【芸能】 毒蝮三太夫(87)がお年寄りから聞いた驚きの話「乃木将軍を見送った」「双葉山の膝の上に座った」 [朝一から閉店までφ★]
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エンタメ・アイドル 投稿日:2023.05.22 11:00FLASH編集部
5月16日放送のTBSラジオ『生島ヒロシのおはよう定食|一直線』に毒蝮三太夫さんが出演していました。
同番組MCの生島ヒロシさんから、日本の人生100年時代にぴったりのモデルと紹介された87歳の毒蝮さん。ご自身の健康の秘訣について「現役で動いているというのは『精出せば 凍る間もなし 水車』でね。やっぱり働いているということが健康の大きな理由なのかな」と語っていました。
毒蝮さんは現在、聖徳大学短期大学部客員教授を務めており、7月7日には17回めとなる『マムちゃん寄席』が開催されるなど、今なお現役で働いておられます。
なかでも驚くのは、ラジオ番組『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』(現在はTBSラジオ『土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送』内で月1回放送)を53年にわたって続けていらっしゃることでしょう。筆者は以前、毒蝮さんに同ラジオ番組についてお話をお聞きしています。
番組は毒蝮さんが会社やお店に訪問し、そこに集まったお年寄りとトークを繰り広げ、「ババァ生きてるか?」と親しみを込めて触れ合う様子が人気となりました。毒蝮さんは番組のルーツについて、
「もともと俺の番組はわざわざ年寄りを集めたんじゃないよ。前は午前中の10時半からやってたから、その時間だと働いている若い人は来なくて年寄りが来ちゃったわけだ。それで佃煮みたいな集まりで50年もやってたら『年寄りといえば俺だ』ってなっちゃたの」
と開始当時を振り返りました。
毒蝮さんが番組を始めた頃は34歳だったため、80代のお年寄りを相手にしたときは、今よりすごく高齢に感じたといいます。
「当時の人はみんな戦争を知っていた人たちで、日露戦争の話をする人が多かった。『乃木将軍を見送った』とか『二百三高地はなかなか落ちなかった』とか。それから『双葉山の膝の上に座った』とか。
あとね、これは聞いた話だけど、西郷隆盛を見たって人も(笑)。元NHKアナウンサーの鈴木健二さんが『マムシさんね。俺、西郷隆盛に会った年寄りの話を熊本まで聞きにいったんだよ』って。そしたらそのおじいさんが、5つか6つのときに熊本城から逃げていく西郷隆盛を見たと。『体が大きくて立派な人でした』って」
歴史上の人物を実際に見たり会ったりしていた人からお話を聞いている毒蝮さん。今後ともそういった驚くべきお話を、いつまでも元気に後世に伝えていただきたいです。
https://smart-flash.jp/entame/236321/1/1/
インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。
( SmartFLASH ) こういう話すきなんだよな
もっと聞き取っておいて欲しかった それで佃煮みたいな集まりで50年もやってたら『年寄りといえば俺だ』ってなっちゃたの」
例えが逸品だな。 俺のおじいさんは赤穂浪士の討ち入りの太鼓の音を聞いたって言ってたな。
どこで聞いたの?って聞いたら「水戸で聞いた」って言ってて太鼓の音すげーなってなった。 三大キテレツな芸名
・毒蝮三太夫
・丹古母鬼馬二
・玉袋筋太郎 自分が戦争が終わって〇〇年後の生まれで
戦争なんて遥か遠い昔の自分とは関係のない隔絶した白黒の世界だと認識していたら
年齢が〇〇年になった時に感じる「戦争からこれぐらいしか立ってなかったんだ」と思うあの感覚 コンビニおにぎりのパッケージを発明した人なら3人くらい会った 昔、オレの爺さん竜兵団(文字これやったっけ?)ってとこにいたらしい。
軍人なんだが、任侠者やガテン系、武道家(剣道)ばかりやったって聞いた。婆さんが言うには爺さんも剣道メチャクチャ強かったらしい。 53年前って言うと1970年だよな?
で、西郷隆盛は1877年に死んでる
5つか6つの頃に見たとなると、1871~1872年生まれで放送開始以降だと98歳以上になるけど、本当に見たのかね? >>24
超高齢やから急いで熊本まで会いに行ったんやない? 植木等を見たことがある
金八先生する前の武田鉄矢を見たことがある
このくらいが精一杯だわ >>24
西郷隆盛の妹にインタビューした音声は聞いたことがある
本人の癖とか生活の中で発した言葉とか再現して回想してて
やっぱり普通にいた人だったんだとリアリティが湧く >>24
いつ聞いたか知らんが、西郷隆盛の話を聞いたのは元アナウンサーの鈴木健二だろ >>24
鈴木健二からの伝聞だから53年前とはかぎらんでしょ
つーか鈴木健二は1952年~1953年にNHK熊本放送局だったからそのころのエピソードだと思う 流石に嘘吐き朝鮮人みたいにイアンフでしたって人はおらんか 西郷隆盛はデカかったな
おいどんって言うの聞いて草生えた こいつの喋り好きなんだが
Spotifyの終っちまったんだよなぁ 蝮か若い頃のお年寄りなら、江戸時代に生まれた人とかもいただろ。
今はジジババでも戦後世代でそんな面白い話も聞けないから、これはちょっとうらやましいな。 1968年 明治元年
↓77年
1945年 終戦
↓78年
2023年 現在
戦後という時代も随分長くなってしまったからな。
明治の偉人というのも今考えればそこまで遠い人でもない。 別に驚かないでしょ
戦前生まれは江戸時代生まれの人還暦から80くらいまでいたんだから
昭和元年が江戸時代終わって60年目だろ うちのじいちゃんは第二次世界大戦で戦闘機乗ってヨーロッパの空飛んだ言うてたな まぁ大昔の頃で老人なら明治生まれだろうし下手したら江戸時代生まれもあるか 少しずれるが、鈴木健二は双葉山69連勝がストップした安芸ノ島との一番を生で観戦している。 鹿児島に出張行った時、西郷隆盛みたいなゴツくて濃い顔の人がいろんな所に結構いて、カルチャーショック受けたわ… 特撮オタからすると毒蝮さんご自身が歴史上の人物
初代ウルトラマンとウルトラセブンのレギュラーなんだから NetflixのULTRAMAN3に出てるね
少し胸あつだったよ 双葉山にあったことある人ならまだ生きてる人結構いるだろ
うちのばあちゃんは栃錦に頭撫でられたって言ってるし 水曜日で徳川慶喜に会った事ある人存在する説の回はマジで面白かった 若い人から見たら今の中年も凄いんじゃないの。戦後20年くらいで生まれてるんだからw
今に直したら終戦が2003年だよ >>28
テレビ探偵団の収録を見に行ったらゲストが植木等で一緒にハラホレヒレハレをやったことある
ちなみに二本撮りでもう一方のゲストはおすぎとピーコだった
時代だなぁ 水ダウでもやってたな
けいきを見たことあるおばあちゃん >>1 おじいさんが、5つか6つのときに熊本城から逃げていく西郷隆盛を見た
これはないでしょwww コサキンのラジオでの西城秀樹の扱い(老け顔なので年齢詐称というネタ投稿)みたいな。
玉音放送を聴いたとか、日露戦争での恩賞金を貰っているとか。
「十朱幸代さんとの年齢差カップル、秀樹さんはずいぶん年下の女性をゲットしましたね」とか。 杉真理が母校にふらっと来てて、たまたま居合わせた数名と30分くらい話した
大瀧詠一さんのこととかもっと色々聞いときゃよかったと今でも後悔 ちょっと前は若い頃は戦争に行ってたなんて人は
全然珍しくなかったからな
その時代は悲劇はもちろんあったけど戦争の虚しさを
喜劇調に描くなんてのもよくあったが
今は戦争を体験してない世代が圧倒的に多くなって
そうやって茶化すのは絶対に許されない雰囲気になったな 東郷平八郎なら今でも見た事ある人いるかもしれないね まあでも仮面ライダーが50年以上、聖子ちゃんマッチや82年組も40年以上前の大昔。
リアルで接してる俺もそりゃ禿げるわ。そんな昭和40~50年代の記憶があるって、
俺は当たり前の出来事として残ってるが、今時の若い世代、30前後の人らにしてみれば
ホントにジェネレーションギャップとして捉え、おとぎ話?のような空想が巡るばかり
なんだろうな。 初代ウルトラマンでヘアドライヤーみたいな光線銃を撃った >>70
戦争体験者はやっぱ一目置かざるを得ないな。
自分は平和と水はタダという感じで育った世代。先人の苦難についてはただただ頭が下がるばかり。。 鈴木健二存命だよな、とwikiみたら94歳だって。
すげえ。 司馬遼太郎の燃えよ剣に取材の為に訪れた京都で鳥羽・伏見の戦いを体験したという方に出会った的な話が載ってた気がするけどそんな感じか
俺らで言うとどうしても淡路、東日本の災害になっちゃうな… 伊藤博文の児童漫画を描いた漫画家は子供頃に博文の幼なじみだった爺さんから博文の話を聞いた話を描いてたな >>53
笑点で座布団運びすることになったとき、特撮をみてくれた少年たちの夢を壊さないようにと司会の立川談志がくれた芸名が毒蝮なわけで 介護職をしてると明治生まれとか15年くらい前まで普通にいた。その親は江戸時代とかだし意外と最近なんだよ。今は流石に大正生まれがギリギリだけど 毒蝮師匠のくたばれババアも今ならポリコレだもん。
つまらない世の中になったな。 都家かつえ師匠は、バルチック艦隊に手を振った
とラジオで大沢悠里がよく言ってたが
それと同じ類いのギャグだろ 昔は「おいクソばばぁてめえこの野郎いい加減にしろよぶち殴るぞ!」とか言ってたんだっけ
今ではそんな芸風でやれないだろな >>78
熊本の殿様んち(総理大臣が出たあそこ)に取材に行ったら、そこのお婆さんが
「うちは戦争で貧乏になってねぇ」
と嘆いていたけど、その戦争は太平洋戦争じゃなく応仁の乱だった
という話が色々な意味で馬鹿馬鹿しくて好き >>81
でも笑点の収録にアラシ隊員を観にくる子供だらけになってしまい
現場の空気が変わるからと首にしたのも談志 昭和の終わりころに死んだ曾ばあちゃんはたしか明治37年生まれだったな
田舎だから有名人エピソードなんて何も無いけど ウルトラマンが66年だから戦後21年後に放送
今から21年前は2002年は小泉訪朝と日韓W杯だから
そう思うと当時は戦争体験者なんかは当たり前なのも
当然なんだろうな うちのおばあちゃんは巨人の青田と一緒に後楽園の選手用大浴場に入った >>81
>>88
先日亡くなったプロ野球の名選手・毒島章一さんは落語好きで、談志とも親しかったそうだが、毒蝮さんとは交流はあったのだろうか? >>2
その婆さんは水曜日のダウンタウンに出てたな
大政奉還の後はうろうろしてたみたいだね >>14
この感覚は凄い判るよ
自分の生まれた年を起点で今の年齢を反転したら
まだ明治時代だもんなぁ
自分が生まれたときの今の自分と同年代は明治生まれだったと思うと
少し怖い・・・ 俺の親父は力道山とデストロイヤーがキャッチボールして仲良くしてたのを見た
それを聞いてプロレスは八百と小さい頃に知ってしまった うちのばっちゃんは子供の頃よく二葉亭四迷に遊んでもらってた あのー、話ちょっと関係ないかもわかりませんけど、軍歌っていうの在りますね。
それで、軍歌っちゅうのは、質の良い軍歌になりますと、人を、本当に、「俺は悠久の大義に活きるために死ぬんだーッ」という気にさす、凄い物を持ってるんです。持っていながら、私の頭の中には今だにその軍歌が一番から三番まで明瞭に残ってるんです。頭の中でずーっと鳴って、心地よくなってるんです。
それぐらい軍歌というのは、恐ろしいもんであり、また、美しいもんであるという、いま、その思いでまいにち、悩むと言うか、感無量と言うか、「なんでこんな音楽が在んねん」という、そんな思いでおります。
恐いですね。人を、本当に、無目的に、自分から死に追いやるような、喜んで死に追いやるような音楽でありながら、何十年にわたって耳の中に明瞭に、頭の中に残っている、しかも心地よくという。この恐ろしい事が、なんか今だに自分でも解決できないです。
音楽の中で、軍歌の恐ろしさいうのが、なんか、今だに解決できないです。
ちょっと、お話と関係ないかもわかりませんけど、いま現在の心境です。 俺がガキのころは手足のない元日本兵さんとかよく町中で見かけたなー
いつの間にか見かけなくなった >>78
それって司馬のエピソードだっけ?
子母沢寛が土方歳三を見たって人と話ししたのは覚えてるが 忠臣蔵の時は騒がしかったなあ
討ち入りの時は事前に「お騒がせします」と挨拶に来てくれてた
吉良殿は襲われて頃された被害者にもかかわらず、ざまあみたいな反応で草だった >>87
言うて細川京兆家と肥後細川家は相当離れてるから関係なくね? うちの祖母も関東大震災経験者で226事件の日に未明に起こったことを知らず大手町へ通勤したら軍人が沢山いてワケわからんかったと言っていた 呉だけど、親父が「あの辺に軍艦が沈んどった。結構長い間ほっとかれとった」って言ってたな >>107
中の人も勘定に入れていいなら
古谷敏さんも >>87
それの元ネタは近衛じゃないか?
管領を出す細川家と熊本の殿様は血縁的に遠いし応仁の乱後に細川の権力は強化されてる お前らも安倍晋三が射殺されるところリアルタイムで見てたとかいうとそのうち驚かれたるするんやで?未来の子たちから、「悪党が射殺されるところ見てて胸がスカッとした?高揚感に包まれた?」とか聞かれたりすんやで いま元気な人とそうじゃない人の格差がすげーな。この人とか高木ブーみたいのがいる一方で70そこそこで車イス、寝たきり、認知症進行してるのも普通に居るし >>32
それもこれも筆者である山下の文章・構成力不足のせいだな 子供の頃、山下清にあった。近くの学校で山下清の展覧会があるというので行ったら、夏場の頃なので机に上はランニングを着たおじさんが座っていた。みんな山下清と言っていた。 >>102
んー…確かそうだと思ったんだけどなんせ読んだのも随分昔の事なので違ったらごめん 銭湯で年寄り達が2.26事件当時の話してたわ
あの時あそこの通りがどうだったとか 俺なんか土屋アンナしか見たことないわ
あと松本伊代が若い頃デパートの屋上来てたくらいか お茶の先生が女学生の頃に、神宮球場で学徒動員を見送ったといってたなぁ
そう言えば家元は特攻隊の生き残りだった
百歳だが彼女さん連れてハワイに今年も出掛けている 明治や大正はそんなに遠くないんだよな
施設でボケて寝たきりの年寄りたちは何なりと古い話を知ってるはず >>122
神宮の学徒動員で代表の挨拶した学生は今も元気で生きてるしなあ >>126
学徒動員のニュース映画に1人吊り目気味の舘ひろし風二枚目が居て、いつも探しちゃう
そういえば真珠湾攻撃で、赤城?から発艦する飛行機に手を振る鉢巻した後姿は俺だって言う人3人知ってるw >>128
死後に戸籍の不備が発覚して
現在では明治生まれ説が有力 >>1
俺の母親も87歳だけど、子供の頃、双葉山が家に泊まっていったってさ。横綱時代。
可愛がってくれたそうだ。
昔は地方巡業で民家に泊まったからね。
差し入れの魚を自分でさばいてちゃんこ作ってくれた、と。 うちの母ちゃんは、高校生の時に伊勢湾台風襲来で
学校授業打ち切りになり、最寄りの国鉄の
駅から、腰まで水に浸かりながら帰宅した
って、言ってた。後、修学旅行で四国に行った帰りに
事故の1ヶ月前の同じような時間帯に紫雲丸乗船
したとも。船酔いして、デッキに風当たりに行ったら
物凄い濃霧だったと。 没年
1922年 山形有朋 大隈重信
1927年 芥川龍之介
1928年 野口英世
1929年 津田梅子
1930年 秋山好古 豊田佐吉
1931年 渋沢栄一 人見絹枝 飯沼貞吉(白虎隊)
1932年 犬養毅 新島八重
1933年 小林多喜二 宮沢賢治 新渡戸稲造
1934年 東郷平八郎
1935年 忠犬ハチ公
1936年 高橋是清
1938年 嘉納治五郎 池田七三郎(新撰組)
ここら辺りはまだ実際あったことある人いるかな うちの曽祖父は芥川龍之介と撮った20人ほどの集合写真がある
箱根で撮ったらしい
もちろん存命ではありませんが うちの爺さんは疎開先の四国の海岸から、広島のキノコ雲見たって言ってた 30年前に亡くなった祖母が、「朝のラジオで226事件のニュースを聞いた」と言ってた 俺は31年前小学校の入学式帰り商店街で毒蝮三太夫に遭遇してインタビューされた 渋沢栄一に抱っこされておしっこ漏らしてのが赤ん坊だった澁澤龍彦という話は聞いたことがある 毒蝮の友人の師匠の小さんは226事件の反乱軍に兵士としていたらしいな 大化の改新が起こった時は、日本中大騒ぎだったわ
新橋駅前で、号外の取り合いだよ アラシ隊員がどうしてフルハシ隊員に名前変わったんですか? 双葉山と誕生日が同じです
ラモス瑠偉やあだち充もT岡田もです なぜ、マムシさんだけ初代マンとセブンにレギュラー抜擢されたんだろ?
あと、ハヤタとダンとの鼎談ってある? 東郷平八郎の通訳やってた外交官が平成まで生きていろいろメディア出たりしてたから
そんな大昔の人でもない 沖ノ島のお宮の神官が民間人で唯一日本海海戦を見た人として知られているなその人は1974年迄存命していた マムちゃん、ああ見えて生まれは大阪なんだよな。
3ヶ月で東京移ったから、ほとんど江戸っ子だけど 80年代だと戦争で最前線に行ってたような人がまだ50代だったからな。今思うと恐ろしいわ >>135
2歳とか3歳なら結構いそうだけど、物心がついた、12歳ぐらいの年齢嵩が欲しい
となると東郷平八郎はいるかも 坂本龍馬の暗殺現場にも駆けつけた田中光顕は太平洋戦争の始まるちょっと前まで生きてた
自分が19歳の時まで祖父が生きてたその孫は2016年まで生きてた 今80代の人と話をするとその人が自分のおじいさんから聞いた話が聞けてタイムスリップしたような気になる ナイツのファミリーヒストリー見立てたら
陸軍幼年学校→陸軍士官学校→陸軍大学校と進んで参謀になったエリート軍人が
まだ存命でインタビュー答えてて驚いたわ 実際の侍見たことある人でまだ生きてる人は何人もいるだろうな >>152
ガキの頃はああこの人戦争でこうなったんだろうなって大人が結構いたな俺の小学校の校長はなんかの破片でえぐれたのか頬がわりと深めに窪んでたし近所の銀行の外回りのおじさんは片腕なくて自転車乗ってた >>156
瀬島龍三も2007年まで生きていたからね くだらないネタの合間に興味深い話が投下されて面白いスレだわ 乃木さんや日露戦争に比べると
双葉山だけ年代が全然違って若いわな
太刀山が無茶苦茶強かったとかの話じゃないと
円生が相撲の噺の枕でしてた 明治生まれは日本にあとどれぐらいいらっしゃるんだろうか? 87歳に見えない
めっちゃ若い
ババアババアっておちょくってるし >>77
ウルトラアイの人かなと思ったら山川静夫さんだった
ご健在だった >>24
自分の親の体験談と混同している可能性、自称130才の海外ババアめそんな感じと思う >>167
いやだからそれは毒蝮よりさらに年上の鈴木健二の話だと書いてあろうが… 大伯父は子供の頃河童と相撲取ったことあるって言ってた とんねるずの石橋が毒蝮のところに弟子入りしそうになったんだよな。 鈴木健二は1952年のNHK入局で熊本放送局配属みたいだから、この時代なら西郷隆盛知ってる人に会っていてもおかしくない。 黒柳徹子のネタ「黒船を見た女」じゃないのか
本当に可能か年齢聞いて確認した方がいい >>148
空想特撮シリーズは、前作と同じキャストを起用する事で、子供達が大人のドラマに入りやすくしてる
だから桜井浩子がQからマンとレギュラーだった
ただし、円谷さんとこは、後付けの屁理屈やその場凌ぎが公式設定になるので、今は知りません 20年くらい前と800年前に日蓮に会ったことあるわ ワイ56歳やけど
母親が祖母に育てらて
その祖母も祖母に育てられた人だから
江戸時代話しとかよく聞いたわ うちの婆さんのおばさんが天保生まれだったな
山かなんか自治体に寄付する時に行政書士からの書類見せてもらった
うちの婆さん106歳でまだ生きてるよ
田舎生まれの田舎育ちだから歴史上の有名人を見たとかのエピソードは一度も聞いたことない 俺も吉祥寺で楳図かずおそっくりの爺さんを見かけたことがある >>174
東京の本局で研修受けてたんで、言われた通りに
局のコールサイン「JOAK」ってアナウンスしてしまい
上司に怒られたって話は笑ったな。
後、タバコの取材に行けと言われて、間違えて
専売公社に行かないといけないのに、電電公社に
行って、話が噛み合わなかったってのは多分
半分ぐらい創作だと思うな うちの母親は、挺身隊で中島飛行機の工場に通ってキャブレター作ってたんだが、ある日空襲でB-29に爆弾をすぐそばに落とされたけど、不発弾だったので命拾いしたらしい。 溝口健二の映画のセットは江戸生まれの
老人が駄目出ししてたのか? >>187
両さんの大原部長は大正生まれじゃなかった? >>190
両津も、マッカーサー元帥を見たってセリフがあったから
連載開始時に36歳だとすると昭和十五年生まれになるんだよなあ
いつの間にか戦後生まれの作者と同じような少年時代を過ごしたことになってるし
来年再来年生まれで永遠の36歳だといよいよ平成生まれってことになる >>183
今だと全然面白くない創作話だけど昔はそういうウソ話でも面白がられて許容されてたんだろうと思うと感慨深い >>101
傷痍軍人の物乞いは小学生のころ見かけたな
あれほとんどインチキなんだってな
気位の高い大正生まれの祖母が
あんなものを見ちゃいけない興味を持っちゃいけないって
デパートの前にたまにいる傷痍軍人の物乞いを避けるようにしてたなあ >>70
ドリフの全員集合でもひょうきん族でも欽ちゃんでも
戦時中や戦争世代を結構茶化してたぞ
子供心にちょっと不謹慎じゃねいかって思ってた うちの爺さんは戦艦大和と一緒に海に沈んだ
生き残っていても終わってからの裁判で豚箱いき 午前中のtbsラジオつまんないから大沢悠里のゆうゆうワイド復活させろよ >>196
昔の方が大らかというか無頓着だった
敗戦間もない時期に原爆固めや水爆打線といったネーミングが戦争体験者によってつけられ、堂々と流通していた 87歳でまだまだ元気だな
俺は美輪明宏を新宿で見たことあるけど長生きして未来人たちに話したら逸話になるんだろうな 双葉山どころか、昭和天皇って太刀山の相撲見てるんだよな >>176
マンとセブンの間は半年空いている。
キャプテンウルトラを知らない人しか騙せない嘘。 テレビ放送が始まったころ、ロシアの年寄りに今までで1番印象に残っていることを聞いたら先の戦争だというのでつい最近じゃないかと思ったらナポレオンが攻めてきたことと言われた。 水曜日とか、忠犬ハチ公を実際に見た人が結構いたもんね
もっとレア体験の人も探せばいるんだろうね >>34
それなら80年前の話だから85の老人の思い出話としてはあり得るな >>140
長嶋茂雄なんか生後6日しか経ってない2.26事件のこと覚えてるって言ってたぞw >>198
引退しました
まだ現役なうちにCBCのつボイノリオを聴きましょう
日記でも付けていれば後に貴重な記録になります
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『戦中派虫けら日記』(ちくま文庫/山田風太郎)
●1944年(昭和19年)02月29日
今都民は一人平均1時間は何かの行列に並びはしないか?
家庭の主婦は二時間位は配給の行列に時間をつぶされる。
増産増産と血を吐くような焦眉のときに何たる時間と精力の
浪費であるか?思うにビアホール酒場などは閉店させよ。
無くても死にはしない。映画館も同様だ。
●1944年(昭和19年)11月07日
遂に敵機を見る。
先日から偵察に来ていたが今日あたりから爆撃ありてしかるべき。
サイレンが鳴り地下食堂に行く。入り口に学生空をあおぎ、
見よ見よB29と叫ぶ声あり。天を見る。
はるかなる先に小さき米機一機悠々と飛びつつあり。
高射砲の音が聞こえ空に点々と白煙の玉散る。
敵機来襲の警鐘なると、皆校庭に出て天を仰いでひしめく。
午後3時半空襲警報解除。日本の航空隊は何をしているや。
写真はたくさんとったろう。本当の爆撃も近い。 >>47
クォーターの方ですか?
ドイツやイギリスの 「良い子悪い子普通の子」
というテレビ番組で
出演者が普通に戦争ネタを言って観客が笑っていたが、
今の若年層からすれば
「戦争って、何の戦争ですか?」
と言う所だろう 毒蝮さんがもう少し若かったら
お前等もよう~ジジィ、ババァ生きてるか?と
言われる年齢なんだもんな
昔の人は戦時中の話があったけど
お前等は語れる何か持ってるの? このしと長生きしそうと思ったけどやっぱり長生きだな >>216
千葉にある児童教育系の女子大学
通信制もある 俺のガキの頃は明治生まれがざらに居たもんな
江戸時代生まれもちょっと探せば居ただろう 今の若者にとって昭和天皇って、我々の明治天皇くらいの存在なんだろうな。(歳がばれてしまうが) 介護職員だけど、20年程前に当時95歳の利用者さんと震災の日のニュースを観ていたときに「炊き出しに行ったよ」と話をしたなぁ。その方1904年、ロシア戦争の年に東京生まれだった。歴史の教科書で習った時代を生きてきたと感じた。 >>226
私の父方の祖父は、その方より1年早い1903年(明治36年)生まれ
毎日、几帳面に日記をつけてた
漢字とカタカナだらけだった記憶
ひらがなが見あたらなかった
今年は昭和98年。昭和はこんな風に始まったのだった( ´Д`)y━・~~
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★★昭和2年(1927年)★★ 『昭和タイムス』51より
■月別
01月 相撲協会東京と大阪で合併/市電女性車掌に異動命令
03月 金融恐慌渡辺銀行が破綻/三井など大銀行に預金集中/磐城炭鉱で大火災
04月 小田急電鉄新宿-小田原間営業開始/松下ナショナルランプ発売/GM日本工場開始
05月 徴兵令に変わって兵役法公布/第一回ゴルフ日本オープン開催
06月 立憲民政党誕生
07月 芥川龍之介自殺
08月 高校野球ラジオ中継開始
09月 野田醤油争議(kikkoman)/ベーブルース本塁打王
10月 火災専用電話119誕生
11月 幼児教育絵本キンダーブック創刊
12月 日本初地下鉄銀座線開業。初日10万人利用/スターリンがトロッキーを除名
■流行
「モガ・モボ」「円タク(1円均一で営業するタクシー)」
■データ
人口:6165万人
出生数:206万人
死亡数:121万人
ラジオ:普及率3.2%
自動車事故:5万件
■物価
公務員初任給:75円
珈琲:10銭
掛け蕎麦:10銭
白米10kg:3円20銭
ビール大瓶:42銭
映画入場料:30銭
■ヒット映画 「忠次旅日記」
■ヒット本 「トルストイ全集」「伊豆の踊子」
■ヒット音楽 「どん底の歌」「赤とんぼ」「からたちの花」 >>86
マムシさんは番組の中で「ババア!」は連発してたが 「クソババア!」と言った事は一度も無い 豆な 曾祖母さんの家の柱に天狗党が斬りつけた刀傷があるって聞いたわ 泉重千代を除けばさすがに子供の頃江戸時代生まれはいなかったみたいだな >2
敗軍の将なのに悠々自適に障害ってアトちゃんとこいつくらいだよなぁ >>210
あんな政治色のどぎつい番組聞いてられないよ 細野晴臣のお爺さんは沈没したタイタニックに乗ってた >>236
乗ってただけでなく生き残れたんだよね
それで卑怯者とかいわれのない誹謗を受けたこともある マムシはムージックプレゼントで妊婦のおっぱいをアポ無しで触るということを繰り返していたが、ある妊婦がガチ切れして訴訟沙汰になりそうになった
コンプライアンス尊重の機運が高まっていた頃の事件だったからマムシは徐々に番組枠を縮小されていった >>88
そのあと、TBSのラジオのロケ番組をはじめて、キャラ付けのために集まったおばさん連中をやや毒のある言葉でいじるように仕向けたのが番組のスタッフと番組MCで初代マスオさんの近石真介さん
毒蝮って芸名にふさわさわしいいじり芸のおかげで、こっちの芸名のほうが通りがよくなったのが面白いところ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています