《ナンシー関没後19年》「約束を果たさないまま、逝ったのが心残りだったんだと思います」稀代のコラムニストの知られざる“晩年” [朝一から閉店までφ★]
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『人間晩年図巻』より #2
関川 夏央 2021/12/01
genre : エンタメ, 読書, ライフスタイル
「見えるものしか見ない。しかし目を皿のようにして見る。そして見破る。」
独特の観察眼によるテレビ批評・消しゴム版画などで、多くの熱狂的なファンを生んだナンシー関氏。彼女がこの世を去って19年が経つが、今もなお切れ味鋭い表現の数々は色褪せることがない。彼女の慧眼はどのように磨かれてきたのだろう。
ここでは、小説家・ノンフィクション作家として活躍する関川夏央氏が、記憶に残る著名人の晩年を描いた『人間晩年図巻 2000-03年』(岩波書店)の一部を抜粋。稀代のコラムニストの晩年を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
◆◆◆
「図工といえば版画」だった
ナンシー関は1962年、青森市で食堂、駄菓子屋、ガラス屋を経営する関家の長女として生まれ、直美と命名された。家業はのちガラス屋一本にしぼった。彼女はラジオ深夜放送を愛した世代で、高校3年が終る頃始まった「ビートたけしのオールナイトニッポン」から、語り口とものの見方に深い影響を受けた。青森は棟方志功の出身地で、図工といえば版画だったから、彼女が高校時代に「消しゴム版画」を彫り始めたのは自然なことであった。
82年、1年浪人ののち法政大学文学部第二部日本文学科に入学、その年の11月、天野祐吉と島森路子が中心であった「広告批評」(マドラ出版)が開校していた広告学校に入った。その年、コピーライターを経てエッセイストとして売り出した「林真理子みたいになりたい」という動機だった。当初ナンシーは「広告学校に3ヵ月通えば、仕事の世話をしてくれるもの」と思っていた。
自分の得意技「消しゴム版画」を武器に
広告学校の同級生からコラムニスト・えのきどいちろうを紹介され、彼を通じて当時講談社「ホットドッグ・プレス」の若い編集者であったいとうせいこうと出会った。小さなイラストを発注してくれたいとうは、関直美にペンネームをつけてやって欲しいというえのきどの頼みに気軽に応じ、ペーター佐藤とかスージー甘金とか国籍不明のペンネームがイラストレーターに流行していた折から、直美の「ナ」をとってナンシー関はどうかと提案し、その場で決まった名前で彼女は生涯をすごすことになった。
その頃すでに大学から遠ざかり、コピーライターへの興味も喪失していた彼女は、高校以来の自分の得意技「消しゴム版画」を武器に雑誌業界で生きられないかと考えた。
テレビ批評コラムは、89年、10代向け少女雑誌「ポップティーン」で初めて書いた。その冒頭、26歳のナンシーの言葉。
「若者よ、ばかを恐れるな。ばかになるけどテレビを見よう。テレビはぜんぜんこれっぽっちも役に立たないけどおもしろいぞ。何いってんだかなぁ」
次のページ「町内」を代行した民放テレビ
https://bunshun.jp/articles/-/50125?page=2 >>695
中山が森脇かなんかとやった漫才見て、「それ、ダウンタウンの前でできんの?」とか言ってた なんだかんだおっさん寄りの価値観の人ではあったんだよね
文章自体は面白かったし今読んでも面白いとは思うが
でも、今読むとすごく古いのだろうな ナンシー関が「伊集院のラジオのイベントはリスナーが信者みたいでおかしい」
って書いてて、ナンシーが死んだときに伊集院が確かラジオで
「死んだからって持ち上げるわけじゃないけど痛いところ突かれたのは確か」
くらいのことを言ってた記憶 まあ芸能って男のものだからな
身も蓋もないことを言えば 存命なら世間並みミヤネに対する嫌悪感を上手くおちょくってくれると妄想 たけし(1947年生)
松本(1963年)
ナンシー(1962年) >>39
別にけなしてはいないね。その通りだと思う。
さんまは褒められないと気に入らんのかな。なんか心が狭いね。 ビートたけしの事を、芸人としての誕生から終わりまで
見ることができるって言ってたけど、終わり見ないうちに
逝ってしまったな >>87
青木るえかって人が跡取りたそうにしてたけどそうはならなかったねw >>716
伊集院光のオールナイトは1988年〜、オーデカナイトが1991年からだからざっと30年ぐらい前からラジオの帝王だったよ。 >>716
ナンシーの方が信者痛々しいだろうに
5ちゃん見ててもさ 生きていたら
小室と眞子、佳代の風刺画描いてくれただろうな ラジオ祭りみたいなのやると
ラジオリスナーの気持ち悪さが可視化されるよね >>724
ナンシー関祭りも是非やって欲しかったね みんなこの人の慧眼というか着眼点の鋭さばかりだな
確かに自分もそこを一番に語りたいけど、文章の上手さももっと語られてもいいと思う
口語体なのに読みやすい
初稿から決定稿に近かったのか、推敲に推敲を重ねたのかは知らないけど
だれにでも書ける文章ではなかった >>726
生きていたらナンシーは自分自身のことなんて言うだろうな…
とてもとてもこんな世の中で無傷でコラムニストやれているとは思えんのだけど >>542
ドラえもんバカにしてたのか。
ドラえもんファンアピールしてるとこしか知らなかった 私は内容は下品でもリリー・フランキーさんの文章にナンシーさんと同じ雰囲気を感じてる >>24
マツコとナンシー関並べて語られること多いけど、ナンシー関は高橋春男とかとゴチャゴチャやってる完全な裏方で、ゆうちょのCMに出るような国民的タレントのマツコとは何の共通点もないと思うけど。マツコのコラムで瞠目することなんかないし >>736
追 テレビ界の小林秀雄というか、テレビ人はナンシー関にどう評価されるか常に片隅にあったらしいし タレントになろうとしたマツコと
タレントになろうとしなかったナンシー関
共通点は体型ぐらいだな 一人ガールズちゃんねるみたいな存在だった
当時は一般人が発信できなかったからこいつを支持することでその手の奴等が欲求を満たしていた >>740
どっちもだらしない体型で自制できない情けないデブだけど
陰湿にニヤリとしながらチクチク攻撃するナンシーよりかはマツコの方が幾分マシ
心の内は似たような思考だろうけど たけしに関しては「タケシムケン」(1999年)について
はっきりと現役感のないお笑い番組だっていう風な批判はしてたと思うけど
松本に関してはよく覚えてないが同じ時期の「わらいのじかん」について
「タイトルと内容に齟齬がある」くらいのイジリはしてたような気がする >>743
文章とテレビでのコメント芸
そもそも比較対象にならない アサヒ芸能の、浅草キッドの投稿ハガキのコーナーに採用されたら
ナンシー関が掘ったケシゴムはんこを貰ったのはいい思い出 >>743
1番違うのは
マツコはデブで50歳近いけど現役
ナンシーは39歳で死亡じゃないか
不健康な生活で死にそうになって生活習慣改善できるかできないかの差は大きい 訃報直後に2ちゃんにうpされた偽コラムがものすごい出来の良さだった >>222
私なんて顔も似てきたわよ。つんくのこともなんか予言してたな。 こないだドクターXで瀬戸朝香を久しぶりに見て
ナンシー関を思い出したところだった ナンシー関は生きてたらマツコと同じ年齢なんだな
年齢サバ読んでるかもしれないが 性別からして違うのに、マツコと比べるのが多くて驚き
マツコと被るのはミッツマングローブやおすぎとピーコや美輪明宏や美川憲一あたりのイメージ >>460
ズームイン朝で「消しゴム似顔絵の上手い人」で紹介されたの見た覚えがある
もしかしたらテレビで一番最初に出た時かもしれない
つまりテレビデビューは田村亮子と同期くらいなんじゃないかと >>618
キミがいくつかしらんけど、この辺りの文化人どう思う? >>509
毒舌で切ってきた人のファンからの批判や罵詈雑言で精神的にもやられたんじゃないのかな?
ストレスは体に相当なダメージを与える >>493
山瀬まみを貶したらナンシーが死んだ時に本人が祝杯上げたとか >>711
古くないよ。現在との答え合わせする楽しさがあるよ。 斬られたタレントのファンからの罵詈雑言は相当だったらしいんだよな
今のように表にならないだけで >>20
松本が権力の犬になることまでは見通せなかったようだ ベビーカーを押す鬼女を不沈艦隊と呼んだり今なら炎上しまくってたろ 当時は面白がって見てたけど、いま生きてたらたぶん嫌いになってたろうな >>542
千秋ってドラえもん馬鹿にしてたの?
ソースある
あいつのドラミだけが今のドラえもんの声優で違和感ある >>33
37だけど名前と消しゴム版画見たことあるような程度で本人はよく知らない
19年前は現役だったの?
平成初期ぐらいまでの認識だったわ ナンシーが泥臭さの権化の野球界での異端でイチローを挙げてたの思い出した
ナンシーの大谷評は気になるね >>762
小山田とかピエール瀧とかナンシーがデカい面していた時代だな
まあなんというか・・ >>772
テレビに出てたのって90年代の頭3年弱ぐらいだもの
コラムはずっとかいてたよ >>755
瀬戸朝香はプロレス出るって言ってたよねw ナンシーといえばTVのテロップを猛批判してたのは覚えてる
今ならワイプやひな壇も叩いてたろうなぁ
仮に存命なら各方面から潰されていただろう 誰かがナンシー関の事を
「本人は青森高校→早稲田文学部を夢見ていたのだろうが、現実には法政2部だった。」
みたいなことを書いていて、妙に心に残った。 >>722
亡くなって美化されっぱなしっていうのもあるが
何かというと「ナンシーならどう言っただろう」とか
「ナンシーに上手いこと言ってほしかった」と言い出す信者がウザ過ぎるよね
今でも信者が5chにいるのか分からないけど >>780
宮迫の闇にも真っ先に気がついていただろう >>174
浜田が後輩呼んでゴルフ番組始めたのみて「お前もか」的なガッカリをチラっと語ってた
掘り下げないうち亡くなってしまったな >>539
この人ボロンクソに書いてる人の事もよく見てるし
なんだかんだ言ってネタにしてる人の事本気で嫌いなわけでもなさそうだった
吉田栄作や石田純一や郷ひろみや二谷友里恵についても色々書いてたし
似顔絵もメチャウマだった この時期になると
彼女が彫った田中邦衛のひょっとこ顔を思い出すわ… 松尾貴史や町山広美と連るんでたんだね
今ならどうなったかね >>676
青森県民というか、青森市民は小学校低学年のうちは紙版画、高学年になれば木版画が図工のメイン
木版画やり出すとマイ彫刻刀を持たせられて大人になった気持ちになる まだサイト残ってるから暇なときにどうぞ。
このころから「ネット特有の悪意」に気付きちょっと戸惑うナンシーがかわいらしいw
http://www.bonken.co.jp/index2.html ナンシーが死んだのはADSL普及前だったからな
ADSL普及してきた2003年ごろから一気にインターネットが広まったから
ネット時代だとどうなってたか? 岡村靖幸好きだったよね
電気グルーヴも
卓球とは対談したりしてた >>767
「吉本のジャニーズ化」はしっかり指摘してたよ。松本の番組を見て あ、読みたかったのはこれ
>>508
亡くなった時も見たなー >>779
瀬戸朝香よ、女子プロレスラーになってはくれないか
中谷彰宏を猛烈に嫌ってたのワロタ 最後に見たのはどっかの雑誌で
近田春夫との対談だった気がする
何年前なんだろうか ナンシーが最も生き生きしてたのは大食い番組について書いた時 >>745
タケシムケンはまずいラーメン屋の彦龍は面白かったw こぶ平がMCのミニ番組をボロクソにけなしてたのは笑った マツコが受け入れられたのはナンシーいたから
一定層には見慣れてた5時夢の初期の雰囲気は美しさとは程遠かったのに バラエティ番組のパターンなど、もうとっくに出尽くしているのかもしれない。
何かにどこか似ている、というのはしょうがないという気もする。やっぱり、
「わらいのじかん」も何かに似ている。何に似ているのかと考えた結果、
それは既存のお笑い番組やバラエティではなくジャニーズ番組のような気がしてならないのだ。(略)
それは、ジャニーズ事務所と吉本興業というプロダクション単位での世界観の
共有とでも言ったらいいのだろうか。本来、テレビを見ている視聴者にとっては、
どのタレントがどの事務所に所属していて誰と誰は先輩後輩の関係である
といった事情は知ったことではないのである。いや、たとえば落語家や漫才師、
あと歌舞伎などタテのつながりを鑑賞する際のひとつの情報として取り入れることもある。
でも、テレビバラエティではもう関係ないからなあ。こぶ平が三平を襲名しようが
正蔵になろうがこぶ平に変わりはないだろうし。(略)
ジャニーズ事務所は、その特殊で複雑なシステムとでも言うべき事務所の形態を
世間一般に理解させることにまんまと成功している。(略)
吉本興業は、そんな理解を欲しがっている。(略)(ナンシー関 '99・11・4) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています