【音楽】坂本龍一・細野晴臣・高橋幸宏という3人の奇跡 プロデューサー川添象郎さんが語る「YMOはなぜ大ヒットしたのか」 [muffin★]
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https://bunshun.jp/articles/-/60350
電子音楽の先駆けとなった伝説的バンド「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」は、なぜ大ヒットしたのか。音楽プロデューサーの川添象郎さんは「当初は奇抜すぎるといわれてうまくいかなかったが、米国でのコンサートが大成功した。そのとき心がけたのが、アメリカ人が日本人に対して抱いている典型的なイメージを逆手にとることだった」という――。
1978年、僕の企画事務所であるシロ・プランニングはキャンティの3階を拠点にしていた。そのとき事務所で村井邦彦と話をしていると細野晴臣がやってきた。〈イエロー・マジック・オーケストラ〉という新しいプロジェクトを構想しているという。
ニューミュージック系のセッションミュージシャンの親分である細野がオーケストラというのだから、僕たちはてっきり大勢のミュージシャンを集めて演奏するのだろうと想像した。村井邦彦は「細野に全部任せる!」と言って細かいことは気にしていない様子だった。
数カ月後、村井邦彦から電話が来た。電話口の村井はなにやら困ったような声音で「細野に任せた例のアルバムが完成したんだけど、ちょっと聞いてくれないかな」と言う。さっそく村井の事務所へ赴くと、「これなんだよ」と彼がかけたテープから聞こえてきたのは「ピッ、ボッ、ブー」といった調子の奇妙な電子音だった。あとでわかったことだが、あれはYMOのファーストアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』に収録されたイントロダクションの電子音だったようだ。
細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏というたった3名のメンバーで録音されたこのアルバムは、コンピューターを駆使して創られた。
細野晴臣は、当時からミュージシャンのあいだでは名を知られていたものの、ヒットアーティストとは呼べず、なにやら面白いことをやっているらしいと一部の音楽専門誌が取り上げたこともあるが、反響は皆無だった。誰も聞いたことのない、奇妙で前衛的な電子音から始まるインストゥルメンタルの音楽なのだから、放っておいても売れるはずがないことはわかっていた。
兎にも角にも打開策を見つけなければいけない。ラジオは、どこの局でも扱ってもらえなかった。当時のラジオ局の番組編成では音楽はすべてジャンル分けされていたのだが、YMOの音楽はどれにも当てはまらず、またサウンドが奇抜すぎるということで断られてしまう。当時TBSで、飛ぶ鳥を落とす勢いの例の音楽番組プロデューサー・渡辺正文のところに持って行き、テレビに出してくれと頼んだが、「ショウタロウ、これは無理だよ。テレビでなにを撮ったらいいんだ?」と言う。
プロモーションが成り立たず、案の定まったく売れる見込みのないま時間が過ぎていく。
続きはソースをご覧下さい
https://bunshun.jp/mwimgs/a/b/-/img_8e9ecdadd21ec312b01212c02f0ee7a875638.jpg 3人とも目が死んでますがw
ttps://www.youtube.com/watch?v=24bRSUeITXc 大麻とかシャブとか監禁とか暴行とか逮捕歴はんぱないよなこいつ 新しいものは最初はまず拒絶されるのは世の常
その中から次の世代が生まれてくる >>1
>音楽プロデューサーの川添象郎さん
この人自身も、けっこうな有名人だねw
飯倉のキャンティのおぼっちゃんで風吹ジュンの元夫
婚歴すごい仕事の経歴もすごいし逮捕歴もすごいw >>6
そんなことより成し遂げた偉業のほうがすげいからな
このおっさんやおっさんの実家のキャンティや財産・人脈がなかったら、YMOもユーミンもここまでの成功はなかった
それくらいすごいおっさんなんだよ >>9
いちばん最近のプロデュースヒット作だと
15年ぐらい前の、
青山テルマ『そばにいるね』だな こういう逸話を40年越しで知らされる身としてはどうなんだろうか
おじさんたち萎えないの?
自分の優れたアンテナがキャッチしたと思っていたYMOも
こういったおぼっちゃま権力たちに提供された消費財だったってことが 高橋幸宏は秀才だが
その両脇に天才と鬼才が居たのは仕方ない これらの映像をまあ一度見てみ
川添のすごさがわかる
YMO初期の有名なLAグリークシアターのライブ映像も、川添が「これは記録しておいたほうがいい」と急遽現地で機材を集め録画させたもの
その映像がパイオニア音楽館って番組や全国のレコード屋店頭で流されて、YMOの大ブームにつながった
川添は天才的なエグゼクティブプロデューサーであり興業師だよ
↓
川添と村井のYMO対談
https○://youtu.be/1ATI9A0sDzA
https○://youtu.be/PcVBpJ6uYMY
川添が語るYMOヒットの技術
https○://youtu.be/t3EiFBTTtRE
https○://youtu.be/Yl2z3loac9k
https○://youtu.be/sABYyAVWI3A
https○://youtu.be/qiB1lA8gfoU
YMO大ヒット時に11PMに出た川添細野
https○://youtu.be/5i1_ibys7Zk
川添が急遽撮影させた1979年のYMOグリークシアターライブ
https○://youtu.be/QUn6V49PG00 音楽が良かったからだろ
俺が仕掛けたみたいに語る奴多いけど 「川添象郎のやってきた仕事は、すべてメジャー中のメジャーなのに、
存在はアングラそのものです。表に出しちゃいけない人。
フィクサーのような制作者。
だって、表に出したらすぐ逮捕されちゃうんだから」 >>1
アメリカに帰ったトミー・リピューマは、酒の酔いも覚め果て頭を抱えていたらしい。オフィスのスピーカーでYMOの音源を聴きながら「いったいこれをどうやって売れというのだ!」と。
そこへたまたま〈チューブス〉という人気ロックバンドのマネージャーがやってきて、聞こえてくる音に興味を示してきた。
トミーから日本のユニークなバンドだと説明を受けるとますます気に入った様子で「今年の夏に行うチューブスの3夜連続コンサートに出演させたい!」と言う。
↑
これでLAグリークシアターでチューブスの前座を3夜やることになったわけだが、第一夜目で肝心のチューブスを食うくらい客の反応がよかった
それで次の日に急遽映像を撮影することになった
ちなみにチューブスのキーボードプレーヤーのマイク・コットンはステージ脇からYMOの演奏をずっと見ていて、坂本に対して「君は僕のグル(師)だ」と言うくらい感銘を受けたのは有名な話
高橋は演奏してテンションが上がって、楽屋でガムテープで体をぐるぐる巻にした有名な写真を残した この記事を読んで一つ分かることはラリってYMOを聞くと気持ちが良いらしいということだな トミー・リピューマにワインをしこたま飲ませてYMOを売り込んだ話 >>22
というかミュージシャンにハゲは少ないな
音楽が髪の毛に良い作用をあたえるのかもな アメリカでウケた理由は、アジアンエスニックな音楽と、ユキヒロのぶっ飛んだファッションセンスと、渡辺香津美のギターテクニックだわな ジョンレノン・ポールマッカートニー・リンゴスターみたいなもんか リアルでは聴いてないけど、3人の実力はよく分かる
あっさり言えば、この御三方はメロディメーカーとして優秀だったということでしょう
テクノロジーが二の次なのは、当時最先端のコンピュータなどスマホの1/10も満たないスペックで証明 今年1月の頭に文化放送でこの人の特番やってたな
中々面白かった 好きなら好っきとー
言えないこっこぉろーに
人はいつもくるしーむのー
コレは破壊力あったな 79年にあの赤の人民服姿で家路ママドントクライに出てる >>1
川添さんはいろいろお騒がせな人だけど
このymoと村井さんの間に立って上手く立ち回って仕掛けてくれたから売れたんだよな この人の話面白いよ
僕らはいわゆる「歌謡界」ってところに所属してなかったから
寧ろそこからは嫌われてたから、どうやってプロモーションをかけるか頭を捻った
っていう 浮気なぼくらのLPの帯が細野さんに被っててそこだけ白黒で細野さん死んだみたいになってるんだよw プロデューサー、川添なのかよw
(「アッコちゃんの時代」で話題になったボンボン)
こないだ、夫婦でテレビ出てたけどなw ゴダイゴとかYMO出る前からシンセ使ってテレビ出てたし 細野晴臣を叩いてるレスがずーっとあったような気がする
あれは誹謗中傷? 同じ叩きをずっと繰り返すとキチガイにしか見られないのに頭悪いよね 海外でのファイヤークラッカーのヒットまでは林立夫でも同じだったと思う YMOの3人も奇跡なんだけど、SOFT BALLETの3人も奇跡だと思う
シンセがメインのバンドでもここまでサウンドが違うのかと驚愕した 最初に坂本を発掘してきたのがティンパンアレーのマネージャーだった長門芳郎だから
細野と坂本の出会いは偶然だけというわけでもない 知らない名前だなと思ってwikipedia見たら、捕まりすぎ笑
華麗なバックアップだな >>14
それ知らんかっとってんちんとんしゃん
だと思ってた >>28
テクノとお薬は親和性があるからなw
電気グルーヴみたいなのもいる訳だしwww >>3
はんで押したように必ずクラフトワークというやつが現れるけど
木を見て森を見ずの典型で恥ずかしい
ほんとうに音楽聴くセンスがないと思う YMOに最初に飛び付いたのは
当時インベーダーやブロックくずしなどの初期TVゲームに嵌っていた小学生
70年代のロック世代だった大人は拒絶してた アメリカ初お披露目で現地音響スタッフにカネ握らせて爆音セッティングにしてもらってなかったらここまで成功しなかったかもだと >>53
バンドは特にそうだけど偶然の様に見えて後から見ると
実は必然的に必要な事が必然的なタイミングで起こる
っていう様な事が良くあるからきっとそういう事が起こってたんだろうね
結果としてYOMも林さんも佐藤さんもその後それぞれの活動で上手くいったし
もし林さんと佐藤さんだったら随分音楽も変ってただろうね >>68
これは分かる
新しくて新鮮に聴こえたけど違和感は無かったんだよね
だからすんなり入って行けた >>70
林がドラマーだったら、YMOがヒットすることもなかったし、林がアムウェイのクラウン・アンバサダーDDになることもなかっただろうな 今YMOを認めている古株の音楽評論家たちは当時初めて聴いたとき受け入れたんだろうか
例えば小林克也とか >>21
グリークシアターLIVE今きくとチープなシンセ音でバンドもスカスカの音だなw
この程度の音楽で当時はカリスマと持ち上げられたのか >>19
アホか。知ってたわ。キャンティという文化のるつぼを背景に、天才達をイカれたプロデューサーが見つけてマトをついたプロデュースをして跳ねる。サイコー。
会議やマーケティングでは絶対出てこない。 YMOがなければユキヒロも細野さんも
坂本龍一でさえ売れてなかったかもな
坂本龍一なんて一生大衆に迎合しない変な音楽だけやってたろうという気がする >>77
おじいちゃん
5ちゃんねるで句読点を使うと
お客さんだとバレてからかわれるよ >>1
※哀悼ハラスメント自粛のお願い
共働製作を中心に故人の交友関係の広さから
「あの人は追悼コメントを出した・出てない」というレスがあります。
こうした動きの無い人に対して'追悼警察'とも揶揄されるような勘ぐりをしたり、
追悼コメントの件数を背景にして
有名名無しを問わず、他の方に哀悼の意思を求めるような同調圧力は控えましょう。
その気持ちは故人の作品に末永くアクセス出来るような
環境作りを求めること(リイシュー等要望)に振り替えれば良いのではないでしょうか。 >>82
横並びが何より大事なthe大衆なオマエにはそれが重要なんだろうなw >>17
今、聞いてみると大したことないな
もの珍しかっただけだな
平成や令和のグループの方が巧いわ >>10
ある意味バブルの時代を象徴する人でもあるよね
金と女まみれ >>74
>>86
こういうマウント取るやつ…
キモい >>86 胸キュンのときはもう解散話がでていて、CM依頼で歌謡曲風シングルを作った
YMOの活動としては、オマケみたいなもんだw >>68
当時厨房だったが水魚のポーズやりながら聴いたっけ >>73
関係無いけど小林克也のお母さんが
高校時代担任だった >>92
スネークマンショウみたいなのもやってたな >>79
ディスコとテクノがしのぎを削っていた時代だったな この川添さんって麻布台飯倉キャンティの?
すごい豪華 >>91
そこそこってどういうそこそこだw
細野は自分でトロピカル三部作を作ってる時は四畳半に住んでたと言ってる でも今は聴かれてないんだから所詮はその時代で流行っただけ 別に教授の何があれだというわけではないけども
スケッチショウがより好きだ 林と佐藤だったらヒットしてない
細野と坂本だけだったら超マニアックなアルバム2枚だして喧嘩別れ 川添象郎って、覚醒剤等薬物で何度も逮捕されて傷害事件とかも起こしてるね >>102
今でも十分聞かれてるだろ
時代を超えたマスターピースとして評価は間違いなく定まってる
君が無知なだけだよ ライブの衣装と舞台セットがナチスがモチーフで普通に引くわ
幸宏の考案なのかね
しょっちゅう殴り合いの喧嘩をおっぱじめてた教授と細野をなだめてた幸宏がいちばんサドだったのかもな >>35
ハリーはメロディメーカー
教授はハーモニーメーカー
幸宏は雰囲気メーカー >>108
あの頃はそれにポリコレ的な批判はまずなかったんだよ
サポートドラマーだったイギリス人のデビッドパーマーが何も言わずあのコスチュームを着てたのがその証拠
あとはあの衣装とセットはナチのプロパガンダ装置に対する皮肉を入れたパロディ的な演出でもあるしね
まあとにかく、何にせよ今の基準で過去を一方的に断罪するのはフェアじゃない 音数少なくてチープというヤツは音楽体験が少なくて固まったアタマでっかちで残念。 >>11
バブル期の日本で大ヒットが出ないわけがない
人脈を一から築いたならすごいが
この人がやらなかったら誰か他の人がやっていた >>113
頭の悪そうなレスだなw
YMOとユーミンというそれまでの邦楽からしたら異色の音楽を売ったって話なんだからバブル期のヒットなんか全く関係ないだろ
70年代の邦楽の革命の最重要人物の一人が川添象郎なのは間違いない事実
川添が何回逮捕されようが人間性がどうだろうかこの業績は消えない 円盤権盛ってるのは川添?
こいつだけずっと金に困ってないしなぁ >>102
YMOもソロもリマスタリングされて現行品で売られてるよ
3人ともアルバム出し続けてる(た)し
この年代のミュージシャンではやはり一握りの存在だね >>108
あの頃UKでナチズムを風刺するようなビジュアルやデザインが流行ってたんだよ >>86
それは無い
YMO関連のアルバムは海外の音楽サイトでも高評価されてる
坂本龍一なんて数年前のアルバムがイギリスのサイトの年間ベストに選ばれてる
でも今のリアタイJPOPは全く相手にされてない >>82
改行
するのが
ここの
やりかた
なんですね
勉強に
なりました >>102
119さんが書いてるけど実はCDが廃盤にならずに現行品として出続けてるのは結構凄い事なんだよね
CDは常に一定数のバックオーダー(CDショップからの注文)が無いと直ぐに廃盤になる
40年前にリリースされてた作品でどれだけ廃盤にならずに今現行品でリリースされてる作品があるかを知ると驚くと思うよ ポール・マッカートニーはYMOをホイホイ受け入れていたがジョン・レノンやジョージ・ハリスンの感想が知りたかった。
特にジョージは電子音楽や冨田勲に興味を持ってその手の変なアルバム作ってたから余計気になる。 ジョージハリスンが電子音楽をやってたのは冨田勲がシンセを使い始める前だよ >>108
あのステージセットは、演出の佐藤信と、舞台美術の妹尾河童が仕掛けたもの
テーマが「プロパガンダ」だったから、ナチスの演説会場風になるのは割りと必然だった
散開後に公開された映画のエンディングで、館山の海岸で燃やされて、YMOが終了したオチにしている
後年YMOの3人は「あの演出はまずかった」と語っている ああいう効果音から入るオープニングは当時としては型破りだったのかな
ゲームオーバーのメロディがドラムとリンクして、ファイアクラッカーに入るという導入
まるで今のDJミックスみたいなね >>73
小林克也はスネークマンショーでYMOとコラボした仲だから好き嫌い言う前に盟友だろう >>102 最近のNHKの番組でも、あらYMOやんって時あったな 以心電信だったかな
録画してなくて番組名が思い出せないが…
ちなみに、最近CCBのドラム、ボーカルの笠さんも亡くなったが、幸宏さんのが先にヘッドセット型マイクつけて
叩きながら歌ってたのな
筒美京平氏ははやりのテクノサウンドをやってみたかったらしい 松本隆氏は細野さんのもとバンドメイトだから
もちろんYMOもチェックしていただろうし。
沢田研二のトキオより先に、テクノポリスの曲を出してるし
その後のJpopに影響力あったのよ
髪型もテクノカットって言ってはやったw 沢田研二もモロにナチスのコスプレで歌ってな
当時はナチス関連ってオシャレアイテムだったんだよなあ いまでもナチスっぽいのはおしゃれだよ
◯◯坂もナチスコス取り入れてるし
なによりああいう軍服コートはいつの時代でもかっこいい YMOのナチスは最後にセットごと燃えて跡形も無く滅びる
そして少年もYMOのことを忘れていく・・というストーリーに組み込まれてるから、
正常な脳味噌の持ち主だったらYMOがナチスを賛美してたなんて思わないだろう 鳥山明
堀井雄二
すぎやまこういち
奇跡の3人といえばこれ >>137
あの少年も一瞬ヒトラーユーゲント?ってなるけど、それだけの事。YMO全体主義ってプロモでも謳われてたような >>136
まあそうなんだけど、当時はポリコレとか関係なく大っぴらに出来たでしょ 再生するまでは「いいかげんYMOのことなんか忘れたら?」と細野さんがよく言っていた
ヒトラーユーゲントのような少年がプロパガンダのラストでYMOの銅像にアカンベーをして去っていくのは
当時の細野さんの願いでもあったのだろう YMOのオリジナルアルバムは持ってるけど
アーチスト表記がYellow~でなくYMOと書き出してからは
普通のポップスになってちょっと微妙に
悪いのではないけどね ナチスがモチーフなのはその通りだけど、単に流行っていただけではなくてそこまでの流れもあるよね。
タキシード→人民服→学生服→迷彩服→軍服(赤いスカーフ、クメールルージュ?!)→パステルカラーのセーター。 >>135
あれはあの時代でも問題になって早々に辞めた >>137
過去のこういった物が叩かれるかどうかの線引きがナチスを賞賛してたかどうか?
にあるみたいだよね
YMO散開と同時期にアニメ版のコブラを放映してたけどあれも最終的には
悪行を尽くしてた海賊ギルドの親玉=ヒトラーを倒す事で丸く収まってる的な部分がある
YMOもその辺書かれてる様に映画で決着を付けてるからそこまで含めて出せば一応今でも大丈夫だと思う
問題はそういう全体の話を知らなかったり知っていても意図的にナチス的な部分だけを切り取って喧伝する人がいる事かな >>146 ヨーロッパだと多分、いまでも服装だけでも厳しいと思う
YMOよりかなりあとでも、どっかのサッカー選手のハイルヒトラーポーズだけでも大問題になったり
英ハリー王子がまだ10代の頃、パーティーにナチスぼいコスプレしたら、メディアに撮られて批判され
入隊内定していた軍上層部もおかんむり。
向こうはやはり、収容所の生存者らがまだたくさん存命だったり、家族が亡くなったとかも多く住んでいたしな
沢田研二もさすがに批判きて、ずっと着たわけじゃなかったって何かでみた
日本は逆に、戦中世代がまだたくさんいたから、ナチスに共感持ってる人も結構いたみたいだからな 今でも高須クリニックとかそうだと思うが
学校や公的スポーツ大会で、ナチス式ぽい敬礼で行進したりを広くやっていて、欧米ではドン引きされるというのを
国民もいまいち理解していなかったのはあった
映画をみないとどういう事かわからない、っていうのは、課金誘導みたいなもんだし、まあ今ならできない事だったかも。 YMOは宣伝を全くせずに世界の頂点に立った唯一のオーケストラ >>108
>>111
当時も加藤和彦がナチス風の衣装やセットを批判していたが >>108
舞台装置は、舞台監督の劇団黒テントの演出家・佐藤信によるもの
映画のタイトルもプロパガンダだし、アイロニカルな意味としても、ナチがモチーフなのは間違いない >>148
いや、海外公演などでかなり持ち出しでやって、プロモーションしていたが
チューブスの前座公演の費用も全額アルファレコードだし >>111
それより前に沢田研二がナチス風の衣装でうたっていたが、
批判があって衣装を変更したが >>146
悪役として取り上げるならナチスもナチス風のモチーフやイメージも問題なし >>144
坂本が「YMOもナチス風衣装だったり、映画出演も軍人役だけだし、なぜか軍隊がつきまとう」とぼやいていたな ナチスは衣装が格好良かったり、アウトバーンやワーゲンや、
最先端のテープレコーダーやマイクやPAやらあったからややこしい。
軍服はヒューゴボスか。 >>113
バブルはYMO解散後の1985年のプラザ合意が発端で、
80年代後半から90年頃なので、
YMOもユーミンの売り出し時期も関係ない >>62
なんだコイツwやってる事は今の半グレより酷いじゃん
そりゃ覚醒剤食ってたら常態では出てこないようなアイデアが湧き出てくるんじゃねーの
コイツがいなかったらYMOが成功してなかったというならちょっと見方を変えざるを得ない あの電子音に被せて入ってくる幸宏さんのドラムがかっこいいのよ コンピューターゲームって曲だろ
あの時代そのまんまだよ
テレビゲームはあの年に始まった
ゲームセンターに登場したのがこの曲で使われてるシーソーゲームのやつと
ブロック崩し。そして翌年、あのインベーダーゲームが登場した >>58
大瀧詠一のレコーディングが細野と坂本の出会い
坂本が一所懸命、細野にアピールしていたとは、
大瀧の証言 細野さんまだ埼玉の朝霞市にいた頃に、
インベーダーゲームにハマって、
小学生に混じってゲームしていたとか
その関係性やイメージのまま、
YMOはインベーダーゲームブームにも乗って、
子供に受けた 川添さんワシのFacebook友達や
なぜかある日あちらから友達申請が来た
毎日のように投稿しているけど昔話とか濃くて面白い
一般人のコメントにも丁寧にレスしている >>163
東上線沿線住人としては山下達郎と細野晴臣に妙な親近感があった理由が判明したw
幸宏や佐野元春も東上線で立教まで通ってたんだよなあ 78,79,80年、この三年間はほぼ時系列で克明に覚えてる
日本の音楽の流れがここでガラリと変わった
ソリッドステイトサバイバーが発売される直前、FMでクラフトワークの特集があった気がする >>162
なぜ坂本が大瀧のレコーディングに参加することになったかと言えば
坂本が長門に見出されてシュガーベイブのサポートメンバーになっていたから。 埼玉の朝霞なのは米軍基地のハウスにいたからかな?
まあそういうヒッピー文化の終わりかけにテレビゲームとか出てきて、
そこからYMOにつながると
細野個人も世間も >>167
なるほど
坂本は新宿の飲み屋で友部正人に会わなければどうなっていたかね?
YMOもないか >>34
ポール、リンゴ、ジョージマーティンみたいなもんだな。ジョン役としてジョニー大倉あたりが加入したらすごいことになってたな YMOが出てきた当時は洋楽だとボストンとかビリージョエル、
ディスコだとブロンディとかが流行ってた
ニューウェーブだとディーボとかもいた。カーズなんかもいたな 曲も書けて歌も歌えるリンゴスターか
芝居や笑いのセンスは負けるが ニューヨークパンクのブロンディもハートオブグラスやコールミーでディスコ、テクノ風に
当時はミュンヘンサウンドとか言ってて、
ジョルジオモルダーが花形プロデューサー
ピコピコのシンセの打ち込みを、
パーカーレーターサウンドとか言ってて >>173
パーカーレーターでなくパーコレーターです 今になってみるとYMOってのはその名の通り、
ブラックミュージック、つまりロックであることを絶対的に避けていた気がする
ニューウェーブの時代だったがアメリカはやはり黒人音楽が根底に流れていた
YMOは音階も東洋、日本ではなく中国や東南アジアなどにこだわっていたんじゃないかな アメリカで適当にライブやって映像とって
それ使って日本スゴイ!でヒットした
なお世界的には大して売れてないし有名でもない その頃、加藤和彦は例えば岡崎友紀にDo you remember meなどを書いていた
この曲から生まれたのはAKBのカチューシャであると最初に発見したのは俺。
竹内まりやのピーチパイも加藤だった >>163
当時の多くの子供には1stよりライディーンのが先に耳に入ったと思うけど
ライディーンの間奏?にもゲームの対戦中のような音はあるな
まあゲーム音なくても曲で子供にじゅうぶんウケただろう >>177
加藤和彦さん良い曲沢山書いてるんだよね
凄いメロディメーカーだと思うわ >>179
加藤は女性に書いたときに本領発揮するね
白い色は恋人の色とか。
この時期テクノやデジタルサウンドに逆らうようにウォールオブサウンドに傾倒したのが
加藤と大瀧詠一。加藤のシンガプーラもすごくいい音に仕上がっている >>179
自分は三部作より「あの頃、マリー・ローランサン亅がいっとう好き ドイツ人のクラフトワークやイタリア人のジョルジオモロダーがアメリカで売れるなら日本人の俺らもイケるんじゃね?
な発想もありそう
クロスオーバーやフュージョンもブームで、インストなら英語下手でもイケるし >>178
自分もその口
小学生でゲーム少年だったけどある日テレビから流れて来たライディーンを聴いて
なんだこの音楽って衝撃を受けた
曲自体も良かったけどサウンドもそういう背景があったからのかな?
違和感なくすんなり入って行けた >>180
カネボウだか資生堂のCM曲のコンペで、
加藤和彦作曲の60s風の不思議なピーチパイと、
YMO作のテクノポップの
シーナ&ロケッツの浮かびのピーチガールが激突
ピーチパイに軍配
そんな時代 >>73
小林克也はYMOの補欠メンバーみたいなもんだぞ >>184
当時資生堂のCMソングは100%ヒットしていた
その法則を壊したのが吉田拓郎。時代と言うのは恐ろしいと言える >>168
細野さんが米軍ハウスに住んでいたのは狭山に移ってからだと思う >>187
かもね
何かで朝霞でと読んで、細野さんが朝霞?と戸惑ったわ
私の記憶違いかも 宇宙戦艦ヤマトやスターウォーズのSFブーム
インベーダーとかのテレビゲームブーム
それとものすごくマッチして
YMOが何の違和感もなく突然現れてウケたという印象が強い
あとソニーやトヨタとかの日本のテクノロジーの世界制覇とかもリンクしていたな メンバー全員ヘッドフォンしてライブしてな
ソニーのウォークマンともイメージが被ってな
それがなんか未来的でした
日本が世界の先端なんだ!みたいな感じもして 当時はライブでクリック聴きながらライブやってなかったもんな >>189
あとアメリカでテレビドラマ「ショーグン」が大ヒットしたな
「ジャパンアズナンバーワン」がベストセラーとか
そんな時代の空気にもマッチしたか >>171
幸宏が来日したディーボとミュージックマガジンで対談
「ミカバンドのレコード持ってるよ。
音もビジュアルも新しかったね」と言われた ピストルズと同じでファッションや各種ビジュアルも大きいな ゴダイゴみたいなダサい感じだったら存在感が違うかも 3人とも楽器の演奏が超一流とか聞いたな
グループで下手な奴が居ないって珍しいらしい >>196
三人とも売れっ子の一流スタジオミュージシャン
学生時代の仲間で作ったバンドとかとは違うからね 日本人はポップこういうカッコつけ方しか無理だしね
ニルヴァーナみたいなカッコいいロック不可能だから
日本語だし日本人の見た目だから 教授は二つの手でメロディラインとベースラインとコードが同時に弾ける人だった 3人とも必死に練習するってタイプじゃないから
センスはあるけど演奏ミス多かったりするよね でも坂本龍一はセンスが筒井康隆や宮崎駿並みにオンリーワンな感じだからな 文春もさ、こんな奴に取材して記事を書くなよ
川添象郎82歳
これまでの逮捕歴
1982年11月・41歳のときに大麻取締法違反で逮捕。
さらに自宅から覚醒剤を染み込ませた米ドル札が発見されたため、覚せい剤取締法違反で再逮捕。
1997年12月・56歳のときには自社の元社員に手錠をはめ、縄で縛るなどして社長室内に20時間監禁。
「お前のせいで4800万円損したんだ。3000万円に負けてやるから、きっちり払え」「この野郎、ぶっ殺してやろうか。俺たちはセメントだって用意してるんだぞ」「わからねえなら、指詰めさせてやろうか」などと脅し、
顔面をエアガンで撃った他、全身を木刀で殴打して全治2ヶ月の重傷を負わせた監禁暴行の容疑で全国指名手配。
逮捕後、1998年3月に懲役3年・執行猶予5年の有罪判決。
この執行猶予期間中、1999年7月下旬・58歳のとき、東京都千代田区の路上で、覚醒剤数グラムを車内に所持していたところを職務質問で発見され、覚醒剤取締法違反(使用・所持)現行犯で逮捕(覚醒剤2回目)。
起訴され、1999年10月、懲役1年6箇月の実刑判決。
2013年6月下旬・72歳のとき、東京都港区内のコンビニ店で万引きをしたとして、窃盗で逮捕された際に、言動に不自然な点があったため、尿検査を実施したところ、覚醒剤の陽性反応が出たため覚醒剤取締法違反で再逮捕。(覚醒剤3回目)
保釈中の2013年10月、遡る9月15日に都内港区のホテルで乾燥大麻1.7グラムを所持していたとして大麻取締法違反容疑で逮捕(大麻2回目)。
覚醒剤取締法違反ならびに大麻取締法違反の罪で起訴され、2014年1月8日、東京地裁で懲役2年(求刑懲役3年)の実刑判決。 >>68
その小学生達も今や還暦or還暦近い爺なんだな
所謂新人類世代、色々と一番痛い世代かもしれない >>102
今でも聴かれてる
何故なら今マスメディアの重役にはYMOピコピコ世代のキッズ達(バブル期入社組)が揃ってますから
やたらあの世代が喜びそうな音楽がcmなんかでリサイクルされてるのもそれが主な理由 >>202
彼らの昔のインタビュー読むと結構演奏力のコンプレックスが垣間見えるな
後年は評価したり実は結構聴いていた事を話しているけど昔はフュージョンをやたら目の敵にしていた時期もあった
YMOのファンの中にまでそれをトレースした様な事を言ってる輩がいたりするのには苦笑せざるを得ないが まあでもフォークやニューミュージックと同様にその世代が死ぬとあっさり忘れ去られちゃうんだよな
大衆音楽だから仕方ないけど >>196
テクノ系の人がリミックスアルバム依頼された時に、使ったパートごとのバラバラのトラックを聴いて
「手弾きのトラックがけっこうあって、こんな上手い人達だったのか」
とか驚いてたな。
初期の頃は手で弾いたの多かった。 そりゃ元々スタジオミュージシャンだし当時の箪笥は熱暴走もあったから >>257 主にアルバムで売れた
1980年のオリコン年間ランキング、2位、9位、10位と30位がYMOで
今日本ですごく売れてるバンド と、アメリカの人気音楽番組
「ソウルトレイン」にも生出演して紹介された。
日本人では同番組初出演となり、その後久保田利伸が出たのが20数年ぶりだったとか。
米ブラックミュージック界隈にも記憶されたりしているのは、自分も知らなかったな
インスト曲を中心にしたり、ネイティブに英語詞を依頼したりは、細野さんが2人に声をかけた最初から
世界をターゲットにするとぶち上げていたので
Pもその路線で知恵を絞ったんだろう
当時、ニューミュージックと言われた人たちもアルバムが主に売れていた 45年前?中学の時だな。横浜の関内駅そば羽衣町のヤマギワという電気店。登って行くと4階?5階?がオーディオフロアで、その奥に黒幕が。
覗くと、そこが 当時珍しかった MVフロア で。YMOが上演されてた!以来の付き合い。 教授の流し目にやられて
ガッツリ一重なのに真似した時期
目付きが悪いと担任からぶん殴られた
懐かしい青春 今日は川添象郎さんの誕生日です。
Facebookでお知らせが来ました。 テクノからポップスまで幅広くこなしてたが
それがYMOを良くわからな存在にしてしまったと思う
君に胸キュンが出たときのガッカリ感は無かったね
あれで急にYMOから覚めていった >>220
なんでがっかりしたの
歌謡曲だからかな
俺は好きだったよ君は胸キュン 音楽性の幅が広いのがYMOの魅力を奥深いものにしてると思うけどね
いろんな感想の人がいるもんだね
>>220 >>205
1960年代、反戦ミュージカル「ヘアー」のプロデューサーを
やってた頃の大麻での逮捕歴が抜けている 初期のYMOはホントOパーツだよなぁ。
それ以降同じ系統で超えるどころか並ぶ人すら居ないし、本人達ですらw 「浮気なぼくら」で「えぇ・・・」となったのは胸キュンだけで
他の曲はそうでもないだろ? >>207
アルバムセールスアーティストなんだよ
1980年に一番アルバムを売ったアーティストがYMO
山口百恵、井上陽水、ピンクレディーよりもアルバムを沢山売った
アルファレコードはYMOのおかげでビルを建てた
だからこそYMOブームとまで言われた 胸キュンは幸宏氏のふわっとしたボーカルの良さが出ている感じ
YMOのシングルでは1番売れたが、アルバムとかまでチェックしない一般民に
(歌謡曲ぽい)胸キュンを出した人たちだよね?って言われちゃうけどな >>225
浮気なぼくらは音楽的には実はテクノデリックと地続きなんだと細野さんは言ってたな
フォーカスなんか、ラップ現象につながるような細野さんお得意のお神楽テクノ
だから今も海外のレコードおたくの間でノーティーボーイズ(浮気なぼくら)は人気があるよ
幸宏さん追悼で海外のいろんな人がTwitterに投稿してたけど、浮気なぼくらのレコードの写真を上げてる人もいた >>39
自分は
東風と中国女
テクノポリスとライディーン
ビハインドとサバイバーが
それぞれ坂本と高橋って最初に
知ったときすごくしっくり着たわ 浮気な僕らでガッカリした口だけど邂逅、音楽とワイルドなんちゃらはイイと思ったな。この時期は宝島ばっか読んでてインディーズ追っ掛けてたからYMOが歌謡曲ねえ…へーって感じ。 幸宏は「イントロからバーンっていくポップな音楽が好き」とよく言ってたが、YMOにポップセンスを一番持ち込んだのは間違いなく幸宏
作曲した曲にもそれが現れてる
細野坂本だけでは陰気な理屈っぽい音楽で終わってた可能性が高い
人間関係的にも空中分解しただろうね
YMOを音楽的にもビジュアル的にもポップにし、人間関係を円滑にしてグループを前に引っ張ったのは実は幸宏
偉人だったよほんとに 俺もWild Ambitionsが一番好きだな
後から見たTVの演奏動画の印象もあるのかもしれんが
終わりに向かっているYMOみたいな感じがたまらん 尾崎紀世彦はこの人のパーティーに出たあとに民家の軒先で裸で空手っ!をやっていて病院に担ぎ込まれて志望だよね しかし>>1を読むと、やっぱりインストには冷たいんだな。
ベンチャーズが死ぬほど売れた国なのに。 YMOやシティポップ、昭和アイドル(プロディースが一流アーティストのもの)など今になって再評価されてるね
それにひきかえ四畳半フォークソングはダサいままw 初めてパリに行った時、シャンゼリゼ通りの大きなレコード店でYMOのコーナーがあるのを発見
日本盤の「浮気なぼくら」や各々のソロなんかもあった。 >>236
> シティポップ、昭和アイドル(プロディースが一流アーティストのもの)
大学の頃にその辺を中古盤屋で掘っていたな
YMOのメンバー、大村憲司あたりの名前をインナースリーブに見つけると買ってた 王立宇宙軍?オネアミスのツバサ?
教授の黒歴史ってやつ
あれ洗浄のメリーさん位いけたんじゃないの?似てる曲だし >>236
四畳半フォークと同じように90年代の幸宏の軟弱ラブソングも再評価されることは無いだろうな バリ島ってなぜか日本人アーティストの曲ながれてるね
車で移動中もラジオで森高やザードや櫻坂なんかががんがんながれててびっくりしたわ この人がアメリカをうまいこと利用したのが成功のきっかけ
あのグリークシアターのライヴ映像には衝撃を受けたよ
その頃はまだクラフトワークも知らなかったし 79年にクラフトワークの曲がテレビCMに起用されててかっこいいと思ってシングルを買った
同じようにフジカセットのCMを見てテクノポリスのシングルを買った
海外展開とかは知らなかった
達郎のライドオンタイムのシングルを買ったのもテクノポリスと同じ頃にマクセルのCMを見て >>232
あんだけ仲が悪かった細野さんと教授の共作だもんね。
ある日、幸宏さんが遅れてスタジオ入りしたら
二人が一緒に曲作ってるのみてビックリしたとか。
次にサービスも出るけど、上記のエピソードがなんかもう終わるんだ、って感じで泣ける。 教授ってやっぱカッコええな
>>205
てかまだ生きてたことに衝撃やわ >>176
世界中の音楽マニアに受けたのであってマイケルジャクソンみたいな万人受けな売れ方じゃないから イエロージャップとテクノロジーイメージのギャップがよかったんでしょ
まさに「ゴリラがシンセを弾いた夜」だよ 春咲小紅の録音時の写真で、
床に置いたプロフェット5を、
細野と坂本がいじってるのがあるな。
矢野顕子いわく、この間この二人は全く無言だったとか。
暗いとか寡黙でなく不仲のせいか? >>240
制作側と揉めたらしいけど、楽曲は素晴らしいの一言だよなあれ
和音の流れだけで記名性、作家性を表現できている
地味だけど教授の音楽の本質が出てる
逆にメロディ主体だとあまり個性が出て来ない
不思議な作曲家だと思うわ >>205
覚醒剤は他人に迷惑かけ無いなら好きにすればって思うが、監禁暴行はヤバいな
ラリっていた故の所業かもしれんが 川添さん
家柄も交友関係もキャリアも婚歴も逮捕歴も派手すぎる
毀誉褒貶清濁の塊みたいな 日本人ビルボードシングルチャート
1979年 KISS IN THE DARK ピンク・レディー 37位
1980年 Computer Game YMO 60位
1981年 Walking on Thin Ice オノ・ヨーコ 58位
1981年 Love Light YUTAKA (横倉裕) 81位
シングル
1978 Computer Game
UK Singles Chart 17位
US Billboard Hot 100 60位
US Dance Club Singles 42位
US R&B Singles 18位
アルバム
1978 Yellow Magic Orchestra
US Albums Chart 81位
1980 X∞Multiplies(アメリカ編集ベスト)
US Albums Chart 177位 >>252
歌謡曲なんかに提供した適当に書いた曲とか
メロディが童謡みたいに単調だったりな
坂本さん子供の頃から鼻歌も歌ったことないし
ロックを聞いても音楽とは思わなかったとか
幸宏とその辺は対極だね >>196
最初のアメリカツアーを聞く限り、細野、高橋、矢野、渡辺香津美と比べると坂本が相当落ちるな
アドリブ弾かせるとすげーつまんない >>251
春咲小紅が1981年発表で、「BGM」もその頃だからだからちょうど険悪になってる時期だねw >>236
ニューミュージックと四畳半フォークはユーミンの造語だっけ?
そう自慢したら坂本龍一が「テクノポップは俺だ」と自慢し返したとかw >>259
坂本さんのアドリブはなんかノッペリしているよね >>236
四畳半フォークと言って蔑まれたフォークだけど
その代表作である神田川は今も古びることなく親しまれてる >>257
坂本はアレンジャーとしては一流だが作曲家としては大したことはないな 白々しい
既に当時ドイツがハードコアプログレからテクノやニューウェーブに
移行し始めてた頃だろうよ >>62
監禁暴行で執行猶予が付いたのは怖いわ
尤も期間中にやらかしてて笑ったけど >>1
1stって松武さんはまだ参加してないんだっけ?
たった3人で録ったってことは無いと思うけどね
東風のUS版なんかは女性ボーカルも参加してるし 基本的に坂本はポップスの作曲家ではないからな
一番売れたエナジーフローもクラシックの歌曲だったらしっくり来るけどポップスにしたら回りくどすぎて変になる
くちびるネットワークには坂本らしさが微塵も感じられないし いや参加してたはず
裏ジャケにタンスが写ってたと思う >>240
https://originalnews.nico/98445
岡田斗司夫曰く絵コンテのシーン毎に
細かく何秒って指定されてるのを見た
教授が映像と音楽の完璧なシンクロが
出来るって張り切ったけど実情は
違ったという話
そんな教授がasync(非同期)なんて
作品作っちゃうw Wikipedia見ればがっつり書いてあるようなことを質問してくる奴なんかほっとけよ
「検索なんかめんどくせえから聞いとけ お人好しが教えてくれるだろ」ていう乱暴な思考なんだから >>268
同意
コンポーザーであってソングライターではないな
良くも悪くも 川添は両親が当時としたらとてもアレだったのが振る舞いに影響してるんだろうね
両親の離婚当時のマスゴミは今以上にゴミだっただろうし そうか、BGM版千のナイフのソロとかプレッシャーのTHE END OF ASIA後半のソロとかはある程度作り込まれたフレーズなんだな。 幸宏がネタ出しして、 坂本が形にして、細野が仕上げる
チームとしてはこれが一番機能したんだろな
機能したのは2ndだけだけど >>102
それを言うと信者が発狂するからやめておけw
ずっと売れてるってのはないからな。
YMOなんて90年代後半には忘れられてたよ。
完全に過去のバンド扱い。
坂本もアカデミーの影響が薄れてきてすっかり馬鹿にされるネタにすらなってた。
どんなバンドも地に落ちた時代がないなんてないよ。
美空ひばりも893絡みで大バッシングの時代で消えそうな時があった。
みんな復活してるだけ。 >>271
そんな川添みたいな言い方しなくてもいいじゃねえかよw ちょっとググればわかることを聞いてくる人いるからなw >>236
陽水はどうなってんの
あの人の世界は宇宙くらいデカいから宇宙フォークかな >>282
「拓郎は可愛いからいいけど陽水はブスだからイヤ」ユーミン談 ググればわかることを、というのもわかるが、
知らないフリして問いかけて話のキッカケにすることもあるわな >>264 セールスでいえば坂本ソロはかなりあるぞ
戦メリ、ラストエンペラー、レヴェナントなど映画音楽で活躍してるから
日本人初の米アカデミー作曲賞ね
マイケル・ジャクソンとエリック・クラプトンにカバーされたYMO時代の作品、ビハインド・ザ・マスクも坂本作曲だし
(当初は幸宏も共同クレジットだったがなくなったとか)
生ピアノのみの曲、エナジー・フロウはインスト曲初のオリコン1位
あんまり歌もの重視してない人といえばそうなんだけど。ご本人がキーボード奏者だから…
Jpopでみんながよく知る曲を書いたのは細野さん 松田聖子のガラスの林檎とか、天国のキッス
中森明菜 禁区 イモ欽トリオ ハイスクールララバイ
天国のキッスがチャート1位だったとき、YMOが2位で自分の作品に1位を阻まれた細野さん Wild Ambitionsを聞いてビートルズのLET IT BEかこれは
てすぐ思ったもんだ >>90
シンセサイザーという共通点はあるけど全く似てないが?
具体的にクラフトワークのどのアルバムのどの曲パクってるの? 川添の自伝が出たので買おうと思っているが高いので躊躇している >>264
大したことないやつでもアカデミー賞の作曲賞獲れるんだね ビートルズとか拓郎とか出してくる辺りで老害にはまるで分からんのだろうなとせせら笑っている >>286
細野さんはBGMとかテクノデリック作りながら並行してアイドルのヒット曲連発だったんだよな
化け物だろ >>290
>>1の記事のソースが、その自伝「象の記憶」の抜粋だよ
めちゃくちゃ面白いからおすすめ
買えないなら図書館に仕入れてもらったら? >>291 いっちょかみださい…
ビハインド・ザ・マスクのカバーがマイケル・ジャクソンのスリラーにもし入ってたら
超貴重な米国メガヒットアルバムへの日本人作品だったのに 権利関係で実現しなかったみたいだけど
戦メリなんて今年のフィギュアスケート試合でもかかってますよ
GPF女子優勝者のショートだかで >>293
YMOの他にアルファのアーティストのプロデュースしてさらにアイドルに曲提供
超多忙なのでアイドルへの曲はスタジオで急いで書いたとか 笑いのセンスもレベル高いよな
あのシュールな空気感はYMOしか出来ない >>233
>>235
死の前の1年はガンで入院中だと思ったが >>65
うるせえよ?
ライディーンにしろ古臭えんだよ?
エニグマからだボケがぁ? >>73
スネークマンショーの小林克也はYMOと曲もやってるし仲良しだよ
スネークマンショーのアルバムには桑原茂一さんと連名で細野さんもクレジットされている 先にベストヒットUSAで認識してたので
赤い服のMCが小林克也と知って驚いた
https://youtu.be/ecSy4jHq9fM デビュー当時から知っているけどつまらない音楽だと思っただけだな
今でもつまらない音楽だなと思う 関係ないがSHOGUNのイエローマジックって曲、めちゃめちゃかっこよかった >>282
フォークブームに乗って出てきたけど、
陽水はフォークじゃないよな。
もともとビートルズが好きだったし、
「氷の世界」なんか、スティービーワンダーの「迷信」みたいな
ファンクを作ろうとして作ったそうだし。 >>307
デビューしてフォーク歌手達とツアーして、
自分だけディランやPP&Mみたいなアメリカのフォークを知らなかったとか。
それまでビートルズしか聴いてなかったとか。 YMOの登場した79年あたりから日本の音楽界はガラリと変わっていった
正確には80年からそれが形となって表れた
陽水は象徴的だった。叙情派路線からポップ路線へと変貌したのは
79年発売のスニーカーダンサーというアルバム
高中が多くでアレンジやギターを担当。
フォークどころかニューミュージック自体が過去のものになったのが80年。
シティポップやニューウェーブ、テクノの時代になる。RCもニューウェーブ的位置づけだった >>303
あの甲高い声って小林克也だったって初めて知ったわ 小林克也はスネークマンやってたから
ベストヒットUSAでポールにインタビューしたときに
ポールが見たことないくらい攻撃的な受け答えだった
あれは絶対スネークマンのポールマッカートニー取調室のこと知ってる感じだった 陽水も高中もキティだね
武道館だかでジョイントライブもやったな >>305
音楽を知ってるからつまらないのか、知らんからなのかどっちなの? 高中は元々陽水と縁が深い
tropic birdsのイントロの歌声も陽水。
そしてこれは公式には確認してないが、おそらく夢の中へのイントロも高中 >>315
氷の世界のエレキギターとベースは全部高中だったような記憶 >>299
ボカしてるけど
尾崎豊の事だから
大量の接種と身体のアザ
志望した前に何してたかというとワイメンコーのプロデューサーのパーティーに出ていた >>316
そうなのかも知れないね
あのアルバムは清志郎、高中、そして何故か小椋佳の曲も入ってる
細野のベースが入ってる珍しいとこだと遠藤健司の寝図美よこれが太平洋だ、とかだな
はっぴいえんどがバック。足踏み担当もいる >>277
坂本龍一の提供曲なら「TAKESHIの、たかをくくろうか」が名曲 >>278
発想と楽曲の良さで追従者がいなかったんだよね
アルファなど、レコード会社も必死にポストYMOを作ろうとしたけど実現できなかった
これは元YMOの三人のレーベルでも同様だった
録音現場のスタイルやシステムは恩恵を受けた
流行り廃りではなく当時の三人の高みに追いつけなかっただけ >>277
曲というより、彼らと関わったことを後悔してるだろうね YMOはあまりに短期間にブームになり過ぎたんだよ
ブームというのは子どもが興味持ちだしたら終わりと言われている
80年に人気になって81年にはもう古いという感じになっていたのが当時の感覚。
つまり細野は展望を間違えたと思っている
やはり裏方気質なんだろう 最初はイロモノ扱いだよ。スネークマンショーが流行っていて、それに乗っかった そもそも細野さんはインストアルバムを、
何枚も作るようなタイプじゃないんだろう。
だから坂本を入れたんだろうけど。
インストバンドのギタリストだった星野源にも「歌いなさい」と言ったくらいだから。 短期ブームに終わった原因の一つとして
表現方法で終わってしまったからではないかと自分は思っている
ソフトハードで言えば本来アーティストがソフト、そのバックグラウンドがハード、
YMOはハードユニットであった。だから表現方法を変えたらYMOでなくなってしまう
同じハードの音楽で他のアーティストもどんどん出てくる >>322
違う
増殖でアレ?となってBGMテクノデリックで離れたのは大人たち
当時おれたち小中学生はBGMもテクノデリックも凄えつってみんな聴いてた
胸キュンで脱落しかけるが浮気なぼくらサーヴィスで持ち直すという流れ
おれの周りの話だけど後の状況を見ると全国的にこんな感じだったと想像できる >>327
子どもが興味持ちだしてるじゃん
子どもが好きなものは大人は離れていくんだよ
これは戦略ミスもあったかも知れない
ただ、君に胸キュンに行ったのはすごくわかる。お高く留まっていては駄目だと思ったのだろう
ビートルズだってエルビスだって大衆に支持されてこそだったから。
しかし根本的にやはり三人とも裏方気質だったと思う 売れそうもないと思って出したファースト、セカンドがウケたのはまず子供たちでしょ
大人はあんな安っぽいコンピュータゲームみたいなサウンドだといって嫌ってた印象がある あと、細野はコントみたいなことするのが好きだし、高橋はカッコつけててもコケないと落ち着かないひと
お高く澄ましてるイメージがあるとしたらそれは坂本だね テクノデリックのあのサウンドでもジャムデショとか所々ボケを入れてるんだよね 自分はクラフトワークを先に聞いたからそうでもないが
やはりあのデジタルシンセの音は衝撃だったんだよ
もう世界がガラッと変わったんだから
しかしクラス中が知ってるようになったら、もうただのシンセサイザーとしか思わなくなる
冨田勲はとっくにスターウォーズを出してたんだし 細かいことだけどあの時代はまだデジタルじゃなくてアナログシンセ アブソリュート・エゴ・ダンスなんかわかりやすいけど、リズムの揺らぎを作ってるところが
クラフトワークと違うところだったよね
トランス・ヨーロッパ・エクスプレス買ったけど退屈で寝てしまった
あそこにトーストみたいなラップを乗せたプラネット・ロックは面白かったけど
バンバータとかはYMO聞かなかったらそういう発想になっただろうか?と思うな アナログシンセも使ったがデジタルも使ってたよ
デジタルシーケンサーが出たのもあの前あたりじゃないかな >>336
クラフトワークとは違ってシーケンサーに人間の生ドラムを合わせることに徹底的にこだわったのがテクノデリックまでのYMO
アメリカのニューヨークタイムズで幸宏の追悼記事が出たけど、この「シーケンサーに人間のドラムが合わせて演奏するという今では当たり前のことに最初期に取り組んだパイオニアがYMOだった」みたいな説明をしてて、ポイントをよく理解した人が書いた記事だなと思った
あの追悼記事には「YMOはソウルトレインでタイトゥン・アップを演奏してドンコーネリアスに聞かれて『ソウルがルーツだ』と言ったが、クラフトワークはソウルトレインには出演しなかった」とも書いてたな
これがYMOを語る上で重要なポイント トキオ、トキオ、トキトットッキオ
チャンチャンチャーンチャチャチャチャッチャラチャッチャチャーン >>339
シーケンサーとサンプラー以外は全部アナログシンセだよ
MOOG III Prophet-5 ARP Odyssey PS-3100 PolyMoog Oberheim 8voice 全部アナログシンセ
アナログだから熱暴走する >>343
シーケンサーがデジタルだと全然違うでしょ音が >>344
「音」が何を指してるのか分からないけど音色は変わらない
シーケンサーは演奏情報のコントロールをするだけのもの >>331
坂本もダウンタウンのごっつとかコント出てたし
たけちゃんマンにも出てなかったっけ >>345
アナログレコードとCDは音が違う、というのと同じ意味だよ
シンセサイザーはデジタルによって本領を発揮した、とも言える
どこが違うかと言われたら音の雰囲気が違う
無機質で未来的で切れがあったのがデジタル。それは同時に功罪でもある ファーストアルバムや武道館ライブで聴ける松武のSEは典型的なアナログシンセのサウンド
DX7やフェアライトではあんな音は出せなかった
90年代なかばにNord Leadなどいわゆるヴァーチャルアナログと呼ばれるシンセが出てきてから
ようやくアナログシンセの真似事が出来るようになった 金を稼ぎたいだけならライディーン、テクノポリスの二番煎じ、三番煎じを続けてりゃ
良かったんだけど、実際レコード会社からもそれを求められてたんだけど
それをやらずにアバンギャルドな方向に行ったかと思えば、またその反対みたいな事もやったり
5年の活動期間でビートルズ並みに音楽性を変えていった
93年の再結成の時もあえてかつてのテクノポップではなくその時代のテクノをやろうとしてみたり
まぁこんなバンドはなかなか無いわ
3人が3人、ひねくれてて尖ってて天邪鬼っていうか >>341
トキオ、トキオ、トキオ、トキオ
チャーラチャーラ、チャーラチャーラ、チャーラチャーラ、チャーラチャーラ
チャチャチャッ、チャッチャッ
チャチャチャッ、チャッチャッ
チャチャチャッチャッチャッチャチャー
だろ >>347
ビハインドザマスクのイントロ程度のアルペジオだったらアナログシーケンサーでも出来る
MOOG IIIの一番上に積んであるモジュールがアナログシーケンサー >>349
まず細野さんがライディーンがパチンコ屋でかかりまくってる話を聞いて当時ライディーン大嫌いになったらしいからねw
あの手の派手なのは続けてやりたくなかったんだろうね。 >>351
YMOの作品にアナログ的要素なんてないじゃん
作品が全てだよ。ライブパフォーマンスとかは知らないがレコードアーティスト。
アナログにこだわる必要性は感じない、つまり目指してなかったと思う
せいぜい感覚的な細部のこだわりくらいだろう
もしアナログにこだわるならシンセ以外の楽器が入って来たっていいんだから >>346
うん、本人はそういうのも楽しんでたと思う
みんなが持ちがちな「澄ましてる」イメージがだろうなってこと うーん、当時はまだアナログシンセを使ってて、デジタルシンセの時代になってなかった
先輩方は機材がなかったと言う話をしてると思うよ 若い日本好きな黒人がソウルトレインのYMOを見てリアクション
https://youtu.be/N0VXJ02QLDw >>353
当時のデジタルがいかに原始的で不便なものだったのか思い出せよ
ファミコンの音みたいな無期的なものだよ >>320
時代や環境などいろんな条件が奇跡的に整って一瞬だけ到達できた場所
再現など不可能だな >>354
モジモジくんでワサビの塊食って平気な顔してる細野晴臣 >>353
熱心に何回もたくさん書きこむのは結構なことだが、
書いてあることがあまりにも知ったかぶりで無知すぎる。 >>329
子供人気なしであれだけのブームになってないから 因果関係がおかしい
そして古くなったんじゃなく大人がついて来れなかっただけな
子供たちの中では終わってなかった
そして上で他の人も書いてるようにライディーンみたいなのを続ける気は本人たちなかったのよ 細野さんは70年代にもっとヤバいものいっぱい食べたのでワサビくらい平気なんだろw >>357
デビューアルバムの一曲目にYMOの目指していた音が象徴されてるだろ
コンピューターの時代、ロボットの時代だよ
無機質な方向性を目指した。アナログシンセを使っても目指すテーマはそこだよ
デジタルシーケンサーやサンプラーがそれを助けた
84年あたりには世の中はもう打ち込み大流行、しかしそれは邦楽の質の低下を招いた 初めてYMOを聴いたのはテレ東のステレオ音楽館だった
グリークシアターライブを流してた
渡辺香津美のファンだったから録音して何度も聴いた 細野さんがはっぴいえんど解散して次にYMOしたのって音楽性の振り幅が極端でエグい
リアルタイムのファンは付いていけてたんだろうか 細野ははっぴいえんど解散後キャラメルママ、ティンパンなど、
ユーミンのサポートなどもした
トロピカルダンディ―はバカンスミュージックの先駆け的アルバム。
あるいは大瀧のロンバケもこのアルバムがなければどうなっていたかとは思う
もちろん大瀧もナイアガラムーンなど既にトロピカルな路線は匂わせていた >>366
はらいそとコチンの月が間にあるから予感はあったんじゃないかな
というかコチンの月がYMOよりブッとんでるとこあるからその時点で
ついていけなかった人もいるだろうね >>367
>>368
>>369
解説ありがとうございます(半角だとエラーがでるため全角になりました)
当時のファンも音楽的素養が高かったんですね >>370
自分はついていけてたということではないよw
YMOからだし、トロピカルもはっぴいえんども聴いてなかったし
後になって、テクノ前後の音楽も面白いと思う様になったかな YMOはよくクラフトワークと比べられるけど、当時最先端のシンセサイザーを駆使して音楽を作ってたのは共通するが、コンセプトや音楽性はまるで別のものだった。
YMOの初期はどちらかというとジョルジオ モロダーなどのシンセディスコ、中期から後期はニューウェーブやニューロマンティックの影響が強い。 >>370
半角でエラーが出るんじゃない
アンカーが2個までに制限されている
だから>>367-369とかカンマを使うと回避できる >>320
結局出オチみたいな連中ばかりだちどたからな
正直YMOの三人が可愛がってる連中も結局YMO大好きなミニミニYMO的なテクノ大好きエレクトロニカ大好き兄ちゃん(今はオッサン)ばっかりだったから音楽的拡がりが皆無なのが痛かった >>303
見に行ったわ
中学生だったのでよく覚えていないが
メンバー3人のコーラス演技や
小林克也のMCは覚えてる
サンディも踊ってたんだなw
NHKが4Kに変換して再放送してくれないものか >>376
>>320の言う「元YMOの三人のレーベル」出身者と言えば
上野耕路、戸川純、ピチカートファイブ、高野寛あたりが代表的なところだろう 今世紀に入ってからだと坂本のレーベルから出て来たコトリンゴとか つべで外国人がアップしてる「増殖」スネークマンショーの部分カットしてあるww >>382
ああそうかも
フジカセットがスポンサーだったな
1981年のウィンターライブはテレビ東京で短かったな NHKの散開コンサートは2種類あって
VHD/LDで商品化された「YMO伝説」と
https://www.youtube.com/watch?v=E0ZadAyXA2M
細野さんのオープニングとエンディングのナレーションがあるやつ
https://www.youtube.com/watch?v=vAye1KuGuOg
後者には「君に、胸キュン。」など「YMO伝説」に収録されてない曲がある。 >>381
北米でA&MからリリースされたMultipliesは、増殖と同じタイトル同じジャケットなので勘違いするけど、選曲は全く違うベスト盤なんだよ
イギリス版もベスト盤だけどこちらはスネークマンショーが少しだけ入ってる
これらの選曲については細野さんは不快感を示してるけど、大人の事情でリリースされた
アメリカ版
「ビハインド・ザ・マスク」、「ライディーン」、「デイ・トリッパー」、「テクノポリス」、「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」、「ナイス・エイジ」、「マルティプライズ」、「シチズンズ・オブ・サイエンス」
イギリス版
「コンピューター・ゲーム “サーカスのテーマ”」、「ファイアークラッカー」、「コンピューター・ゲーム “インベーダーのテーマ”」、「テクノポリス」、「アブソリュート・エゴ・ダンス」、「ビハインド・ザ・マスク」、「スネークマン・ショー」、「ナイス・エイジ」、「マルティプライズ」、「シチズンズ・オブ・サイエンス」、「タイトゥン・アップ」 >>386
そうなんだ!
言われてみると収録曲も違うもんねw
教えてくれてありがとう。 最初期のデジタルシンセはフェアライトとシンクラビアだな。1979年販売。
dx7は1982年
それまでデジタルシンセは無かったしYMOも使って無い。シーケンサーで音が変わるなんてどんな耳してんだかw >>385
タケカワユキヒデって何であんなに早く作曲能力枯渇したんだろう >>323
DTが日本悪くしてるみたいに言ってたよね教授 坂本が持ってると言ってた、へんたいよいこ集会?のVTR
RCの「ひとつだけ」はもう見ることはできんのか 君に胸キュンって出した当時は悪ふざけというかYMOがこれやっちゃうよ?wというか
「胸キュン」www
もしくは 胸キュン()
みたいなニュアンスあったと思うんだけど今もうそんなニュアンスも忘れられてる感じする 出した時は
俺たちだって売れるシングルくらいサラッと作っちゃうから
アイドルっぽい事もやっちゃうから
って感じだった アナログシーケンサーのことをよく知らない人がいるみたいね。
80年頃にコルグあたりからも出していたな。
あれだと、ザ・フーの「無法の世界」のイントロのオルガンフレーズくらいしか作れない。
「ライディーン」とかの打ち込みは、デジタルシーケンサーでないと、現実的に無理。 胸キュンは世界がニューウェーブやファンクに進んでいく中、日本の音楽シーンは歌謡曲や拓郎がー陽水がーという田舎くさいレベルにとどまっている事への絶望に聞こえた シーケンサーのアナログかデジタルかで音色は変わらないけど、
プログラムできる音数やタイミングの細かい設定など、
アナログはかなり原始的で劣っている。 まずインストであれだけ売れたってのが異質なんだよな 一般的に知られてる代表曲ってやっぱりRYDEENになるのかな >>382
いかにも当時のフジテレビ的な信じられないくらい寒〜〜〜〜い軽チャ〜な編集してたよね
あれ演出したディレクターはウンコだと思ってる >>400
フュージョンブームもあったからかな?
インストの渡辺貞夫や高中正義が武道館でワンマンライブとか、
今考えても異常事態。 >>403
当時はAMラジオでもジャズの中継録音番組があったからね
番組製作者や統括がまだ戦前〜戦中産まれの世代だったのが大きいかもの
この世代はジャズ好きが多くて所謂インスト音楽に寛容なんです
残念な事にこの後世代が変わると様相が一変します >>397
だから俺は>>351で
「ビハインドザマスクのイントロ程度のアルペジオだったらアナログシーケンサーでも出来る」
と書いてるじゃないか
アナログシーケンサーがデジタルシーケンサーに匹敵するようなものだとは書いてないよ
その後にアナログシンセの音は当時のデジタルシンセには出せないとは書いたけど。
シンセとシーケンサーの話を混同するな YMOの頃はアナログシンセだよ
MIDI規格ができる以前だしw
使ってたシーケンサーもローランドが独自でだしたMC8というもので8音までしか打ち込めないからたいしたデータは打ち込めないわな
せいぜい単音のピコピコぐらい
アナログシンセで手弾き中心で今でいうデジタル音楽もどきをやってたのがYMOだw いやMC-8は最大で5400音入力できる
その機能を77年に早速使い倒した冨田勲のHora Staccatoは
あまりにも打ち込みが細かすぎてむしろ人間の手弾きにしか聴こえない あとオーディオブームもあったか
オーディオ雑誌に載る音楽記事とかジャズかクラシックのインスト中心だったな >>406
8音というのは同時発音数、つまり和音のことかな?
プロフェット5も5音しか同時に出ないね >いやMC-8は最大で5400音入力できる
シンセをしらないニワカが一生懸命ぐぐってドヤ顔してて草
5400音っていうのはデーター容量のことですよw
いまでいうギガバイトとかの意味
MC8で同時に出せるのは8音分だけ
単音シンセを8台コントロールできるというけどシンセを繋げば繋ぐほど音の遅延がでるのでせいぜい2台同時に鳴らすぐらいだねw
冨田勲さんはモノシンセ(単音しかでないシンセのことな)を何回も重ね録音してあのサウンドを作ったんだよ
オーケストラならバイオリンだけでも10人以上いるでしょ
だから単音シンセでバイオリンの音を作ってそれを10回以上同じフレーズを録音するという気の遠くなる作業をやっただけです
MC8はテンポコントロールのガイド音のために使ったはずで演奏にはたいして影響してませんw >>73
増殖でYMOとコラボしてるよ。
確か「ここは警察じゃないよー」と言ってるのは小林克也だよね。 手弾きといえば坂本龍一のヴェネツィアは、
録音時の機材の故障でシーケンスフレーズを必死に手弾きしたとか。 単音ピコピコにしか使えないとしても、
デジタルシーケンサーなら細かくタイミングや音量をプログラムできんじゃないの?
沖縄のリズムをそれで再現したとかなんとか モノフォニックシンセの気の遠くなる重ね録りならイーノもそうだな
「ロウ」とかの時のボウイとか
あと加藤和彦もそれでオーケストラサウンドを作ったり
ボウイがそれを述懐していた >>395
分かるw
細野さんはYMOと並行して歌謡曲のヒットメーカーでもあったしね >>410
>5400音っていうのはデーター容量のことですよw
それは分かってるよ
>>406の
「8音までしか打ち込めない」という文節を読んで何も知らない人かと思ってしまったわ
MC-8に8トラック分のCV/GATE出力が付いてるのは事実なのでな
フルに使うと遅延が出るのは知らなかったけど >>413
沖縄のリズムが3連符のシャッフルとどれぐらい跳ね方がちがうかの問題ねw
そのころにはMIDI規格ができててNECでカモンミュージックという打ち込みソフトがでてたからノリや強さのコントロールはできるようになってた
(細野さんがつかってたのもこのカモンミュージック)
カモンミュージックは4分音符を48と設定してたから8分音符2つだと24+24で跳ねない8分2つになります
シャッフルだと32+16であのジャッカジャッカって強くハネるノリになるんだけど
沖縄のリズムは28+20ぐらいの割合でややゆったりめのハネるノリになって
黒人独特の16分でハネるノリだと14+10+14+10と打ち込めばあのマービンゲイなどのノリを再現できます
ちなみに当時Macがすごいシーケンサーソフトをだしてて4分音符が480を処理するのでより細かいノリが再現できたという話
ま、この打ち込むソフトの4分音符=480という設定は今でも業界標準の仕様です >>415
ピンクのモーツァルトは松田聖子ソングでも最高の楽曲のひとつ >>366 間にキャラメルママとかティンパンアレーっていうのもやっていた模様
荒井由実時代の?ユーミンのバックとか。
あとソロアルバム作ったり はらいそは発売当初2000枚しか売れなかったと村井が言ってた
ファンはそれなりにディープな音楽マニアしかいなかったと思われる >>366
スターリンのミチロウが「細野の変わりようはなんだ?」と批判していたな
まあ、自分もフォークからパンクに転向したのだがw >>394
この集会行ったわー!
でも会場内がゴチャゴチャしててあんまり覚えてないからビデオでもいいからもう一回見てみたい >>175
YMOを聴くとイエロー=中華圏だというのがよくわかる。それが外国でも受けた要因だと思う ymoのデビューアルバムが1978年11月発売で
坂本龍一の千のナイフが1978年10月の発売
え?レコーディング両方同時にやってたん?と思う
それ以外にもスタジオミュージシャン仕事していただろうし >>417
レコンポーザでありますな
"NEO GEO"でも使われていたらしいという >>407
>>406は8トラックと書きたかったんだよ。きっと >>394
懐かしい
高輪プリンスだw
チケットが抽選だったのかお金出して買ったのかそれさえ覚えていないけど >>426
千のナイフ、あんなクオリティのアルバムが当初200枚しか売れなかったってもはや都市伝説並みで真偽が分からないw >>431
200枚のうち30枚は本人や家族が買って知り合いに配ってたりしてな 波照間なんて何枚出たんだろう
オークションで数万付いてたくらいだからよほど >>431
YMOファーストアルバム(日本版)も枚数はわからんが全く売れてなくて米国版しか店に置いてなかった。
おそらく当時のファンで日本版を聴いた人はほとんどいない。
オレが日本版を初めて聴いたのはCDで復刻した頃だった。 YMOがブレイクする前のそんな無名の坂本龍一が、
ミュージックマガジン(当時はまだニューがついたか?)で、
来日したデビッドボウイと対談していたな。 >>434
俺は近所のレコード店で1st日本版普通に買えたぞ
米国版もSSSもPPも出ていたころ >>434 436
おれもSSSとPPの後にすぐ1st日本版買ったわ、小6だったか
US仕様は曲同じじゃんと思って買わなかった
はらいそトロピカル千のナイフはそのころYMOコーナーにあって気になりながらも金がなくて買えなかった
コチンムーンはどこにも置いてなくて存在知ったのは数年後 買って聴いた時これYMOの前かよってびびった ライディーンの頃は三人とも精悍でかっこよかったんだよなあ >>395
まぁ、CMソングが前提で、「胸キュン」自体はすでにCMのキャッチコピーで、そのまま歌詞に取り入れたんだよね。
細野さんはダサい歌を目指してたらしいからPVとかもあんなんなったw 当時の時代の空気感。アートディレクションとコピーライターの時代になっていた
代表は例えばウディアレンの西武のCM、おいしい生活、とかだな
そういう時代だった 六本木、渋谷にWAVEがあって色んな珍しいレコードが買えた
PARCOが人気だった
渋谷が若者の街として人気が出てきた時代、かな? 坂本のルックスが良かったから売れた
全く同じ音楽でも坂本が加藤とか高中なら売れてない ちなみに胸キュンは山下久美子のファンクラブの名称な。
一応山下サイドに許可取ったらしい 初めて演奏見た時は後ろに箪笥みたいな大きな機材があって
大がかりだなと思ったが 今はあんなのいらないんだろーな この人もだけどあの周辺は血統書付の金持ちだらけだなあ >>450
スマホだけでやれる。
というかスマホで作った音源がYouTubeで聴ける。
うれしいのはそういう音源を作ってるのが20代の若者だったりすること。
例えばこれは若いYMOファンがアイホンでファースト版の東風を再現したもの。
https://youtu.be/dGgBY6ahUgM >>451
YMOに限らず文化と言われるものの半分以上はそういう人たちが作ってきたんだよ >>450
PCだけで作った音楽は没個性になりがちだから
教授もいまだに生ピアノやハードシンセや民族楽器やガラクタを使って音出してるんだろ
ストリングスや合唱コーラスはプラグインで間に合わせてるみたいだけど 教授の曲にサンプリングのコーラスが白玉でよく出てくる
今回のアルバムだと7曲目、コーラスのピッチを落としてベターッと弾いてる音
アートオブノイズとかでさんざん聴いた音だなと >>455
坂本龍一の最近の曲はぬるくて聴く気がしない。 >>454
松武のMOOG lll-Cの音は今やPCで簡単に作れるってだけの話よ まともに聴いてるのは未来派野郎までだわ。
よく聴くアルバムは
千のナイフ
サマー・ナーヴス
B2-UNIT
KYLYN >>457
誰がどこでそう言ってた?
俺はArturiaのModular Vをいじってみて全然簡単じゃないと思った >>453
財力もあるけど90年代ぐらいまでは最低限都内に住んでないと手に入る情報量違いすぎたな 細野から高橋・坂本まで
あのあたりの世代の人たちが奇跡的なんだよ
既に活躍していた彼らが組んだ事自体は決して奇跡ではない
奇跡というのは藤子不二雄の二人が小学校で出会ったような事を指す 山下達郎が自分らの世代は
ビートルズのせいで本来音楽に
来ないはずの才能の人間まで
来てるから層が厚いって言ってたな
その来ないはずの人間で1番尖った
音楽やったのが谷村新司らしい >>175
そんなわけあるか
鮎川のファズギターフィーチャーしてデイトリッパーをカバーしたり、アーチーベルのカバーでソウルトレインに出たり、マルチプライズでスカをやったり、ラップ現象でラップやったりしてんのに >>468
そりゃビートルズでもユーノーマイネームとかイエスタディとか駄曲あるからな 例えばライディーンって曲はあれは極端に言えば天童よしみが歌ったら演歌になる
コブシが入ってる。小節はジョンレノンもやるしべつに日本のものというわけではないが
あの曲なんかはとても日本的に感じる。アブソリュートもコブシは入ってるが沖縄 >>366
やっぱり最後のピースとして坂本龍一が入ったことが大きい
細野晴臣のポップスに現代音楽が入ってきた 実は芸大仕込みのクラシックの素養が入った事も大きいのでは。三者三様が渾然一体となった訳で
https://i.imgur.com/HmRKfAc.jpg 教授だけでもクラシック、民族音楽、ジャーマンロック、オルタナティヴ、現代音楽と嗜好が幅広い。細野さんも教授にかなり影響受けてたな YMOは何だかんだ坂本のバンドだよ
ソリッドステイトで坂本の才能がとび抜けてしまっ
て空中分解に向かったんじゃないかと推測する
細野ってプライド高そうだからな
ユキヒロはテクノにグルーヴを与えたという点で音楽的に大きい
ロックが流れてるのが他の2人と違った点だと思う >>478
YMOは初期のグルーブありの演奏を失敗と認識していて後にグルーブを排除してるよ。
テレビでメンバーの誰かが公言してる。 >>479
それは彼らがロックになるのを慎重に極力避けていたというふうに自分は元から感じている
細野ははっぴいえんどの頃からそうだが、何かテーマみたいなものを持ってユニットを組む
YMOは黒人音楽や白人音楽とは違う、東洋から新しいものをと考えたんじゃないだろうか
しかし例えばテクノポリスにしてもユキヒロのドラムが曲にグルーヴ感を与えている
あのグルーヴがなきゃ退屈になってしまうと思う >>480
テクノポリスよりもグリークシアターの演奏。グルーブ感を出しまくってるよ。
個人的には千のナイフと東風のベストバージョンはグリークシアター版だわ。 ユキヒロと教授の容姿が逆だったらどうなってたんだろう >>452
やれるといってもこれがやれる才能がいるという結論にしかなんないこれ聴くとw
人力のところのニュアンスまでもの凄いなこれ
いやまあ、それなりのものを作るのは簡単になったのはもちろんわかるけど
いいものを作るには手間も才能も当たり前に必要だねえ 似たような音は作れても同じ音色は作れないよ。Moog Synthesizer IIIcが復刻されるくらいだから >>485
これすごいよね。しかも耳コピみたいよ。
才能あるってのは勿論だがYMO大好きなのが伝わってくる。 ユキヒロのドラムはカッコいい
おかずの入れ方が日本の都市民的でいい 間違いなく日本の電子音楽における先駆者
昨今の韓流をパクってる自分可愛い、イケてる
と思って疑わない子達には彼らの素晴らしい仕
事ぶりは到底、残念、理解出来ない >>483
ありがとう!懐かしいです
後で思い出しながらゆっくり聴こう
ちなみにビックリハウスに投稿が小さく載ったことがある 細野さんがパソコンでレコーディングだかして真空管風の音を作った
「どうやって作ったんですか?」
「根性です!」 >>481
完全同意
あれの東風を聴いてベースを始めてしまったくらい大好き グループとかバンドは一人才能に溢れてる奴がいれば成立する アナログシンセは電圧の微妙な変化だけで音程もうねるしね
デジタルだとその辺の揺らぎや曖昧さも消えてしまいそう >>495
そういうワンマンバンドも多いけどYMOは違うね
あの三人でないとああはならなかった >>493
オムニサイトシーイングでデューク・エリントンのキャラバンをカバーしてるんだけど、全部打ち込みとシンセであの時代のジャズの雰囲気を出してるんだよね
ああいう時の細野さんの音職人ぶりはすごい >>473
オーレックスジェスフェステバルとか大規模だったな
オーレックスは東芝のオーディオ製品のブランド
オーレックスジャズフェステバルのベニーグッドマン楽団のライブをFMでエアチェックして聴いてたわw
オーディオ雑誌もジャズの記事をたくさん載せるので、
エラフィッツジェラルドやチャーリーミンガスのレコードも買って聴いてた
その一方でYMOやニューウェーブも聴いてる変な中学生だった
自分語り失礼 東風はハラーの演奏が好き
タカタカ タカッタのあと4拍目のドンで教授のタバコ吹かすとことか >>498
レスポールのギターソロをシンセで再現していたね >>501
ハラーはニューウェーブ風だったような
グリークシアターはフュージョン寄りな感じ >>496
その系統で色々とすごすぎる人のYouTube動画。
東風 散開ライブバージョンのカバー
https://youtu.be/f3DCED3YZvE
個人的にへーと思ったのは機材へのデータロード方法がカセットテープ 笑
こんなに昔の機材を所有していて使いこなせると楽しいだろうな、と思うわ 昔は業務用の大型コンピュータでもロール紙でデータを記録していたしな
父が黎明期のSEだったからよく覚えている
カセットテープでデータを記録とか新しいなあ、と当時は思ったw これはボーカロイドを駆使した東風カバー。
https://youtu.be/VojbjKOtfDo
ゆるい感じで完成度が高い。 川添さん昨日だか82歳の誕生日
無茶苦茶してきたのに元気ですね >>510
60代の時子供作って引いたけど
親子関係良好なんだろうか >>513
最近のFacebookで、娘と嫁さんと両国でホルモン焼き食べた投稿があった
娘さん近くでバイトしているとか >>514
それはなにより
バイトするほど大きくなったか… >>481
いいよねえ
教授は結構ミスタッチしているし渡辺香津美は好き勝手にソロ弾いているけど
あの時の演奏の価値を下げるものじゃない 三匹の用心棒のフルバージョン初めて見たわ
立花ハジメや鮎川誠、小池玉緒も出てたんだな
TV YMOに入ってるのはかなり短縮版だったんだね
しかしこの頃のフジテレビを今と比べたら信じられないくらいクリエイティビティが凋落してるな
https://youtu.be/F-niMt6hnug 時代劇のコントなんてセットやら衣装やら金ばかりかかるので、今時の民放ではムリ >>517
リアルタイムで観たけど、坂本がシーナに抱きつくのを見て、
「この人ガチの女好きだわ」と思った。
そしてその勘は正しかったw >>489
これ大事 サゲでもなんでもなく そういう演出だった
YMO直前のサディスティックスではそんなドラムではなかった >>336
YMOのはるか前にスライストーンがエーストーンのリズムボックス(スナックの流しや弾き語りが使ってたプリセットリズムが五種類くらいしかないやつ)
に生演奏を重ねてファンクをやっていたので
ファミリーアフェアね
細野さんはそれを真似て泰安洋行を作った
YMOの影響なしに808とかをファンキーに使っていた可能性もあるかも 泰安洋行の前にハリケーンドロシーでリズムボックス使ってる
ハリケーンドロシーはベースもスライの曲っぽい つべで見た素人のテクノポリスコピーが完璧でビビったわ >>504
笑 つってるけど検証する意味あるのかもしれんなあ
カセットテープ、下で出てるロール紙、HD
いやあまさかとは思うけどね
ロール紙よロール紙 ロマン溢れるじゃん
いや茶化してないのよ なんかあってほしい >>527
ロール紙は正確には紙テープという。
穴の数でビット数がわかる仕組みになってる。
紙媒体だとパンチカードというものもあった。 >>529
穴が空いててね
あとマークシート式に四角い小さな黒を使うのもあったような
パンチね
キーパンチャーという仕事もあったしね
「男はつらいよ」のさくらが独身の頃、
OLでキーパンチャーをしていたはず >>530
OCR。
マークシートでも使われてる技術。 >>504
この人は初期YMOが使ってたローランドMC-8という最初期のデジタルシーケンサーと同じものを使ってるからね
MC-8はシーケンスデータをカセットテープに外部記録できて、当時松武さんも同じようにカセットテープを使ってリアルタイムでシーケンスデータをロードしてた
松武さんはソニーのデンスケをシーケンスデータロード用の再生機材にしてたらしい
このMC-8はデータロードに曲と同じだけの時間がかかったから、79年のYMOのライブではシーケンスフレーズありの曲と完全生演奏の曲を交互に演奏して松武さんのデータロードの時間を確保してた
例えばコズミックサーフィン、在広東少年、ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー、千のナイフなんかが完全生演奏だった >>521
そうか、暴動はリズムボックス使ってるの多かったね 初期のアフリカ・バンバータ
https://youtu.be/rHQ11l4uiM4
https://youtu.be/YkTyQ0kgmzs
あとプラネットロックだけど、音的にはスライ、PファンクではなくYMOの影響だと思うな >>68
マジンガーZとか勇者ライディーンで育ち、スターウォーズでSFブーム直撃で第一次テレビゲーム世代だったワシにはあの光線銃やロボットみたいな電子音で奏でる音楽は色眼鏡なしにただただカッコ良い音楽だった >>536
本人も普通にYMO、クラフトワークの影響公言してるし >>538
ヒップホップは再構築という側面があるからYMOの影響ある YMOは長い活動歴で三人ともクスリ関係の不祥事を起こしてないのは流石だと思った 多忙でガリガリに痩せてた時期があったから疑われたこともあったと思う >>536
リンクの上の曲はクラフトワークかな?
下はいろいろ混ざってる >>544
クラフトワークのなんだろ?
デビューシングルのこれがクラフトワークのトランス・ヨーロッパのメロディ使ってる
https://youtu.be/_rlUQsC8ECk
元々はDJでクラフトワーク使ってたそうな あのメンバーだったからすごかった、奇跡だ云々は結果論。
ビートルズもツェッペリンも似たような評価をよく見る。
まあでもYMOって無機質な電子音楽みたいに言われてるが、普通に生楽器の生演奏で
普通にバンド然とした音。 YMOは2ndから入ってその後すぐ1st買ったけど
シムーンや中国女はむず痒かった印象。
中国女のベースラインなんてかなりの変態だし。
でもまたすぐそれが快感になった。
まぁ何ともアホな小学生だなw
2ndまでは「YMO」言わず
「イエローマジック」言ってたね。 ライブで松武のコンピュータが数曲分を1秒でチュルッと暴走してしまったけど
まったくお構いなしに人力のみでその後を乗り切ってたな
Youtubeで見たことある まだあるのかな まあYMOに影響受けて出てきた連中が結局YMOやその周辺の音楽でぐるぐる回ってるだけの存在なのに対してYMOの三人はやっぱりバンドマンであり音楽家なんだよな
細野がYMOやテクノしか聴かないファンに対して「そんなんで楽しいのかな?」と感想を言っていたのが象徴的 YMOは無機質ではないんだが、テクノにすることで音楽の持つ臭みみたいなものが脱臭されてる
(トロピカル三部作はどこにもない音楽であるにもかかわらずにおいはする)
沖縄のリズムなのはわかるんだがこんな脱臭して東京の人がやっていいのか?みたいな複雑な気持ちになったものだった
YMOチルドレンということで、わかりやすい例としてバムをまた出すけど
Unity ジェームズ・ブラウン&バンバータ
https://youtu.be/b6hE5OmpKyc
トラックは打ち込みなのでJBのバンドでやってるのと比べるとファンク臭はなく、電子脱臭されてる
確かにあったはずの音楽の臭いが脱臭され、ノリだけがバーンと伝わってくることに多少混乱してた時代だった
と思う ライディーンのエンディング、ピッコロ系フレーズとか
高速シーケンス組むとたまにうわずった感じになるね。
もしかしたら受け手側シンセの問題かもしれないけどw
MC-8、MC-4。 テクノ系だとブライアン・イーノのナーブネットが好きだったな 変化球どころテクノポップの
ペーター・バウマン「リピート リピート」好きだなw
タンジェリンドリームのメンバーのくせに
一時期、テクノポップやっちゃったw >>124
話は違うが、そういう意味でスターダストレビューのカタログがどれも未だに発売されているのは物凄い
公式YouTubeで全曲視聴できるのに YMOはアナログシンセを使ってたから醸し出せてたニュアンスはあるだろ
デジタルシンセで真似ることは出来るが、YMO自身、いつまでも昔ながらのその音に別にこだわりを持ってたわけでもなかったからな
表現手段としてmoog3cをどう活かすかってのは常にあったんだろう 同じシンセでもアナログとデジタルでは楽器として別種だと思う
教授は『音楽図鑑』の頃のインタビューで「プロフェットを使うと音楽がタブロー(油絵)的になる。フェアライトはグラフィカルなコラージュ的になる」
と解説していた >>395
胸キュン、という言葉は元々山下久美子が使っていた >>558
MOOGのタンスは松武の所有物で使用してたのは1980年まで
BGMから後のアルバムでは使用してない スクリッティ・ポリティのウッドビーズが出たのが1984年
https://youtu.be/8FH_9SlPTjg
矢継ぎ早に4枚くらいシングルを出して、アルバムが出た
坂本龍一のラジオで「ここまでやっちゃうのか」とか言ってた記憶がある(不正確) >>521
スライストーンが使っていたのはマエストロのリズムキング
仕様はエーストーンと一緒だけど
エーストーンは大瀧詠一が使用していた
ナイアガラムーンとかで そういえばウィンターライブ81 松武ブースの
巨大な壁はMOOGはなくE-MUだったね。 高橋さんのハットづかい、やっぱり上手い
音楽も楽理や裏付けあるたしかな創作で高尚
あらためて、ごめいふくを 松武はすみれセプテンバーラブにも参加してその頃からポップスの仕事が忙しくなっていった
土屋と一緒に山口美央子のアルバムを作ったりしてた 楽器演奏苦手な理数系テクノ少年の憧れ LogicSystem
入江さんと組んだLogic〜のファースト実は大好きw 「越美晴が松武秀樹と結婚したら松武美晴」とか下らんことを考えてた思い出 「I LOVE YOU」をサンストで流した時の坂本
「ふぅ、終わった」「いや、中身の濃い、いい曲だったのかな」みたいに
少し見下した感じだったのをとてもよく覚えてるw アッコちゃんが小田和正好きだったから嫉妬してたんじゃないのw BGMより前に松武さん1人でここまで作ってるのにLOOMの作曲者にクレジットされてなくてかわいそう
https://youtu.be/qxmSWLwyxkg >>573
いやLogic SystemのI LOVE YOU YMO以降、テクノポップブームとかでヒカシュー、ジューシーフルーツとかがベストテンやテレビ番組テーマ担当で一般視聴者(俺w)に接する機会が出来た。シナロケも細野さん絡みで見たのがきっかけ。 >>570
すまん、すまん。
ロジックの1stは川上了さんでした or2 ジューシーフルーツは見聞きはしたけどリアルタイムでは引っかからんかった
ネットをやるようになって、昔の俺の懐メロを掘っていく過程で
シェルター人形のライブ動画が突き刺さって、CD(ベスト盤だけどw)を買った >>542 このプロデューサーが、一人でヤバいぐらい捕まってるけどな >>563
キュービット&サイケは今聴いても良いね
ああいう感じの打ち込み(恐らく教授が言ってたのはその辺りの事かと)は勿論だけど
楽曲も良かった
次のアルバムは完成度は高かったけど楽曲がちょっと弱かった >>550
YMOの影響受けた連中ってどんなのいるかな?
誰か纏めて欲しい ハイポジ観てたら胸キュンがベストタイミングで流れて鳥肌が立った >>566
だけどあの時はMC-4使ってたのかな。
テープ流してたって聞いたことあるけど。 >>585
ぶっちゃけ一時期YMOチルドレンとか呼ばれた連中は皆音楽性が狭くてつまんないね
結局三人の取り巻きというか金魚の糞みたいにみたいになってるのもいるし
それらのファンの皆さんには申し訳ないですが >>545
歌詞を下品にするとマイアミベースになるな >>585
小室哲哉 電気グルーブ BUCK-TICK 中田ヤスタカ
テイ・トウワ 槇原敬之 高野寛 星野源 相対性理論
THE BOOM マッド・カプセル・マーケッツ
各人ソロの影響はもっと広い >>591
で、音楽性が狭くない人って誰なの?
教えてよ。 >>4
もちろん俺も昭和40年代生まれのおっさんだが
なんだこのヘンリーダンス並の破壊力あるPVは… >>560
名言だわ。
そのとおり。
ヴァーチャルアナログはデジタルペイント。 NHK FM『今日は一日“YMO”三昧』8月14日放送
↑
これに出てた人? 大ヒットなんてしてないよ
戦場のメリークリスマスとかいうキーワードが一時期流行ったけどそれだけ
そもそも音楽性としてポップスではなかったよね
売れてない
なんとなく左翼文化人ぽい活動を三人のなかのひとりがしてるから名前だけ活字になってただけ
本業ではほとんど売れたものはない
音楽性もすごいというほどのオリジナリティはない 当時をおぼえている人間かるするとYMOなんていうのが社会に影響を与えたとかない
まったくない
ヒット曲もひとつだけ
そもそもなにかオリジナリティがあってすごいなんていうものはない
薄っぺらいテクノをやってただけ
流行ってないのにいまになってすごいとか誇張するのはものすごく違和感ある
たんなる左翼文化人として活動してその界隈で名前が近年でてただけ 社会に影響を与えたとかいうのは吉田拓郎とか小室哲哉とかぐらいブームを巻き起こせばやっとつかえる形容詞だよ
YMOなんて当時ですらマニアックなファンがいただけ >>603-605
必死というか、惨めなルサンチマンを感じるね
頭悪そう 当時のYMOが左翼文化人とは思わんな
坂本はアナーキスト、細野高橋は典型的ノンポリ
当時の左翼文化人は小田実や大江健三郎だよ >>603-605
週刊ポスト最新号のビートたけしの連載
「YMOはオイラと同世代の一世を風靡したグループ
あれほど世間を驚かせたグループは他になかった
音楽だけじゃなくてあの三人は他のミュージシャンとはまとう雰囲気が違った
YMOは他のミュージシャンとは違って品や教養を感じさせた」 >>607
そういう事を平気で口にする人ほど、社会どころか家庭にも1㍉の貢献もできてないよね尤も家庭なんかあるのか知らんが(#^ω^) アルバムがミリオン行ってるのに流行ってないというのはちと苦しいな >>603
1980年のオリコン年間アルバム売上ランキング
1位 松山千春:『起承転結』
2位 イエロー・マジック・オーケストラ:『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』
3位 ABBA:『グレイテスト・ヒッツ Vol.2』
4位 久保田早紀:『夢がたり』
5位 中島みゆき:『おかえりなさい』
6位 長渕剛:『逆流』
7位 松山千春:『浪漫』
8位 松田聖子:『SQUALL』
9位 イエロー・マジック・オーケストラ:『増殖』
10位 イエロー・マジック・オーケストラ:『パブリック・プレッシャー』
ベストテンにYMOが3枚入った
そしてアーティスト別のアルバムトータル売上ランキングではYMOが一位だった
これを一世を風靡した、ブームを作ったと言わずして何というのか
お前ほんとにリアルタイムかよ
ボケてんじゃないのか?
単なるお前の好き嫌いをしたり顔で語ってるだけだろ 細野氏自身が言ってたけど
日本は独特な歌謡界っていう世界があって
僕らはその外にいた
っていう外からあそこまで売れた人ってなかなかいない >>615
YMOのような、時代を画するカルチャーや文化圏のようなものを作り出すほどの存在感を持った音楽グループがYMO以降現れていないのは事実
それはカルチャーの細分化やレコードやCDなどのフィジカル媒体の衰退とも関係しているけれども
小室哲哉はTMNリニューアルの頃盛んに「YMOみたいに時代のカルチャーを作り出したい」と言ってたけど、それができないと悟ってとにかく売上だけで時代に名前を残す方向にシフトチェンジした
あの小室哲哉も並び立てなかったのがカルチャー全般におけるYMOの位置づけ
>>609のたけしのYMO評は割と本質をついてると思うよ 拓郎や小室の訃報をニューヨークタイムズが書くとは思えんな
書いても通り一遍の短いのだろう 自分の好きな音楽と仕事でやる音楽は違うって感じ
そこはプロだから新しいものを作らないといけない
正確に言うと新しく見えるようなものを 細野さんですら頭が上がらないから
YMOの成功者はこの人の功績がデカい
海外公演はこの人の人脈資金があったからこそ 当時から、事実であろうと全てを否定して酷評するアンチはいた
音楽評論家にもアンチがいたぐらいだから
どうしても認めたくない人が今でもいるだけ
煽って反論されて喜ぶだけだから、言いたければ言わせておけばいい 俺は小学生だったが友達経由で初めてYMO聴いた時は後付けではなく衝撃的だった
その頃確かに売れてたし子供のくせにサウンドール買ってたしブームだったと思う >>602
自分達の漫才はYMOの手法を漫才にしているんだ
と話していたことあるな >>615
根本的なことがわかってないようだが
あとの世代の方が技術的に高いのは当然なんだよ
問題はそこじゃなくて時代を変えるような事してるのかってこと
音楽のちからはどんどん落ちているだろ
そういうこと もりあがってるなあ
まあ海外ツアーと国内チャート上位入りの両成功を果たしたのが日本ではほぼないから当然か
各キャリアやいったん解散後の成功も興味深いし
どんなジャニーズよりもビートルズの立ち位置に近いわ 日本で売れてから海外に乗り出す、じゃなくて、いきなり全世界で一斉にアルバムが発売されて、
全世界で一斉に売れていくってところが凄かった
はっぴいえんどを散々批判した内田裕也らが夢想した、日本初の音楽による世界制覇が
結局はっぴいえんどの細野によってなされたのは皮肉ではなくて当然 ソリッド〜の頃にガラっと変わったの憶えてるよ。
当時、近所に下宿してた大学生たちのファッション。
長髪、控えめベルボトムにサンダル履きのお兄さん達が
髪の毛短くしてポップな柄シャツとか着はじめたの。
自分もピコピコにハマったけど外見がコロっと変わる
大学生の姿は当時からよく見てたw >>614
5位の中島みゆき
この人の1977年発表の「あ・り・が・と・う」
にもエレピやピアノで坂本は参加してる
結局3人の凄腕セッションミュージシャンによる
高度で緻密な楽曲と
川添氏による販売戦略が世界的流行に結びついたワケなんだよ >>615
アカデミー作曲賞とかグラミー賞を取れる音楽的な実力がある奴は居ないよ
素人評だなぁ >>583
名盤だよね、なんと去年リマスターが出たらしい
https://youtu.be/V2E-t2nOu-A
坂本龍一、ピーター・バラカン サウンドストリート1985年7月9日 ゲスト:Scritti Politti
https://youtu.be/_pxSCaMFSao インストがメインで歌わないんだから海外受けが良いのは当たり前だろ、坂本龍一なんかより喜多郎や小澤征爾のが海外では評価されてる、海外の知名度なら宮崎映画の久石譲のが有名じゃないか。 西洋音楽的に高いレベルを持ちながら、ある日突然妙に新しくてかつ素養を必要としないどキャッチーな音楽をやりはじめるなんてこと現代に可能なんだろうか
今なら誰と誰と誰ならありえるかな 欧米人からしたら喜多郎とかもイエローマジックなんだろうなぁ
坂本龍一は喜多郎嫌いだったよねw 喜多郎って機材こそ新しいけどどっぷり土着な音楽だからね。拓郎を代表する旧世代の土民的なウェッティな感性に共通する 美容師学校出たてっぽい若い
お姉さんに散髪してもらうときに
姉 もみあげは?
俺 全部剃って
姉 テクノですか
俺 お姉さんみたいな若い子でも
テクノとかいうの?
姉 言いますよ~
みたいな会話したな
坂本龍一しか知らんかったけど >>588
松武秀樹のブースにはMC-4Bが2台設置されていた(さらに予備として1台)。
Eμのタンスのほかにプロフェット5とLMD-649などがあった。
また同期信号と収録済みの演奏が入った4チャンネルカセットレコーダーもあった。
最終公演?のアンコール終了後では予備として用意してあった
予備のMC-4Bをもってきて高橋幸宏に手渡すというパフォーマンスもあった。 >>639
すごい情報ありがとう!
コズミックサーフィンなんかは
シーケンスが生音っぽいね。
他の曲はどれですかね? BGMやテクノデリックの頃は教授と細野さんの確執が最高潮の時期で
間に挟まれてた幸宏さんは大変だったみたいだけど
その緊張感が音にも表れててホント名盤だよね 何年も前から時々目にする細野を誹謗中傷するコピペが見たいw
内容はよく覚えてないんだが、いかにも電波系のやつw >>643
シンセ音楽が普及して売上は伸びたかもしれないが評価はどうかな
70年代の冨田作品は何作もグラミー賞にノミネートされてたが
80年代に入ってからそういう賞とは無縁になっていった >>642
どこかで「植物で例えると細野=根、高橋=茎と葉、坂本=花」というコピペを読んだが
確かに「土を替えたら枝葉ばかり伸びて花がパッタリ咲かなくなる樹」みたいな時期もあった スクリッティ(グリーン)はヒップホップに影響されたと言ってるんだけど
ヒップホップでこういうサウンドって、当時はトミーボーイ、バンバータ周辺だけだった記憶なんだよなぁ
あっという間にエレクトロとして広がったけど
だから、エレクトロもスクリッティも自分の中では広義のYMOチルドレンだと思ってる(確信)
Word Girl - Scritti Politti
https://youtu.be/k2tIYTEKRvw
Let The Music Play - Shanon
https://youtu.be/JGPnCfpen2I >>614
まあまあ。
俺も >>603 は気になったんだが、
ユーミン(当時荒井由実)がブレイクした時も、
世間の人は名前すら知らなかったんだよね。
結局わからない奴にはわからないんだろう。 冨田勲の大まかな受賞歴
1973年
・TV文化向上に貢献した功績から「TV大賞」を受賞。
1974年
全米レコード販売者協会(NARM)の1974年度最優秀クラシカル・レコードを受賞。
・「月の光」が日本のアーティストとしては初めてグラミー賞(Album of the Year他)にノミネートされる。(1975.03.01)
・「Snowflakes Are Dancing」が全米ビルボード・クラシカル・チャートで2位にランキング。(1975.01.18)
1975年
・本人とRVC(株)が「ムソルグスキー/展覧会の絵」で第17回日本レコード大賞・企画賞を受賞。(1975.12.31 帝国劇場)
・1975年度NARM最優秀クラシカル・レコードを2年連続受賞。 米ビルボード誌より「ベスト・クラシカル・アーティスト賞」を受賞。
・「展覧会の絵」が全米ビルボード・クラシカル・チャートの第1位を獲得(1975.08.16)
・「火の鳥」が全米ビルボード・クラシカル・チャートで第5位にランク(1976.03.20)
1976年
・アルバム「惑星」が全米ビルボード・クラシカル・チャートの第1位を獲得(1977.02.19)
1978年
・グラミー賞/ベスト・エンジニアリング・レコーディングにノミネートされる。
1979年
・米コンテンポラリーキーボード誌「ベスト・スタジオ・シンセシスト」を受賞
・アルバム「バミューダ・トライアングル」がグラミー賞「Best Engineered Recording」にノミネート(2度目)される。(1980.02.27)
・映画「夜叉ヶ池」で第3回(1979年度)日本アカデミー賞、優秀音楽賞を受賞(1980.3.29)
1983年
・アルバム「大峡谷」がグラミー賞「Best Engineered Recording」にノミネート(3度目)される。(1983.02.23)
1993年
・映画「学校」で第17回(1993年度)日本アカデミー賞、優秀音楽賞を受賞(1994.3.17)
2000年以降
・いろいろ受賞 省略
http://www.tg.rim.or.jp/~moog_bb/t_chronology.html >>633
日本で作られたインスト曲のすべてが海外受けがいい訳じゃない
喜多郎や小澤征爾、久石譲らを否定はしないけど、YMOの評価と影響力は高く現在も続いている
なぜ片方を上げると片方を下げるのかがわからない
きみの評価ポイントは持ち点制なの? ビートルズが世界的に人気が出て、各地にご当地ビートルズが生まれた
ご当地色のあるロックンロールバンドだよね
当時はエレキギター、ベース、ドラムスのバンドは文化の違いを超えた
YMOの影響というのもそれに近いものがあると思う >>642
テクノデリックはそんなことないよ
教授も機嫌良く乗り気でレコーディングに参加している
ただ、それとは別に細野さんが心身不調になったw >>4
岡村靖幸のsuper girlのMVくらい面白くて好き、見てると元気になる >>654
二人の確執は坂本に随分と悪影響を与えたと思う
ポップミュージックとしてのYMOの世俗的成功を
坂本龍一はソロでも成し遂げようとしたんじゃないか
特にライブ活動で合わないことをやってしまったと思う
現代音楽とフュージョンが体質に合っていたと思う テクノデリックの1ヶ月半前に発売された左うでの夢で
細野さんが少なくとも3曲はベースを弾いてる 個人主義的なエゴが1番強いのはやっぱり教授なんだよねw
あのひとギッチョだし、対人関係の感じ方も人と違うみたいだからエゴに見えるのしれないが >>633
君が引き合いに出してる人のレベルがすべてを物語っているではないか
そこら辺と張り合っているということ
違うぜんぜんもっと下、というならあとせめて10人名前あげてくれ 教授は父親との関係があれで
ずっと押さえつけられていた影響が大きいんじゃないかね >>656
この3人でソロでも武道館を埋められたのは教授だけだよ
90年代までずっと武道館クラスだった
ソロでミリオン売ったのも教授だけ >>633
喜多郎はニューエイジというニッチなジャンルで大御所なだけだし
久石譲はジブリ映画が有名なだけで音楽は問題にされてない
坂本龍一は2021年にも4本もハリウッドやイタリア、フランスの映画音楽を担当してる現役の売れっ子作家
全く成功のレベルが違う
そもそも教授は海外での仕事の方が多い
今さら世界の●●と付ける必要が無いぐらい世界中で仕事してる >>661
それで永遠の反抗期的な生き方なんだろうかね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています