今夏、1球ごとに右、左、右、左――と打席を変える高校球児が注目された。有田工(佐賀)のスイッチヒッターの常識を覆すスタイルは、SNS(ネット交流サービス)でバズり、米大リーグの公式サイトで取り上げられた。有田工には同様の両打ちの選手が複数いるという。なぜ、異例のスタイルは誕生したのか。

 ◇「スイッチヒッターの最先端」

 7月、今夏の甲子園出場を懸けた佐賀大会の準決勝。有田工の8番・山口洸生内野手(3年)は三回、右から左、左から右へと1球ごとに打席を行き来し、バットを構えた。動き続けること5球目、相手投手の投じた球が肘付近に当たって死球となった。山口内野手は一塁ベース上でしてやったりの表情を浮かべた。

 「スイッチヒッターの最先端」「巧妙な方法で揺さぶられた投手は制球を失い、死球を得た」。通常のスイッチヒッターは1球ごとに打席を変えないため、米大リーグ機構(MLB)の公式サイトは驚きとともに、異例のスタイルを伝えた。

 SNS上では「甲子園でスイッチヒッター、めちゃくちゃ注目集めそう」「甲子園に出て多くの目線にさらされた時にめっちゃたたかれそう」など賛否両論が入り交じりながらも、話題を集めた。

 公認野球規則では投手が投球姿勢に入った時や、バッテリーがサイン交換している時に打者が打席を変更すると反則行為でアウトになるが、1球ごとに打席を変えること自体は問題ない。

 では、珍しい両打ち像はどのようにして生まれたのか。

 山口内野手は小学4年で野球を始め、元々は右打ちだった。小学校時代は打線の中軸を担ったものの、有田工では下位が定位置となった。長打より俊足を生かすために出塁が求められた。

 しかし、2アウトの場面で打席が回ると、相手投手のペースにのみ込まれ、何度も凡退した。「早打ちして相手に流れがいってしまった」

 転機は、学校初のセンバツ出場を控えた今春だった。練習試合の途中で梅崎信司監督(43)がトイレに行き、ベンチに不在だった時に打席が回ってきた。奇手を放っても監督に怒られる心配がないチャンスとみて、「何でもいいから出塁したい」と1球ごとに立つ打席を変えてみた。俊足を生かして内野安打を狙うため、2021年秋から左打ちも練習しており、右打席と同じ感覚で打てる自信があったという。

 センバツでも、4強入りした国学院久我山(東京)と1回戦で対戦した際、打席の途中で左右を変更した。結果は三振に倒れたが、その後も試合のたびに試した。1球ごとに打席を変えると、相手投手がやりにくさを感じたのか、四死球で出塁する回数が増えた。

 確率が悪そうな方法に見えるが、山口内野手は「ピッチャーを揺さぶって、球数を投げさせることができればいい」と意図を説明する。梅崎監督も「(相手投手を)揺さぶれる山口はうちの強み」と異例のスタイルを認めている。

 ◇「奇策」か「巧妙な方法」か

 チームでは山口内野手の他に、相川翔大内野手(2年)も両打ちだ。さらに、佐賀大会の準決勝で負傷した山口内野手に代わり、決勝に出場した中尾仁寿希(にしき)内野手(2年)も打席の途中で左右を変更する姿を見せた。

 中尾内野手は、実は「左打席に立ったのは中学時代に数回程度。右しか打てない」と明かす。守備力を買われてメンバー入りしたが「打撃は得意じゃない」という。そんな中尾内野手に、梅崎監督は決勝前、「右でも打てなかったら左に立ってみろ」と提案した。

 2球に1球は「捨てる」ことになり、打てる確率は下がる。それでも、中尾内野手は「(打席の)立つ場所を変えることで、景色や周りの声が変わり、左に立つ時はリラックスできていた」と振り返る。

 有田工はセンバツは1回戦で敗れ、9年ぶりとなる夏の甲子園では、春にかなわなかった「1勝」を目指す。課題は打力で、打撃練習や筋力トレーニングなどでレベルアップを図ってきた。ただ、梅崎監督は「下位が出なければ打線はつながらない」と指摘する。

 チームは初戦を前に新型コロナウイルスの集団感染に見舞われたが、出場が認められた。13日の2回戦第1試合で浜田(島根)と対戦する。

 珍しい両打ち像は「奇策」か、それとも「最先端」なのか。そして、甲子園でも異例のスタイルを貫き、打線はつながるのか。

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