太平洋の空を白く埋め尽くすまで風船爆弾量産してれば米国は降伏してた 軍艦航空機に金かけたのはアホw
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
「巨大な風船をつくり、火薬を入れた袋をぶら下げて飛ばす」。
高崎市にあった東京第二陸軍造兵廠(しょう)岩鼻製造所。
県立高崎高等女学校(高崎高女、現高崎女子高)の当時三年生だった川野堂子さん(87)
=東京都江東区=は将校からこんな説明を受けた。
「成功すればすごい兵器なんだよ」。そんなつぶやきも耳にした。
川野さんが上級生と四、五人で、学校工場で風船爆弾を作るために講習を受けに行った時のことだ。
学校で、風船爆弾を作る作業が始まった。重ね合わせた和紙を型紙に合わせて裁断し、
気球の下三分の一を仕上げた。川野さんは講堂で球にまとめる天頂の
部分をこんにゃく糊(のり)で貼り合わせた。
「もっとしっかりやらないと球にならない。裂けないようにしっかりやれ」。
そう叱られた記憶もある。講堂の隅に仕上げたものを置いておくと、
翌朝にはなかった。「岩鼻製造所に運ばれたのだろうか」と思っていた。
火薬を詰めたり、羽二重でドーナツ形をした袋の縫い目にシンナー系の接着剤を塗ったりもした。
詰めたものは黒い粒子状で、なめたら甘かったという。
風船爆弾の研究主任だった草場季喜陸軍少将は、自身の論文「風船爆弾による米本土攻撃」で
「火薬、火具類は東二造(東京第二陸軍造兵廠)で製造された」と証言。
一九四五年ごろの岩鼻製造所について、ハルビン師範大専任講師の菊池実さん(62)は
「火薬原料の調達は非常に困難になっており、本土決戦の方針で完全防空工場への
地下移設が進み、本来の火薬生産は大幅に減っていた。
こうした状況下で、学徒の手を借りて風船爆弾の製造にかかわるようになったのでは」と推測する。
(略)
<風船爆弾の記憶>(2)黒い火薬 「なめたら甘かった」
2017年10月26日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/list/201710/CK2017102602000167.html 確かアレで山火事起こって米国本土で死者が出たな
第二次大戦で唯一の米国本土での戦争被害者 ナチスのV2をはるかに上回る大陸間戦略攻撃兵器だからな しかもアメリカから日本に同じ方法でやり返すことは難しい
一方的な攻撃が成り立ってしまう
なお、中国 だがアメリカのゴムノリ焼夷弾をピンポイントで落とす方がはるかに効いた 最後のほう
>米国オレゴン州で、ピクニックしていた子どもを含む六人が風船爆弾に
触れて死亡していたことは戦後知った。 第五福竜丸だっけ?
あれで白い灰が飛んできた時も船員はとりあえず舐めたらしいし文明レベルが低すぎたな 実戦で使用され人間を殺傷した兵器の中で最も遠くまで飛んだもんだよな
こういうのはギネス記録に載ってるんだろうか
>>17
確かに見えない敵は手ごわかったな バカにするけど風船爆弾がバイオテロに使われてたら割りとガチでやばかったんだぞ
だからアメリカは風船が本土に届いて死者まで出したのを秘匿してた
日本は日本で流石にそこまではなぁ…みたいな空気だったから要らない心配だったけど あれだけ飛ばして与えた唯一の被害がよりによって
森にピクニックに来ていた女子供数人のみ
なんかものすごい女々しい兵器だよな >>22
韓国から北朝鮮にアジビラ付きの気球を飛ばしてるらしいな 当時の日本人の思考停止ぶりには頭が下がる思いだな。
頭が良かったのは江戸時代くらいじゃないか? たしか9000発以上飛ばしたんだよな
あの時点での日本の能力では精一杯のレベルじゃないかな
しかもアメリカはバラストの砂から産地を分析して
正確に生産拠点を爆撃されたという… グアムとかまで楽にこられてB29完成するまでもなく本土が焦土になってただけじゃね?
報復でより徹底的に >>25
冬に飛ばして全部帰ってきたとか聞いた覚えがある それでいて降伏した途端に、いきなり従順になって属国になる
阿呆らしい 上官「何やっとる!もっと風船を作らんか!」
部下「原料の天然ゴムがありません」
上官「だったらフィリピンから持ってこい!」
部下「輸送船は撃沈されました」
上官「ええい!今すぐ庭にゴムの木を植えろぉ!」 >>32
アメリカの政策の賜物やで
3Sで日本人を腑抜けにして、CIAの下部組織に政権を監視させる
経済的に問題なければ国民は政治に関心が薄れる
そういや、中国も経済的に問題がないから国民は共産党支持だったな >>38
さすが非戦闘員を狙って惨殺する日帝ジャップ >>8
山火事は伊号潜の飛行機の焼夷弾じゃなかった? アメリカって確か、最後まで糊の原料が蒟蒻って分からなかったんだよな。 >>42
だな。実際は山火事にもならず死傷者もでなかった。
焼夷弾投下したパイロットは後年現地へ植樹しに行ったり現地の人々に勇敢なパイロットとして表彰されたりと交流の礎になった。 >>39
というか完全な無照準による無差別攻撃だから
アメリカの戦略爆撃をよく非難するけど、一応攻撃すべき戦略目標があった とてもそんな数は作れないよ
9000発飛ばしてそもそもアメリカに到達できたのは1割だからね
労多くしてなんたら
まぁ意味のない苦労を美徳とするブラック日本にはお似合いかもしれぬ >>48
まがりなりにもアメリカに日本の兵器が到達しただけでも褒めてやるべき
実施はしなかったけど細菌兵器の散布も検討されたろ
風船爆弾はアメリカ側では一定の評価を得ている >>23
アメリカのプロパカンダだぞ
実際はかなり被害出てたが、伏せてる
軍事では常識
相手をバカにして無効な攻撃だと思わせる ハラスメント攻撃としては秀逸だと思うよ
女子供を動員して熟練工なしで造れるってとこも カリフォルニアの乾燥強風期狙って風上に山火事起こしてたら
数千屋破壊して何百人も殺してたかもな
神風名乗るなら自然の特性をもっと把握すべきだったわ ハワイ占領して日系人に蒟蒻畑やってもらい
収穫は全部買い取り
女房連中集めて布地に蒟蒻糊を塗る仕事を斡旋
毎日風船爆弾を送り出す長閑な島暮らしの提督
戦わずして勝つ、こそが正義 あれってアメリカでも直接対応できないからかなりやっかいだったんだよな
まあ生産工場攻撃できる時点で無意味だけど >>53
当時はそんな知見無いだろ
気象学が大きく発展したのも戦後だし ジェット気流を発見したのは日本人
風船爆弾のアメリカ本土爆撃成功率は意外に高く3%だった まずハワイ占領が無理。どれだけ強固な要塞なのか知らないのか
当時の海軍でも戦艦全部投入して攻撃しても我方壊滅と見積もっていた >>55
V1は飛行機の翼端で押して落としてたけどね
ちなみにV1の発射数は累計24000発 ハワイの砲台がある限り日本の艦艇は接近不可能だったからなぁ
陸上に固定された砲台は命中率が高く艦砲では太刀打ちできなかった 迎撃が撃てば当たるような状態になってしまうんじゃ・・・ >>61
その迎撃行動で神経も機材もすり減る。風船爆弾は24時間分け隔てなく落ちてくると考えたら完全な迎撃は不可。その上パイロットなどの事故死すら発生しかねないからやるだけで効果アリな戦法。 風船爆弾でアメリカ本土到達する確率を上げる何らかのアイデアがあったら良かったとは思うよ
大和と武蔵を作る金でアイデアは出せたと思うよ >>63
シンプルでローコストなとこが魅力の兵器だから
むしろ生産性を向上させ
さらに大量投入すればいい >>62
てか下手したら連鎖爆発しねえ?
若しくは発射地点狙われたらひどいことにならね?
外からでなくても工作員にやられる 制海権を獲得できればこんなアホなものがでてくる余地はなかったし
近海の制海権すら確保できない様ではこんなものあったところで何にもならないんだよ。現実じゃ >>10
その当時、ジェット気流の存在を知ってたのは日本だけ
アメリカは潜水艦で本土近海まで接近し風船を飛ばしていると考え
本土沿岸に対潜哨戒機を飛ばしまくった
米国は箝口令をしき一切報道しなかったが風船爆弾でノイローゼ気味になり
製造工場と思われる小倉に原子爆弾を落とす計画を立案する
実際には当日小倉は曇りで作戦中止、帰路時に長崎によったら雲間から陸地が見えたので原爆投下
広島と違って長崎の爆心地は町外れにあるのは、それが理由。長崎も雲に覆われていたら海上投棄される予定だった
あと日本は米国の新聞に風船爆弾の記述が無い為、全く成功していないと判断し1945年春に作戦を中止 >>67
小倉工廠が原爆の標的になったのは国内2位の大工場だからであって風船爆弾工場だったからじゃないぞ >>68
あー。やっぱりそっちかぁ
他の風船爆弾製造工場(仮)だった旧:両国国技館も風船爆弾作ってたから狙われた。
と囁かれたが、実際には人口密集地帯だからだよねぇ
ジェット気流を理解できない人達が、軍事機密兵器製造工場の所在地が分かるとは思えないよねぇw >>1
飛ばせるのは季節的に、ジェット気流にのれる11月から3月くらいまでという限定的な兵器。 最近吉村昭の「蚤と爆弾」っての読んだら、風船爆弾の経緯も書かれていたな。
関東軍が、ひそかにソ連軍を細菌兵器で攻撃するのに使おうと研究始めたが
アメリカ本土攻撃にも使えそうで流用したとか。 ロスの山火事被害見たら
あながち間違えでもなかろう
心理的には >>14
唯一の戦果である6人の子供たちなんだが、これは不発弾に触れたもの。
ピクニック中に気球を見つけてワイワイやってたらドカン。 >>76
なお、製造中の事故で女学生6名が死亡してる。
攻撃数9600
日本側犠牲:女学生6
戦果:引率のお姉さん1、ピクニックの子供5
結果:チャラ 関東軍を全部本土に呼び戻して、
ホーチミンみたいに穴掘りまくって徹底抗戦やってれば引き分けくらいには持ち込めたんじゃないかねえ? >>79
ホーチミンルートは中立国であるラオスとカンボジアを通っていたため、米軍は(時折やったけど)思いきった攻撃ができなかった。
http://1.bp.blogspot.com/_2NVoz73pzvI/Slf7OWFiOyI/AAAAAAAAEh4/1qOJ9jRhEbE/s400/HoChiMinhTrail%2520map.jpg
ホーチミンルートを通る物資はソ連と中国から供与されており、北ベトナムそのものが(北爆期間以外は)爆撃対象外だったりする。
太平洋戦争にそんな制約はない。 主要都市上空に浮かべとけば空襲できなくなるのに
じゃップは馬鹿なのか? 風船爆弾ね(笑) それよりは、日本海海戦の艦隊決戦の夢を捨て、商戦や輸送船を次から次ぎに
沈めたほうが、効果的だったと思うがね。まあ、石油の70%を頼っていたアメリカに戦争を吹っかけたこと
じたいが間違っているがね。 >>83
ドイツのUボート戦ノウハウが蓄積された段階ゆえそれも難しい。
米海軍は輸送船を単独では行動させず、いわゆるコンボイを組み、これを対潜駆逐艦と1万トン級護衛空母で守る方式をとっていた。(このために護衛空母を100隻以上作ってる)
航空機用対潜レーダーが進化しており、海上航行が絶望な上、Uボートのシュノーケルや潜望鏡すら見つかるようになっていて、発見されると空中から音響魚雷を落とされた。 戦前に飛ばしてカリアゲみたいに「無慈悲な・・・」って言ってればハルノートじゃなく別のものが出てきて開戦は回避できたかもね。 風船爆弾は風船に付いていた砂から日本のどこから飛ばされたかアメリカはすぐに分かったという。
その砂のサンプルはペリーが来航して後、日本中の砂を採集していたから。
この辺の意識の違いは月とスッポンというべきだろう。
とても勝てる相手じゃないよ。 >>84
>>85
結論として、アメリカにケンカを吹っかけること自体間違っていたということ。ただし、ルーズベルトは、
ヨーロッパ戦線に参戦したく、日本を挑発し続けたのは、事実なのは、調査をしたハミルトン・フイッシュ上院議員や
フーバー元大統領の証言でも明らかだがな。チャーチルもアメリカにヨーロッパ戦線参戦に踏み切るようにアメリカ国内で
工作していたようだが、チャーチルは、真珠湾攻撃の報にワインで乾杯したそうだ。ソ連のスターリンもソ満国境の日本軍を
減らしたことに万歳したそうだ。西の対独戦に集注できるようになった。ルーズベルト政権の中枢には、ソ連スパイが、大勢いて
日本を対米戦に仕向けることに全力を注いでいた。 いいね 「提督の決断」で風船爆弾 とか開発していくシミュレーションも見てみたいな
ガンバレよ コーエーさん ( ´・ω・) あらゆる可能性を見せてくれよ >>89
10万基も飛ばせば、日本側犠牲者60、アメリカ犠牲者0って感じじゃねーかな?
(落ちてる気球触るなって指示出るゆえ) >>67
ジェット気流日本だけ知ってたのか…
なんて科学が発達した国だったんだ >>29
原爆工場近くに風船爆弾が落ちてアブネーってんで原爆作って落としたんだっけ 飛行機に機銃が装備されてる時代にあんなにゆっくり動くでかい的が打撃与えられるわけ無いだろ。
あれは少数だから出来た奇跡。 バカくさ。
アメリカ本土に到達しても、アメリカってほとんど、山脈や砂漠や農地だろうに。 >>32
インディアンの酋長もそんなだったとかだっけ。俺を負かしたあんたにかんぱい(乾杯&完敗)みたいな >>91
グアムからのB29往復における流され具合が異常なのと、ノルデン照準器がズレるため、高空に強い風が吹いてる事は認識してたし、調査も行っていた。
ただ、日本本土爆撃に必要な空域のみなので、全体像は戦後でよかろうと言う判断をしてた。 >>92
原爆工場から遠く離れた送電線に気球が引っかかってショートしたが予備電源に切り替わって影響なし。 核爆弾への報復攻撃が風船爆弾では勝つのは無理じゃね そもそも、ジュネーブ条約で戦争において攻撃対象は、軍事施設や兵隊のみ。
無論、キレイ事ではあるけど、
広島長崎の原爆でも、都市に落とすと子供や一般人を殺害してしまうと、投下に躊躇したトルーマンを、
アメリカの軍部はだまして、あそこは軍港で軍需産業しかありませんと迫った。
それならとゴーサインを出したが、結果、子供や一般人が大量に犠牲になり、トルーマンは頭を抱えて悲しんだ。
都市部のその後の空襲は推して知るべしだが、当たり前なんだよ。
一般人を狙っても、なんの意味もないんだから。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています