「これでもアイドルだったのよっ」芸能界を引退し“男だけの”相撲界へ…元・高田みづえが32年間のおかみさん業を“卒業”するまで [朝一から閉店までφ★]
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posted2022/02/04 11:09
<Number Web>
https://number.ismcdn.jp/mwimgs/8/3/-/img_8361773f3ff5f5a1e017ee475390c1e3944018.jpg
写真は1985年2月、婚約を発表した大関・若嶋津と歌手の高田みづえさん(紀尾井町のホテルニューオータニで)
text by
佐藤祥子
Shoko Sato
photograph by
KYODO
2022年初場所を終え、あるひとりの女性が、相撲部屋のおかみさんを“卒業”した。人気大関だった若嶋津の伴侶である、元実力派アイドル歌手の高田みづえ――日高みづえさんだ。
1977年、『硝子坂』でデビューし、『私はピアノ』『そんなヒロシに騙されて』で2度のレコード大賞金賞を受賞。85年に、当時大関だった同郷の若嶋津と24歳で結婚し、同時に並々ならぬ覚悟で芸能界をきっぱりと引退する。90年2月、千葉県船橋市に松ヶ根部屋(当時)を興した夫に寄り添い、華やかな芸能界と対極にあるかのような相撲界――男だけの修業の世界を裏から支える”おかみさん”となった。
2014年に、夫は一門総帥の“二所ノ関部屋”を継承。このたびの定年退職にあたり、32年の長きにわたり掲げて来た相撲部屋の看板を下ろした。夫と弟子たちを、小柄な体と底抜けの明るさで支えてきた“薩摩おごじょ”だ。
「まだ、どうしても私の名前が目立ってしまうから」とメディア出演を遠慮していたみづえさんを説得し、初めてインタビューをさせていただいたのは、もう四半世紀近く前のこと。
アイドル歌手から人気大関夫人に、2人の子どもを持つ母として、そして相撲部屋のおかみに――。折々に取材させていただいた、みづえさんの言葉を振り返ってみた。
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1985年9月の結婚式。ウェディングケーキにナイフを入れる大関・若嶋津と新婦の高田みづえさん、東京・紀尾井町のホテルニューオータニで ©KYODO
「ジーパンくらい新しいのを買ってくれ、と」
いつなん時も割烹着やエプロン、ジーパン姿。まったく飾ることなく、堅実で控え目。小柄な体で元気いっぱい にくるくると動き周り、常に笑顔を絶やさないおかみさんだった。
「お願いだからジーパンくらい新しいのを買ってくれ、と親方に言われてしまうんですよ(笑)」との笑顔を懐かしく想い出す。
松ヶ根部屋設立当初は、弟子3人と元力士のマネージャーとのスタートだった。
「それまで二子山部屋(初代若乃花)のほうに預けていた内弟子さん2人と、床山さんになる子と一緒に、初めて食事をしたんです。私は30歳にもなって、なんだか気恥ずかしかったのを憶えています。
当時、正直言って歌手だったことをハンデに感じたこともありました。どうしても私の名前が出てしまう。インタビューやテレビの取材も、それを見てお相撲さんたちの親御さんが部屋の雰囲気をわかってくれたらいいという気持ちもあったけれど、
『よし、徹底的に裏方に徹してやろう』と思ったんです。もう、必要以上に肩に力が入っちゃっていたんですね」
町内会役員、PTA役員も経験
===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://number.bunshun.jp/articles/-/851914 おかみさんになってから過去映像完全に封印してたっけ
ここ数年になってからようやく解禁されたけど 揉み上げ
長身
黄土色のまわし
この力士の名が知りたい アイドルとはちょっと違うような
歌謡曲の人でしょ? 『わたしはピアノ』だっけ
アイドルなんだけど演歌みたいな歌い方するな、と思ったもんだった 旦那さんサウナで倒れて意識不明だったなぁ。高田みずえが部屋を実質的に切り盛りしていたんだろう。根性あるな。おつかれさん! バーニングプロダクションの役員なんだよね
菅野でよくお見かけしました。 >>1
うーん。。。
2017年(57)
i.daily.jp/general/2017/10/20/Images/f_10658672.jpg 若嶋津は今どうしてるんだろう
ひたすら裏方に徹したこのおかみさんは立派 >>11
無理に作り笑いしてるような硬い雰囲気の人だったよね
ボンビー家庭出身だから金のために芸能界に入ったのかと思ってたら
意外にも自ら歌手を目指していたと聞いて驚いた
若島津と付合い始めてから急激にTV出演が減り
未練なさげにあっさり引退したから
性格的に芸能界に向かなかったのかも アイドルっていうか研ナオコの若い版って位置づけだわ 性格はキツそうだけど歌手からおかみさんなんて良く頑張ったと思うわ
河野景子と違って現場介入のガチっぽかったしね ボストンの武道館アリーナにいて割と席近かった
サイン貰いに来る人いてマネージャーらしき人が断ってた >>13
リズム感が悪かった、つか昭和のリズム感だったんだよ
日本人が必死で歌う戦後のロカビリーみたいだった ああ、結構バラエティ出てたよなあ
カックラキンとかドリフとか
私はピアノは桑田佳祐の曲だっけ 35年裏方に徹してた人の話で盛り上がれるとかマジでジジイの集まりなんだなw 五月雨〜
雨にも色々あるけど
あれ松本隆だったんだよな >>23
芸能界に向いてないというかプロ意識高かったんじゃないの 仕事減らしたってのもいきなりだと迷惑かかるから徐々にセーブしてって
よくも悪くも昭和の女性って感じ >>20
こないだテレビに出てたじゃん
すげーボロボロに老けてたよ
昔の面影全く無し
多分かーちゃんも相当痛んでるはずだね >>11
アイドルではなかったよな
若島津も倒れて苦労したよな、お疲れ様 私はピアノとか歌ってるときのこの人すごく色っぽいけど確か研ナオコのイメージで売り出したと知って成る程なと思った おかみさんは部屋の力士のあっちの処理も
一手に引き受けるというのは本当なのか? 谷山浩子から提供して貰った曲が売れなかったな、みんなだけど この時代は、アイドルになるためには、最低限の歌唱力が必要だった(例外あり)。
なので、歌はうまいが、「アイドルか?」というような歌手(アイドル)が多かった。 船橋の東武デパートで買い物しているの見かけたよ
全然気取ってなくて感じのいい人だった ザ・ベストテンで岩崎宏美と共謀して中森明菜の顔めがけて紙吹雪ぶつけてた女 >>49
70年代だと例えば浅田美代子が下手だってよく言われるけど、あの当時の歌手が上手すぎてレベル高かっただけで言うほど下手ではないわな
80年代以降はこの限りではないけど 高田みづえの代表曲は硝子坂・私はピアノ・そんなヒロシに騙されて・秋冬と、
他人のカバーや他人との競作ばかり >>56
「潮騒のメロディー」は?と思ったら、これもカバーだったんだな。 また歌って欲しいな
YouTubeでもやってくれないかな Amazonのサブスクに高田みずえがないと
松本がワイドナショーで言っていた 三田寛子とこの人が裏方でこんなにやれると思ってなかった
普通に尊敬する 硝子坂、だけど…、ビードロ恋細工の初期3作が至高。 鹿児島のアイドルといえば昔は高田みづえ
今は勝みなみ 80年代アイドルだと誰ポジ?
やっぱり三田寛子なの? >>62
ダウンタウンの二人ともファンだっけ?
一緒にコンサートに行ったとか言うてたよな タモリがテレフォンショッキングで「みづえちゃん重くない?」て訊いてたな >>56
それは周りのお膳立てで本人の責任じゃないのでは。 俺はアイドルだとは思ったことはないな。そのレベルに達してない。 硝子坂のプロモーションで
渋谷の道玄坂で歌ってるのを見ましたわ 大した弟子育たなかったな
俺が弟子ならみづえの使用済みパンティの臭いをかぎまくるわ 若島津好きだったなあ
倒れてから痩せ細って心配
もともとソップ型だったけど 高田みづえと結婚してから、若嶋津はとんと勝てなくなった
思い出がある。サゲマンなんかねえ。
あと、若嶋津は死んだ記憶があるけど、まだ生きてるのか
俺は誰と勘違いしてるんだろう… アイドルでは無かったけど
お笑い番組とかにアイドルとかと一緒のくくりで出てたよね
アイドルと歌手の中間みたいな存在の人って結構いたよね 若嶋津と小さなみづえちゃんがセックスしたらみづえちゃんが壊されちゃう!
と危惧されたものだが
実際には若嶋津のほうがボロボロにされていたというオチw 三田寛子も高田みづえもアイドルだったように記憶はしている
鹿児島だと後は国生さゆりとか乃木坂の元センターだった大園という子とかいるのかな 可愛くないが
歌は上手いという路線が当時あった
アイドルじゃない アイドルというか、当時としても珍しい中卒で田舎から出て来た苦労人てイメージだった 最初は反対されて、テレビで泣いてしまったんだよね
若嶋津が偉かったな >>90
部屋は玉乃島が、定年まで名乗っていた名跡は稀勢の里が継いだ。 おかみさんになってからの姿を一度だけテレビで見たけど十代で入ってきた少年たちのお母さんみたいだったな
朗らかでパワフルで優しくて >>18
それはない
太いほうが郁恵
細いのがみずえ デビューしてすぐに伊藤博文夫妻を主役にしたドラマで若い頃の伊藤博文が三浦友和、妻になる芸者が山口百恵で、博文が妾に産ませた娘の役が高田みづえだったが、ほとんど台詞無しだった 俺は当時を知らんが、俺の母が「当時は凄い人気だった」と言ってる 硝子坂って宇崎竜童なんだな
ちょっとプレイバックPART2に似てる 山口百恵、桜田淳子、森昌子、の次くらいの世代でしょう
アイドルだか歌手だか、今の感覚だと分からないかもだけ
当時は、若い女性歌手なら、演歌とか民謡とか実力派シンガーじゃなければ、アイドルって枠で売り出されてたかと >>103
『荒磯』の名跡の方を継いだ。
それに伴い、彼の居る二所ヶ関部屋が荒磯部屋に、元・荒磯部屋が放駒部屋に名称を改めた。 アイドルだったんか?
歌が上手い若手歌手の扱いだったような まだおニャン子クラブも無く聖子ちゃんも居ない、その前の世代だわな 岩崎宏美や榊原郁恵あたりとしのぎを削っていた印象がある
キツかったから結婚してトンズラこいたんだろう
下手な一般人なら消されかねないから相撲取りを選んだんだなw あぁ、ピンクレディーとかキャンディーズとほぼ同じ世代なのかな
にしては、キャピキャピしたアイドルとは少し違う演歌チックな人ではあったね >>122
山口百恵の結婚・引退をトンズラこいたと言えるのなら、そうなのだろうね 松ヶ根部屋時代に何十回と朝稽古を見に行ったけど
高田みづえは一度も見たことないね 高田みづえってアイドルだったのかw
歌が上手い中堅歌手のイメージ >>114
島倉千代子さんに憧れてこの世界に入った様な人だからね、岩崎宏美が可愛がっていたな >>31
この人は昭和60年には引退しているからなぁ。
まんま昭和、それもバブルの前に芸能人を辞めた人。 鹿児島の夏祭りで初めて見た芸能人が高田みづえだった
観客いすぎで豆つぶみたいだったけど 秋冬 が良かった
季節の変わり目を あなたの心で知るなんて >>83
千代の富士には歯が立たなかったが全盛期に2連勝した相撲はどちらも凄い力相撲だった 若島津はイケメンレスラーだったのは覚えてるわ
こういう対格差でどういうセックスしてたのか興味あるわ 嫌な思い出なら名前出さないだろうから、いい先輩だったんだろうな
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/01/15/kiji/20220115s00041000488000c.html
松本明子 「厳しかった」アイドル時代の芸能界 礼儀を「ちゃんと教えて下さった」先輩人気歌手とは…
[ 2022年1月15日 18:40 ]>パーソナリティーの徳光和夫から当時のエピソードを聞かれると、
>「厳しかったです。その当時の芸能界は。
>今のように和気あいあいというんじゃなくて、アイドル同士ライバルだったりとか。
>そういう先輩後輩とか、楽屋の座り位置とかも、ちゃんと教えて下さったのは高田みづえさん」
>と大相撲の二所ノ関親方(元若嶋津)夫人で元歌手の高田みづえさんの名前を挙げた。
>「高田みづえさんは私にね、『後輩は鏡前でも端の方、出口に近い方だし、
>奥から先輩なんだよ明子ちゃん』というのを、きちんと教えて下さったりとか。
>厳しい先輩でしたね、いい先輩」とし、尊敬する先輩という意味ではと聞かれても
>「高田みづえさん」と言い切った。 桂ざこば療養中か…
>>16
旦那が元大関(イケメン力士)で何気に勝ち組やなぁ。 宇崎竜童の硝子坂
桑田佳祐の何曲か
このへんが当たったね
ドリフなんかとやるコントも上手かった
気の強さが良い方に出てた >>11
カックラキン枠で紅白にも出てて、研ナオコと同じ立ち位置ぽく感じてたな。 ずっと松ケ根親方ってイメージだったのに二所ノ関親方になっていたことの違和感と最後に荒磯親方になっていた徹底的な違和感 >>141
その上の世代は、理不尽に叱る人とか多かったろうし
きちんと教えてくれた先輩だったんだろうね アイドルではないだろw
今では考えられないけど、若い女の子でも「歌手」を目指して芸能界入りする子たちが当時は存在した。
岩崎宏美とかもそのタイプ >>141
正直者の松本明子がいい先輩というのだから間違いない >>1
アイドルってより歌手のイメージ、自分の中では岩崎宏美と同じ立ち位置。 >>157
そう言われればあった気がする
けど、当時、浮き草稼業の芸能界に入ろうとする人なんて、
いわくつきの、訳ありの、
そんな色眼鏡で見られがちで、そんな噂が立ちがちではあったから、どこまで本当かわからんちん 1977年デビュー組
高田みづえ
榊原郁恵
大場久美子
荒木由美子
清水由貴子
香坂みゆき
五十嵐夕紀
狩人
太川陽介
川崎麻世
未都由
レイジー
桂五郎 >>49
アイドルなのに歌めっちゃうまい
山口百恵、岩崎宏美、石川さゆり、中森明菜、ジュリー、野口五郎、西城秀樹、ノーランズ
普通
キャンディーズ、ピンクレディー、天地真理、高田みづえ、石野真子、小泉今日子、郷ひろみ、沢田聖子、薬師丸ひろ子、原田知世、工藤静香、レイフ・ギャレット
歌が少し下手な印象
太田裕美、大場久美子、木之内みどり、河合奈保子、松田聖子、たのきん 最近で同郷同士の結婚と言えば先日男の子が産まれた西武の源田と元乃木坂の衛藤美彩だけど、みづえは角界の人とだったし状況が全く違ったしなぁ >>163
ちょ、
河合奈保子の悪口だけは許せんよ 子供だったけど
こんなブスでもアイドルになれるのかって思ってた >>159
両方言っとる
youtu.be/HrMQd36Qvjk >>162
レイジーがラウドネスになっていたのには驚いた あんなにムチムチ巨乳で八重歯で、あれの悪口は、俺は許せんよ 結婚したのまだ24歳だったんだね
若くて才能あったのに芸能界に戻らず立派なおかみさんになって素晴らしいよ
私が大ファンだった真子ちゃんはあっという間に戻ってきたけど
それはそれでうれしかったな 高田みづえと三田寛子両方に
楽曲提供してる数少ない人の中に
村下孝蔵がいるんだよな。
高田みづえのかげふみB面の
「似顔絵」は名曲。 >>163
河合奈保子と大場久美子の同列はありえない
河合奈保子うまいじゃん >>184 佐野量子のところ、小梨なのはどっちが原因や >>185
呂律は怪しいけど、こないだの初場所中継で太寿山との思い出をVTRで語ってた。 >>35
みづえさんと真子ちゃんは
同学年、デビュー1年違いだな。 >>48
アルバムのなかで谷山浩子が作った曲だけ可愛らしくて高田みづえらしくなかった
水玉時間だったかな 若嶋津はソップ型でかっこよかったな
しかし二所ノ関寛は太りすぎだろw 昔ならアイドルだが今で言うなら
列記とした歌い手だろう 若嶋津はソップ型でかっこよかったな
しかし照ノ豚は太りすぎだろw アイドルというか上手いポップス歌手だったけど
地味で色気なくて人気はイマイチだったような
自分は世代じゃないが母親がファンだったのでよく聞かされたが
真夜中のギターってこの人の持ち歌じゃなくてひと回りも後のB面カバーなのな
元歌の頃はさすがに生まれてないので知らなかった 学校が終わってから南薩の果ての無人駅から鹿児島市の駅まで歌唱レッスンへ行き往復した根性は伊達ではない
ほんとポツンと無人駅だから 華やかなアイドルでもここまで女将業できたのに、アナウンサーとは言え所詮はただの会社員に
過ぎない河野景子さんは最後まで残念だったな この人は偉いと思う。
歌もうまかったし、ちゃんと相撲部屋の女将さんもこなした。
貴花田の嫁と大違い。
子供はいないのかな。 >>208
指宿か枕崎かな
すげーな
今でもすげーと思うけど、その当時それやってたのは、すげー 高田みづえはバラドルのはしりでもあった
南海の黒豹死んで何年経つの >>184
佐野量子と付き合ってた武にちょっかい出してフラれてターゲットは羽生善治に
真面目な羽生善治をまんまとGET! 浜田雅功が好きだったアイドル
桜田淳子
高田みづえ
石野真子 高田みづえって貧しい家庭に生まれたから小学校から中学まで7〜8年新聞配達してたんだよな 西城秀樹がサウナで死に
若島津がサウナで倒れて後遺症が残った後
「ととのう」とかいうサウナブームがマスコミに捏造されて闇を感じた 若嶋津&高田みづえ>>>>>>>>>>>>>>貴乃花&河野景子 >>216
苦労人なんだな百恵ちゃんとこの人が好きだったな
共通するのはどこか影があるところだったのかも
俺の見る眼は確かだったんだなと思う >>56
『そんなヒロシに騙されて』ってジューシィフルーツも歌ってたの最近知ったw
ジューシィの演奏も味があって好きだわ かなりハンサムなお相撲さんだな
こりゃモテるわけだ 感動したわ
これからはバリバリメディアに出てほしいなあ >>1
西船橋駅で何度もみたな。
小柄で顔も小さかった。
隣にバスケの2メートル20センチくらいある岡山がいて、高田みづえと1メートルくらい差があって驚いた。 >>222
ジューシーフルーツのイリアと
明石家さんまが付き合ってたよな >>225
バスケの岡山と一緒にいるってどういう状況よ?w >>220
苦労人
そういう苦労してたからおかみさんも勤まったんじゃないか >>163
原田知世より河合奈保子、松田聖子が下とか耳あんのか これからは普通にテレビに出てほしいですね。
まずは、カラオケバトルの本人なら何点出せるか サザン版「わたしはピアノ」は間奏に意味不明な合いの手が入ってるよね。
どういう経緯で高田が歌うことなったのか? 原由子は声が明るいから高田みづえ版のほうが好きだな
まあ、あの合いの手は意味不明だがw >>19
苦労したんだなぁという感じ
ちょっと若い鈴木京香とか石田ゆり子はこんなじゃないしな
孫もいる藤あや子とかもこうじゃないし >>207
竜童が高田みづえ版「硝子坂」のデモ聴いて
「俺の曲が演歌になっちまった」と
ズッコケたとか。
元々の硝子坂はロックらしい。
木之内みどり、高田みづえ、
両方の硝子坂、俺は好きだけどな。 >>233
いや、もうお婆さんに近い歳だろうから、もういい
俺のなかでは、国仲涼子と富田靖子を足して薄くしたイメージで、小さくて可愛い人だから、それを壊されたくない >>232
原田知世が普通って・・・耳腐ってんだと。
知世と聖子は両方マルチトラック録音のVoトラックだけ聴いた事があるが、松田聖子はガチで上手い。
声質が潰れてエンジェルボイスが出なくなった事だけは残念。
原田知世のミキサー(エンジニア)さんのmix見てて(聞いててか)音の魔法使いだと思ったw >>115
それ思った
前女子サッカー監督に似てる >>12
本場所に修学旅行で来てた女子高生達大勢が「せーのっ!大徹さん頑張ってー!!」
会場がめっちゃ盛り上がってNHK実況がここで時間一杯ですと冷静に裁いて結果大徹の勝ち
最近の女子高生は渋い力士を応援するんだなあと感心してたがデーモン木暮のラジオの影響だと知ったのはかなり後だった この人スタ誕じゃない方の出身だけど
うちの地方では放送されてなくて謎の番組だった 高田みづえって不思議な歌声だよね 私はピアノの人だよね? サザンの曲よく歌ってたような
カックラ金出てたよな おかみさんを卒業ってどういいこと?
旦那が親方やめるの?
旦那と離婚するの?
卒業ってだけじゃ何したのかわからない。 >>19
不自由で貧しい生活を強いられてる北朝鮮人みたいな印象だなw >>253
親方が定年制で親方を辞めるの
そのせいで女将も引退 >>230
有名アスリート同士だし、旦那の友達とかじゃないの?
送り迎えしてたとか。
人生で実際に見たなかで岡山が一番巨人だった。 小柄で飾らなくて、いい感じのおかみさんだったよ
またメディア出ればいいのに >>55
いややっぱり下手だろ。そりゃ横で岩崎宏美なんかが歌ったら数割増しで下手に聞こえるのはわかるが、でもやっぱり基本へたw >>236
過去の発言からすると、桑田佳祐は楽曲を提供を望んでなかったようだね。 1960年生まれ。氷室京介、山田邦子、渡辺徹と同学年。
この年代で端から高校に行かないって珍しいよね。経済的なもの? >>256
親方が辞めるのね。
どうも有難うございます。 >>241
木之内みどりに提供してる時点でロックは捨ててると思うんだがw >>267
さあ
森昌子、桜田淳子、山口百恵とかは高校行ってたんだろうか?
まだ堀越高校の芸能科とか無かっただろうし
中卒ですぐ芸能界目指すなら高校いらね、って考えの人も多かったかもよ >>253
若島津が定年
子どもも芸能界では売れてない
もしかすると高田みづえが歌手復帰するかも
数年前に1度だけ「思い出のメロディー」で復帰したことがあった 夜ヒットでキャンキャンうるさい高田みづえに井上順が唇にキスして急に大人しくなったの覚えてる 若三杉の特番やってたのを覚えている。
子供の時家族で見ていた。 >>271
その人達が高校に進学しようって頃に合わせるかのごとく
1973年に芸能コースが設置されてる TVで毎日のように出てた全盛期にスパッと辞めたよな >>163
大場久美子はドリフの全員集合を見てもクスリとも笑わなかった俺の厳格な親父を大爆笑させた唯一の芸能人だぞ
なんだコイツw!って手叩きながら足バタバタさせて凄かったんだぞ >>271
高田は中3トリオの2コ下だね。
百恵は高校で簿記の授業うんぬんって記事を見たことある。
商業科か、普通科の選択科目か。 >>267
自分らの頃(昭和62年)に端から高校行かないっていうのは経済的な問題でなく
超DQNだけだった。 もともと気質があったんだろう。
芸能人ではなくてさ。
アイドルとか言っても昔の話だし。60代なら家に入るなんて普通に思ったろうから。
昭和の相撲部屋とかマジで拷問だろうに
そんなの目にしたこと無いとしても、気づいてたらどう対処したんだろうなこの人 田舎のお母さんの為に建てた近辺では大豪邸
回りはさつまいも畑が広がる 歌唱力抜群だったけど全員集合でカトケンとやってたパイ投げコントは最高だった >>271
聞きかじりだけどナベプロだかホリプロとサンミュージックは
高校だけは出すと親御さんに約束して子供を預かると聞いたが >>271
山口百恵は日の出女子高だったような気がする わたしはピアノって桑田の嫁さんの声に合わせて作ったんじゃないの? 松本と浜田が一緒にコンサート観に行って、高田みづえと目が合った、いや
オレと目が合ったってw どうしても(元)貴乃花夫人と比べちゃうなあ。どっちも九州の南の方の出身で世代もまあ近く、アナウンサーとアイドル歌手という華やかな世界にいて、角界に入って。その後はだいぶ違う印象 この胸の中 駆け抜けていく
思い出たちが 優しすぎます >>222
ジューシイフルーツの最高傑作は
「萎えて女も意志を持て」と思う。
当然異論は認める。 >>247
そうなんだよ
女将さんとして周りに認められるまでの過程とか
心境の変わり具合とかいろんな葛藤とか
凄い聞いてみたい
ナンバーかどっかで特集やらんかね 中山競馬場に行くのに西船橋から武蔵野線で船橋法典に行く時に部屋がチラッと見えるんだけど、(高田みづえが洗濯物干してないかな〜)っていつも思ってた 歌舞伎もそうだが金持ちの家なんだから家政婦や栄養士雇えよ おかみさん業()
アスリート大勢いる相撲部屋なんて尚更
嫁として入って来させる代わりに負担強いてるだけだろ >>267
> この年代で端から高校に行かないって珍しいよね。経済的なもの?
高田みづえの家は貧しくて、高田みづえは小学校のときから中3まで新聞配達をしてた >>271
お前さんよ、その3人の名前だすような年齢なら花の中3トリオ
花の高2トリオ
って聞いたことあるだろうが
花の高3トリオ涙の卒業式とかも バー周防が相撲界とのパイプを作る為に押し込んだんよ 「よし、徹底的に裏方に徹してやろう」と思ったんです。
工藤静香とは正反対だな。 若島津といえば、20年以上やくざとずぶずぶの関係を続け問題になった人
本場所に行くと中入りの時に、暴力団関係者の入場は固くお断りします、ってアナウンスがあるが
これを聞くと、若島津はとぼとぼと退出するらしいw 宮沢りえが貴乃花と結婚してたら、今ごろどうなっていたんだろう >>35
長渕って誰?
そもそも高田みずえって誰? もう61歳になったのか、実力派の歌手だったな。美人ではないが感じの良い人だった。 紅白特集番組で昔の紅白リハ映像流れてたが腕組んで脚組んでふんぞり返って座っててなるほどと 偉い人だなあ
ばったりメイクして
でしゃばって離婚した誰かさんと大違い 小さい子供の頃テレビ越しに可愛いと思ってた
みづえちゃんだとテレビに駆け寄ってた
でも今見ると分からないんだよね 昭和の時流行りの顔だったのかな 凄まじいニキビだったけど、高田みづえ以外に後にも先にもあんなニキビ面の芸能人を見たことがないな 声に張りがあって、あの年代の歌手の中でも上手かったよねぇ
アイドルとは異質のヒットメーカーだったし 若嶋津の指導は厳しかったけど
恋愛OKの部屋だったね
おかみさん曰く「男の子は恋をするとすごく強くなるの」と恋愛相談に乗ってたらしい >>1
アイドルって言うのとは違ったなあ。
岩崎宏美と同じく 歌唱力が違って、アイドルというより「歌手」だった。 >>184
その2人は言っちゃ悪いが専業主婦でいられただろ。
相撲界の部屋持ちおかみさんや梨園の人気者の妻は裏方としての忙しさが全然違うわ。 歌上手いけど
岩崎宏美がいたから
評価低かったイメージ かわいくない、とか書き込んでる人が多いけど、無茶苦茶かわいいじゃん。
歌は上手いし、素人っぽくて可愛いし、若島津と結婚するとTVで知った時は
凄くショックだったなー。 純愛さがし
名曲なんだけなあ、ドラマのほうもおもしろかった。全盛のいとうまいこ、伊藤かずえがでてた >>18
>>99
昭和の〇〇三人娘的なくくりが続いてて
榊原郁恵、高田みづえ、清水由貴子もくくられてたからな。 硝子坂はギターのアレンジが好きだったなあ
あれは宇崎だっけ
桑田路線になってつまらなくなった 原坊と高田みづえ
どちらの私はピアノが好き?
自分は原坊の方が好き >>70
三田寛子はかわいかったのに
あまり売れなかったから
アイドルとまでは行かないかも 鹿児島県(本土)の他地域の人達には理解できない英語(頴娃語)を使う地域
爺ちゃん婆ちゃんの会話はガチで解らない 弟子が継いだ部屋は足立区に建物建ててるそうだが、若嶋津夫妻は船橋から引っ越すのかな >>122
相撲部屋のおかみさん業も結構大変なんだが >>238
原由子じゃ売れなかったよな
高田が歌ったから今でも名曲になってるんだよな >>1の画像見るとガンバレルーヤのまひるかと思った >>163
大場久美子はド下手の殿堂入りだろw
太田裕美は上手、天地真理も上手
河合奈保子は普通
松田聖子ファンに喧嘩売ってるのは面白いからそのままでw 高田みずえと野口五郎の曲はカックラキン見てたらだいたい覚えた 「私はピアノ」当初は弘田三枝子がシングル発売する予定で
仮録音まで済ませていたと知り、驚いた
予定通りだと「人形の家」以来のヒットになったのか?気になる >>363
平成生まれ
いろんな名前が出てるけど松田聖子くらい
しかわからない 痩せててカッコよかった前の二所ノ関親方
今の二所ノ関親方は太りすぎて笑ってしまう >>374
あの尻は、高田みづえには無理。
当然、顔も論外。 普段着は娘と「しまむら」
飾らない人柄と芯の強い薩摩おごじょ >>362
原由子のロンリープレイ(オナニー)を思い浮かべるよりは、
高田みづえの方がいいもんな。そりゃ当たり前よ >>1
この人、女高生の頃は指宿枕崎線の水成川から西頴娃まで通ってた >>374
この人はオーディション番組出身でアイドル扱いだったが、顔立ちやスタイル、歌唱力など実態はアイドルとはちょっと違っていた。
実際には若手実力派歌手。 >>381
人気大関と結婚→女将業に専念→夫は協会理事・一門総帥になる→無事引退
人気横綱と結婚→女将業はせず→夫は精神錯乱で相撲界追放→離婚 >>15
風呂の帰りに自転車でコケてじゃなかった? >>175
三田寛子に楽曲提供した事を無かったことにしてた。ラジオで聞かれて、あれはねーって、否定的な感じでほとんど話さなかった。 >>322
廃人
今幸せになれて本当に良かったよ
反対してたリエママは正解だった 二所ノ関
佐賀ノ花→十勝岩→金剛→(玉力道)→若嶋津→ハゲ原寛 >>377
そういう意味だったのか。。。
今の今まで気が付かなかった。。。
目からウロコだわ。。。 >>56
「私はピアノ」は当初、弘田三枝子が歌う予定だった 鹿児島市じゃなくて、指宿に近い方の出身じゃなかったけ? 周防氏のお気に入りで引退後にはバーニングの監査役になった凄い人 >>335
ボイトレなしでこの歳でこれだけ歌えれば文句ないレベル。
ステージの返しって慣れないと自分の声聞こえないんだよね。 >>412
研ナオコのアルバムに
「私はピアノ」と歌詞だけが異なるタイトルで「あいつのこと」
っていうのが収録されてるの知ってる?
作詞は岡田冨美子 高田みずえの現役時代知ってるってどんだけジジイなんだよ 若嶋津は前の二所ノ関親方だね
今の二所ノ関親方はキモノン >>414
自分の小学五年生ぐらいの頃に引退して
おかみさんになった。 若島津と小錦の初顔合わせは凄かったな。もう完全に喧嘩。 若島津陥落危機の時も小錦と当たらなかったっけ。
もろ差しから憤怒の形相で寄って、それでも小錦動かなくて、
最後は小錦がもう疲れたよって感じで土俵を割ったの。 アイドル時代から地味顔だったけど
そこが今はいい感じになってる >>421
高見山との初対戦は土俵際まで寄り立てたけど、そこから全く動かなくて、最後はヒョイッと持ち上げられてうっちゃられた 「私はピアノ」は田中裕梨という女性歌手のカバーでよく聴いてる。 原由子と同年代くらい?
由子、年取ったらメチャ綺麗になったよな
桑田さん見抜いてたのかな モンゴル横綱は相撲ファンにケツマイモ親方と呼ばれている 懐メロ番組多いから歌手復帰しても十分やっていけそう
声が変わってないのはすごいね カックラキンのコントでバレーボールユニフォームの赤いブルマ姿見てお世話になりました。 悟道力は貴闘力の動画に呼ばれて嫌そうな顔してるよなw 5chって還暦過ぎの爺ちゃんが多いのか?
50歳のおニャン子世代だが高田なんてアイドル知らないわ。 >>438
嫌なら出なきゃいいのに常連として楽しんでる 光司をkzと見抜いて大反対したリエママは正解だった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています