賛意を示してくださる方もいれば、「今までがもらいすぎなのだから、下げられて当然」という意見もあった。実際に生活保護を受給している人々からの悲痛なリプライを読むにつけ、彼らが「もらいすぎ」だと断罪する気にはなれないが、しかし、批判をする人々の意見にも耳を傾けるべきものがある。

「あいつらは仕事もしないで、苦労もせずにカネをもらっている」

働けども、働けども、生活がラクにならない人々の心にこうしたネガティブな感情が芽生えることは、とても自然なことだと思う。その感情を真っ向から否定する気持ちに、私は、なれない。ただ、そうした感情を、そのまま生活保護叩きへと向けることには、「ちょっと待ってほしい」と思うのだ。

そもそも、生活保護受給者の人々は、本当に「ラクしている」のだろうか。私は、そうは思わない。もし、彼らの生活が本当に苦労のないものであるなら、生活保護叩きをしている人々もこぞって仕事を辞め、みずからが生活保護の申請をしているはずだ。
だが、ほとんどの人はそれをしない。なぜか。それは、日本ではまだまだ生活保護を受給することがスティグマ(負の烙印)とされているからだ。

本来、生活保護の受給は、恥じるべきことではないように思う。ツイートでも書いたように、体を壊したり、精神を病んだりして仕事ができなくなる可能性など、誰にも等しくあるからだ。だから、そうした状況に陥ってしまった場合は、
恥じることなく生活保護を申請できる社会にしていくべきだと思う。

だが、いまの日本では、そのスティグマを恐れて、多くの方が「ギリギリまで」頑張ってしまう。生活保護を受給することは一般社会からの「転落」と捉えられてしまい、それによって大いに自尊心を傷つけられてしまう可能性があるからだ。


http://www.huffingtonpost.jp/hirotada-ototake/welfare-japan_a_23312714/